2014年12月18日木曜日

Mistletoeとセクハラ

先週月曜、サンディエゴ地域の三支社が統合し、ダウンタウンの新しいオフィスに移りました。私の席は、港を望む絶好のロケーション。コンピュータ画面をにらみ続けるのに疲れたら、ちょっと右を向いて景色を楽しめます。隣の席との間には視界を遮るものが何も無く、日本で働いていた頃の島机を彷彿とさせます。私の周囲は何故かすべて女性社員。左隣は過去10年来の友人でもあるべス。二人とも猛烈に忙しく、折角お隣さんなのに、初日からほとんど会話するヒマがありません。

今朝も私が6時過ぎに出勤したところ、10分ほどして彼女がやって来て、挨拶もそこそこに戦闘開始。いきなりフルスロットルで仕事に没頭します。ところがその出鼻をくじくように、メールが一本飛び込みました。

「オンラインのセクハラ・トレーニングを受講して下さい。締切は...。」

思わずイラッとした私は、唸り声を上げてしまいました。これ、二年前にも受けたじゃん。数日前にも「Ethical Conduct(倫理的行動)のトレーニングを受けて下さい」というメールが来たばかりなんだぜ。ただでさえ目が回るほど忙しいのに、同じようなトレーニングを何度も受けさせるなよ!

「大体さ、何をしたらセクハラになるのかなんて、一回聞けば分かると思うんだよね。なんでこう度々同じ話を聞かされなきゃならないのかな。」

と毒づく私に、

「そうよね。行動がどうと言うよりは、被害者の側の心証が大事なのにね。」

それからひとりしきり、セクハラ話で盛り上がる二人。私が日本で働き始めた当時、職場のオジサンたちの机には、生命保険の外交員に貰った卓上ヌードカレンダーがあったけど、誰も気にしてなかったよ、とか。

「最近じゃ、女性社員相手の発言には毎回かなり神経使うよ。」

「反対に、女性が男性にセクハラっていうケースもあると思うわよ。例えば、昨日オンタリオ支社のボブが会議でこの支社に来たでしょ。久しぶりの再会だったから私、思わずハグしちゃったじゃない。後でね、もしかしたら彼はイヤだったかも、って心配になったわ。」

「なるほどねえ。それは考えなかったなあ。」

「難しいのは、何の下心も無いのに相手から誤解されちゃうケースもあるってことよね。」

とべス。

「たとえば、私の席の左側にぶらさげてあるミッスルトウを、シンスケと私の机の間に飾ったとするでしょ。それを私からのセクハラだと受け取るってことだってあり得るじゃない。」

は?ミッスルトウ?セクハラ?

Mistletoe (ミッスルトウ)とは、日本語ではヤドリギのこと。昨日の午後、総務のトレイシーが、

「リンドンが現場で拾って来たMistletoe を、ランチルームの大テーブルに置いておきました。欲しい人はご自由に。」

と皆に一斉メールを送信。べスはそこから一本頂戴して来た、というわけ。しかし私には「ミッスルトウ」が何のことかさっぱり分からず、わざわざ聞きに行ったのでした。

「クリスマスの飾り付けに使うのよ。」

とトレイシー。

「ちょっと可愛いでしょ。」

「ほんとだ。何だかちょっと愛らしいね。」

ミッスルトウが何かはこれで分かりました。でも、何故べスはこれをセクハラ話として持ち出したのか。解説をお願いしたところ、

「クリスマスには、ドアの上とかにこれを飾るの。でね、この下に立ってる女性にはキスしていいっていう習慣があるのよ。だから、もしも私がシンスケと私の机の間にこれをぶらさげておいたら、私がキスを強要してるんじゃないかって勘繰る可能性もあるじゃない。」

ええ~っ?そんな展開?

アメリカ生活長いけど、こんな話は初めて聞きました。知らないというのは恐ろしいなあ…。

さて、午後になって上階のジェイソンを訪ねました。彼の周囲は、私と好対照なまでに男所帯。真向いはリチャードです。

「ねえ、ミッスルトウの下に立ってる女性にはキス出来るっていう話、本当なの?」

と男二人に質問したところ、どちらも真顔で頷きます。

「相手もキスを期待して立ってる確率は高いと思うよ。」

とリチャード。今朝のべスの発言を紹介したところ、

「ちょっと無理のある展開だけど、絶対無いとは言えないケースだね。」

とジェイソン。間髪入れず、リチャードがこう言いました。

“I’ll have mistletoes on my belt buckle.”
「ベルトのバックルにミッスルトウをぶら下げておこうっと。」


久しぶりに職場で聞く、百パーセント混じり気無しの下ネタでした。


私のデスクでこの発言をしたら、間違いなく人事部に呼び出しを食らうことでしょう。

2014年11月29日土曜日

ストックホルム症候群とクライアント・マネジメント

色々あって、専門外である建築部門のプロジェクトを10件以上担当しています。そのうち5件は、大量出血状態。プロジェクト中盤でのバトンタッチだったので、中身はまだ勉強中なのですが、一体何がどうなったらこんな事態になるのかね、と首を捻りたくなるほどの惨憺たる有様。

