月曜の午後。人類学チームのクリスティがやって来て、協力会社に対する我が社の冷酷な仕打ちについてひとしきり語りました。でも私みたいな一般社員には何もしてあげられないのよね、と溜息をつき、こんなセリフを呟いたのでした。
“After all, we are all cogs in a
wheel.”
「結局私達ってみんな、ホイールのコッグなのよ。」
聞いたことのない言い回しです。特にCog(コッグ)という単語は初耳だったので、解説をお願いしました。
「ほら、大きな機械の中で動くホイール(歯車)があるでしょ。その一枚一枚の歯がコッグよ。つまり、私達ひとりひとりは組織全体から見たらちっぽけな存在だってこと。」
なるほど。つまりこういうことですね。
“After all, we are all cogs in a
wheel.”
「結局私達ってみんな、歯車の歯なのよ。」
日本語にも、「俺たちは組織の歯車に過ぎない」という表現がありますが、これは更にそのスケールを落としたバージョンですね(歯車には「回転する」仕事があるけど、その歯ひとつひとつはただそこに立って役割をこなすだけなので)。
「なんか、じわじわと気が滅入って来る言い回しだね。」
と私。後であらためてa cog in the
wheelの意味を調べてみたのですが、標準的な解説の中に、気になる表現がありました。
“Someone or something that is
functionary necessary but of small significance or importance within a larger
operation or organization.”
「機能的には必要だが大きな組織の中では重要性の低い存在」
少なくとも解説前段では、その存在の必要性が語られている。歯車の歯がいくつか欠ければ機械全体が停止する可能性もあるわけで、そう考えればこのフレーズも、ポジティブに使える場面があるんじゃないか?
「無いわね。」
その日の昼食時、ランチルームで左隣に座っていた同僚バレリーに尋ねてみたところ、即答で断言。
「生まれてこの方、ポジティブに使われるのを聞いたことなんて一度も無いわよ。」
すると右隣から、若い同僚のローレンがスマホを見つめつつ会話に参加します。
「確かにネットの説明を読むと、ネガティブばかりじゃないようにも感じられるわね。でもやっぱり、ポジティブな意味で使われることなんて無いんじゃないかしら。」
折角新しい英語表現を仕入れたのに、卑屈で厭世的なニュアンスがあるのなら口にするのは抵抗があります。なんとかうまく明るい印象の使用法を見つけられないもんかな、とひとしきりもがくのでした。
その翌日火曜の昼前、元ボスのエドが職場に現れました。今や完全な自宅勤務になっていて、オフィスで姿を見ることは滅多にありません。随分ご無沙汰ですね!と握手すると、
「デスクを取り上げられちまったんだから仕方ないだろ。」
と笑います。社員数が急増した時期、オフィススペースを確保するためリモートワークが推奨されたことがありました。エドはそのキャンペーンに乗っかったわけです。
「毎日ひとりぼっちで働くの、淋しくないですか?」
と私。
「通勤苦から解放されて、むしろほっとしてるよ。朝起きるとコーヒー淹れて、直ちに仕事開始だ。第一、オフィスには顔なじみの社員がほとんど残ってないだろ。わざわざ足を運ぶ動機も無いじゃないか。職場に顔を出すのは、もうこういう時だけだよ。」
そう、今日は久しぶりのランチ・パーティーだったのです。
かれこれ十年以上続いている、仲間の誕生日に皆で昼食をおごる「バースデー・クラブ」。組織の吸収合併や大量レイオフという名の疾風怒濤をくぐり抜け、エド、マリア、リチャード、そして私の四人で今日まで続けて来ました。今回の主役は、50歳という大きな節目を迎えたリチャード。ダウンタウンのイタリアン・レストラン「ソレント」に、この後合流したマリアと四人で出かけたのでした。
「シンスケは今、何人部下がいるんだ?」
「五人です。」
「おいおい、随分景気がいいな。このままどんどんエラくなって手が届かない存在になっちまうんじゃないか?」
と、リトルイタリーに向かって歩きながら冷やかすエド。数カ月前の組織改変でエリカとマリアを手放すことになった彼は、長年育てて来た部下を理不尽に奪い取られた男の悲哀を滲ませるどころか、彼女たちの勤務評価をしなくて良くなったその身軽さを楽しんでいるよ、と笑うのです。まるで幾多の試練を乗り越えて来たベテラン大工が、皮肉混じりの冗談をテンポよく飛ばしつつ仕事に打ち込む姿を見るような清々しさ。自分もこういう風にならなくちゃな、と元ボスへの尊敬を新たにするのでした。
パスタやポークチョップなどに舌鼓を打ち、誕生祝にと店から提供されたデザートのティラミスを皆でつついた後のことでした。
「俺、辞職したんだ (I resigned)。マリアから聞いてる?」
