2016年7月16日土曜日

Frame of Reference 比較の対象

先日のランチタイム、ベトナム生まれの部下カンチーと、「今どれだけ幸せか」という話になりました。十代で渡米し、英語力ゼロの段階から死にもの狂いの努力を重ねて大学を出た彼女は、若くしてしなやかな強靭さを身に着けました。滅多なことではへこたれない。私も日本で高ストレス下の激務を乗り越えて来たお蔭で、アメリカで時に体験する逆境にも、大した痛痒を感じません。長時間労働や突然の残業も、故川上哲治氏の言う「球が止まって見える」レベル。

「正直なところ、オープン・オフィスじゃ気が散って仕事にならないとかっていう不満を聞く度に、贅沢だなあって思うんだよね。職があるだけで幸せじゃんって。」

大きく頷いて同意するカンチー。アメリカで生まれ育った同僚達とは出来事の受け止め方が全く違うという点が、我々二人の共通項なのですね。

最近ハマっているポドキャスト「Invisibilia」で、ホロコーストを生き抜いたおばあちゃんから、

「何を文句言ってんの?あんたはランプシェードじゃないでしょ。」

とたしなめられるポーランド系女性のエピソードが紹介されていました。アウシュビッツで大量虐殺されたユダヤ人の皮膚を材料にランプシェードが作られたというおぞましい歴史が元らしいのですが、そんな例を持ち出されちゃったら滅多なことじゃ愚痴をこぼせなくなります。不平不満のハードルが、世界陸上決勝の棒高跳びレベルにセットされているのですから。

この回のポドキャストのタイトルは、

Frame of Reference (フレーム・オブ・レファレンス)。

幸福感というのはその人の持つフレーム・オブ・レファレンス次第でどうにでも変化する、という文脈で使われるフレーズですが、なかなかピッタリした日本語訳に出会えません。ネットで紹介されているのも、「基準系」とか「見解」みたいに、いまいちしっくり来ない訳ばかり。ざっくり言えば「参考とする枠組み」という意味で、今回のエピソードに限って言えば、「比較の対象」ということでしょう。

「おばあちゃん、比較の対象(Frame of Reference)が極端過ぎるわよ!」

って感じ。

さて、今週はホノルル出張がありました。下水処理場拡張プロジェクトのマネジメント・チームから、スケジュールの作成を頼まれたのです。行き帰りを挟み、中二日の日程。上下水道部門のトップであるレイから、

「滞在中のランチタイムにPMトレーニングもお願い出来る?支社の社員たちを集めるから。」

という依頼があったので、水曜日に「アーンド・バリュー・マネジメント」を、木曜日に「マイクロソフト・プロジェクトを使ったCPMスケジューリング」を教えました。どちらの回も、会議室が40人を超える出席者で一杯になりました。

ホノルル支社の人たちはみな親切で、概ね幸せそう。男性の大半が、アロハシャツで働いています。地元出身じゃない社員の多くは、

「ハワイに住むのはずっと昔からの憧れだったから、夢が叶って幸せ!」

と満面の笑み。青い空に青い海。そして椰子の木。パラダイスを絵に描いたような場所ですから、これは納得です。

アメリカで長いこと働いている私ですが、仕事でハワイに行くなんて滅多に無い機会。この際だから観光もしちゃおう、と密かに企んでいたのですが、残念ながら実現できませんでした。ここ暫くプロポーザル作業に忙殺され、更にPMトレーニングのためのスライド作りも重なったため、出張前の三週間は週末もほぼぶっ通しで働きました。その結果、運動不足と過労がたたり、暫くなりを潜めていた腰痛が再発。唸り声を押し殺して飛行機の座席から立ち上がるのがやっと、という体調で出張をスタートしたため、とてもじゃないけどワイキキ観光の気分にはなれなかったのです。しかもハワイ時間の深夜2時には東海岸の同僚達が出勤して来るので、ホテルの部屋で早朝から対応に追われます。そんなわけで、夜7時には睡魔に襲われてあっけなく就寝。本当に、ほぼ仕事だけのホノルル滞在だったのです。

それでも二日目の夕方、なんとか気力を振り絞ってビーチに出ました。砂浜で人々がくつろぎ、桟橋の先には観光船の船着き場が見えます。椰子の木陰で、絵に描いたような「ハワイなう」な写真を撮り、妻にテキスト・メッセージを送信。数時間後に電話を入れたところ、待ち構えていたように彼女が笑います。

「写真見て、思わず何て叫んだか分かる?」

「てめえこの野郎!かな?」

「そんなこと言うわけないじゃない!」

「じゃ、何て言ったの?」

「ふざけんな!よ。」

「おんなじじゃん。」

私の留守中ハイ・ストレス状態で仕事していた彼女には、こんな写真、目の毒でしかなかったようです。私がホノルルで遊び呆けているわけじゃないことを丁寧に説明し、何とか分かってもらいました。

さてその日の午後は、副PMのアンが私を現場視察に連れて行ってくれました。彼女はシアトル出身で、二年前にハワイ移住を果たしたそうです。今住んでいる家からは歩いてビーチに行けるのだとか。

「毎日のようにスノーケリングを楽しんでるのよ。」

ううむ。それはお気楽なライフスタイルだねえ。

二人でヘルメットを被り、巨大な汚水処理タンクや沈殿槽が立ち並ぶ敷地を歩き回っていたら、彼女が何度も同じ単語を使ってある方向を指さしているのに気付きました。その指の先には、高さ5メートルくらいの青々とした木々の下、トタン板風の安っぽい材料で作られた小屋がいくつも軒を連ねています。