このうち二件のプロジェクトにオレンジ支社の同僚ブライアンが深く関わっていると知ったので、彼に解説をお願いしました。それで分かったのが、次のような背景。

クライアント側にプロ・アマ含めて建築家はひとりもいない。だからこそコンサルティング・ファームに仕事を依頼しているわけだけど、専門知識ゼロなのを良いことに、思いつきでどんどんデザイン変更を要求して来る。それがどのくらいコストに影響するかについては何も考えない。チーム全員がほぼ徹夜で練り直したデザインをプレゼンすると、建築コストの増加にたじろぎ、「やっぱりそれはやめとこう。」とあっさりひっくり返す。設計変更に費やしたコンサルタント側のコストについては、「そこは何とかしてよ。頼むよ。」と笑って済ませる。こんなやり取りが毎週のように繰り返される。気が付けば、膨大な損失を抱えている…。

これにはぶったまげました。プロジェクトマネジメントの基本中の基本である、「どんなに小さな変更依頼も必ず文書化し、費用をクライアントが負担することを文書で確認してから進む」というルールを全く守ってない。歴代のPMが全員クビになっているのも、これで説明がつくじゃないか…。

「皆、そんなやり方がまずいのは重々分かってるんだよ。でもこの不景気じゃ、クライアントの機嫌を損ねるリスクも取れないでしょ。だったら他の会社に頼むからいいよ、と切り捨てられる可能性を考えると、些細な変更ならちょいと残業して凌いでしまおうという意識が働くんだな。それが地獄の入り口だと薄々勘付いていながらも。」

私が普段担当している上下水道や高速道路設計などのプロジェクトは、クライアントが公共団体でしかも専門家の担当者を抱えているケースが多く、彼らからまず設計標準等を与えられるのが一般的。プロジェクトの成果は開始前からある程度分かっている上に、条件変更がどの程度のコスト増に繋がるかのイメージは、双方がほぼ共通認識として持っています。これが建築の世界では、だいぶ事情が違うらしい。成果品のイメージが曖昧なままスタートし、クライアントからの気まぐれな変更要請に辛抱強く応えつつ長時間労働を続け、社内では「何を大損こいてんだ!」といたぶられる。

「顧客を満足させつつきちんと儲けを出す」というビジネスの基本ルールは、もはや二律背反の大難題なのですね。確かに、この不景気にクライアントからの無償変更要請を毅然とした態度で押し返すのは容易ではないでしょう。会社を放り出された歴代PM達の苦悩を思い、初めて同情心が湧きました。

後で担当副社長のビバリーにこの話をしたところ、

「分かってくれて有難う。でも、それだけじゃないと思うのよね。建築家は、元来アーティストなのよ。アーティストは顧客の夢や情熱に共鳴すると、ビジネスパーソンとしての意識が飛んじゃうの。気が付くと、クライアントの言いなりになってるのね。エンジニアとはそこが違うと思うわ。」

なるほどね。

Stockholm Syndrome (ストックホルム症候群)って聞いたことある?ある業界誌に記事が出てたんだけど、建築家のプロジェクトマネジャーはこれに罹りやすいって書いてあったの。うちのグループ内でこの記事を回したら、すごい反響。あるある!って。」

「ストックホルム・シンドローム?何それ?」

これは初耳のフレーズです。

「確かスウェーデンのストックホルムで起きた人質立てこもり事件から名前がついてると思うんだけど、長いこと監禁されているうちに人質が犯人の思想や主張に共感し始めて、段々と自ら進んで言いなりになって行く、という現象を指してるのよ。確か、犯人と結婚した人質もいたと思うわ。」

「ええっ?そんな!」

「建築業界でコンサルティングやってると、散々こき使われているうちに自分の上司よりもクライアントの言うことを聞くようになっちゃう、それで会社に大損させても気にならなくなるっていうことね。」

長いことプロジェクトマネジャーのサポートをやって来ましたが、そんな奇妙な現象を聞いたのはこれが初めてです。翌日、エンジニアのPMエリックに意見を聞いてみました。

「それは建築業界に限った話じゃないと思うよ。これだけ景気が悪いと競争は熾烈だからね。クライアントだって強気に出られるでしょ。無理な要求を呑まされるケースも多いよ。ポイントは、いかに支援体制を保ちつつ譲れない線を示すか、だ。クライアント・マネジメントにおける最大の難問だね。」

「そうだねえ。何か良い手はないものかなあ。」

と、溜息をつく私。これに対し、

「あるよ。」

と事も無げに笑うエリック。

「クライアントの担当者に、私個人としては是非ともやらせて欲しいんです、でもうちの上層部が黙ってないでしょうね、下手すりゃ私、クビになっちゃいますよ、そう言うんだな。」

