2022年10月23日日曜日

Walk on ウォーク・オン


「うわ!」

隣を歩いていた妻が、藪から棒に声を上げて立ち止まります。

「何かと思ったら山だった!」

整然と立ち並ぶレンガ色のビルの屋根越しに、赤茶色の巨大な岩壁がそそり立っています。我々の暮らす「ブルースカイと椰子の並木」のサンディエゴを歩く時はそんな角度まで視線を上げることすら滅多に無いため、突如視界に飛び込んできた4千メートル級の陸地の隆起は、とても新鮮な景観だったのですね。

先々週の金曜から日曜にかけ、息子が通う大学のイベントに出席するため、夫婦でコロラド・スプリングスへ出かけて来ました。これはHomecoming & Family Weekend(ホームカミングと家族の週末)という、年に一度催される恒例行事。卒業生や現役学生の家族をキャンパスに招いて説明会やら見学会やら同窓会などを行うのですが、息子が四年生になる今年まで、ずっと参加を見合わせて来ました。幼稚園や小学校低学年ならともかく、大学にまでわざわざ乗り込むことに、やや抵抗があったのです。今年は最終学年だし、これを逃せばもう卒業式までチャンスが無いわよ、という妻のひと押しで心を決めたのですが、出発直前に二の足を踏ませる一報がありました。

息子の所属する水泳部の父母たちの間で、金曜の晩に皆で飲もうじゃないかという話が盛り上がっており、一軒家を貸し切りにしたから是非集まろうよというメールが届いたのです。うーむ、裕福な家庭の御子息達が通う私立大学に無理して我が子を潜り込ませたまでは良かったけど、こういうの、気が重いんだよなあ。日本人のスタンダードからすれば面の皮はやや厚い方だという自負はあるものの、英語しか通じない初対面だらけのホームパーティーというのは、やっぱり気が進まないイベントなのです。

夜明け前にサンディエゴの自宅を出発し、デンバー空港のレンタカー屋で調達した真っ赤なトヨタ・プリウスに乗り込みます。二時間運転してホテルにチェックイン。休暇前の仕事ラッシュで相当疲れていたし、ちょうど小雨が降り出したこともあり、ベッドに寝転んで長めの仮眠を取ります。夕方に起き出し、予約していたキャンパス近くの高級レストランで息子と待ち合わせしました。順々に再会のハグを交わしてから着席。暫くメニューを眺めた後、「ステーキ頼んでいい?」と、承認を確信しつつもとりあえず正式なステップを踏む、笑顔のすねかじり者。周囲のテーブルには、同じようにこの機会を利用して大学を訪れているのであろう両親との夕食を楽しむ若者たちの姿が、多数認められます。

刻んだミディアムレアの肉片を口に運びながら、近況を語る息子。大学の勉強は刺激的で楽しいこと、水泳部の練習は相変わらずキツイこと、短距離専門のアシスタントコーチが就任して以来、着実に泳ぎが上達していること、今年はバカっ速い新入生が多数入部したため、チームは歴代最強かもしれないこと、仲間たちとの結束は固く、自分は周囲から愛されていて学園の有名人であり、特に後輩たちに慕われていること…。

三年半前に彼が水泳部に入ったと聞いた時は、夫婦で顔を見合わせたものでした。高校時代は水球を愛するあまりか、競泳に対しては嫌悪感を顕にしていたのです。「あんな苦しいだけのスポーツ、誰が好き好んでやるんだよ」とまで毒づいて。それが一体どういうわけで心変わりしたのか、謎なのです。しかも入部時には、周りの選手たちが高校までの実績をベースに奨学金を受けて入学していたことを知らなかったのですね。私だったらそれを知った時点で赤面し、しおらしく退部届を出しているところですが、この若者は臆することもなく日々の猛練習に耐え、最終学年までしっかり生き延びたのです。「高校時代にピーク迎えちゃって大学で伸び悩んでる子もいる中で、僕はまだまだ伸びしろがあるから精神的に楽なんだよ。」そんな風にあっけらかんと話していて、実際に公式タイムもどんどん縮んでいるのです。

食事を済ませ、久しぶりに会う仲良しの先輩たち(卒業生)とアイスホッケー部の試合を観に行く、と言う息子をキャンパスのアイスアリーナ近くで下ろし、父母の集いへ向かってプリウスを走らせます。助手席の妻が、教えられた住所をスマホのアプリに入れてナビ担当。

「あの子のポジティブさには、毎回たまげるね。」

と、息子の明るさにあらためて感心する妻と私。

「友達が多いとか下級生に慕われてるとか、よくまあ平気な顔で言えるよなあ。」

富裕層の白人アスリート集団に、サラリーマン家庭出身の日本人が一人だけ混じっている(しかも元々スポーツマンタイプでは無い)。そんな絶対的アウェイな環境で機嫌よく活躍しているという自己申告に対し、余程おめでたいか強がって大ぼらを吹いているかのどちらかだと決めつけてしまう私。

ビルの立ち並ぶダウンタウンを通過して西に折れ、山へ向かって車を進めると、段々と街燈が少なくなって行きます。月が雲に隠れていて、視界は非常に悪い。

「なんか暗いねえ。」

曲がりくねった急勾配の道路が大区画の敷地境界を舐めるように巡っていて、まばらに建つ特大の豪邸には、人の住んでいる気配が感じられません。

「きっとここって別荘地だよね。」

心もとないヘッドライトを頼りにくねくね道を慎重に進み、あと数ブロックで目的地に到着、という丁度その時、十メートルほど先を何か巨大な生物がゆっくりと横切って行くのに気付き、ブレーキを踏みます。

「クマだ!」

体長三メートルはあろうかと思われる真っ黒な熊が、右の敷地から左の敷地へのそのそと移動し、暗い木立の中に消えて行ったのです。

「え?ここって熊出んの?」

暫くショックで動けなくなった私達ですが、とにかく音と光を発しながら歩くしかない、と車を路肩に停め、携帯電話のフラッシュライトをピカピカ振りまきつつ大声で喋りながらパーティ会場の屋敷へと向かいます。

分厚い大扉を開けると、既に三十人ほどの白人男女が、十二畳はあろうかという大型オープンキッチンのアイランドを囲み、グラスを片手に談笑していました。笑顔で出迎えてくれた婦人に順々に自己紹介して上着を脱ぎます。サンディエゴのニジヤ・マーケットで入手しておいたチョーヤの梅酒とチョコポッキーのファミリーパックを手渡し、集団に合流。

「今、すぐそこにでっかいクマが歩いてたんですよ。」

握手を交わしつつ、次々現れて自己紹介する相手に危険情報を伝える私ですが、皆一様に、

「え?ほんと?怖いわねえ。」

くらいの軽快なリアクション。そして微笑みながらワイングラスを口に運びます。いやいや、これは「駆けつけ一杯のジョーク」じゃないんだけど…。直ちに誰か然るべき役所に連絡してくれるだろうと期待していた私ですが、鷹揚とした人々の態度に、段々居心地が悪くなって来ました。え?これ、僕がおかしいの?

気がつけば、妻と私は新橋駅前のような喧騒の中、声を張り上げて英会話に取り組んでいました。近距離で数十人が一斉に喋っているため、ちょっとでも気を抜くと意識が飛び、ノイズの洪水に呑みこまれそうになるのです。

「うちの子、あなたの息子さんのこと大好きなのよ。」

と、三年生ジャックのお母さん。

「うちの子もそうよ。あなたの息子さんは真のリーダーだって、いつも言ってる。」

同調する他のお母さん。会う人会う人、口を揃えてうちの愚息のことを褒めそやします。二年生の女子のお母さんが、

「うちのライリーはいつも息子さんのことばっかり話すの。とっても慕ってるのよ。」

と言った時、

「ちょっと待って。それ、本当にうちの子のことですか?」

と思わず制止する私。この白人グループ、何か慈悲的な意図から孤独なアジア人をいたわろうと示し合わせているのではないか、と勘ぐってしまうほど薄気味悪い異口同音ぶり。ひとしきり大笑いしたライリーのお母さんが、

「え?知らなかったの?あなたの息子さんは凄い人気者なのよ!」

とダメ押しします。う~む、これはもう認めざるを得ないぞ。息子よ、君はどうやら本当に「リア充」生活を実践しているみたいだな…。

このパーティーで会った人々の見解を総合すると、幼い頃から全米各地で頭角を現し大学にスカウトされる格好でチーム入りした猛者たちの中に、ほとんど競泳経験の無い痩せっぽちのアジア人がふらっとやって来て互角に戦っているというのは、驚嘆すべき偉業なのだという話。

妻がこの時、彼が水泳部に入ろうと決めたのは意外だったし、他の子たちが奨学生として入っていることすら知らなかったと思う、と語ります。そしてこう付け足します。

“He walked in the team.”

「チームにウォーク・インしたの。」

Walk in というのは「アポ無しで乗り込む、飛び込みで」という意味で、レストランや診療所などに予約もせず訪れる時に使う表現。すると妻の話に耳を傾けていた二人のお母さんが脊髄反射的に、

“He walked on.”

「ウォーク・オンしたのよね。」

と素早く同時に訂正したのです。ん?今のは何だ?と違和感が残るほど明確なダメ出しだったのですが、そのまま次の話題に移って行ったのでした。

二時間ほど英語で談笑した後、集中力が限界に近づいて来たので、妻と目配せして「そろそろ私達は…。」と会場を後にしました。山道を慎重に下り、すっかり夜も更けて交通量も落ちたダウンタウンを通過しようとした時、交差点をゆったりと横断する大小の鹿二頭を目撃しました。

「今度はシカだよ。」

「熊に較べればさすがに驚きは少ないけど、冷静に考えればなかなかの光景よね。」

と妻。パーティーで会った人たちは、人家の周りで大型の動物が出没することに慣れているのかもしれないな、と納得する私でした。熊ぐらいでガタガタ騒がないのもそういうわけか、と。僕らもこういう土地に引っ越せば、きっと慣れっこになるのだろう。人は新しい環境に飛び込んでも、丹念にひとつひとつ体験をこなして行くうちに強くなる。うちの息子も、そうして楽しい大学生活を手に入れたのだろう。我々だって、こういうパーティーにちょこちょこ出席していれば英会話力がアップするに違いない…。

「あのさ、さっき君がウォーク・インって言った時、あの人達、ウォーク・オンって言い直したじゃん。気がついた?インとオンで意味がどう違うのかな。」

「うん、私も考えてた。あとで調べなきゃね。」

翌週サンディエゴ・オフィスで、部下のシャノンに説明を求めてみました。

「ウォーク・オンっていうのは、既に出来上がってるチームに後から乗り込んで新たなメンバーとして仲間入りする時に使うのよ。」

とシャノン。

「ウォーク・インは予約無しで行くってことだから、全然別の表現ね。」

念のため、ウェブスターのオンライン辞書も調べてみました。Walk-onという名詞で、

“a college athlete who tries out for an athletic team without having been recruited or offered a scholarship”

「スカウト枠でもなく奨学金も受けずに大学運動部の入部テストを受ける選手」

という解説がありました。

「へえ、じゃあこっちの大学じゃ、あの子の入部方法は本当に一般的じゃないんだね。」

と妻が頷きます。

「それにしてもだよ、」

と私。

「あれだけべた褒めされると、さすがに気恥ずかしいよね。」

「だけど皆、自分の子供のことだって自慢げに語ってたわよ。」

と妻。そう言われてみれば、確かにそうでした。アメリカ人は大抵、たとえそれが身内だろうと、良いところを見つけてとにかく褒める。謙遜などしないし、卑下なんてありえない。「褒め殺し」に相当するワードも、聞いたことありません。このカルチャーはアメリカ社会の隅々まで染み渡っていて、親に褒められた記憶の無い古い日本人代表の私は、思わず首を傾げたくなることもしばしば。

後日息子と電話した時、パーティーで色んな人から君のこと褒められたよと伝えると、即座に

「でしょ。」

と返して来たので、瞬間、「てめー、調子に乗んなよ!」と舌打ちする、頑固オヤジの私でした。

 