「え?なんて言ったの?」

と尋ねる私に、

Halfway House(ハーフウェイ・ハウス)よ。」

と答えるアン。

「アル中や薬物中毒者が社会復帰を果たすために、一定期間過ごす施設ね。」

ハーフウェイだから「道半ば」、ですね。つまり社会に戻る前の家、「社会復帰施設」という意味でしょう。

「え?こんなところで人が暮らしてるの?」

臭気処理をしているとは言え、トイレの排水が広域から集まる場所です。エリア一帯に、常に微かな汚物臭が漂っています。

「処理場敷地内なら借地料が発生しないから、ここに作られたんだと思うわ。」

「へ~え、なるほど。そうなんだぁ。」

アイディアに感心しつつも、微妙な違和感を覚えていた私。

景色を眺めているだけで気分がハイになるような楽園に暮らしながらも、更にハイになろうと薬物に手を出す人がいる、という事実に驚嘆していたのです。心の中で、姿の見えないハーフウェイ・ハウスの住民たちに語り掛けていました。

「君達のフレーム・オブ・レファレンスは、いくらなんでも欲深すぎるぞ!」


2016年7月10日日曜日

UGLY ブサイク

二週間前、これまで新居の裏庭でつつましく楽しんでいた家庭菜園が、地中で暮らすGopher(ホリネズミ)に根っこを食い尽くされて壊滅しました。好きな時にもぎたてのキュウリやプチトマトやネギを食べられる生活が終わりを告げ、家族全員でがっかりしていたのですが、姿の見えないこの敵は攻撃の手を緩める様子もなく、いつの間にか裏庭全体が広範囲に渡って穴だらけにされてしまいました。朝起きて庭に目をやる度に、その被害の拡がりに嘆息の毎日。

先日、まだ夜も明けきらず遠くの空が微かに白み始めた頃、サンダルをつっかけて庭に出た途端、足がすくみました。十メートルほど先のフェンス際、薄暗がりの中を何か灰色の動物がゆっくりと横切っているのです。遂にゴーファーとご対面か?それとも野良猫か?と目を凝らしましたが、体長が40センチほどもあり、左右に揺れながらトコトコ進む様子から見て、これは絶対違うと分かりました。段々と目が馴れ、その異様な造形がついに鮮明なイメージに変わった瞬間、全身トリハダに覆われる私。毛の生えていない肌色の長い尻尾、鼻先の尖った白い顔。奴はこちらの凝視を気にする様子も無く、庭の隅に立ててある物置小屋の床下へよたよたと消えて行きました。

おいおい、ゴーファーの次は何だよ?ここは普通の住宅地じゃなかったのかよ!

部屋に戻って暫くネットで検索した結果、これはオポッサム(Opossum)だと特定出来ました(北米では「ポッサム(Possum)」と呼ぶのが通例みたい)。昔ちょっと調べた時は可愛い小動物という印象だったんだけど、画像を閲覧してみてその怪物ぶりに肝が冷えました。口を開けて威嚇する姿なんかは、かなりグロテスクです。

出勤してさっそく同僚ジョナサンに今朝の遭遇について話したところ、

“They’re ugly!”
「あいつらアグリーだよな!」

という第一声。

「奴等、虫やら土に落ちた木の実を食べて暮らしてるんだ。こっちが攻撃しない限り友好的だけど、追い詰めると牙をむいて唸り声をあげるんだよ。そういう意味では害獣という枠にはめるのが難しい動物だけど、とにかく見た目が醜いってことで人に疎まれてるね。」

更にジョナサンは、英語表現情報を追加してくれました。

Play Possum(死んだふりをする)っていうイディオムがあるんだけど、奴等の得意芸が死んだふりなんだ。」

「うん、ネットで見たよ。死んだふりをしてるポッサムもやっぱりアグリーだった。」

「そうだろ!普通は愛らしくなるところなのに!何やったってアグリーなんだよな、あいつらは。」

十時になって別の同僚ディックと打合せをした際も、この話をしてみました。彼も間髪入れず、「ありゃアグリーだ!」と返します。ポッサムと言えばアグリー。これはもう、「キムタクと言えばちょっ待てよ!」くらいの一般常識みたいです。

「うん、確かに見た目がひどく不格好で気持ち悪かった。でもさ、容姿の醜さだけでそこまで邪険にされるのは、いくらなんでも可哀想じゃない?」

と私。

「世の中そういうもんでしょ!」

とクールに言い放つディック。それからちょっとクスクス笑った後、いきなり歌い出しました。

「ユー、ジー、エル、ワイ(U.G.L.Y.)!」

両手に何か持って振り回すような格好で、こんな言葉をリズムに乗せて唱え始めたのです。

“You ain’t got no alibi, you’re ugly! You’re ugly!”
「あんたにアリバイは無いわ。あんたはアグリー!あんたはアグリー!」

なんなのそれ?と尋ねる私に、

「チアリーダーが敵チームに対して歌う曲だよ。」

と笑うディック。なるほど。とすると、この場合のアグリーは「ブサイク」くらいのニュアンスでしょう。

「敵チームに対する一番破壊的なフレーズがブサイクってことだね。チアリーダーってのは学校でトップクラスのイケてる女子にしか許されないステータスで、言ってみれば美しさを武器にした集団なんだよ。もちろんアクロバット技術も大事だけど、容姿の良さが絶対条件。だからチアリーダーになれない女子たちを見下す傾向がある。外見の美醜を口にすること自体が問題とされるご時世なのに、チアリーディングの世界ではその差別が許されてるんだよ、不思議なことに。」

「そういえば、GLEE(グリー)ってテレビドラマにも高校生のチアリーダーが出て来るんだけど、チームに入れない女子たちをあからさまに見下してたよ。その美女たち、ドキッとするくらいセクシーな衣装で、これ見よがしにナイスボディーをくねらせて踊るんだよね。それはもう、ほとんどストリップ・ダンス。高校生がだよ!親はどういう気持ちで見てるのかなあ、と首を傾げたよ。」