「おお、なるほど。中古車セールスマンがよく使うテクニックだね。」

「その通り。ベタだけど、大抵の苦境はこれで切り抜けられるよ。ま、相手が自分を気に入ってくれてるという確信が無ければ使えない手だけどね。」

エリックは急に何か思い出したような顔になり、

「そういえば前のボスのクリスがさ、困った時には俺を悪者にしていいぞ、と言ってくれたことがあるんだ。で、すかさずこう答えたね。」

と笑いました。

“Thank you. I’m doing that all the time.”
「有難うございます。その手は使いまくらせてもらってますよ。」

2014年11月26日水曜日

Therapeutic 癒しのチカラ

久しぶりに休暇を取り、ソノマ・カウンティに来ています。ここは全米最大のワインの産地。ワイン商の友人マイケルの一家と一緒に、7人でのロードトリップ。ここ数か月間働きづめだった私にとって、これは待ちに待った骨休めです。なだらかにうねるブドウ畑の間を縫う細い道路をゆっくりと進みながら、巻ききったゼンマイがゆっくりとほぐれていくのを感じる日々。

到着した日曜日は、まず完全無農薬の農園を見学した後、「ゴッドファーザー」や「地獄の黙示録」で有名な映画監督、フランシス・フォード・コッポラ氏のワイナリーへ。

「ゴッドファーザー Part II」の開始15分、タホ湖に面したコルレオーネ・ファミリー邸でのパーティー場面が出て来ますが、そこでバンドが演奏していたステージを模した設えが、ワイナリーのプールサイドに作られています。

館内の壁面には映画で使われた本物のグッズや写真が展示されていて、コッポラオタクなら絶対外せないスポット。


二階のバーカウンターでワイン・テイスティングの後、一階のレストランへGo! 

牛ステーキ、ラム、サーモン、パスタ、と色々注文しましたが、どれひとつとっても絶品。デザートのパンナコッタに至るまで、皆で顔を見合わせていちいち絶賛してしまうほどの傑作です。アメリカでこんなに美味しい料理を出す店があったなんて!

余韻にひたりつつ、二階のゲストハウスへ移動。ここは一般公開されていないのですが、コッポラ氏と仲の良いマイケルのおかげで、一泊させて頂きました。

月曜の朝はレッドウッドの巨木が茂る森を散策した後、Paul Hobbs(ポール・ホブス)氏のワイナリーへ。私の妻はこの人のPino Noir (ピノ・ノワール)が大好きで、今年のバレンタインに一本プレゼントしたばかり。

収穫の終わったブドウ園を子供たちが駆け回って遊んでいる間に、大人4人は高級ワイン(シャルドネ、カベルネ・ソービニヨン、ピノ)のテイスティングを愉しみます。

その後、こじんまりした醸造所を見学。ピノは栽培も製造も非常に難しい品種で、良いワインを作るためには計算し尽くされた製造手順はもとより、作り手の強い情熱が不可欠だそうです。少しでも妥協すればたちまちクオリティが下がってしまう。

「ポールの下で働く私たちは皆、彼のワインに対する情熱と誠実な人柄に惚れ込んでいるんです。」

と案内してくれた女性が話してくれました。

スーパー下戸の私は、ちょっぴりだけ口に含んでうがいをするみたいにワインを口内に沁みわたらせ、それからおもむろに吐き捨てる、という動作を繰り返しました。これが非常にウマかった。後で聞いたら、最後のカベルネは一本175ドル。ひえ~!

その後、やぎや羊の飼育とチーズの製造をしている小さな農園、Toluma Farmを見学。若いスタッフ数人が楽しげに働いており、そのうちの一人クリスティは、この仕事に就く前はサクラメントのショッピングセンターで7年間、顧客サービスに従事していたとか。

「今の仕事のどんなところが好き?」

チーズを試食しながら彼女に尋ねたところ、

「毎日朝から晩まで動物達を相手にしてるでしょ。生まれたての赤ちゃんヤギの世話をしたりね。忙しいけど、人間関係から来るストレスが全然無いのよね。」

と答えてくれました。そして、こう結びます。

“It’s so therapeutic.”
「とってもセラピューティックなのよ。」

Therapeutic とは、「セラピー」の形容詞。「癒される」という意味ですね。実はこの旅行のスタート時から、「Relaxing(リラックスさせる、くつろげる)」では表現しきれない独特の感覚を伝えられる言葉をずっと探していたのです。やっとみつかりました。

“It’s so therapeutic.”
「とっても癒されるのよ。」

2014年11月20日木曜日

Sheepish 恥ずかしがり屋

ちょっとした会議、特に非公式の社内プレゼンなどでは、出席者が冗談交じりの質問やコメントをじゃんじゃんぶち込みます。アメリカで働き始めて12年、未だにこういう場面で活躍できずにいる私。トレーニングや正式な会議ではほぼ不自由なく発言出来るようになりましたが、語意の豊富さとクリエイティビティ、それにほんの少しの度胸に支えられた「気の利いた一言」を捻り出すのは、私にとってはまだまだハードルの高い技。もしも激しくスベったらどうしよう、という恐怖心が先に立ってしまうのですね。人によっては、他の人と声が被って発言出来なかった場合でも、ジョークを披露するまでくじけずに何度もトライします。たとえそれが「ややうけ」レベルの作品だとしても。すごいガッツ。

今日の夕方、生物環境保護の専門家であるエレンとアンドリューが、ハイウェイを横断しようとして轢死する動物たち(Road Kill)に関する調査結果を同僚たちに向けてプレゼンしました。動物が安全にハイウェイを横断出来るよう作られた地下トンネルが実際にどれだけ成果を上げているか、の確認調査です。モーション・センサー付きの赤外線カメラを数台設置し、トンネルの入口と出口でカシャッ!