2022年9月24日土曜日

Maverick マーヴェリック


先週火曜日の朝一番。携帯電話に”Hey people in SD,” で始まるテキストメッセージが届きました。

「サンディエゴ(SD)のお二人さん、現地調査の仕事でメキシコ国境近くまで来てるんだけど、良かったらサクッとランチ行かない?」

差出人は、二年前までオレンジ支社のビルディング部門でアミューズメント・パークのデザイン・プロジェクトを指揮していたジョニーでした。そして私の他にお誘いを受けたのは、彼のかつての相棒、ベティ。パンデミックの発生による経営鈍化で会社に不穏な空気が漂い始めた2020年の夏、ジョニーは突然解雇宣告を受け、彼のプロジェクト・チームも解体され散り散りに。ベディはオレンジ支社でプロジェクト・コントロールを担当していたのですが、結局ジョニーを解雇したC(女性)の直属の部下に落ち着いたのでした。その後離婚と再婚を経てサンディエゴへ引っ越して来たらしいのですが、リモートワークが続いているため、オフィスで顔を合わすこともなくずっとご無沙汰が続いていました。

末っ子のお迎えがあるので1時半までにはサンディエゴを後にしなきゃいけないとジョニーが言うので、フリーウェイの入り口に近く駐車スペースも見つけやすいPho Fusionというベトナム料理店で会うことになりました。再会を喜ぶ長いハグの後、ブース席の向かいに並んで座った二人に近況を聞きます。

ジョニーは個人でコンサルティングをするようになって以来どんどん仕事が舞い込んで来て、かつて無いほどの忙しさを経験している。ベティは一ヶ月前、上司のCに辞表を叩きつけ、私のいる環境部門へPDL(プロジェクト・デリバリー・リード)として再雇用された、と。

「シンスケはどうしてるの?」

と二人が尋ねるので、十年以上前にたった一人で始めたチームが今や20人の大所帯になったこと、若者たちに技術の伝授をするのを楽しんでいること、などを話しました。

「あ、そういえばトップガン・マーヴェリック観た?」

と言うと、もちろん!と笑顔で頷く二人。

「あれ観て、色々思うところがあったんだ。」

と私。8月初旬、夏休み最終日だった息子も連れ、家族三人で近所の映画館へ。気を失いかけるほど激しく泣いた妻は、「これはもう一回高音質で観ないと!」と私を説得。一週間後にはるばるサンクレメンテまで一時間かけてドライブし、IMAXシアターで二度目の鑑賞。更にはところどころセリフが理解出来なかったというフラストレーションから、8月末から二週間ほど一時帰国した際、「これはもう一回、字幕付きで観ないと!」とミッドタウン日比谷のIMAXシアターで三回目の鑑賞。短期間に違う劇場で同じ映画を三回観るなんて(しかも二カ国で)、生まれて初めての体験でした。

「トム・クルーズの演じた役ってさ、今の僕とほぼ同じ年齢なんだよ。あの世界的スーパースターと自分を重ねるのがおこがましいことは百も承知だけど、あの映画で物凄く元気をもらえたんだよね。」

経営者側の立場で働くことを選んだ二年前、自分の信条に反する理不尽な発言を日々強いられ、塗炭の苦しみを味わった私。一年前にそんな出世コースから外れる決断をしてからというもの、心から愛する仕事だけに打ち込める幸せを日々噛み締めています。映画の中でマーヴェリックも、将官の地位を避けて現役を続けることで、大好きなパイロットの仕事に専念出来ている。

「同世代の将官たちは重責を抱え、いかにも苦しそうな表情を終始浮かべてたでしょ。その横で、言いたいことを言いながらトムが爽やかに笑ってる。あれ見て、自分の選択は正しかったんだって思えたんだよね。」

先月日本で旧友たちに会った際、何度も「あと一年で引退」というセリフを聞きました。この時まで、「日本では大抵の組織に定年がある」という事実をすっかり忘れていた私は、不意を打たれた格好でした。もしもあのまま日本にいたら、間もなくキャリアに終止符が打たれていたのか、と。個人の努力でどうこう出来るわけではない「年齢」という数字を根拠に、組織側が個人の運命を決める。まだまだ発展途上を自覚する私は、ひどく理不尽な仕打ちと捉えて暫く憤慨していたのですが、落ち着いて考えた結果、これはそうひどい話でもないな、と思えて来ました。ルールの違う二つのゲームがあり、どちらでプレーするのがより自分の幸福感に繋がるかという問題なのだ、と気づいたのです。

ゲームA:突然解雇されるリスクが高い組織でスペシャリストとして腕を磨き勝負し続け、退場のタイミングは自分で決める。

ゲームB:終身雇用という安心な制度のもと、組織内の様々な部署で経験を積み、制限時間が来たら静かに退場する。

キャリアの半ばでBからAに移籍した私は、あと付けながら、自分はAでプレーする方が幸せを感じるタイプなのだと悟ったのでした。

「へえ、日本ってそうなんだあ。」

ジョニーとベティが、さも驚いたように頷きます。

「実はこないだあたしも母親から、あんた何歳まで働くの?って質問されたわ。そう聞かれるまで辞めるタイミングなんて考えたことも無かったけど、働ける限り働くわよって答えといた。」

とベティ。

「そうなんだよね。僕も若いメンバー達にまだまだ教えることが沢山あるし、自分自身のスキルレベルも毎日どんどん上がってる実感がある。ようやく油が乗ってきたってところかな。」

と私。ニヤッと笑ったジョニーが、頭を小刻みに揺らしながら素早く両手の指を動かしてタイプする真似をしてみせます。

「今のシンスケだったら、メチャクチャ難しい仕事渡されても超高速でエクセル使って、あっという間に解決しちゃうんだろうね。マッハ10を超えちゃったりなんかしてさ。」

ベティも横で、同じアクションを演じて笑います。

食後、再び代わる代わるハグを交わし、再会を誓ってそれぞれ家路に着いたのでした。

さて、金曜の朝のこと。部下のアリサとの緊急電話会議でした。

「ごめん、忙しくってちゃんとメール読めてないんだけど、何が起こってるの?」

「水曜の晩にセシリアから頼まれたプロポーザルのサポートなんだけど、来週締め切りなの。レイチェルのチームがすぐに準備を始めようとしてるんだけど、今回に限って2028年までの長期プロジェクトで、あなたが今年の初めに作ってくれた単年用見積計算書のテンプレートじゃ対応しきれないのよ。改訂版を作ってくれって言われたんだけど、私の手には負えそうもないし、あなただってそんな時間無いでしょ。この仕事が出来そうなメンバーは他に思いつかないし、もうどうしたらいいのかって…。」

うちの会社は9月が年度末のため、この数週間は誰もが猫の手も借りたいほどのてんてこ舞いなのです。最悪のタイミングで飛び込んで来たこの依頼に、頭を抱えるアリサ。このクライアントの仕様書は風変わりなルールが満載で、最初の見積計算書テンプレートを完成させるまでの私の苦労を知っている彼女としては、気が重くなるのも当然なのです。

「大丈夫。僕がやるよ。時間は作れる。」

と私。

「え?ほんと?お願い出来るの?」

にわかには信じられない様子のアリサに、

「知っての通り、この手の挑戦は僕にとっちゃPaid Hobby(ギャラの出る趣味)みたいなものなんだ。」

驚きの声と同時に、

“You’re a sick man!”

「あなたってビョーキよね!

と呆れたように笑うアリサ。何度も感謝の言葉を繰り返し、ようやく電話を切ります。

その直後、PMのレイチェルからテキストが入ります。

「見積計算のテンプレート出来た?すぐにでもデータ入力を始めたいんだけど…。」

「これから作業を開始するんだ。昼までに仕上げるから待って。」

まだ作り始めてもいなかったことにややショックを受けた様子のレイチェルでしたが、気にせず直ちに全集中モードをスイッチオン。ショートカットキーと関数をふんだんに使い、恐らくこれまでで最速のスピードで作業を続ける私。そして1123分、完成品を送信。

「有難う!これできっと間に合うわ。今からデータを入れ始めるわね。」

とレイチェル。

席を立ち、ずっと我慢していたトイレに向かいます。そして一気に放出。あまりの快感に顔が引きつってしまう私でした。まるで滑走路から飛び立つF-18戦闘機を横目で見ながらバイクで疾走するトム・クルーズが、最高の笑顔を見せるように。

歳を取るというのは弱くなるだけではなく、経験を積むことでもある。自分を鍛え続けていれば、若者達が真似できないような離れ業を演じることだって出来るのだ。そんな幸せを、この映画から教えてもらったのでした。

夕食の席でそういう話をしたところ、

「そんな風には全然考えなかったな。ただただ世界に浸って感動してた。」

と妻。日比谷の映画館でも、散々泣いてた彼女。

「三回目でも、まだあんなに泣けるもんかね?」

と笑いながらもやや感心する私に、

「出だしの重低音で、もうやられちゃったわよ。泣けるとこ一杯あったじゃない。すまんグース、って呟く場面なんて、もうホントに、たまらなかった…。」

と、蘇る記憶で再び目を潤ませる彼女。

小難しい分析などせず、素直に感動に浸れる彼女のような人が一番幸せなのかもな、と思うのでした。

 

2022年8月20日土曜日

Midnight Express 深夜特急 その3


午後8時過ぎ、息子から短いテキストが入ります。乗り継ぎ地点のメキシコシティで無事搭乗ゲートに辿り着いた、という報せ。ここまで来ればもうあと一息です。夜11時、息子の分も含めて三冊のパスポートを手に、妻とともに愛車Rav4でサンディエゴの自宅を出発。交通量が少なく薄暗いハイウェイを南へ飛ばすこと三十分、国境が近づいて来ました。検問エリアの背景には、今にもティファナの市街地を呑み込みアメリカ側に押し寄せようとしている超巨大津波のような黒い丘陵が、東西に拡がっています。その北向き斜面を埋め尽くす何十万もの建物から眩く発する無数の灯りは、まるで昼夜を分かたず活動を続けるメキシカン達の圧倒的エネルギー量を世界に伝えようと試みる電光掲示板のよう。

私にとって、この日が人生初のメキシコ入りです。麻薬カルテルの抗争や一般旅行者の誘拐殺人事件などが度々ニュースで報じられているので、いよいよ国境超えという段になるとさすがに心拍数が上がります。ところが制服姿の係官達は、こちらに一瞥を加えることもなく立ち話に興じていて、拍子抜けするほどあっさりと進入出来たのでした。そしていきなり、数十年前にタイムスリップしたかのような感覚に襲われます。青白い街路灯に照らされた廃墟のようなビル、陥没が補修されぬままの舗装、深夜にもかかわらず目の眩むような照明の下で人だかりを作る屋台…。

スマホのナビゲーションアプリを頼りに、助手席の妻が空港への道案内を務めます。十分も経たぬうちにティファナ国際空港が近づいて来たのですが、敷地内へ続く細い導入路は家族を迎えに来たと推察される何百台もの自家用車が二列縦帯で塞いでしまっていて、何度も進入を諦め周回を余儀なくされました。意を決し、スピードを落として隙間を慎重に通り抜けることで、ようやくパーキングに辿り着いたのでした。四半世紀以上前にタイやフィリピンを訪れて以来、長らく経験していなかったハイレベルのカオス。脳がにわかには対応出来ず、軽い疲労を感じます。

「タクシー?タクシー?」

と客を呼び込む声がひっきりなしに聞こえる到着ゲートは、まるで真昼のような往来。幼い子供を含む家族連れが、忙しく行き来しています。もうすぐ午前一時だってのに、一体どうなってんだ?と妻と顔を見合わせる私。

「あ、着いたみたいよ。」

とスマホで息子の位置情報を確認する妻。Llegada(到着)という大看板の下で自動ドアが開き、スーツケースを引くTシャツ、マスク姿の彼が現れたのは、それから数十分後でした。顔を歪めながら、180センチ超えの青年の首に腕を巻きつけて抱き寄せる妻。私はといえば、さあこれからいよいよ最終関門だ、と緊張の高まりを感じていたのでした。アメリカに再入国する際にどんなことが起こるのか、全く予想がつかなかったのです。出来たてホヤホヤの米国パスポートを息子に手渡してゲートで見せるよう指示し、ナビゲーションに従って国境を目指します。