「俺はベロニカが高校でチアリーディングやりたいって言っても、絶対反対するね。」

ディックにはまだ幼稚園生の娘がいるのです。

「そのためなら、他の女子高生たちの妖艶な踊りを見る楽しみも喜んで放棄するよ。」

社会がどう規制しようとも、人間の本能が「美しいもの醜いもの」を見極めるようになっている以上、これは絶対無くならない。生まれつき美しい者が常に良い目を見て、醜く生まれれば低く見られる、という状況は続くのだなあ、という結論になりかけた時、ディックが急に困り顔になりました。

「ワイフがさ、最近ベビーシッターを勝手に雇ったんだ。まいっちゃうよ。」

彼のところは双子ちゃんがいて、奥さんはパートタイムで働いているので、シッターの手を借りたいのは当然でしょう。何がまいるのか尋ねると、

「それが17歳の女子高生なんだよ。すごく素直な良い子なんだけど、めちゃくちゃ魅力的(extremely attractive)なんだ。抜群のスタイルに、ぴちっとしたTシャツ着てね。ホットパンツからケツがはみ出してるんだぜ!」

「え~?いいじゃん!」

思わず正直に反応する私。

「全然良くないだろ!一体何やってんだ!ってワイフに詰め寄ったよ。」

真剣に困惑顔を保つディック。

「自宅の正面にフェラーリが停まってたらどうする?絶対見ちゃうだろ。車ならそれでいいよ。でも美人女子高生をじろじろ見たらどうなる?絶対おかしなことになるだろうが。いやらしい目で見られた、なんて親や警察に話されでもしたら一巻の終わりだぞ。」

「なるほど。チラ見一発でセックスオフェンダー・リスト入りってことか。」

「そんなもんに家の中をうろうろされたら本当に迷惑だよ。何とか辞めさせたいんだ。」

美しさが仇になって職を失う、か…。皮肉なこともあるんだなあ。

ディックとの打ち合わせが終わり、ランチルームで生物学チームの同僚エリックと会いました。今朝のポッサム遭遇話を始めたところ、すかさず例の、

“They’re ugly!”
「ブサイクだよね!」

が返って来ました。ひどいよね、みんなで寄ってたかってブサイクってけなしてさ、とやや同情的になる私。

「前に住んでた家が谷に面しててね、隣の家の庭にはしょっちゅうポッサムが来てたんだ。」

とエリック。

「そこの住人は猫を飼ってて、いつも器を餌で山盛りにして庭に放置しておくんだ。夕方になると、残飯を狙って動物が集まって来るんだな。大抵は可愛らしいアライグマが真っ先に到着して餌にありつくんだけど、その後よたよたとやってくるのがアグリーなポッサム。不思議なことに、アライグマは威嚇することもなく、脇によけてポッサムに半分譲るんだ。仲良く山分けしてる姿は微笑ましいくらいだったよ。」

「ブサイクな奴に対する温情なのかな。」

醜い外見が役に立ったのだとすれば、世の中って捨てたもんじゃないな、とホンワカしかけた時、エリックがこう付け足しました。

「ところが、そのアライグマとポッサムが揃って後ずさりして、餌をまるまる譲るような動物が時々現れるんだ。何だと思う?」

「鷹かな?それともコヨーテ?」

エリックがニヤリとして言いました。

「いや、スカンク。」

可愛い奴もブサイクな奴も、体臭のキツイ浮浪者の登場にたまらず退散ってところでしょう。

世界は、思ったよりうまく出来ているみたいです。


2016年7月2日土曜日

The beatings will continue until morale improves. 幸せですと言うまでイジメ抜くぞ。

先週のある日、暫く顔を見ていなかったマリアが私の席にやって来て、挨拶もそこそこに、

“I can’t believe this.”
「信じられないんだけど」

と告白。

「エドの誕生日、すっかり忘れてたのよ!」

十年前までは私の、それから今日までずっとマリアの上司であるエドが、先月60歳になっていたというのです。バースデーランチの企画を失念したまま一カ月経っちゃって気まずいんだけど、とにかく集まろう、という話にまとまりました。我々は過去十年、仲間内の誕生日を祝うために欠かさずランチに出かけていたのです。あろうことか、我らがエドの大事なマイルストーンをすっ飛ばしてしまうなんて!

水曜日、数年前に「ランチクラブ」会員になったリチャードも加え、四人で近所のレストランへ。会社が吸収・合併を繰り返してグローバル企業に変質して行く中、大勢の仲間が去って行きました。そんな中、この四人はしぶとく生き残っています。

「さっきのウェブキャスト、見た?」

と私が話題を振ります。11時、アメリカ地域のトップであるF氏がウェブを使って国内の社員数千人に話しかける、というイベントがあり、大ボスのテリーをはじめとする支社の社員がランチスペースに集まったのです。大型スクリーンに映し出されたF氏が取り上げたのは、春に行った全社意識調査の結果でした。社員の士気が著しく下がっているという分析結果を語った後、

「我々はこれを重く受け止め、既にタスクフォースを組織している。今後一カ月でアクションプランを練る予定だ。七月の終わりには皆さんに方針をお話し出来ると思う。」

と、大きなジェスチャーを交えてややドラマチックに話しました。

「相変わらずって感じよね。これまでも、そういうのを繰り返して来たじゃない。」

とマリア。過去数年、上層部が毎年のように入れ替わり、その度に経営改善の秘策があるかのように振る舞って皆を鼓舞しては消えて行きました。上場企業の宿命ではあるのですが、コストカットを推進すると社員が根を上げて辞めて行き、エグゼクティブ達が「モラル(士気)を改善しなければ」と対応に追われるのですね。