結果、動物の種類によってその効果に差があることが分かったそうです。ボブキャットは躊躇なくトンネルを通るが、コヨーテは非常に用心深く、入り口付近を行ったり来たり。

こうしたプレゼンの合間に、聴衆は絶え間なく茶々を入れます。

「ハイウェイを調査してたら自分が車にはねられちゃったりして。」

「見つけた動物の死骸はどうやって料理したの?」

ひとつひとつはなんてことないジョークなのですが、皆タイミングが絶妙なのです。

このテーマに関する情報を集めたウェブサイトをスクリーンに映した時も、

「レシピのページに飛ぶリンクはどこ?」

と誰かが素早く突っ込みます。

プレゼンの中身は勿論のこと、私は同僚たちの創造的な参加姿勢にすっかり感心してしまい、自分のような英語学習者が出る幕じゃないな、と早々に参入を諦めてしまいました。

同僚ダグラスが、こんな話をシェアします。

「そう言えばこないだカナダへ出張した時、動物用に作られた横断橋を見たよ。トンネルじゃなく。ムースを対象にしてるんだって。」

するとプレゼンターのエレンが、

「最近になって、アメリカでもビッグホーンシープ用の横断橋が出来たのよ。国内初の試みだって。」

と答えます。ビッグホーンシープとは、カリフォルニアの砂漠地帯に出没する、巨大な角を備えた羊です。ここでアンドリューが、

「ビッグホーンは絶対トンネルを通らないんだ。」

と説明します。なんで?と私が尋ねると、エレンが、

「弱い動物で、いつも天敵の攻撃にさらされてるの。飛びぬけて用心深いから、暗くて狭い場所になんか入っていかないのよ。」

彼女が答えるのと同時に、私の左隣にいたトレイシーが何か発言し、これに群集がどっと沸きました。急いで彼女に何を言ったのか尋ねます。するとトレイシーが、

 “Because they are so sheepish.”
「とってもシーピッシュだから。」

と悪戯っぽく笑いました。シーピッシュ(恥ずかしがり屋)とシープ(羊)をかけたダジャレですね。


う~ん、うまい!

2014年11月14日金曜日

Were your ears ringing? 耳鳴りしてた?

先週金曜のランチタイムに、職場の休憩室で携帯が鳴りました。iPhone画面を見ると、オレンジ支社のヴィヴィアンから。ちょうど温まった弁当を電子レンジから取り出しつつ電話に出たところ、

「今、大丈夫?リチャードも一緒なんだけど、話せる?」

リチャードとは、南カリフォルニア建築部門のトップ。副社長です。

「いいよ。何?」

するとリチャードが、いきなり本題に入ります。あるPMを今日付けでクビにした。その人物が担当していた7件ほどのプロジェクトの面倒を見てくれないか?

「ええっ?」

私は既に、この部門で大規模プロジェクト二件をサポートしており、さらにはサンディエゴ空港のプロジェクトも三つ担当しています。長時間残業と休日出勤が恒常化して来ていて、長いこと絶縁状態にあった腰痛とも久しぶりによりを戻したところ。数年ぶりに出現した下唇の口内炎を噛んで出血もしました。身体が悲鳴を上げ始めていることは明らかで、心配の声が妻子から上がっています。ここで新たに7件も引き受けて良いものか?

「私の多忙さを承知の上での依頼なんですよね。ということは、他に候補者がいない、という状況だと推察しますが。」

「その通りなんだ。なんとか頼めないかな。」

「分かりました。成果のクオリティは保証出来ませんが、それでも良ければベストを尽くしますよ。」

「良かった。有難う!よろしく頼む!」

そんなわけで、既に「大車輪」状態を続けていたところへ、伸膝宙返り二回半ひねりも挿入するような事態になりました。現在、四つのオフィスに私の席が設けられ、各所に出没しては仕事をこなしています。

昨日もダウンタウン支社でひとつ仕事を終わらせて、大急ぎでメイン・オフィスに戻ったところ、同僚リチャード(副社長とは別人)がやって来てこう尋ねました。

“Were your ears ringing?”
「耳鳴りしてた?」

はぁ?耳鳴り?なんのこっちゃ?

「今さっき、マリアと一緒にサンドイッチ屋まで歩きながらシンスケの話をしてたんだよ。あちこち飛び回って大忙しだってね。」

「うん、滅茶苦茶忙しいよ。でも楽しいんだな、これが。君はどう?」

「僕もかなり忙しいけど、なんとかやってるよ。」

「最近、誰も彼もが多忙だね。」

「あのさ、皆に頼りにされるのはいいことだけど、どこかできっぱり断ることも覚えないと、そのうち手が付けられないくらいの仕事量を抱えて機能停止に陥るよ。」

う~ん、これは耳が痛い。いい友達だなあ。

「確かにそうだね。有難う。アドバイス、しかと受け止めたよ。」

リチャードの背中を見送った後、さっそく仕事をバッサバッサと片付けます。しかし突然、彼の口にしたフレーズが耳に蘇ります。Ears ringing(耳鳴り)?