ところが、アプリの示す経路はまるで裏道ガイド。一般住宅街の細い凸凹道を進み、右折左折を繰り返した末、国境ゲートへ続く道路にようやく突き当たったのでした。ところがこの本道、既に何時間も渋滞していたと見え、数珠つなぎになった乗用車の列は僅か数センチの車間距離を保ちつつ、ジリジリと前へ進んでいるのです。脇道から合流を試みる我々の車は隊列に行く手を阻まれ、まるで開かずの踏切で立ち往生したような状態。加速発進と意地の悪い幅寄せを繰り返され、三十分以上も合流出来ずにいたのですが、腹を決め、あと一センチでサイドミラーがぶつかる、という極限まで根比べを続けた末、ようやく道を譲る車が一台現れたのでした。

「なんなんだこの民度の低さは!もう二度とメキシコには来ないぞ。」

と首を振る私に、後部座席から、

「僕も。」

と笑いながら同調する息子。

それから二時間、まるで虫の這うようなペースでじわじわと国境目指して進みます。途中、車道上でタコスやブリトーを売る屋台が現れます。早朝勤務のため深夜にアメリカへ向かう労働者達の腹ごしらえ需要に応えてのビジネスなのでしょうが、法律とか規制とか、そういう常識的な考えが頭から吹っ飛ぶような光景でした。

「メキシコで入手し、アメリカに持ち込もうとしているモノはありますか?」

国境検問所のブース。白人男性の係官が我々三人の顔を見ながらパスポートを確認した後、そう尋ねて来ました。「うちの息子を…。」と反応したらちょっと面白い場面でしたが、もちろん真面目な顔で「ありません。」と答えます。すっとバーが上がり、私の右足が静かにアクセルを踏みます。こうして午前三時過ぎ、ようやくアメリカ再入国を果たしたのでした。

帰宅してからも三日ほどは、「まだ頭が高速回転を続けてる」とPTSD状態だった息子ですが、その後ゆっくりと時間をかけて今回の顛末を聞くことになりました。

何故彼の入国記録がメキシコ側のデータベースに無かったかは、結局分からないということ。日本大使館の助けは有り難かったが、ただ救援を待ちながら何日もあの状態を続ける気にはなれなかったこと。コヨーテと国境の係官達が裏で繋がっていることはすぐに悟ったこと。がっつり賄賂を払ってメキシコへ再入国する選択肢は避けたかったが、彼らの持つ情報は欲しかった。一人だけ英語が喋れる三十代くらいのコヨーテがいて、この男(マノーロ)と近づく決意をした。タクシーで市街地へ連れて行かれ、まずはATMでキャッシュを引き出すよう言われたが、引き出し限度額に引っかかって下ろせなかったことは、今思えばラッキーだった。手持ちのメキシコ・ペソで彼にランチとビールを振る舞い、タパチュラのホテルに戻れば現金で米ドルがあることをほのめかした。高校を卒業してから今の仕事で身を立てていること、子供が三人いることなど身の上話を聞いて心を開かせる一方、滞在先のホテル名や今回の渡航の目的、サンディエゴの実家のことなど、こちらの素性が分かるような情報は一切明かさなかった。この間マノーロから、国境に関する様々な話を聞き出した。中でも、検問所のスタッフが翌日午後一時に全員交替するという情報は、その後の作戦の決め手となった。コヨーテとしての有料サービスを正式には受けず、食事や酒をおごる見返りに情報を頂く、という微妙な綱渡りを試みる数時間だった。

「キレられて乱暴される可能性は考えなかったの?」

と尋ねると、

「旅行者がコヨーテから危険な目に遭わされたという噂が拡がれば、彼らのビジネスが成り立たなくなるでしょ。百パーセント確信は無いけど、まず大丈夫だろうと思ったんだ。」

と息子。なるほど、冷静だな。

結局は親友ニコラの助力でメキシコに再入国することが出来たのだから、マノーロに金を払う正当な理由は無い。食事をおごって話を聞いておしまい、という関係で終わらせたかった。しかし火曜の午後国境に行くと、彼がそこで待ち構えていた。二国間を自由に行き来出来る通行証を持つマノーロは、メキシコ側まで息子について来るのでした。ホテルに戻ればアメリカドルがあると言ってあったため、何かしら理由をつけて金を要求して来る可能性が高い。このままホテルまで一緒に来られたら、まずいことになる…。

「さあ、再入国を祝って乾杯しようぜ。」

とマノーロがバーに誘うので、咄嗟に、

「現金が下ろせないかもう一度試してみるよ。ATMはどこかな。」

と言うと、あっちだと指差し、ビールを注文するマノーロ。その直後、彼は知り合いを見つけたようで、立ち話を始めたのだと。息子は指示された方向へゆっくりと歩きながらマノーロの視線をチェックし、こちらが見えていないと確信したところで、いきなり全力ダッシュ。建物と建物の間を駆け抜け、公道で客待ちをしていたタクシーに飛び乗り、「ホリデーインへ!」と隠し持っていた現金を運転手に手渡します。

「暫くしてマノーロからテキストや電話がじゃんじゃん届き始めて、どこにいるんだ?って聞いて来るんだよ。心臓バクバクしながら、ずっと無視し続けた。ホテルに着いた後、日本政府の保護下にあるって返信したら、それきり黙ったよ。」

妻と二人でアプリで彼の居場所を追っていた際、息子のアイコンが突然スピード上げて緑道を移動し始めたのは、マノーロから逃げていたからだったのですね。

「あのさ、様子を聞こうとこっちから何度も電話した時、全然答えなかったでしょ。あれはどういうわけ?」

「携帯の電池を温存するため、余計な機能はオフにしてたし、通話も止めてたんだよ。」

「コヨーテと接触していることを、どうして言わなかったの?」

「だって、言ったらきっとパニクってたでしょ。」

確かに、細かな背景抜きでそれだけ聞かされていたら、とても穏やかではいられなかったでしょう。

メキシコ再入国前夜、彼は安モーテルの椅子に座って目をつむり、想定されるありとあらゆる事態を検証し、作戦を立てたのだそうです。まるでチェスプレーヤーが、何百通りもある指し手を頭の中で分析するように。まずは安全。この部屋に不審者が侵入を試みたらすぐに分かるよう、ドアに簡易トラップを仕掛けた。次に体力。緊張で食事も喉を通らない状態だったが、何とか食べ物を押し込んだ。水分補給も切らさなかった。

頭を高速回転させてケース・スタディを繰り返したおかげで、極限状態を冷静に乗り切れたよ、と胸を張る息子。ほぼ自力でピンチを切り抜けたことで、大きな自信がついた様子です。

「あのさ、そもそもアメリカのパスポートを失効させてなかったらこんな事態にはならなかったんじゃないの?」

と冷静にたしなめる妻に対し、

「確かに。」

と、そこは素直にミスを認める息子でした。

  

2022年7月27日水曜日

Midnight Express 深夜特急 その2


これまで足を踏み入れたこともないグアテマラへの強制送還、という人生最大のピンチに立たされた二十歳の息子。グアテマラ・シティの日本国大使館で対応に当たって下さったのは、領事の池沢さんでした。在メキシコ日本国大使館と連携してメキシコ政府に援助を依頼して下さるとおっしゃったのですが、先方が返事をくれるのに一日はかかるだろうとのこと。もしも息子のメキシコ再入国が果たせなかったら、当面日本大使館近くのホテルに滞在させ、彼の米国パスポートを大使館宛に送るか、あるいは我々が直接飛行機で救出に向かう、というシナリオを話し合います。問題は、国境付近からグアテマラ・シティまでは公共交通機関が無く、タクシーが拾えたとしても5時間以上はかかること、雨季のため各地で土砂崩れが起きていて、道路が分断されている可能性が高いこと。そうなれば道半ばで立ち往生し、居場所が分からなくなる危険がある。電波の届かないジャングルで連絡が途絶えたら、万事休すです。

密入国者の手助けをするプロ集団「コヨーテ」という存在を知ったのが、このすぐ後でした。電話の向こうで息子が言います。

「こうなったら、コヨーテに金を払って何とか潜り込むしか無いかも…。」

タリスマン検問所周辺にはこの「コヨーテ」集団がたむろしていて、こちらから頼んでもいないのに「現金○○ドル払えばメキシコに入国させてやるぞ」と十人以上で詰め寄って来るのだと。スペイン語の分からない息子は「うるせえ、あっち行け!」と英語でまくし立てて追い払ったそうなのですが、よく考えると妙な話です。身なりからして外国人観光客であるのは一目瞭然でしょうが、なぜすぐに国外追放された人間だと分かるのか。どう考えても、検問所とコヨーテ達が結託しているとしか思えません。理不尽に追い出されてパニクる旅行客に救いの手を差し伸べる違法業者達。彼らが外国人から巻き上げた現金の一部を係官に貢ぐことで回っている、邪悪な生態系の存在を勘ぐらざるを得ないのです。

密入国斡旋業者と関わることで更に深刻なトラブルに巻き込まれることを恐れた私は、急いで池沢さんに意見を伺います。すると彼も、それはお薦め出来ないとのこと。何か別の手を探した方が良いと息子に伝えると、タリスマンでは係官に顔を知られているから、少し離れた南方の検問所(ヒダルゴ)に行って再入国を試みると彼が答えます。ところがその後、アプリで彼の居場所を追っていたところ、どんどん東の内陸側に進んで行くのが見えます。おいおい、行き先は南のはずだぞ。大丈夫か?タクシーに乗ったのか?どこに向かってるか分かってんのか?と妻と私でテキストを送るのですが、まずは銀行で金を下ろして来ると答えたきり、返信が途絶えます。そしてガソリンスタンドと見られる場所に到着し、それきりぴたりと動きが止まったのでした。

「どこにいるの?そこ銀行じゃないでしょ?」

不安をどんどん蓄積していた妻がテキストを送るものの、一向に返事が来ません。

「あの子、携帯捨てられてそのまま誘拐されちゃったのかも!」

涙目で震える妻。水泳部の猛練習でムキムキな身体になってんだから、そう簡単にやられはしないよ、と私。きっと電波の状態が良くないんだよ…。

午後になってようやく、アプリ上の彼のアイコンが元来たルートを戻り始めました。ああよかった、きっと生きてるわね、と大きく深呼吸する妻。あ、そうだ、今日中にはメキシコに戻れないだろうから、とにかくグアテマラ側で泊まる場所を確保しなきゃね、とホテルの検索を開始します。ところが、オンラインで予約出来る宿泊先が一向に見つかりません。彼がさっきまでいたエリアにはホテルが点在しているものの、ネットでおさえられるのはわずか数件です。

「セキュリティ面を考えたら、多少高くてもちゃんとしたホテルに泊まらないと駄目よ。そのまま国境まで戻っちゃったら、こっちから予約出来ないからね。」

そう彼女がテキストを送るのですが、反応が無いまま息子のアイコンはどんどん西へ移動し、遂に検問所付近まで戻ってしまいました。

「めちゃ安いホテルにチェックインした。」

息子から電話があったのは、その数分後でした。スピーカーフォンで妻と私が言います。

「とにかく携帯の電池が切れたらアウトだから、充電だけはこまめにね。あと、水分補給もしっかりね。」

「うん、どっちもちゃんとやってる。」

「大使館の人とやり取りは出来たの?」

「うん、グアテマラの日本大使館からは、メキシコ政府の対応は明日にならないと分からないって聞いてる。」

「メキシコのアメリカ大使館にも当たってみた?」

「それがさあ、留守番電話になってて誰も出てくれないんだよ。」

後になって気づいたのですが、この日はちょうど、よりによって今年スタートした新しい祝日Juneteenth(ジューンティーンス)だったのです。アメリカ大使館がもぬけの殻だったのは、そういうわけですね。