テーブルを挟んで向かいの席から、リチャードが爆弾発言をかましたのです。隣ではエドとマリアが額を突き合わせるようにして、こまごまと仕事の話をしています。
「いつ?」
ショックのあまり固まったり、落胆の溜息をついたり、と色々なリアクションがとれる場面ですが、一瞬のためらいを経て淡白に聞き返した私。
これには理由があるのです。
89歳の元同僚ジャックが、ひと月ほど前ふらりと私を訪ねて来た時のこと。ひとしきり近況報告を交わした後、
「リチャードがうちの会社に来るの、聞いてるよね。」
と口走ったのです。突然のレイオフを受けた後、ほとんど間を置かずに小さな競合会社への再就職を果たしたジャック。仕事量はうなぎのぼりで大忙しだよ、と新天地の繁栄に嬉しい悲鳴を上げる彼が、長年大きな信頼を寄せて来たリチャードの引き抜きを試みるのは当然でしょう。今の部署で設計技師として大活躍を続けて来たものの、ハードワークに見合った報酬を受けていないことに対する不満をしょっちゅう口にしていたリチャードにとっても、これは渡りに船というところ。
「あ、今のは聞かなかったことにして。」
私の顔色からこのニュースが初耳であることを素早く察したようで、慌てて顔をこわばらせたジャック。えらい秘密を打ち明けてくれちゃったよなあ、と困惑する私でした。
そんな背景があったので、ランチパーティーでのリチャードの告白にも対応を迷ったのですね。しかし、
「三週間ほど前に辞職届を提出したんだよ。」
という彼の返答に、ふと違和感を覚えます。
「え?それってどういうこと?」
辞める二週間前に届けを出すのが通例なので、普通に考えればとっくに退職日を過ぎているのです。
「ボスに止められたんだよ。給料の大幅アップをするから残ってくれってね。彼が上層部に掛け合って、その日のうちに転職話は無かったことになっちゃった。」
おお~!それは良かったな!と意外な急展開を喜ぶ私。長年の仲間が欠けるのは寂しいけど、新天地で彼がより幸せになるのなら仕方ないじゃないか、と諦めていたのです。
「あ、思い出した!」
エドとマリアにも注意を促し、くすぶっていた質問を投げかけます。
「食事の前に、a cog in a
wheel(歯車のコッグ)ってイディオムの話したでしょ。今回リチャードに起こった事件は、機械全体に対するコッグの重要性を証明してるよね?だからこれってやっぱり、ポジティブにも使える言い回しだと思うんだ。」
するとエドが、
「もちろんポジティブに使える表現だよ。機械を操縦し続けようと思えば、コッグがきちんと機能していることが絶対条件になるだろ。」
と真顔で応えます。そして間髪入れず、ニヤリと笑ってこう付け足したのでした。
“We’re not the ones who’re running
the machine for sure.”
「機械を操作してるのが俺たちじゃないのは確かだけどな。」
リチャードの引き抜き話は、ジャックからリチャードへの援護射撃なのかもね。
返信削除昔の新日本プロレスで、UWFが独立する際に長州力にも声が掛かったそうで、その際に長州は声を掛けてくれた新間という仕掛け人に移籍話を断りつつ「申し訳ないけど、この話を俺の給料アップに使わせてもらいますヨ」と言ったそうだ。実際に引き抜き時の報酬保障覚書みたいなのを新日本経営陣に示して、大幅な給料UPを獲得したのだとか。。。その後、かませ犬発言からの「維新革命」そして全日本流出と、長州は第三の男ポジションから一気に表の顔に駆け上がっていったんだよね。
ジャックが新間氏のような策士だとは考えにくいけど、リチャードが長州ばりに表舞台で活躍してくれるといいな。
返信削除新入社員がエラそうに「所詮俺なんて会社の歯車に過ぎないんですね」なんて言ったら、「バカヤロウ!おめえなんざ歯車の歯だわっ」って言ってしまいそうだけど、歯車の歯はなくてはならないものだけに、この言い方は妥当ではないんだね。そんな時は[歯車にはさまってぐるぐる回ってる埃だわっ!]って言うべきカナ。
返信削除話は全く関係なくなるが、情熱大陸で面白い子が紹介されていた。興味あるのでは?
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180608-00000003-maiall-ent
gyao.yahoo.co.jp/player/.../v0000000000000001477/
ひどい言われようだね、新人社員。それでへこまない根性があったら大成するかもね。
返信削除素敵な柔道女子のことは、既に別番組でチェック済みです。早いでしょ。
さすが情報通だね。
返信削除この番組でみた四股がスゴく綺麗でびっくり!あそこまでできたら四股だけで相当なトレーニングになるだろうナと改めて感心した次第。
僕が観た時は、先輩男子がまわしを締めるのを手伝ってたよ。えらいなあと感心しました。
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