この十年、会社がサポート系(ITや経理)の人材を大量解雇してインドやメキシコなどにアウトソースした結果、サービスの質がガタ落ちし、稼ぎ頭であるPM達の負担が増大しました。ちょっとしたソフトの不具合など、昔ならオフィスに常駐するIT専門家が飛んで来て五分で解消してくれたのに、今では一時間以上も電話をたらい回しにされた挙句、なまった英語の外国人が曖昧に解決する、という始末。会話を終えた途端に自動でアンケートが送られて来て、サービスのクオリティを尋ねて来るのですが、こんなもんに使う時間は残ってねえぞ!と苛立ちます。

「貴重な人材の流出を食い止めるため、モラルを向上させなければいけない。」

というのが上層部の決まり文句ですが、具体的に有効な策を打ち出せた試しがありません。あるとすれば、昔みたいに金を使ってサポート・サービスを充実することですが、誰もそんなことは言いません。聞こえるのは、「対話集会を開く」とか「業績に見合ったボーナス制度を作る」とか、ほとんどコストのかからない話ばかり。社員の忙しさは加速する一方です。そのうち「一向に状況が改善しないじゃないか」と責任を問われ、会社を追われて行くエグゼクティブ達。そういう茶番を冷めた目で眺めて来た我々に出来ることは、上層部の話に一喜一憂しない、ということくらい。

「こういう経営スタイルを何て表現するか知ってるか?」

とエドが笑います。

“The beatings will continue until morale improves.”

これはよく聞く言い回しです。直訳すれば、

「懲罰を続けるぞ、士気が改善するまでは。」

ですが、簡単に言えば

「幸せですと言うまでイジメ抜くぞ。」

という意味。う~ん、あまりにもハマり過ぎてて笑えないぞ…。

さて、我らがエグゼクティブのF氏はウェブキャストの終盤、

「改善点は三点あります。」

と、一つずつ丁寧に解説して行きました。そして、

「三つ目は、ITサービスの改善です。我々は…。」

と、彼が大きな身振りとともに口を開けた途端、映像と音声がフリーズしたのです。それから十数秒、このトラブルは解決されることなく、会場の皆が半笑いでF氏の静止画像を眺め続けました。そしてようやく画面が動いたと思ったら、放送内容はすっかり終了していたようで、

「これでウェブキャストを終わります」

というコーディネーターの音声が流れました。一同爆笑。

“This is pretty ironic!”
「かなり皮肉なことになっちゃったわね!」

と、大ボスのテリーがコメントして更に笑いを誘ったのでした。


2016年6月26日日曜日

BYOD ビーワイオーディー

数カ月前に採用した女性社員のカンチーは、ベトナム生まれのアメリカ育ち。大学を出てからわずか数年なので、下手したら自分の子供でもおかしくない年齢です。うちの息子が何事にもちゃらんぽらんなのと対照的に、常に気を張って生きている感じの彼女。打合せ中は真剣な面持ちでメモを取り、席に戻って時々読み返しては頭に沁み込ませようとする姿をよく目にします。はす向かいのデスクでパソコンに向かう彼女に声をちょっとかけると、手を止めて素早く立ち上がり、私の横まで歩いて来てさっとメモ帳を拡げます。

彼女の年齢の頃はバブル景気に浮かれ、テニスだ飲み会だ、と仕事そっちのけで遊んでいた私。日中あまりにも眠いので、休憩室で仮眠することもしょっちゅうでした。業務中の私語は普通で、同僚や先輩との会話の大半は無駄話。社員旅行先の温泉旅館に呼ぶコンパニオンの手配にも、職場の電話を平然と使っていました。「少し年増の女も混ぜといてくれよ」と、横で課長が注文したりして…。大らかな時代だったのですね。そんな私の目に、カンチーの真面目さは驚異です。あまりに真っ直ぐで、逆に心配にもさせられます。仕事と遊びの境界を少し曖昧にしておくことも、心の健康のためには大事なことなんじゃないか、とちょっぴり思う私。最近はセクハラだ何だでがんじがらめになって、冗談のひとつも言えません。そんな職場が健全だとも思えないのです。

ちょっと前のある日、彼女が携帯プロバイダーらしき相手と電話で何やら言い争っているのを耳にしたので、こんな質問をしてみました。

BYOD(ビーワイオーディー)知ってる?」

BYODとは、Bring Your Own Deviceの略で、直訳は「自分のデバイス(携帯端末)を会社に持ってくる」という意味。意訳すると、「個人保有端末の業務上使用」って感じでしょうか。要は、個人のスマホを仕事で使うことを会社がサポートするプログラムです。業務のメールや電話を社員の私用スマホから出来るようにし、会社が一定額の費用払い戻しをする。社員は二台の端末を持ち歩かなくて済む上に、会社もコストを抑えられる。しかしその代償に、個人の携帯番号は社内で公開されてしまうし、企業機密が個人端末を通して社外に漏れる危険性も高まる。

発表当初は、「公私の境界がこんなに曖昧な制度をスタートしちゃっていいのかよ?」という声が大半でした。個人情報を拡散したくないから、と頑なに参加を拒む人も多数。それが今では、まるで当たり前のこととして受け入れられている。

「何ですかそれ?初耳です。」

というカンチーに、

「個人の携帯番号を社内で公開することさえ気にしなければ、会社から払い戻しが来るんだ、これは美味しいでしょ。」

とお気楽な説明をする私。暫く悩んだ末、彼女は意を決して総務のヘザーを訪ね、書類にサインしました。

ところが一昨日、大ボスのテリーから、この件についての質問メールが届きました。

「この制度は、一日の大半を社外で過ごすようなタイプの仕事をしている人のためにあるのよ。どうして彼女にこれが必要なの?」

え?そんな条件あったっけ?急いでイントラネットを検索したところ、どうやら最近付け加えられた条項みたいです。発足当初は無条件で一斉適用しておいて、一旦制度が広まったら更なるコストカットのために条件を厳しくする、というやり口か。会社もなかなか賢いじゃないの…。