「あのさ、さっき何て言ってたの?耳鳴りとか何とかいうフレーズを使ってたでしょ。」

彼のオフィスを訪ねて解説を求める私。

「ああ、あれはね、誰かの噂をすると、対象になった人の耳が鳴る、というフレーズだよ。」

「え?なんで?噂と耳鳴りとがどう繋がるの?」

「それは分かんないなあ。ただそう言うんだよ。」

ふ~ん、分からないのか。

「日本ではね、噂の対象になった人に、さっきくしゃみしてなかった?って聞く習慣があるよ。」

と私。

「え?なんで?どうしてくしゃみ?」

と驚くリチャード。

「う~ん、なんでだろ?それは分からないや。」


語源を調べて教えてあげようという気力が、二人とも全く湧かないのでした。いか~ん!

2014年11月8日土曜日

Darn it! だあね!

先日、出張中に若い同僚のジェイソンからメールが届きました。

“Do you agree?”
「どう思う?」

iPhone 画面をスクロールして行くと、同僚リチャードから彼に送られたメールが現れました。

「滅茶苦茶読みにくいよ。シンスケのトレーニングから何も学ばなかったの?」

さらにスクロールを進めたところ、添付書類を発見。ジェイソンがクライアント向けに書いたプロポーザル原稿でした。彼は複数のチームメンバーに意見を求め、これに対してリチャードがネガティブなコメントを書き寄越した、というわけ。

リチャードが持ち出した「シンスケのトレーニング」とは、前日のランチタイムに実施したもので、タイトルは「ヴィジュアル・コミュニケーションの技術」。30人近くの同僚たちを集め、効果的なビジネス文書の作り方を教えたのです。文書の構成技術、フォントの選び方、色が伝えるメッセージとその上手な使い方、見やすい表の作り方など、実例を交えて45分間プレゼン。大好評を頂きました。

さて、ジェイソンの原稿には繊細で女性的なタイプフェイスが使われていて、一見洗練された文書です。しかしこうしてページ一杯に拡がった流麗な文字はやや高慢な印象を作り出し、読み手の神経に障ります。それに数字の8や0の中心が何故か下がり気味にデザインされていて、大事な情報がすんなり頭に入って来ないのですね。

これらの点を指摘し、タイプフェイスを変えた方がいいんじゃないかというアドバイスのメールを送りました。するとジェイソンが、こう返信して来たのです。

“Darn it! Ok, thank you sir…”

Darn it」は「だあね」と「だるね」の中間くらいの発音で、昔、別の同僚エリカから、 “Damn it!”を柔らかくした表現だと説明されました。

この “Damn it!” (「ダメッ」と発音)は、ドラマ「24」のジャック・バウアーが多用していたセリフ。吹き替えでは「くそ!」になってました。これが「Darn it!」に転化すると意味はどの程度変容するのか?いくら現代っ子のジェイソンだって、人からアドバイスを受けておいて「くそ!」とは返さないと思ったのです。でもこのニュアンスを確認するチャンスが無いまま時が過ぎました。

今週、ランチタイムにオフィスの社員をほぼ全員集めてのミーティングがありました。来月に迫った引っ越しに関する最新情報を総務のヘザーが説明する、という趣旨。現在、同僚の多くはドア付の個室を与えられているのですが、全員平等にオープンオフィスへ移ります。隣接するデスクとの間の隔壁の高さは30センチほどで、プライバシーはほぼゼロ。ヘザーが冗談めかしてこう言います。

“No more Facebook. Everybody is going to watch your screen.”
「フェイスブックはもう出来ないわよ。みんなに見られちゃうからね。」

すると何人かの女性社員が、笑いながら一斉にこう反応したのです。

“Darn it!”

これでようやく、「だあね!」のニュアンスがつかめました。「あ~あ!」とか「ちぇっ!」ですね。

そんなわけで、ジェイソンの返信はこう訳せると思います。

“Darn it! Ok, thank you sir…”
「ちぇっ!了解。感謝です。」


2014年10月27日月曜日

不気味さの加減

ここ最近、どの支社に行ってもオフィス内がオレンジ色や黒、それにフェイクな蜘蛛の巣で飾り付けられています。理由は簡単、ハロウィンが今度の金曜日に迫っているのです。いつも使っている地下駐車場のあるビルに入った時も、ドアの両側に立てられた等身大のゾンビと骸骨が出迎えてくれました。エレベーター・ホールに入るや否や、背後でおぞましい悲鳴が聞こえます。さすがに虚を突かれてびくっとしました。振り返ると、ビルの管理人が飼っている籠の中のオウムが不気味な声で鳴いています。なんだよ、リアルにびっくりしちゃったぞ。