「じゃあとにかく朝まで身体を休めるしかないね。ちゃんと食べなさいよ。」

「うん、分かってる。僕の顔を知ってる検問所の係官達は明日の午後一時に交替するってコヨーテが言ってた。だから一時過ぎたら再入国をトライしてみる。」

翌朝6時半、息子からテキストが入ります。

「後で電話して。アイデアがある。」

妻を起こして電話をかけ、スピーカーフォンで会話します。

高校時代からの息子の親友で現在ニューヨークでインターンシップ中のニコラが、彼のために昨日動いてくれたというのです。ダメ元で、日本人としてメキシコに入国するための観光ビザを取得してみようという話になり、スマホしか持っていない息子に成り代わってオンラインで申請してくれた。申請書のPDFファイルをニコラに送ってもらったので、メキシコ当局の援助が見込めない場合、これをプリントアウトして国境の検問所で見せてみるよ、と。日本大使館の池沢さんにもこれは相談済みで、在メキシコ日本大使館とも連携して申請書に関するアドバイスを頂いているとのこと。

「分かった。うまくいかなかったら次の策を考えればいいから、あまり焦らないように。」

その後、ホリデイ・インの部屋に置きっぱなしの荷物が気になり始めます。チェックアウト時間は午後一時。午後一番に何とか再入国出来たとしても、タイミングとしてはアウトです。チェックアウトを少し延ばしてもらえないか頼んでみなさい、と妻。息子が早速、四時まで延期してもらうことに成功。

その一時間後、池沢さんからテキストが入りました。メキシコ当局は責任を認めないが、何らかの要因で入国の記録が出来ていなかったこと、在メキシコ日本大使館からメキシコ当局に直接依頼しても、出入国履歴の修正は不可能とのこと、再入国を試みて失敗したらグアテマラ・シティに移動するしかなく、その際には大使館として交通手段の情報提供や援助をする準備があること、等々。そして、たとえメキシコへの再入国が出来たとしても空港で再び拘束され、グアテマラへ再度強制送還される可能性がある。そうなったら直ちに在メキシコ日本大使館へ電話するように、と。

そして現地時間の午後二時半過ぎ、息子のアイコンがスマホの地図上を検問所に向かってゆっくりと動き始める様子を、夫婦固唾を呑んで見守ります。

「あ!メキシコ国境越えたわよ!」

「ほんとだ。うまく行ったのかな。」

スマホ画面には、検問所の建物よりメキシコ側にいるように映っています。

「あれ?ちょっと待って…。」

逆サイドからゆっくりと近づいて来た別の磁石に押し戻されるマグネットボールのように、先程来た方向へじりじりと後ずさりを始める息子のアイコン。あれよあれよと言う間に、昨夜宿泊していたホテル付近まで戻ってしまったのでした。

「またグアテマラに戻されちゃった?」

とテキストを送る妻。

「はい。」

と短い返信。

「今グアテマラ出国スタンプお願いしてる。」

出国スタンプ?何のことかよく分からんが、これはもう長期戦のオプションを覚悟しておいた方がいいな、と考え始める私でした。彼を救出するためグアテマラ・シティへ飛ぶとして、向こう一週間スケジュールされたビジネスミーティングの延期が出来るかどうか調べなきゃ、とカレンダーをチェックします。同時にフライトの検索も始めたところ、サンディエゴからは片道だけでも丸一日かかる長旅になりそうで、バケーションシーズンともあって、航空運賃もなかなかの高額です。とりあえず有給休暇を申請しておくか…。

「あ、ちょっと見て!」

そう妻が叫んだのでスマホに目をやったところ、息子のアイコンが再びゆっくりと検問所に向かっています。

「またさっきのところまで来たわよ。」

仕事そっちのけでスマホ画面に食い入る、妻と私。彼の居場所を示すアイコンは建物内で暫く停止していたのですが、やがてゆっくりとメキシコ側の敷地へ抜けて行ったのでした。おお、遂に再入国成功か?いや、GPSの誤差を考慮すれば、本当に突破出来たかどうかはまだ分からんぞ…。

「なんかおかしくない?急にスピードが速くなってるんだけど…。」

妻の言う通り、息子のアイコンが突然急角度で方向を変え、速度を上げて動き始めたのです。しかも建物と建物に挟まれた、長い緑地帯を真っ直ぐ進んでいます。

「ここ、道路じゃないぞ。」

「そうよね。タクシーほどのスピードも無いし。あの子、走ってるのかしら。」

「誰かから逃げてんじゃないかな?」

と私。

「やめてよ!」

表情を固くする妻。しかし程なくして一般道路に到達した息子のアイコンが、今度は本格的なスピードで南へ向かって快調に滑り出したのです。短いテキストが入ります。

「成功」

一体何をどう工夫して再入国が果たせたのか、この時はまだ真相を知らされていなかった我々夫婦。しかしひとまず最初の関所を越えたことで、安堵を分かち合うのでした。

「今ホリデーイン行き」

とタクシーからテキストを打つ息子。四時のチェックアウトにギリギリ間に合いそうです。急いで荷物をまとめてタパチュラ空港へ向かい、強制送還の憂き目を逃れて予定便に無事乗り込めたら、メキシコシティ経由で深夜にティファナ到着。我々は彼のアメリカ旅券を携えて陸路で国境を越え、ティファナ空港の出口で彼を拾う。そして三人で検問を突破し無事アメリカへ帰還が出来れば、ミッション完了です。

 

まだまだ油断は出来ません。

2022年7月17日日曜日

Midnight Express 深夜特急 その1

 


「グアテマラに追放された!」

「え?何言ってるの?ちゃんと説明して。」

「グアテマラに追放されたんだよ!」

6月13日月曜日の朝一番に電話で交わした、二十歳の息子との会話です。

 

最後の夏休みをどう過ごすかは、アメリカの大学生にとって大事なテーマ。履歴書に記載できる実務経験(インターンシップ)を積めれば、数カ月後にスタートする就職戦線での強力な武器になるからです。コロラドで生態学を学ぶ息子は担当教授達に掛け合い、彼らの人脈で良い仕事先を見つけてもらえないかを探りました。その結果、遠くミシガン大学の教授たちに繋いで頂き、彼らのチームの調査プロジェクトに助手として加えてもらうことになったのです。メキシコ最南端のタパチュラという土地で四週間調査した後、プエルトリコに飛んで更に四週間の追加研究をする、というエキゾチックなプログラム。友人達が学生課や親の口利きでインターン先をあてがわれる中、自力で、しかも他の大学のポジションを獲得したことの達成感に酔いしれる息子でしたが、この数週間後にあんな恐ろしい事態に陥ることなど、この時は知る由もありませんでした。

そもそもの失敗は、彼が幼い頃に作った米国パスポートが失効していたことでした。インターンシップの話が出始めた頃に私が気付き、直ちに新しい旅券を申請するよう言い聞かせていたにもかかわらず、何かと言い訳を見つけ後回しを続けた楽天家の息子。メキシコ行きが本決まりした後にようやく焦り始めたのですが、時既に遅し。別料金を払って超特急で作成してもらうオプションを選んだにもかかわらず、出発前には到底間に合わないことが分かりました。仕方ないので、日本のパスポートで日本人として旅立つことになったのです。

6月5日の夜明け前、サンディエゴの自宅から三十分ほど車を走らせ、メキシコとの国境にあるCBXCross Border Express)という施設の手前で彼をドロップ。入国手続きを済ませて徒歩で橋を渡ると、そこはもうティファナ国際空港。メキシコシティ経由でタパチュラまで約7時間。まずは市内のホテルで一泊(約20ドル)し、月曜の朝に迎えの車が来るのを待つ、という段取りでした。高地ジャングルの奥深くにミシガン大研究チームのコテージがあり、そこで寝泊まりしながら日々フィールド調査に出かける、というのです。我々夫婦はiPhoneFind Myというアプリで息子の居場所を時折確認していたのですが、月曜の午前中、予告通り彼のアイコンが姿を消しました。こんな時代になっても、世界には電波の届かない場所がまだあるんだねえ、と驚く我々夫婦。十年前は当たり前だったけど、外国に滞在する子供と暫く連絡が取れなくなったことで、若干落ち着かない気分になるのでした。

ところがそのわずか一週間後、クレジットカードの記録をチェックしていた妻が異変に気づきます。

「あの子、ホテルに360ドル払ったみたいよ。」

アプリで確認すると、息子の位置がはっきりと確認出来ます。電話をかけさせて事情を聞いたところ、金曜の夕方、山中を二時間歩き続けて一番近くのホテルに辿り着き、週末の三日間を過ごすことにした、とのこと。宿泊料の高額さを知り驚いたものの、あまりの疲労で引き返す気にはなれなかった。どうやらこのホテルはハネムーン客ターゲットのリゾートホテルらしく、シングル・ルームは無く、周りは若いカップルだらけ。

「なんでホテルに泊まることにしたんだよ?」

「とにかく、聞いていたのと全然条件が違うんだよ。週末もあそこに居続けるなんて、とてもじゃないけど耐えられなかった。」

助手として採用されたことは確かだが、自分のやりたい研究もさせてもらえると聞いていた。ところが現実は、大学院生(三十歳の女性)の研究テーマに沿って、一日中単純作業で拘束される。院生といってもこの人はフィールド調査初体験で、計画の立て方が甘く段取りも悪く、あれじゃどれだけデータをかき集めようが有意義な成果なんて絶対得られない、と息子。自分は大学でフィールド調査の基礎をしっかり叩き込まれたので、それが良く分かる。なのに彼女は、とにかく自分の言う通りに作業をしろ、の一点張り。とてもじゃないが、このままの条件ではバカバカしくて続けられない、と。

「それで、どうするの?」

教授たちは今週不在で、月曜まで現場に戻って来ない。週末のうちに、彼らにメールで現状の問題点と改善案を伝えておき、会った時にあらためて今後のプランについて相談するつもりだ、と息子。

自分が彼の立場だったら、これも運命と素直に現状を受け入れ、期限終了まで黙々と残りのお勤めを果たしていたことでしょう。しかし幼い頃から向こうっ気が強く、権威に怯むことも無いこの若者は、取り組もうと考えていた研究テーマを長文メールに書き綴り、教授たちに送信したのでした。後に息子から聞いたのですが、彼はインターンシップの準備期間中、「今回何を学ぶつもりか、どんな成果を出す予定か」を論文の形で大学側に提出させられていたのだそうです。なのに興味も関心も無い分野の調査助手を二ヶ月続けるというのは、あまりにも「話が違う」というのが彼の主張。

週末を終え、リゾートホテルから再び電波の届かない密林に戻って行った彼は、再びスマホの地図上から姿を消します。そして金曜の晩になり、我々夫婦にテキストで「交渉決裂」の旨を伝えて来ました。どうやらタパチュラ市街のホテルに移動した模様。

「明日の夜の便でサンディエゴに戻りたいんだけど、飛行機取ってくれる?」

君の提案する研究テーマは非常に興味深いが、こんな短期間ではとても成果は出せないよ、と諭すミシガン大の教授たち。とにかくうちの院生のサポートに徹して欲しい、と。自分の成長に繋がると思えない単純作業を今後何週間も続けるつもりは無い、と踵を返し、山を下りた息子。よくもまあそんな生意気が言えるもんだな、とあっけに取られる妻と私でした。しかも後で聞いたら、教授たちは大ベテランだとのこと。

「大学から出してもらった4千ドルのGrant(助成金)はどうなるんだよ?全額返済?」

「それは後で考える。とにかく家に帰る。」

ところが土曜の晩になり、やや焦りを帯びた声で息子が空港から電話してきたのです。

「飛行機に乗らせてくれないんだよ。メキシコに入国した記録が向こうのコンピュータに無いって言われてさ。」

ちょうどこの日の午後、アメリカのパスポートが我が家に配達されたのですが、果たしてこれが出発に間に合っていても今回の事件が避けられたかどうかは謎です。

「で、具体的にどうしろって言われてるの?」

「タリスマンっていう国境近くの街に行って、入国スタンプを押してもらえって。これからタクシー飛ばして往復すれば、もしかしたら離陸までに間に合うかもしれない。」

いや、そんな賭けに出るべきではない、今すぐ飛行機の便変更手続きをしてチェックイン済みのスーツケースを取り戻し、ホテルに泊まってしっかり休みなさい、と指示を送る我々夫婦。妻がネットでホリデー・インの予約をし、飛行機便を火曜日まで延ばします。