「それは知りませんでした。却下して下さい。彼女には話しておきます。」

とあっさり引き下がる私。カンチーの横にいって書類棚に腰を下しました。

“I have bad news.”
「悪いニュースがあるんだ。」

そう真顔で告げる私を見て、急激に硬直する彼女。そのあからさまなうろたえ方が面白かったので、思わず必要以上に間を取って顔色の変化を窺います。

“Please don’t cry.”
「泣き出さないでほしい。」

わざとドラマチックにトーンを落とし、更に間を取りました。激しく動揺する彼女の隣の席で、ただならぬ様子に気付いたシャノンが、何事かとこちらを振り向きます。

「大丈夫です。何ですか?ちゃんと言ってください。」

顔を紅潮させつつも、どんなに恐ろしい宣告でもしっかり受け止める覚悟を決めた様子のカンチー。

「ビーワイオーディーが却下されちゃったんだよ。そもそもオフィスワーカーには応募資格が無かったんだってさ。」

と明るく告げる私に、更に顔を赤くした彼女が言いました。

“Oh, you scared me!”
「もう、ビビったじゃないですか!」

解雇宣告みたいに深刻なニュースを想像していたであろう彼女は、大きく息を吸って安堵します。あっはっは、と笑う私に、向こうからシャノンが笑顔で、

“Shinsuke does that!”
「こういうことするのよ、シンスケは!」


年齢の近いシャノンはちゃんと分かってくれているのですが、このおふざけが若いカンチーに好意的に受け取られたかどうかは謎です。人事に訴えられませんように…。

2016年6月19日日曜日

Big Kahuna 大物

南カリフォルニアとハワイ地区を統括するP氏が、Town Hall Meeting(タウンホール・ミーティング)のためにサンディエゴ支社を訪れました。就任から数カ月経って引き継ぎも終わり、いよいよ支社巡りを開始したようなのです。タウンホール・ミーティングとは、要職にある人物が大勢の人と対話するための集会。ランチタイムに150人ほどの社員を大会議室に集め、前四半期の業績と今後の展望などについて話します。三月に行った就任挨拶のカンファレンスコールでは、軍服姿が目に浮かぶような高圧的口調でした。しかし実際会ってみると、普通に身なりの良い、物腰柔らかな紳士です。ノーネクタイの純白シャツ、見る角度によって光る場所が変わるシルク混じりっぽい紺ジャケット。眼光こそ鋭いものの、演説の端々に軽いジョークを絡ませるなどして、集会は終始和やかに進みました。

「昨年までテキサスの建設会社でCEOを務めていました。しかし皆さんが働くこの会社の目覚ましい成長を知り、自分がキャリアの終盤を過ごすのはここしかない、と転職を決意したのです。」

更なるステップアップのためにCEO職を捨てるのか。しかも他州に引っ越してまで。よっぽど上昇志向が強いんだなあ…。彼はしきりに、我が社がどれほど強大で競合他社の脅威になっているかを繰り返します。特にカリフォルニアにおける環境分野の業績は群を抜いているらしく、こんな表現を使いました。

“We are the biggest kahuna in the environment business.”
「我々は環境部門では一番のビッグ・カフーナだ。」

Big kahunaというのはよく使われる表現で、先日同僚ディックに解説をお願いしたところ、ハワイの波の神であるカフーナが語源で、「ビッグ・カフーナ」は「大物」という意味だそうです。

“We are the biggest kahuna in the environment business.”
「我々は環境部門では一番の大物なんだ。」

辞めて行った社員の多くは、会社が大きくなりすぎて自分の存在がどんどん小さく思えて来る、という心情を吐露していました。P氏はこれと真逆のメンタリティーを持っているのですね。

三時からは、Coffee with Managers(マネジャー達とコーヒーを)と題した別のミーティングがあり、12名ほどの社員が中会議室に集められてP氏と対面しました。誰がどう選んだのか、メンバーには部下のシャノンと私が含まれています。P氏はまず、出席者の在籍年数や専門分野を尋ねました。次に、普段不満に思っている点、改善したい点などを順番に話させ、しきりにメモしています。

ITサポートの質が落ちています。一般的なサービスはともかく、専門分野のソフトウェアなどについては問題解決に異常に時間がかかります。」

「プリンターをキャノンからゼロックスに替えてからというもの、印刷物の質が落ちています。コスト削減のために品質を犠牲にした良い例だと思います。」

「オープン・オフィスが嫌だと言って辞めて行った社員が結構います。個室オフィスを撤廃することで、優秀な人材を確保しにくくなった点は否めないと思います。」

この話題には沢山の出席者が食いつきました。しかも揃ってネガティブな意見。部下たちと世間話を楽しめるオープンな環境をいたく気に入っている私は、思わず割って入りました。

「職種によると思いますよ。プロジェクト・コントロールのようなサポート職は、人が質問しやすい環境に身を置いた方が仕事しやすいですが、エンジニアのように長時間の精神集中を要求される職種には試練ですよね。」

私の目を見て、満足げに頷くP氏。

「お楽しみ企画やボランティア活動に、めっきり人が集まらなくなりました。社員同士のつながりが希薄になっている気がします。」

こう発言したリタは、日頃から率先して勤務時間外のイベントに参加するタイプ。確かに振り返ってみれば、私自身も最近は、多忙にかまけて食事会企画などが出来ずにいます。いいポイントついてるじゃないか、リタ…。この後、彼女の発言を引き継ぐ形でシャノンが言いました。