木曜日の午後、ダウンタウン・サンディエゴ支社の5階で同僚ピーターを探していた際、そこにいたジェシカに、

「ねえ、ピーター見なかった?」

と尋ねます。

「さあ。何故かこの階、ほとんどだあれもいないのよ。ランチタイムってわけでもないのにね。」

と不思議顔のジェシカ。続けて彼女がこうコメントします。

“It’s a kind of eerie.”
「ちょっとイアリーよね。」

ん?イアリー?それ何だっけ?不気味とかそういう意味だよな。これまで何度も耳にしてきたけど、明確な定義を確認したことはありませんでした。6階にある自分のキュービクルに一旦戻りかけてから、思い直して同僚ステヴを訪ねます。

「ねえ、イアリーって言葉あるでしょ。それってどのくらいの不気味さ加減なの?スプーキー(spooky)とかクリーピー(creepy)なんかと較べた場合、どの辺の位置づけなのかな。」

ステヴは暫く考えてから、正方形のポストイットに類義語の序列を書いてくれました。怖さ最上級から順に、

Terrifying (テリファイイング)
Scary(スケアリー)
Creepy(クリーピー)
Spooky(スプーキー)
Eerie(イアリー)
Strange(ストレインジ)

なるほどね。イアリーは思ったほど怖くなさそうだぞ。

「もうちょっとでつかめそうなんだけど、何かいい例はない?」

と追加説明をせがむ私。まわりをキョロキョロ見回した後、彼は自分のキュービクルのパーテーションに留められた写真を指さします。

「例えばさ、ここに朽ち果てた古い教会の写真があるでしょ。昼間にここへやって来た人がまず思うのが、Strangeだね。で、建物の入り口で中を覗き込むと、昼間なのに薄暗くてがらんとしてる。ここでEerie って感じるね。で、夕暮れが近づいて来て、俄然気味悪さが増して来る。中は真っ暗。そこでSpookyになる。夜になって、中から誰かが話しているような声が聞こえてくる。これはCreepyだね。で意を決して足を踏み入れると、部屋の奥の方で何かが蠢いている。ここでScary となる。そこへ、二つの目のような光が瞬き、何者かが猛然とこちらへ襲い掛かって来る。これがTerrifyingだ。」

おお、ようやくつかめたぞ。意訳すると、こんな感じでしょうか。

Terrifying 恐ろしい
Scary おっかない
Creepy おぞましい
Spooky 気色悪い
Eerie 薄気味悪い
Strange 異様な

さて、昨日の朝ベッドを出て鏡を見たら、なんと私の右眼の白目部分に真っ赤な出血。どうしてそんなことになったのか、見当が付きません。痛くも痒くもないし、視力の変化も感じられない。ネットで調べてみたところ、「心配する必要は無い。数日間で消えるでしょう。」との見解が多数だったので、ひと安心。

こうなると、俄然気持ちに余裕が出ます。さぞかし職場の皆がびっくりするだろうな、とほくそ笑み、どうしたのかと聞かれた時のために「ハロウィンの仮装だよ」というボケまで用意して出勤しました。ところが何故か、会う人会う人、完璧なノー・リアクション。誰も全く私の目のことに触れません。気づいた素振りすら見られない。あれ?いつの間にか治っちゃったかな?と、トイレに行く度に鏡で確認しましたが、やっぱり赤い。え?なんで?皆どうして知らん顔なの?僕以外には誰にも見えないの?どういうこと?


なんだかちょっと、薄気味悪くなりました。

2014年10月25日土曜日

Eclipse 日食

木曜日は久しぶりにダウンタウン・サンディエゴ支社へ行きました。出社して自分のキュービクルに向かう途中、若い同僚フェリースの背後を通り過ぎようとして、ふと立ち止まります。

「噂を聞いたよ。サンフランシスコに引っ越すんだって?」

そう話しかける私に対し、椅子ごと身体を回転させ、そうなのよ、と悲しそうな笑顔を見せるフェリース。過去8年くらい同居している彼氏がこのほど博士課程を修了し、就職先がサンフランシスコで見つかったのだそうです。それじゃあ一緒に引っ越さなきゃ、と急遽転居を決めたのだと。

「でも君はサンフランシスコ支社に転属出来るんでしょ?良かったじゃない。」

「実はずっと以前から、ラブコールが寄せられてたの。あの支社には私と同じ職種の社員が集中しているのよ。だから向こうでは、今回の決定をすごく喜んでくれてるの。」

エコノミストのフェリースは、経済効果予測を専門にしています。インフラや商業施設の建設が地域にどのような経済効果をもたらすかを調査・分析するのです。スペイン語も堪能な彼女は南米での仕事も多く、頻繁に出張しています。

彼氏のアンドリューも経済専門で、会社のパーティーで何度か会った際、「酒屋の出店規制を緩めると地域にどんな影響が出るか」みたいな話題で盛り上がりました。妻も私もこのカップルをいたく気に入って、一度我が家に招いて食事をしようよと話していたのですが、こっちがぐずぐずしている間にサンディエゴを離れることが決まってしまったのです。