「有難う。週明けに朝一番でタクシー拾ってタリスマンに行ってくる。」

そして月曜の朝、彼からの電話で事態の急展開を知ったのです。

「グアテマラに追放された!」

国境の検問所を訪ねて事情を説明したところ、一体どうしてお前はこの国にいるんだ、密入国者じゃないのか、と警備隊員に連行され、グアテマラ側に追い出されたというのです。アメリカ側からメキシコ入りした人間を反対側のグアテマラに追放する行為は、どう考えても筋が通りません。しかしこれが、現実に起きてしまったのです。数十分で手続きを済ませホテルにとんぼ返りする腹積もりで出かけていた息子は、スーツケースもラップトップも着替えも部屋に置きっぱなし。携帯しているのはバックパック、財布、日本のパスポート、それにスマホのみです。さてどうする?飛行機便は翌日の晩。しかもホテルのチェックアウトは午後一時です。これから二十数時間のうちに、一旦追放措置を受けた国に戻ってホテルで荷物を回収し飛行機便に乗るなんて、到底不可能に思えます。

「まずはグアテマラの日本大使館に問い合わせなさい。それからメキシコの日本大使館、あと一応アメリカ大使館も。スマホの充電は絶対切らさないように。なるべく電波の届く場所にいなさい。」

こうして超多忙な月曜の朝、妻も私も仕事そっちのけで息子の救出作戦を開始したのでした。

(つづく)

2022年5月7日土曜日

Farmers Market ファーマーズ・マーケット


良く晴れた先週日曜の昼前、妻と二人でラホヤのファーマーズ・マーケットへ出かけました。生鮮食品、ファッション、アクセサリーなど多種多様な業態出店者が小学校の敷地を借り、運動会で放送席の日除けに使うような白いキャンバス地のキャノピーをぎっしり並べて商売に勤しんでいます。椅子ひとつ、ギター一本で歌う名も知らぬミュージシャン、大声で笑いながら足早に過ぎ去るティーン・エイジャーの女子グループ、ジャングルジムや滑り台の傍に立ち、おぼつかない足取りの幼い我が子を見守る母親たち、お互いのペットを撫で合う犬連れの家族。たとえ買い物をせずとも家路につく頃にはほんのり笑顔になっているような、週末を過ごすのにぴったりのイベントなのです。

二年以上もリモートワークが続く中、度重なる大規模組織改変により、顔を見たことも、今後一生会うことも無いであろう人達と働く機会が急増している今日この頃。信頼関係を築くステップをすっ飛ばし、ただただ職務を進めるためだけに交わす会話は殺伐としていて、まだ会社が小さく顔見知りだけと働いていた頃に較べ、格段に「幸せ感」が低い。そもそも他人は他人、お互い心の中じゃ何を考えているか分からないのだけれど、同じオフィスにいれば自然と会話を交わすようになるし、いつしか打ち解けるものです。誰かと分かり合えた、繋がった、という瞬間の感動を、職場では久しく味わっていません。

このファーマーズ・マーケットでは、数ヶ月前にSmallgoodsというチーズとサラミの専門店を経営する若い夫婦と話し込み、すっかり仲良しになりました。それからというもの、月二回はアメリカ各地の名産チーズを買って楽しむのが習慣に。普通のスーパーでショッピングしていたら、なかなかこうは行かないでしょう。他人同士がガードを落として近づくことの出来る、そんなリラックスした環境が整っているからこそ起きたマジックだと思うのです。

さてこの日も、立ち止まって商品を暫く眺め、数歩進んでは隣の店へ。そんな調子でゆったりと時間を過ごし、ちょうど最後の店に差し掛かった時でした。あれ、風が強いな、と思った次の瞬間、その店を覆っていた白いキャノピーが目の前でふわりと浮き上がり、二メートルほど上空であっという間に逆さまに。そのまま風に飛ばされ、敷地境の金網フェンスを越えて隣接する工事現場に落下したのです。まるで部屋の四方の壁が一斉に倒れ、中央に座っていたタレントがあっけにとられるドッキリカメラのワンシーンのよう。周囲の出店者達や買い物客の群衆は立ちすくみ、口々に驚きの声を漏らします。店主らしき四十がらみの白人女性はほんの刹那、微かな怯みを見せた後、

“Now come shop!”

「さあいらっしゃい!」

と明るい声で皆に呼びかけます。これで笑いが起こり、場の緊張が和らぎます。ちょっとの間、私も妻と一緒にクスクス笑っていたのですが、段々落ち着かない気分になって来ました。買い物客も周りの出店者たちも、問題解決に動き出す気配を一向に見せないのです。店主の女性は時々フェンスの向こうに目をやって肩をすくめながら客にジョークを飛ばしているだけで、助けを呼ぼうとする様子も無い。

「ちょっと見てくる。」

と妻に荷物を預け、敷地境界に沿ってどんどん進むと、作業員詰め所と見られるトレーラーハウスの両脇には隙間が見当たりません。金網フェンス越しに中を覗くと、建材がそこここに積み上がっているものの、重機も掘削口も見当たらない。そもそも日曜だし、すぐ隣でマーケットやってるんだから、工事現場が動いているはずもない。それならば、と足場の良い場所からフェンスをよじ登ってこれを乗り越え、さっきの店の裏側へ進みます。四肢を硬直させ仰向けに倒れた哀れな動物のようなキャノピーを、下から両手ですくうように持ち上げてみたところ、図体が大きくかさばるだけで、これが案外軽量なのです。私の救助活動に気がついたようで、二人の白人男性客が駆けつけ、フェンスの向こうから手を伸ばしてキャノピーを受け取り、無事に元の場所に戻すことに成功したのでした。

再び最初の侵入箇所に戻り、フェンスを越えてお店に戻ると、キャノピーを立たせようと男性二人が奮闘しています。見ると、天蓋を持ち上げるべきトラス構造の接合点が下を向いている。突風に持っていかれた時の衝撃で、逆向きに曲がってしまったのですね。これをトップまで持ち上げないと、ジョイントが固定されずキャノピー中央が陥没してしまい、四本の脚は真ん中に向かって傾いてしまうのです。しかしこのうなだれたトラス中心部、真下から手を伸ばしても全然届かない高みにあります。最高点まで持ち上げるには、相当のジャンプ力が要求されるぞ…。

フェンス越え往復とキャノピー回収作業完了時点で、「SASUKE」難関コースをクリアした選手のようにすっかり満足していた、還暦目前の私。過去数年間Body Craftの川尻トレーナーから受けて来たパーソナル・トレーニングの成果が、こういう形で実証されるとは…。地獄の「体幹いじめ」に耐え抜いて来たのは無駄じゃなかったぜ、とほくそ笑みます。ところがここへ突然、思っても見なかった最終ステージ挑戦権が差し出されたのです。二人の男性は代わる代わる背伸びしてみたものの、あっさりギブアップ。さあ、どうする?「やれんのか?お前に!」と心の声が詰め寄ります。チャンスはたった一回だ。何度も跳んだけどやっぱり駄目でした、などという無様な真似はしたくない。よし、絶対に一発で決めてやる!深呼吸の後、渾身のジャンプ。右腕を突き上げます。カチリとロック音が聞こえ、見事天蓋が最高点で固定されたのでした。よっしゃあ!と心の中でガッツポーズ(後で妻に聞いたら「そんなに跳んでなかったよ」とのことでしたが)。

無事に任務を完了して妻の元に戻った私でしたが、この時強烈な違和感に襲われていました。なんかちょっと怖い…。なんだろうこの感覚?

冷静に振り返ってみると、店主の女性、最後まで私の目を見ることも声をかけることもなく、サンキューの一言も発しませんでした。感謝が欲しくて取った行動ではないものの、普通に考えたら当然「有難う」な場面でしょ、これ。しかも他のお店の人達が、誰一人助けに来ようとしなかった。おいおいみんな、どういうつもりだ?何考えてんだ?

妻も同じく奇妙な感覚を味わっていたようで、「行こ、行こ、」と二人足早に立ち去ったのでした。

帰宅後、妻と昼食の支度をしながらも何となく頭の片隅にこの件が引っかかっていて、「何故彼女はお礼を言わなかったのか、どうして誰も助けようとしなかったのか」についてひとしきり話し合いました。人々の心の中でどんな思いが巡っていたのかなんて検証しようもないので、このモヤモヤを晴らすのは簡単じゃありません。私が辿り着いた仮説は、「訴訟を恐れたのではないか」というものでした。

囲われた工事現場に侵入することは、恐らく違法。後で然るべき筋を通して回収するつもりだった。そこへ頼んでもいないのに見知らぬ男がフェンスを乗り越えて行った。もしも工事関係者に見咎められたり、器物破損に至ったり、あるいは怪我でもされたりしたら責任問題になる。私はあの男とは何の関わりも無い。気がついたらキャノピーが元に戻っていた、という体でやり過ごしてしまおう、と。周囲の出店者たちも同様の心境だったのではないか…。訴訟社会のアメリカだけに、この仮説は信憑性が高い。でもだとしたら、ちょっと違う種類の怖さがあるぞ…。

その晩、あまりにも落ち着かないので、元同僚のリチャードに電話して意見を聞くことにしました。

「突然すまんね。今日さ、カクカクシカジカで…。」

藪から棒に何の話だよと突っ込んで来るかと思いきや、彼は最後まで待たず、

「なんだその女!無礼にも程があるな!」

と怒りに満ちた溜息をつきます。え?そういう反応?僕の立てた仮説はこうなんだけど、と説明すると、

“She’s not smart enough to think about the liability. She’s just rude.”

「法的責任にまで頭が回るほど賢い人じゃないね。ただ単に無礼なんだよ。」

と吐き捨てます。そして、悲しいけど世の中にはそういう人間が大勢いる、とことん話し合えば誰とでも分かり合えるものだなんてしたり顔でのたまう政治家もいるけど、そんなの嘘だ、どうしても理解出来ないタイプの人間も存在するんだよ、と興奮気味に話を広げるリチャード。

「そこまで体を張って助けてくれたシンスケにお礼の一言も無いなんて、俺には考えられないよ。」

「いやいや、そんなに大した働きじゃ無かったんだよ…。そっか、アメリカ人だから訴訟を恐れるっていうのは深読みが過ぎたか…。」

そういえば帰り道に妻が、きっとみんなから嫌われてる人なんじゃない?と言ってたことを思い出し、リチャードに伝えたところ、

「うん、それが正解だね。」

ときっぱり。だとしたら、周囲の出店者たちが誰も救いの手を差し伸べなかったのも頷けます。

「こないだも俺、どこかの建物のドアを開けて、後ろから歩いて来た若い女性が来るまで押さえてたんだけど、なんにも言わずに通り過ぎて行きやがったんだよ。ほんと、どこにでも礼儀知らずっているんだよな!」

と吐き捨てるリチャード。彼のやや激しめの道徳観を垣間見て、ちょっと笑ってしまう私でした。

「そういう時ってどうするの?」

と尋ねる私に、

「その女の背中に向かって、きっぱり言ってやるんだよ、You’re welcome!(どういたしまして)ってね。」

「え?ほんとに?」

さすがにそこまでは予想していなかった私。いくらなんでもやり過ぎでしょ、と突っ込む前に、リチャードがこう付け足したのでした。

「心の中でね。」

 

2022年4月9日土曜日

Think like a mountain 山のように考える


「今回のコースもヤバいよ、ほんと。」

電話の向こうで大学三年の終盤を迎えた息子が、しみじみとした口調でそう告げました。彼が今回履修しているのは、Entomology(昆虫学)。博物館や他大学での豊富な勤務経験を持つ教授が担当する講座で、あまりの面白さで集中力が途切れないと言うのです。

「一言も聞き逃したくないんだ。」

注意力のレベルに関してはとても褒められたものじゃないこの若者にそこまで言わせるからには、相当なクオリティの講義に違いありません。

「今日の授業ではさぁ…。」

サバイバルのために生物達が会得して来た擬態パターンの数々を、詳しく解説する息子。毒を持つ別種と外見を似せたハチ、警戒心を煽る風体の蛾に瓜二つな蝶。ある種の昆虫にその葉を食い荒らされてきた樹種は、進化の過程で様々な形状の葉をつけ天敵の目を欺くようになった、などなど。

「面白すぎてたまんないよ。二つ続けて大当たり。」

前回のコースでは、パンデミックや生態系の変化など、自然界のあらゆる現象を数理モデルを使って分析するという課題にどハマりした息子。この世界は密接に繋がっていて、どこかで起きた些細な変化が巡り巡って別の場所に、ひいては全体に影響を及ぼすという現象をコンピュータ・モニター上で視覚化するのですから、彼の興奮は理解出来ます。この時学んだことが今回のコースにも生きて来ているという息子。

「組織も経済も歴史も、みんな同じだよね。すべてのパーツが絶えず影響を与えたり受けたりしながら変化を続けてる。我々はついAが起きたからB、というリニアな考え方をしがちだけど、世界は大きな塊として動いてるんだもんね。」

と私。

「だよね。そういうの、Think like a mountain って言うんだよ。」

と息子。

Think like a mountain(山のように考える)というのは、初めて聞く表現です。電話を終えてからネットで調べてみたところ、これはアルド・レオポルドという環境系の学者が「野生のうたがきこえる(A Sand County Almanac)」という本の中で使ったフレーズで、ひとつひとつの事象を単体で捉えるのではなく、生態系全体を密接に連携したひとつのシステムとして考えなさい、という教え。私の意訳はこうなります。

Think like a mountain.