「効率追求が行き過ぎて、みんな忙しさが極まっているんだと思います。私も毎日夕方になるともうヘトヘトで、余力が全然残っていません。何か楽しい行事に誘われても断るしかないんです。忙しさの原因の一つは、ランチタイムに開かれるトレーニングやミーティングの増加です。社員の稼働率を落とすなというプレッシャーが強すぎて、プロジェクトに時間をチャージ出来ないような集まりは、最近みんなランチタイムに開かれるんです。一週間の昼休みが全部仕事で埋まってしまうことも珍しくありません。そもそもお昼休みは休むためにあるのに、全然休めないんです。」

じっと聞いていたP氏が、皮肉な微笑みを浮かべながらこう返します。

「私もついさっき、みなさんのランチタイムを奪ったばかりだね。それは申し訳なかった。」

「いえ、今日だけのことじゃないんです。これは最近の傾向なんです。」

慌てて補足するシャノン。

「分かってる、これは由々しき傾向だ。何とかできないか考えてみるよ。」

と笑うP氏。

意図せぬ事とは言え、ビッグ・カフーナに公然と盾突いた彼女を称え、暫くこの話題でシャノンをいじりました。その度に顔を赤くして、

“Am I in trouble?”
「まずいこと言っちゃったかしら?」

と不安そうな彼女。

実はそうやってからかいつつも、すっかり感心していた私でした。日和見的な発言でお茶を濁した私と違い、大物相手でも怯まずアグレッシブな態度で臨んだシャノン。彼女のような人こそが、本当の大物なのだと思います。


2016年6月12日日曜日

You are the man! あんたが大将!

南カリフォルニアの大規模プロジェクト獲得に向けた会議のため、二十人を超す社員が先日オンタリオ支社に集合して二日間議論しました。数年前に買収されたエンジニア部門がデンバーからやって来て、そこのトップP氏がまず高らかに宣言します。

「これはうちの部隊がリードする仕事だ。プロジェクト・コントロールはうちのジャックが仕切る。」

クライアントの主要メンバーや対象エリアの特性を知り尽くしている我々環境部隊は、この強引なやり方に釈然としない一方、何か政治的な駆け引きが裏で動いているようなので、下手に反論できません。中でも私は一番下っ端なので、周りのサポートが無ければ発言も出来ない。

会議中何度か、うちの重鎮ブレントや司令塔のマイクが、

「その仕事はシンスケが…。」

と切り込むのですが、すかさずP氏が

「いや、それもジャックが担当する。」

と被せて来るので、このプロジェクトに自分の居場所は無いな、とさすがに鈍感な私でも勘付き始めました。そしてそのうち援護射撃も打ち止めとなり、私は貴重な二日間をただただ黙って座り通したのです。人をバカにするにも程があるぞ。必要無いなら最初から呼ぶなよな。デンバーのジャックに全部任せるって言うなら、勝手にそうしてくれよ。大体そのジャックとやらも、二日間姿さえ見せなかったじゃないか。初日に数時間電話で会議に参加しただけで中心人物扱いとは、笑わせるぜ!

二日目の会議終了後、握手しながら談笑する人々を横目で見つつ急いで立ち去ろうとする私に、マイクが

“We’ll need to talk.”
「後でちゃんと話そう。」

と小声で言いました。

それから数日間、プロポーザル・チーム間に飛び交う一斉メールがインボックスに雪崩れ込んで来ましたが、私は完全無視。いずれ正式にチームから抜けようと心に決めて、他の仕事に集中しました。

水曜日、マイクから電話が入ります。プロポーザル準備の進め方について相談したいとのこと。

「僕にまだ何かやることが残ってんの?」

と尋ねる私に、マイクが、

「分かってる。確かにあの会議はひどかった。やる気が出ないのも理解出来るけど、俺たちには君が必要なんだ。」

となだめます。

「あのさ、正直言ってもう情熱湧かないんだよね。どう転んだって、プロジェクト・コントロールのポジションはジャックっていう人が担当するわけでしょ。その人に任せればいいじゃん。」

「本気で言ってんのか?環境分野の経験が無い人間に、俺たちの仕事のスケジュールや積算が出来るわけないだろ。はっきり言って、彼等エンジニア達は環境部門を甘く見てる。このプロジェクトの行方を左右するのはうちの仕事なのに、それが分かってないんだ。そんな奴等に、全てを任せられるわけないじゃないか。」

「いや、手伝わないと言ってるわけじゃないんだよ。必要なことがあればそう言ってよ。ちゃんとやるから。」

当初の熱がすっかり冷めてしまっているのを私の口調から感じ取ったようで、マイクがこう提案します。

「ブレントを加えてもう一度話そう。」

夕方、この日二度目の電話会議。公家さんのようにおっとりした口調で、重鎮のブレントが諭します。

「シンスケ、あの会議での君の扱われ方は不当なものだった。本当に申し訳なく思ってる。でも君も分かってる通り、我々が絶対の信頼を置いているのはデンバーのジャックじゃない。環境部門のメンバー全員が、君を頼りにしてるんだ。カマリヨ支社でのキックオフミーティングでは、君のアドバイスにみんな感銘を受けてたんだよ。」