過去数年、会社の体質が「利益第一主義」に変貌していく中、櫛の歯が欠けるように次々と社員が消えて行きました。かつて12人くらいがわさわさ働いていた私の就業エリアにも、今ではステヴ、ジェシカ、レイチェル、ジェイミー、それにフェリースしか残っていません。今回の異動は、フェリースにとってハッピーな出来事。皆でおめでとうを言ったものの、ただでさえ少ない仲間がひとり欠けることで、淋しい思いは隠せません。

その日の午後、そのフェリースが私のキュービクルにやって来ました。

「今日はEclipse(エクリプス、日食)があるのよ。見に行かない?」

「え?そうなの?知らなかったよ。行こう行こう。」

「ピークは30分後よ。皆にも声かけたから。」

彼女はその辺にあった使用済みコピー用紙に大小の丸い穴を開け、同僚たちに手渡します。

「お日様を直接見られないから、この穴を通した光が地面を照らしたものを見るのよ。」

この日出社していたステヴ、ジェイミー、それにレイチェルと一緒に五人でオフィスを出て、近所の交差点の歩道に集まりました。行き過ぎる車の運転手たちが何事かと凝視する中、太陽を背に穴あきコピー用紙を持って静かに立つ五人。ちょっとした路上パフォーマンスみたいになりました。

「ちょうど今がピークよ。見える?」

とフェリース。

「あ、これかしら?見えたんじゃない?」

とレイチェル。彼女の作った影の中の丸い光の片隅に、まるで指をちょっぴり突き出したような恰好の陰が見えました。

「僕のはよく分からないなあ。」

と私。

「シンスケのは穴が大きすぎるんだよ。」

とステヴ。他のメンバーの作品も成果が今一つ。皆でレイチェルの部分日食を一緒に観察しました。

それから10分ほどして影は消え、口々に楽しかったねと言いながら5人ぞろぞろと会社に戻りました。

「私、日食の観察、生まれて初めてよ。」

とレイチェル。私も、僕も、と皆で同意します。すると、ニッコリ笑ったフェリースがこう言いました。

“Now you have something to remember me about.”
「私のことを思い出すきっかけが出来たわね。」

一週間後には、彼女のいた席が空っぽになります。

楽しくも切ない午後でした。

2014年10月18日土曜日

ゾンビ映画のメッセージ

先月、息子が土曜日に通う日本語補習校で、保護者を対象に「大学進学セミナー」を開きました。テーマは「アメリカでの大学進学のための賢い教育資金の貯め方」です。数年前からサイドビジネスとしてファイナンシャルプランナーをしているせいで、こういう機会にお呼びがかかるようになったのです。

準備の段階で色々下調べをしていた時、アメリカの平均世帯収入が2007年頃から減少を続けていることを再確認し、溜息が出ました。大学の教育費用は年間5%程度の増加を続けて来たのに、です。そんな状況でどうやったら学費を捻出出来るのか、というのは非常に悩ましいテーマなのですね。

さてつい先日、友人宅で開かれたバーベキュー・パーティーに招かれました。到着してすぐ、裏庭のグリルで火をおこしていたご主人のステフェンさんを訪ね、挨拶もそこそこに質問をぶつけます。

「最近何か面白い映画観た?」

彼は私よりいくつも年下ですが、経済からサイエンスに至るまで様々な分野の知識が豊富で、日々勉強を怠らないタイプ。この人と話すと、自分がいかに浅学であるかを思い知らされると同時に、知的刺激を頂けるのです。

彼は暫く考えてから、 “Inequality for All” という作品を挙げました。

「ちょっと待って。その映画、ちょうどさっき夫婦でDVDを観て来たところだよ!」

と、偶然の一致に興奮する私。これは図書館から借りて来たドキュメンタリー映画で、アメリカ社会における富の不均衡がどのように拡大を続けて来たか、がテーマ。中産階級の時間当たりの報酬は下がり続け、それを補う形で労働時間が増大。マネーゲームの勝者たちはロビー活動を通じて政治家に圧力をかけ、累進課税の上限を抑え続ける。ミット・ロムニーのような資産家の実質税率が15%に満たない一方で、ミドルクラスは30%もむしりとられて行く。富める者はますます富み、貧しき者はさらに窮乏して行く

アメリカ人は、「独立心」や「実力主義」が大好きです。私も、「努力した者が成功する」コンセプト自体には大いに賛同します。でも、一歩間違えば勝ち組が権利を濫用して悲惨な格差社会を築いてしまう。これは深刻な問題です。

そんなキャピタリズムの危うさや脆さに気づかされ、時にハラワタが煮えくり返る思いをさせてくれる傑作ですが、ラストは意外にも感動的で、妻も私も目を潤ませて鑑賞し終えたのでした。

「メッセージ性の強い映画だったねえ。」

二人で火をおこしながら、暫し語り合うステフェンさんと私。最近iTunes で購入した “Burning Bush“という、1968年にチェコスロバキアでおきた民主化運動弾圧事件を扱った映画の話を紹介し、作品にこめられたメッセージを議論します。東ドイツ出身のステフェンさんにとって、社会主義の暗い側面は他人事じゃなく、少年時代に実体験して来たキツい現実だったのですね。