ひとつの大きな系として捉えなさい。

コロナウィルスやウクライナでの戦争は疑いもなく世界に多大な影響を及ぼしているけど、僕らひとりひとりの何気ない一言ですら、組織や社会を変える力がある。そういうマインドセットを持った途端、ネガティブではいられなくなります。

さて、今週水曜は久しぶりにダウンタウンのオフィスへ出勤。若手エンジニアのキャロリンが再会の喜びに顔をほころばせて近づいて来たので、会議室でひとしきり近況をシェアしあいました。

彼女の直属の上司だったドミニクが会社を去ったのは、およそ一年前。以来空席が埋まることなく、ドミニクの上司だったリチャードによる兼務が続いた。つい最近、別会社から引き抜かれたジェイソンの就任が決まり、ようやく一安心。

「どんな人なの?」

と私。

「地に足ついた、ごく普通の人よ。」

ごく普通の人、という言い回しが誤解を招く可能性を案じたのか、彼女が急いで付け加えます。

「彼が前の会社を辞めた後、部下だった四人が同時に転職して来たの。その事実だけとっても、彼がどれだけ信頼されてた分かるでしょ。なのに全然偉そうじゃないし、私に対してもすごくフレンドリーに接してくれるの。」

「そうか、そういう人がボスになって良かったね!」

と喜ぶ私。

「あ、そうだ。私、ちょっといいことしたの。」

とキャロリンが恥ずかしそうに打ち明けます。大ボスのリチャードと電話で話した時、ジェイソンの元部下四人の配属先が話題になったのだそうです。ひとりはサンディエゴ支社、ひとりはオレンジ支社、ひとりはサンノゼ支社、と居住地別に所属させ、それぞれ別のマネジャーの下に就けることにする、と。そこですかさずキャロリンが、こう口を挟みます。

“Richard, I have a crazy idea.”

「リチャード、私、クレイジーなアイディアがあるんだけど。」

ジェイソンという素晴らしい上司を失うくらいなら、と前の会社を思い切って飛び出した四人。きっと今、かなりの不安を抱えていると思う。元同僚たちからネガティブな言葉を浴びているかもしれない。そんな彼らが新天地で初対面のボスをあてがわれ、もしも反りが合わなかったらどうか。最初だけでもジェイソンの直属にしておけば、きっとみんな安心して頑張れるんじゃないか…。

「そしたらリチャードが、よく分かった、考えてみるって言ってくれたの。彼は部署全体を見渡していて、戦力の公平な分配に意識が集中してたのね。私のクレイジー・アイディアが聞き入れられるとは正直思ってなかったけど、次の日にジェイソンから電話があったの。彼はとても興奮していて、四人が自分の直属の部下になることが決まったって言うのよ。リチャードに進言してくれたんだってね、本当に有難う、四人とも物凄く喜んでいて、これで安心して力一杯働けるって言ってるって。」

ジェイソン自身、元部下たちを自分の下に就けられないか一度リチャードに打診したのだが、軽く却下され諦めていたのだそうです。転職早々ゴリ押し出来ないもんね、と私。

「君の一言で四人の人生、それにジェイソンの人生が変わったよね。そして彼らの家族の幸せにも貢献した。ひいては会社の業績にもポジティブに影響するだろう。凄い話だね。君があの時ちょっとでも怯んでクレイジー・アイディアを口に出すのを控えていたらと考えると、この世界のダイナミズムを感じずにいられないよ。」

照れくさそうに顔を赤らめるキャロリンを見ながら、”Think like a mountain” というフレーズを心に浮かべる私でした。世界は緻密に連携している。僕らひとりひとりの言動が、世界を変えるパワーを孕んでいるのだ、と。

 

2022年3月20日日曜日

Doesn’t have the same ring to it 同じリングを持ってない


先週土曜の午後四時半。ミラメサのボーリング場で待ち合わせした相手は、元同僚のディックでした。二週間ほど前の晩に突然テキストを送りつけ、

“Hello Amigo. How have you been? Seems about time we should get together.”

「よぉアミーゴ、どうしてる?そろそろまた会おうよ。」

と誘って来たのです。振り返ると、十月に晩飯を楽しんで以来、五ヶ月も連絡が途絶えていました。ボーリング・デートは彼の持ち込み企画で、前回コーエン兄弟制作映画の話題で盛り上がった際、The Big Lebowskiの愉快さについて語り合ったため、何となくその連想が導いたアイディアだったのでしょう。

「俺、最近ますますDude(ジェフ・ブリッジス演じる、浮浪者レベルにリラックスした風体の主人公)に見た目が似てきたよ。」

と事前にテキストで予告してきました。コロナで引き籠もるうち徐々に身だしなみへの頓着が薄れ、「在宅ホームレス」とでも呼ぶべき荒んだなりに変貌していくのは自然の摂理でしょう。期待を胸にややニヤついてボーリング場へ出向いた私でしたが、入り口付近の椅子に腰掛けて携帯をいじっていた彼は、前回よりも髪を短く刈り、シワのないコカ・コーラ・ロゴ入り赤Tシャツに身を包んでいました。

「なんだよ、全然こざっぱりしてんじゃん。」

と握手しながらからかうと、

「さすがにあの格好で現れる奴は現実にいないだろ。」

と笑い、立ち上がるディック。

最後にボーリングをしたのがいつだったのかも思い出せないほどご無沙汰の私に対し、一時期結構ハマったという相棒は、190センチ超えの巨体を華麗にしならせ、エゲツないカーブボールを投げて経験の差を見せつけます。ところが、真っ直ぐ転がすしか脳のない私が意外にもスペアを連発しポイントを稼ぐ一方で、ド派手な音を立ててピンを吹っ飛ばすものの度々スプリットに苦しめられたディックは、点数が伸びず段々と焦ってきます。額に吹き出す汗を拭いつつ、最終10フレームで立て続けにストライク。ようやく同点に追いついて1ゲーム目を終了。記念にスコアボードの写真を代わる代わる撮る二人。2ゲーム目は調子を上げたディックが大差で私を下し、気持ちよく会場を後にします。

「めし、どうする?」

とまだ汗だくの相棒。いつもだったら事前に私がきっちりスケジュールを組み、予約もバッチリ済ませておくのですが、今回はディックの企画。前日届いた彼のテキストには、

“How about meeting at 4-4:30…bowl…then maybe grab some grub.”

「四時から四時半の間に集合して、ボーリングして、で、何か食いに行くって感じどうよ。」

と極端にアバウトな段取りが記されていました。

「あのさ、grab some grubっていう表現、初めて聞いたよ。新しいのありがとね。」

「喜んでもらえると思ったよ。」

Grubは「カブトムシの幼虫」ですが、日常では「食事」という意味で使われます。動物が地面を掘って餌を探す様子を表す動詞でもあるので、この派生の仕方は納得。これにGrab(つかむ、手に入れる)という単語をつけて「何か食いに行く」と洒落たわけですね。十年を超す付き合いの中で、英語表現に対する私の渇望感をしっかり理解し、事あるごとに協力してくれている彼。ほんと、相変わらずいいヤツだなあ…。

結局私が提案した焼肉屋「牛角」は二時間待ちの満席だったため、そのそばにあった小さな寿司屋で夕食を楽しむことに。注文後、お互いの近況をあらためて語り合います。

ディックの転職先はまずまずの業績。ストレスレベルも低いとのこと。

「あのさ、さっきテスラに乗ってなかった?車換えたの?」

と私。さっきボーリング場で一旦別れた際、彼が白いテスラで走り去るのを見たのです。

「うん、リースしてんだ。なかなか気に入ってるよ。恐ろしく静かだぜ。良かったらこの後、試乗してみる?」

環境部門の大物である彼が電気自動車に乗るようになるのは時間の問題だったけど、それにしてもテスラとは出世したもんだなあ…。

私からの最大のニュースは、二日前にサンディエゴ・オフィスでパーティーが開催されたこと。二年に及ぶリモートワークを経て、ずっと会っていなかった同僚たちと顔を合わせたのです。ビル2階のオープンテラスに日暮れ前から集まって来た60人を超える出席者達と、ケータリング業者が運び込んだ一口サイズのピザやオードブルを楽しみつつ談笑します。

「過去二年間電話のみで繋がっていた人たちと、ようやく対面したりしてさ。すごく楽しかったぜ。」

同い年で長い付き合いのジョナサンは、コロナ期間に飛行機操縦免許を取得し、こないだ初飛行を果たした。五歳上のアンディは、週20時間勤務に切り替え、これからは好きなことに時間を割くことにした…。

「暫く会わないうちに皆、色々人生に変化があったんだなあってしみじみ思ったよ。」

二年前、世界は突然フリーズし、日が経つにつれすっかり色褪せてしまった。何となくぼんやりそう思いこんでたけど、友人たちは着実に前へ進んでいた!

「そう気付かされて、興奮しちゃったよ。ほんと、あのパーティーに参加して良かった。」

実を言うと、そう明るく話しながらも、私は何か異変に気づいていました。ちょっと前から胃の辺りがムカムカしていたのです。注文したキュウリサラダもカリフォルニア・ロールも、一口箸をつけただけでストップ。ううむ、これはちょっと深刻だぞ…。

「ごめん、テスラの試乗はまた今度にさせて。気分がいまいち優れない。今日はこれで帰るわ。」

ゆっくり時間をかけて慎重に深呼吸を続けながら夜のハイウェイを飛ばし、何とか家に辿り着きます。しかしそれから二日間というもの、猛烈な下痢と吐き気に翻弄され、ひたすらベッドで過ごすことになったのでした。食事はおろか、上体を起こして水をすすることさえ辛く、日曜の晩になってようやく妻の用意した雑炊を口にする私。

「何か変な物食べたんじゃない?」

と尋ねる彼女に対し、

「考えられるとしたら、ボーリング場で飲んだペプシかなあ。」

と答えますが、その前から胃の変調には気づいていたんです。一体何に当たったんだろう…?

しかしその後、部下のシャノンからのメールで、事態は新たな展開を迎えます。

「お腹の調子がひどいので、明日はお休みさせて。」

「おいおい、こっちも同じだよ。パーティーで何か変なもの食べたっけ?」

「ううん。あそこでは私、何も口にしなかったのよ。」

「え、そうなの?じゃ、食中毒説は消えたな。」

当日彼女と私は、朝から隣同士の席で勤務していたのです。ということは、パーティーが原因じゃないのかも。だとしたらオフィス内での感染か?