そして彼が、こうキメます。

“To us, you are the man!”
「我々には、ユー・アー・ザ・メ~ン!」

このYou are the man!というのは、「あんたが一番!」とか「あんたが大将!」という褒め言葉です。

「どうか引き続き、我々をリードしてくれないか?」

ブレントの説得で俄然やる気を取り戻した私は、残業して環境部門のスケジュールを仕上げ、翌日彼等に提出しました。

その日の夕食の席、妻子に今回の顛末を話して聞かせました。

「我ながら大人げなかったなあ、と思うよ。マイクやブレントがそこまで持ち上げてくれなかったらやる気が出ないっていうのは、プロとして未熟だよね。」

すると14歳の息子が、

「なんか、トイ・ストーリーみたいだね。」

と笑います。

「え?なんで?」

キョトンとする妻に、息子が説明します。

「ほら、バズが登場した時、それまでずっとアンディの一番のお気に入りだったウッディーがさあ…。」

「あ、そうか。すねちゃったんだよね。」

と妻。

すねちゃった…。確かに私の態度を一言で表現したら、こういうことですね。

なんか、めちゃくちゃ恥ずかしいじゃないか…。


2016年6月5日日曜日

Web Thinking ウェブ的思考

金曜の朝。オフィスの地下駐車場に到着してiPhoneをチェックすると、東海岸のパットからメールが入っていました。

「どうしてる?久しく会話してないなって気が付いて、連絡してみようと思ったの。」

彼女は本社の上席副社長。社内でプロジェクト・コントロールの組織を正式に立ち上げるために雇われた腕利きです。直接顔を合わせたことはないのですが、イントラネットの社内ニュースで彼女の活動を知り、興味を持った私が数か月前にメールで質問したことから交流が始まりました。これまでに、ほぼ月一のペースで情報交換をしています

「5分後にこちらからかけるね。」

と返信してエレベーターに乗り込みます。自分の席についてコンピュータを立ち上げ、ヘッドホンスタイルの受話器をかけて電話をスタート。

「一カ月ぶりにスケジュールがポカッと空いたのよ。」

「僕も昨日、ちょうど急ぎの仕事が終わったところ。」

北米南部地域でのパイロット・プロジェクトの進展具合や、会社トップとの調整状況を細かく語ってくれるパット。

“This is strictly confidential.”
「これは絶対に秘密なんだけどね。」

と、かなりヤバそうな内輪話をどんどん打ち明けてくれます。彼女のポジションから見れば、私なんか相当な下っ端です。しかもたった数カ月の付き合い。そんな私をなんでここまで信用してくれるのか首を傾げたくなりましたが、きっとこちらが提供する情報に対する見返りをしなきゃという義務感なんだろうな、と勝手に推察する私。

30分ほど内部情報をシェアした後、私の近況を尋ねるパット。

「先週R氏がサンディエゴに来たんだよ。」

「そうらしいわね。どうだった?彼の印象は。」

「相当優秀みたいだね。プロジェクト・コントロール界じゃ、間違いなく大物だと思うよ。西海岸地域のPM達をサポートするために、ガイドラインやテンプレートをどんどん提供するぞ、と意気込んでた。でもね。」

私は思い切って、彼の人物評を付け足しました。

「正直、彼から良いバイブレーションは受け取れなかったんだ。一時間ミーティングしたんだけど、そのほぼ9割は、彼がどれほどの業績を上げて来たかという話に終始したんだもん。」

「やっぱり?私も数回会ったんだけど、残念ながら同じ印象を受けたわ。ちょっと心配よね。それに彼のアプローチって、問題を特定して分析し、ツールやトレーニングという形の解決策を提供して一丁上がり!でしょ。結局のところ、PM達に全てを押し付ける格好じゃない。私の方法論は違うの。PM達が安心して仕事が出来るように包括的なサポート環境づくりをする、というものだから、短期間ではあまり効果が期待出来ないのよね。そんな悠長なことやってられないって批判を受けても仕方ないんだけど、私はそれがベストだと思ってるの。」

「僕がやってるのも、そっちの方だよ。」

「そうなの?具体的に聞かせてよ。」

南カリフォルニアのプロジェクト・コントロール・グループをじわじわと拡大中で、隔週のカンファレンス・コールを使って情報交換し、PMツールのトレーニングも適宜実施。現在総勢14名になっていることを説明しました。

「僕以外は全員女性なんだけどね。どういうわけか。」

と付け足すと、彼女がすかさず、

“Because women are detail oriented!”
「そりゃ女性は細かい仕事が得意だからね!」     

と語気を増します。

「そうだ、こんなフレーズ知ってる?」

とパットが教えてくれたのが、これ。

“Men are a linear thinker. Women are a web thinker.”

複数形のMenWomenを単数形のbe動詞で受ける、という特殊な英語表現である点はひとまず置いて、その意味するところはなかなか含蓄あり、です。

「男性は直線的思考をし、女性はウェブ的思考をする。」

ウェブ的思考(Web Thinking)、というのは初耳。後で参照元を調べたところ、これはHelen Fisher (ヘレン・フィッシャー)という人類学者の造語で、女性のリーダーがどういう点に秀でているか、という論の中で使われています。男性というのは一度にひとつの事象に集中するのが得意で、今のステップが終われば次へ行き、ゴールまで順々に進む、という直線的な思考をする。それに比べて女性は、まるでウェブ(蜘蛛の巣)のようなアプローチを採る。連続していない複数の事象を同時に捉えて処理していく。時間はかかるが抜けが少なく、曖昧さも受容出来る。女性の脳というのは男性脳と較べ、右脳と左脳を繋ぐ神経経路が多いというのがそれを支えている要因だとか。

「なるほど、スゴイ表現だね。あらゆることがこの一言で説明つくよ。」

「そうでしょ!」

帰宅して、さっそく妻にこの話をしてみました。14歳の息子は水筒やら上着やらをあちこちに忘れて帰って来て彼女にしょっちゅう叱られているのですが、同時に複数のことを考えられない男性脳特有の直線的思考が原因だと分かれば、怒りもちょっとは和らぐでしょ、という私のコメントを、