その後間もなくして別の招待客がどやどやと現れたので、難しい話はここで打ち切りとなりました。

先に食事を済ませた子供たちを二階に追いやり、大人9人でテラスの食卓を囲みます。バリバリのアメリカ人で、過去何年も救急隊員の仕事をしているデイヴィッドが私の横に座りました。映画の話題が巡ってきたところ、彼が迷いもなくこう発言しました。

「俺はゾンビ映画が一番好きだね。中でも、最近封切られたゾンビ・ランドってのが最高だよ。」

う~ん、ゾンビ映画か。いかにもアメリカ的な趣味だよなあ。確かに面白いんだけど、私はあの手の映画を観るたびに、なんて無駄な時間を過ごしてしまったんだろう、と悔やむことが多いので、もう何年も手を出していません。デイヴィッドがどうしてその分野を推すのかに興味を惹かれ、質問してみました。

「あのさ、ゾンビ映画のメッセージって何?」

すると彼は、気でも狂ったか?という目で私の顔を見つめ、吐き捨てるように言いました。

「ゾンビ映画にメッセージなんか無いだろ!」

目が覚める思いでした。

そうか!そもそも、映画にメッセージを求めなきゃいけない理由なんか無いんだよな。そんなもの無くても、人は純粋に映画を楽しめるんだ。僕は何をそんなにこだわってたんだろう?

「ちょっと待てよ。」

と、デイヴィッドが急に真顔で上を向きます。

「あるかもしれないな、メッセージ。」

ちょっと考えてから、彼がこう付け足しました。

「メッセージは、ジムに通って身体を鍛えろ、だな。」

え?何を言い出すの?と彼の方へ向き直る私。デイヴィッドは、話をこう締めくくったのでした。

“So that you can outrun them.”
「奴等が追いつけないくらい速く走れるようにな。」

なるほど。やっぱりアメリカ人は、実力主義が好きなのね。


2014年10月13日月曜日

Rub someone the wrong way 神経を逆なでする

元大ボスのジョエルから依頼があり、先週急遽コロラドの二支社(フォートコリンズとデンバー)へ出張しました。今回の任務は、大抵のプロジェクトマネジャーが苦手とするレベニュー(歳入額)算定方法にフォーカスしたトレーニング。デンバー支社ではランチタイムの教室形式トレーニングに加え、PM13名に対する個人レッスンを各30分間提供しました。

三年前に突然会社が会計規則を変えて以来、プロジェクトの財務管理は経験豊富なPM達にとってさえ頭痛の種です。上がってきた数字を見て判断するだけのオペレーションマネジャー達は、PM達がどうしてそんなに苦しんでいるのか理解出来ない。そんなすれ違いが日々の不協和音を煽り、組織がギクシャクしています。

「今回は管理職の面々もトレーニングしてくれ。彼らの理解度を高めないことには組織全体の力が上がらないからな。」

とジョエル。

トレーニングを終えてみて分かったことですが、問題の根っこにはツールのデザイン不備に加え、財務部長C氏の存在があるようです。二人の社員から、全く同じ表現の悪口を聞かされました。

“He rubs me the wrong way.”

直訳すると、「奴は間違った方向に俺をこするんだ。」です。この男、人の話を聞かない、常に自分が正しい、俺の言う通りにすれば世の中の問題は全て解決するはずだ、という極端な唯我独尊タイプらしい。う~ん、それはイラつくだろうなあ。

サンディエゴに戻ってから、同僚ステヴに解説をお願いしました。

「イラつく、なんていうレベルの話じゃないよ。かと言って、I hate him (大嫌いだ)とまではいかないんじゃないかな。でもかなり近いね。」

技術屋集団の我が社では、財務系の社員は敵視されがちです。プロジェクトの内容を理解する意思も頭も無いくせに、数字だけ見て偉そうにやいのやいの言いやがって、と。私は今回の出張中、意識して「私自身も技術畑のPMであり、ご苦労はよく理解していますよ。」という姿勢を堅持しました。財務管理のトレーニングをすると、初対面の社員から「このbean counter(経理屋)が!」という敵意ムキ出しの目で見られることが多いのです。一旦そうなると、なかなか素直に話を聞いてもらえなくなるのですね。

さて、 “Rub someone the wrong way” ですが、どうやらこれは、「猫の毛を逆なでする」ところから来ているようです。猫が気に入らない撫で方をされて不機嫌になるというところから、「人の神経を逆なでする」という意味になったみたい。


しかし、です。やっぱりこのイディオムも、私にはしっくり来ないのですね。猫を飼ったことこそありませんが、子供の頃から何十匹もの猫を撫でて来ました。これまで一度たりとも彼らを不機嫌にさせた記憶は無いし、それどころか大抵の猫は、ゴロゴロ喉を鳴らして快感を露わにしてました。一体どんな撫で方をしたら猫が怒るっていうんでしょうか?それとも私には特別な才能が備わっていて、どんな猫も私にかかればイチコロ、快楽の谷底へ落ちて行く、とでもいうのかな。

そうならちょっと嬉しいけど。