月曜の午後になり、およそ三十人の参加者が同じ症状で週末寝込んでいたというニュースがセシリアから飛び込んで来ました。暫定的な結論は、これが「ノロウィルス」と呼ばれる輩の仕業だというもの。感染経路は不明なものの、パーティーのためオフィスに集まった社員の約半数が犠牲となり、楽しかったはずのイベントの印象が暗く陰ることになったのでした。

日暮れ頃になり、急に思い出して携帯を取ります。

「ディック、実はあの後大変だったんだ。確証は無いけどノロウィルスにやられたっぽい。オフィスで罹ったみたいなんだ。君に感染ってないことを祈るよ。」

このテキストに、彼がすぐ返信。

“Me too. But if I did, does that make us blood brothers?”

「そうだね。でももし罹ってたら、俺たちブラッド・ブラザースってことになるよね?」

Blood brothers とは、「血の誓いを交わした友」とか「義兄弟」という意味。さすがディック、どんな状況でもジョークを忘れない男…。

更に彼が続けます。

“I guess it would be virus brothers, but that doesn’t have the same ring to it.”

「ウィルス・ブラザーズかも。だけど、」

までは分かったのですが、後半の意味がつかめません。

「それだと同じリングを持たないな。」

Same ring(同じリング)?指輪?輪っか?

ネットで調べたところ、この場合のリングはベルの音、響きのことらしい。う~ん、でもまだやっぱしワカラン。

どうにも気持ち悪いので、後日、別の同僚クリスティに解説してもらいました。

“That means it doesn’t sound the same (like two bells having the same pitch).”

「同じようには聞こえないってことよ(2つのベルの音色が一致するみたいには)。」

なるほど、つまりディックの言いたかったのはこういうことですね。

“I guess it would be virus brothers, but that doesn’t have the same ring to it.”

「ウィルス・ブラザーズかも。ちょっと違うか…。」

 

微妙な英語表現を巡って友人たちとやり取りをする、この懐かしい感じ…。

静かに喜びが溢れて来ました。

2021年11月20日土曜日

Mental Constipation メンタル・コンスティペーション

 


「正直に言うわね。本当は水曜の会議、出るには出られたんだけど、言い訳を作って欠席したの。」

電話の向こうでオレンジ支社のアリサが、ゆっくりと言葉を選びながら告白します。

「エレンとまともに会話出来るような心理状態じゃなかった、というのが真相。」

この数週間、アリサと週三回ペースで話し合ってきたのですが、限界が近いことは感じていました。だからこそ、水曜の電話会議は私が飛び入りで参加することを決めたのです。

「エレンの質問には一応答えておいたよ。分からないことは君と相談してから返事するって言っておいたけど。」

一年前、地元のガス会社をクライアントとする巨大プログラムのサポートを任されたアリサ。同時進行する複数のプロジェクトを社内のPMシステムにセットアップし、コストをトラッキングし、月次請求書や契約変更のドキュメントを整え、フォーキャストをアップデートし、と様々な業務を包括的に進めるのが彼女の仕事です。プログラム・マネジャーのピーターから厚い信頼を受けつつ、複数のPM達との密なコーディネーションを重ねて順調に飛ばして来たアリサですが、ここへ来て急ブレーキがかかります。

数ヶ月前にこのガス会社の新しいプロジェクトを担当することになったエレンが、アリサの仕事にダメ出しをして来たというのです。

「私が送るレポートを全部、シンスケやシャノンが使ってるフォーマットに変えろって言うの。内容は同じなのに、よ。とにかく、私が出すものにことごとくケチをつけるの。シャノンならこうしてたとか、シンスケならこういう見せ方をしてくれる、とか不満をぶつけて、私の能力を全否定して来るのよね。」

サンディエゴ支社所属のエレンは過去十年近く、私とシャノンとでサポートして来ました。生物学分野のエキスパートである彼女は、野生生物をこよなく愛する人物です(マウンテンライオンが南カリフォルニアで絶滅の危機に晒されている話を、苦痛に満ちた表情で語ってくれたこともありました)。しかしその一方で、思ったことをそのまま悪気なく口にするタイプでもあります。彼女と一度でも会って話せばすぐにそれと分かり、なあんだと笑ってしまえる程度の可愛らしい個性なのですが、電話とメールのみのコミュニケーションではそれが伝わりにくい。アリサはなんとかその要求に応えようと改善を試みるのですが、再三再四のぶっきら棒な批評に、個人攻撃を受けていると感じてしまったのですね。

昨日ふと気付いたのですが、私のプロジェクト・コントロール・チームは今や総勢二十名。度重なる組織改編の煽りを食い行き場を失った社員をよっしゃよっしゃと受け入れているうち、いつの間にかビッグダディ化していました。新しいメンバーはテキサス、コロラド、オレゴン、北カリフォルニアなどに広く散らばっています。地元サンディエゴのオフィスで面接して新人を採用していた頃には分からなかったのですが、こうして全く素性の分からない、しかもこれから一生会うことも無いであろう人達をメンバーに加えて行くというのは、なかなかのストレスです。

こういう「ヴァーチャル」部下が増える度、コミュニケーションに費やす時間も多めに要求されるため、本来打ち込むべき業務はサービス残業ゾーンにどんどん食い込んで行きます。さすがにこれは「(今流行りの)持続可能」どころの話じゃない。状況を打開しようと去年の今頃、私が新しい職務(PDL)を引き受けた際、チームを二つに分けシャノンとアリサをサブリーダーに立てることにしました。シャノンは私と十年近く同じオフィスで一緒にやって来た仲ですし、既に彼女が良く知っているメンバーを多数受け持つことになったので、さして不安はありませんでした。その一方でアリサは、比較的新しいメンバー。そんな彼女が更に顔も知らないメンバー達をリードすることになったため、負荷が急に増大したことは明白です。

シャノンを含めたサンディエゴのメンバー達には過去数年に渡り、財務分析の方法、エクセルのショートカットやデータのビジュアライゼーション(視覚化)などを、私が対面で丁寧に手ほどきして来ました。ところがアリサはそもそも総務職が長く、財務データの扱いに長けて来たわけではありません。プロジェクト・コントロールのチームに入ったのは、職種の統廃合で居場所を失ったからであり、いきなり「シンスケ達が提供するサービス」を要求されても、ハードルが高すぎます。しかしそれでも何とかエレンの期待に応えたい彼女は、私に個人レッスンを依頼して来ました。その心意気に感動して毎週特訓を重ねて来たのですが、対面でも一年以上かけて漸く身につくようなスキルが、そう簡単に会得出来る訳もありません。そうこうするうち、エレンのダメ出しでじわじわとメンタルが痛めつけられ、とうとうギブアップ状態に陥ったアリサ。

「あのさ、この数年で僕らに起こってることを冷静に考えたらさ、精神状態をまともなレベルに保つことすら至難の業だって気がするんだよね。」

と私。

Change is the only constant(変化こそ不変)とか言うじゃない。でもさ、現実はChange is exponential(変化は指数関数的)でしょ。AIの進化、業務の海外アウトソーシング、加速していく組織改編。気心知れた同僚とより、今や顔も知らない赤の他人と働く時間の方が圧倒的に多いじゃない。これまで体験したこともない未知のゾーンに深く突入してるっていうのに、僕らはいまだに、事がうまく運ばないのは自分が至らないせいだと感じちゃう。考えても考えても、打開策が見つからない。」

「そうなのよ。何とかしようともがけばもがくほど、深みにはまって行く感覚。」

と溜息まじりに呟くアリサ。

「実は僕もちょっと前まで、そんな状態に深くはまり込んでたんだ。体調は最悪。便秘がちでお腹にガスが溜まってさ。全身の皮膚はカサカサ。寝てる間に掻きむしって血だらけになった。で、主治医に言われたんだ。皮膚の状態は腸内の様子をそのまま映し出していると考えた方がいい。そして腸内の状態は食事とストレスとに左右される。食物繊維を多く摂ることを心がけ、同時にストレス源と向き合うべしってね。で、基本に還って、コントロールが及ぶ範囲だけに意識を集中することに決めた。自分の力で簡単に変えられないことにエネルギーを費やしても、成果が上がらないどころか逆に衝突を生んで事態が悪化する可能性が高い。更には、そのいざこざを解決するために頭を使わなきゃいけなくなる。課題は増える一方で、脳の回路は大渋滞。まさに、Mental Constipation(メンタル・コンスティペーション)だよ。」

「メンタルの便秘」というのは、咄嗟にでっち上げたフレーズ。こんな言葉が実際に存在するのかどうか不安でしたが、アリサには伝わったようでした。電話の向こうでクスリと笑います。

「で、まずは溜まったガスを逃してやらないといけない。」

さらにクスクス。

「そこで相談なんだけど、もしも君がエレンのための財務レポート作成に燃えていて何としても続けたいと思っているのでなければ、僕にそれ、譲ってもらえるかな。PDLの職を解かれて、時間が空いたんだ。しかもこのレポート作成、僕の大好きな仕事なんだよ。」

電話の向こうで、しばしの静寂。

「そうしてもらえるなら、本当に有り難いんだけど…。」

「引っかかってることがあるなら、何でも言ってみて。」

数秒の戸惑いを経て、アリサがこう答えます。

「あのレポートを作る能力が自分に無いことを認めてしまえば、Extinct(絶滅)の日が近いんじゃないかと不安になって。」

なるほどね。そう思うのも無理は無いな。

「あのね、チームで仕事することの価値は、それぞれの得意技を生かして全体として最大の成果を挙げることだと思うんだ。君には、無数の懸案事項を丹念に潰して行って大きなプログラムを堅実に進める能力がある。もしも財務分析が苦手なら、得意な人間に任せればいい。君はその成果を受けて、全体の最適解を導けばいいじゃない。財務分析みたいな数字扱いの仕事、五年後には大部分をAIに任せてる可能性が高いと思うよ。君が今やってることこそ、機械には出来ない分野なんじゃない?」

アリサの声に、明るさが戻ります。

「私の仕事の意義を認めてくれて、本当に有難う。シンスケがレポートを担当してくれるなら、私、やっていけそうな気がするわ。」

そこで思わず、調子に乗る私。

「ガス会社のプロジェクトでメンタル・コンスティペーションを起こしちゃったけど、これでちょっとガスをリリース出来そう?」

ガス会社とお腹のガスをかけた、英語の駄洒落。会心の一撃でした。果たしてアリサは、電話の向こうでふふふと口を閉じたまま笑います。私もムフフと笑い、笑い終わるとまだあっちで笑っていることに気づき、更に笑います。アリサの方も笑い終わった時、まだ私が笑っているのにつられ、また笑い始めます。これを三往復した後、漸く静寂。アリサが落ち着いた声で、こう言いました。

「ホントにやっとガスが出た感じよ。どうも有難う!」

 

2021年10月17日日曜日

No shit, Sherlock! 御名答!


金曜の夕刻、暖簾越しに懐かしい顔が現れました。私の姿を確認するや、ふわりと表情を和らげます。ドアを開けて頭を低くし、ゆっくり入店する金髪の巨人。そして真っ直ぐこちらへ歩みを進め、硬い握手を交わします。

近所のお気に入り店、EE NAMI Tonkatsu Izakaya(ええ波とんかつ居酒屋)で待ち合わせしたのは、元同僚のディック。夏の初めにランチ・ミーティングをして以来の対面です。四ヶ月のご無沙汰でしたが、着席と同時に会話をスタートさせました。まるで前回のリハーサルで中断していた新曲の練習を、一瞬の目配せだけで再開するボーカル・デュオのように。

二人共自宅からリモートワークを続けていること、仕事は大変だけど何とか凌げていること。ディックは最近同じ職場で二人の同僚が立て続けに亡くなり、精神的なダメージを受けていること。しかも知識労働市場の流動化が加速していることもあり、彼の周囲では転職熱が高まっている。新顔の彼が、既に人員の流出を食い止める側に立っている、などなど。

「息子くんはどうしてる?」

とこちらに話を振るディック。

「勉強、スポーツ、パーティー、とキャンパスライフを大いに楽しんでいるみたいだよ。」

と私。我が家の大学生は途方も無い楽天家であり、その自信過剰ぶりは悠々とK点超えしています。もはや「愚か者」ゾーンに着地しているかもしれないことに、当の本人が気付いていない。「全学年で僕のこと知らない奴はいない」とか、「水泳部の次期キャプテンには僕以上の適任者がいない」とか、ただ笑うしか無いお気楽発言を大真面目にかましてくる。

「あの年頃って、ホントそうなんだよな。」

とディック。サウスダコタの田舎町で、小学校から高校卒業まで学年トップの地位を守り抜いた彼は、州のエリートが集う工科大学に進むのですが、そこで生まれて初めての挫折を味わったそうです。

「俺、それまで一度も能動的に勉強したことが無かったんだ。予習復習してしっかり授業に集中するだけで、トップの成績が取れてたから。ところが大学じゃ、そのやり方が通用しない。どんなに頑張っても、対象を理解出来ない状態が延々と続くんだ。あれは恐怖だった。」

それでも何とかコツを掴み、最終的には優秀な成績で卒業したディックは、難関の大学院へ進みます。あの経験で余計に自信過剰が増長しちゃったな、と笑う巨漢。そして肩を怒らせ、スーパーヒーローみたいに両手の拳を固めて力みます。

“The world would bend if I flexed.”

「俺がちょいと筋肉膨らませりゃ世界の方で歪んでくれるってね。」

社会に出れば、どうしても越えられない障壁にぶつかる時が来る。その衝撃に備える意味でも、今は目一杯栄養を摂って心身を強化すべきだ。若い時期は、自尊心を傷つけるノイズなど不要である。

「ま、あまりにも膨らませ過ぎるとそれはそれで危険だけどな。」

とディック。おっと、それで思い出した。

「息子がさ、O Chem(オーケム)落としたって電話で言って来たことがあってさ。」

オーケムとはOrganic Chemistry(有機化学)のこと。落第点を避け、教科まるごと学期途中でドロップしたという息子。単位を落とすなどという屈辱的な決断をさらりと報告され、唖然とする私。理由を尋ねると、

「だって難しすぎるんだよ。赤点取って総合成績下げるよりましでしょ。」

はあ?なんだその被害者的開き直りは?難しいからこそ学ぶ価値があるんじゃないか!

「俺もオーケムには苦しんだよ。」

とディック。どうやらオーケムは、理科系でも最高難度グループに属する科目みたいです。

Mr. Sherlock(シャーロック先生)っていう生真面目な教授が教えてたんだけど、宿題もテストも常に膨大なんだ。しかも授業の進捗と試験範囲とがきっちりシンクロしてなかったりしてさ。ある時、及第点取れた学生が全体の16%しかいないという異常事態に陥った。」

その結果を発表した先生が、静まり返った学生たちを見回し、神妙な面持ちでこう言ったのだそうです。

「色々調べてみて分かったんだが、どうやら今のやり方だと君たちの大半がついて来れないようだね。」

すると教室の後ろの方から、誰かがこう叫んだのだと。

“No shit, Sherlock!”

「ノーシット、シャーロック!」

これには思わず笑った私ですが、探偵界のスーパーヒーローであるシャーロック・ホームズと担当教授の名前をかけた駄洒落、という点しか理解出来ませんでした。後で調べたところ、No shitというのは「正解、その通り」という意味であり、シャーロックを付け加えると、「さすが名探偵」という皮肉が足されるのだそうです。

“No shit, Sherlock!”

「御名答、さすが名探偵!」

教室中が爆笑したことはもちろん、先生も吹き出したそうで、ふざけた学生が咎められることは無かったとのこと。

さて、ヒレカツ定食は人生初だというディックに、ソースとマスタードを混ぜて味付けする方法を教えると、その美味しさにしきりに感心します。

Black Porkって何?」

とメニューを観ながら質問する彼に、日本では黒豚という品種の肉が珍重されており、特に美味であるイメージを多くの人が持っている、と説明します。

「外見が黒いばっかりに、可哀想になあ。」

と笑うディックに、さっき鑑賞を終えたばかりの映画の話をします。

ヴィゴ・モーテンセン主演のGreen Book(グリーン・ブック)は、1962年のアメリカを舞台にしたロード・ムービー。黒人差別という重いテーマが軸になってはいるものの、私が気に入ったのは、カルチャーも哲学も共通点ゼロの男たちが、何度も衝突しながら最終的に友情で結ばれる、というストーリー。

「気付いたんだけどさ、僕はこのロード・ムービーっていうジャンルに、特に惹かれるんだ。ミッドナイト・ラン、サンダーボルト、レインマン、などなど。分かり合うことなど到底出来そうもない二人が、色々あって一緒に旅路を進む羽目になる。仕方なく力を合わせて葛藤に立ち向かううち、心を開いて行く。そして違いを認めたままお互いを受け入れ、リスペクトを覚え、固い絆を結ぶ。人間関係の構築や継続がいかに困難かを日々味わっている観客に、熱いミラクルを見せてくれる。それも、信じることが出来そうなレベルのね。」

「うん、分かる。違いを認めたまま受け入れる、というところが大事だよな。」

とディック。我社で昨今横行している、過去に会ったこともこれから会うことも無いであろう人達とチームを組み、難しい仕事を進めて行く、というやり方。東海岸のリーダーが西海岸のチームに、フィリピンやルーマニアの社員を使ってプロジェクトを進行せよ、と指示を出す。ビデオ会議でも顔を出さず、お互いの名前をどう発音するのかも分からぬまま。こんな手法で上手く行くわけがないことは、ロード・ムービーを三本ほど観れば誰でも気が付くでしょう。信頼関係を築くには、長い時間をかけて衝突や和解を繰り返す必要があるのだから。

思い返せば、ディックと私は過去十年に渡り、何百時間も会話を重ねて来ました。苦楽を共にした仲間、と言っても過言ではありません。彼が突然姿を消し、一ヶ月以上も復帰して来なかった時は随分気を揉んだものでした。ストレスが蓄積して追い詰められていたところに盲腸が破裂し、長期間の自宅療養を余儀なくされた後、まるで二十代に戻ったかのようにリフレッシュして職場に現れた彼。

「いやあ、あん時は本当にほっとしたぜ!」

と、ヒレカツを頬張りながら笑う私。すると突然ディックが箸を起き、静かな口調でこう言ったのでした。

“Thank you for always being there for me.”

「いつも味方でいてくれて有難うな。」

ふと見ると、彼の両目が赤くなっています。おいおいやめろよ、そんなあらたまって!

「そうだ、久しぶりに英語の質問があるんだけど。」

と話を変える私。

「名詞から始まる映画のタイトルがあるでしょ。その中に、Theが付くものとそうで無いものがあるじゃない。例えば、ターミネーターの最初のバージョンはThe Terminator なのに、続編はTerminator 2なんだよ。サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music)はTheで始まってる一方で、アバター(Avatar)のように、無冠詞で押しているものもある。この違いは何?印象に差異は出るの?」

これにはぐっと詰まってしまうディック。

「いい質問だなあ。はっきりした答えは出せそうに無いよ。考えたことも無かった。アメリカ人の99%は、ターミネーターにTheが付いてたかどうか聞いても答えられないと思うな。もちろん定冠詞の目的は対象の特定や強調だけど、果たしてその効果が映画の印象に影響してるかどうか疑わしいよ。」

それから、何かを思い出してクスリと笑います。

「オハイオ州立大学にはThe が付いてるって知ってた?」

全米に大学は何百とあるけれど、名前にTheが付いている大学はここくらいじゃないか、とディック。

「あそこの卒業生に、Ohio State Universityの出身なんだって?って聞いてごらん。十中八九、”The” Ohio State Universityだよって言い直されるから。」

またしても、英語という言語のいい加減さを物語るエピソードでした。

食事を終え、ディックを自宅へ招きます。我が家は水曜から妻が里帰りしており、久しぶりの独居生活。ダークローストのコーヒー豆を挽き、ドリップしてもてなす私。

「水曜から今日まで有給休暇を取って、五連休にしたんだ。」

この三日間、好きな時間に起きてひたすらボーッとし、好きな本や映画を楽しみ、ギターを奏でたり、食べたい物を料理して来た私。

「過去十ヶ月間戦ってきたストレスフルな環境から抜け出して、オールリセットするのがこの連休の目的だったんだ。とにかく好きなことばかりしてやろうってね。その仕上げが、会いたい人に会って楽しく喋る、という今日の企画。」

マグカップの取っ手に差し入れた二本の指をじっと見つめてから、満足げに頷くディック。

「そう言えばずっと前に、古い白黒作品の話をしてくれただろ。あれ、なんてタイトルだっけ?」

Summer with Monika(邦題「不良少女モニカ」)のこと?」

「あ、それそれ。そのうち観たいと思いながらも、なかなか決心がつかないんだ。」

だいぶ前にこの映画の話をした際、ディックの最初の結婚が失敗に終わった話を聞きました。どうやらあらすじがこの時の彼の経験と重なっていそうなので、古傷を刺激するのもちょっとね、というところで落ち着いたのです。

「人生で色んな挫折を経験して来たけどさ、そのたびに何とか乗り越えて来た。そしてそれをパワーにして来たとさえ思う。それなのに、離婚の記憶と向き合うことにはまだ躊躇してる。なんでだろうな。」

高校時代のクラスメート。別々の大学に通いながらも関係を続け、もう待てないと訴える彼女の要求を受け入れ、卒業と同時にゴールイン。三年間の大学院時代、毎日二十時間近く勉学に集中しつつ、ありきたりの新婚生活が出来ない状況で何とか関係を維持しようとするも、根本的な価値観の違いが次々に露呈。過保護な父親のおかげで困難な挑戦から逃げるのが常の彼女と、努力して目標を達成する主義のディック。結婚直後から、離婚は頭にちらついていた。それでも迷い続けたのは、「どんな問題でも必死に頑張れば解決出来る」という信念にとらわれていたから。

親しい誰かに相談は出来なかったの?と尋ねる私。

「親父に話してみたよ。だけど彼はそもそも俺の思想の教祖みたいなもんだからね。努力が足りないって思いが強まっただけだった。結局、余計に自分を責めることになった。」

弛まぬ努力により問題解決を重ねて来た者は、そのテクニックを人間関係にも応用出来ると思いがちです。でも、そもそも育った環境や信仰の異なる二人の人間が分かり合えること自体、奇跡だと思う私。

「そっか、ミラクルか。」

と考え込むディック。

「そう思うよ。人間関係ばっかりは、どんなに努力したところで改善には限度がある。皆それぞれ違う方向に違うスピードで成長してるんだしさ。だから、数ヶ月とか数年に渡って誰かと良い関係が築けてる時は、その幸運にとにかく感謝するのみだな、僕は。」

「そのアドバイス、あの頃に聞きたかったぜ。」

とディック。

「でもさ、こういうことって、すごく苦しんだ末に漸く自分なりの答えを出せるってもんじゃない?回答がストレートであればあるほど、見つかりにくい気がするな。」

と私。

「僕はこの数ヶ月間、ずっと苦しんでた。物事がうまく行かないのは、自分の努力が足りないからだと思いこんでたんだ。もっと頑張んなきゃってね。振り返ってみると、問題の大半は人間関係絡みで、とても一筋縄じゃいかない。長いこともがいたけど、諦めることにした。自分はスーパーヒーローじゃないって潔く認めて、戦うのを止めたんだよ。そしたらさ、急に周りがクリアに見え出した。自分が影響を及ぼせる範囲だけに意識を集中してコツコツ努力を続けることにしたんだ。そしたら、なんだか懐かしい喜びが蘇って来てさ。本当に久しぶりに、暗い地下室から抜け出せた気がするよ。」

この独白に近い私の話を静かに頷きながら聞いていたディックが、少し間を置いてこう言いました。

「ひとつだけ、同意出来ないことがある。」

え?何?と続きを待つ私。ニヤリと笑うディック。

“You are a superhero to me.”

「君は俺にとってのスーパーヒーローだよ。」