「何言ってんの?全部その直線上に並べればいいだけじゃん!」

と一喝。

我が家の女性脳は、なかなかシビアです。

2016年5月29日日曜日

Turnaround Guy 再建請負人

数週間前から、ドラマ「24」のシーズン5を見直しています。今回のジャック・バウアーは、一年半に及ぶ潜伏に終止符を打ち、正式にCTUに復帰したわけでもないのに、細菌兵器を入手したテロ組織に立ち向かって大活躍、という役回り。一刻の猶予も許されない緊迫状態の中、組織内部の裏切りや仲間の死、情愛のもつれ、大統領の企みなどが複雑に絡まって物語を盛り上げるのですが、今回久々に見返してみて感心したのは、トップ人事が組織の行動にどういう影響を及ぼすかが巧みに描かれている点。シーズン5が異彩を放っているのは、地域本部から送り込まれたリンという若きエリートの存在によるところが大きいと思います。

周囲から厚い信頼を受けていたビル・ブキャナンの指揮権をいきなり奪い取り、自分のやり方に従わない者は権威を振りかざしてねじ伏せ、時には冷酷に排除する。部下たちの忠告には耳を貸さず、彼らが命令に背いたのではと疑えば厳しく監視する。統制を図ろうと居丈高になればなるほど、部下たちは彼から離れて行く。頭に血が上ったリンは遂に、細菌兵器のありかを掴むために現場で決死の侵攻作戦に取り組んでいたジャックですら、「自分の命令を聞かないから」という理由でCTUへ連行させようとします。憤然としながらもこれに従うしかない職員たち。さあどうするジャック?

十年前に鑑賞した時は気づかなかったけど、これって大きな組織で働く人にとっては「あるある」な状況なのですね。現場を知らない上層部と最前線との間に生まれる不信感。組織が大きくなればなるほど縦方向の距離が増し、情報や意思の交換が難しくなるのは当然です。

さて、我らがジャック・バウアー。テロ行為の阻止を最優先課題に置く彼は、リンの権威に臆することなく、彼の指示をあっさりと無視。色々無茶を重ねながら信念に基づいて行動し、起死回生の成果を上げて戻って来ます。彼以上に現場を知っている人間はいないのだから、初めから邪魔せず任せておけばいいのに、と視聴者がイライラを募らせる仕組みになっているのですが、組織で動いている以上、こういう摩擦は避けられません。今回私は、登場人物間に働く力関係の入念な作り込みに惚れ惚れしながら、ドラマを再鑑賞したのでした。

実は私(決して自惚れているわけではなく)、常にジャック・バウアーに似た立場で仕事に取り組んで来たという自負があります。PMたちがサポートを求めているのに、会社にはその体制が無い。組織図のどこにも、「プロジェクト・コントロール部門」が存在しないのです。だったら勝手に動くしかない。トレーニングを企画し、自前のプレゼンスライドを携えてゲリラ的に支社巡りをして来ました。そこで相談を受けたPM達からサポート要請を取り付け、じわじわと仕事の基盤を広げて行き、これに平行してチームを拡大。各支社にネットワークを広げ、南カリフォルニア地区に非公式のプロジェクト・コントロール・チーム(総勢14名)を構築したのです。5月後半には大ボス・テリーの後押しで、南カリフォルニアの支社を巡ってPMトレーニングを展開。部下のシャノンにサンタバーバラ支社とサンタマリア支社を任せ、私はベーカーズフィールド支社、カマリヨ支社、それからサンディエゴの二支社でトレーニングを開催しました。
ところがこのさ中、状況が大きく揺らぎます。

数カ月前、南カリフォルニア地域のトップに就任したP氏が、彼の右腕としてR氏をデンバーから呼び寄せました。彼はプロジェクト・コントロール担当副社長と名乗り、就任直後から猛然と改革をスタートします。ウェブ会議を度々開催し、これまで会社に欠けていたPMサポート体制を構築して行く、と発表。ガイドラインやテンプレートの提供、各種トレーニングの開催など、様々な角度からプロジェクト・マネジャー達を支援して行きます、と。

私が草の根運動としてコツコツ積み上げて来たことを、トップダウンで開始したのです。やれやれようやく会社が重い腰を上げてくれたか、と安堵したのも束の間、R氏がPM達に一斉送信した最近のEメールを読んで愕然としました。私が「これだけはやっちゃ駄目だよ」とトレーニングで強調している悪しき慣習を、手放しで奨励する内容が盛り込まれていたのです。彼はこの会社に来て日が浅いから、問題の大きさに気付いていないのかもしれない。さてどうする?彼に連絡して率直にミスを指摘するべきか

そんな時、大ボスのテリーからEメールが届きます。

R氏がうちの支社を訪問することになったの。シンスケのトレーニングの日程を教えたら、サンディエゴでの最終回に出席したいっていうのよ。」

R氏の面前で、大勢の受講者に「先日の彼の指示は間違いだ」と指摘して顔を潰すことだけは避けたい。しかしだからと言って、重要なメッセージを伝えずに済ますことも出来ない。そもそも既にトレーニング・ツアーは始まってるし、過去の受講者の口からいずれ彼の耳に入るかもしれない。ここはまずトレーニングの前日に会って、彼と直接話をするしかない、と決心。早速一時間のミーティングを申し入れました。きちんと説明を聞いてもらった上で、自ら対処してもらうのが最良の解決法です。しかしそれにはまず、彼が現場の忠告を受け入れるタイプの人物なのかどうかを見極める必要がある。

「君の評判は沢山の人から聞いているよ。」

人懐っこい笑顔で握手するR氏は、拍子抜けするほど気さくな人物でした。おそらく五十代後半でしょう。でっぷりとした腹部を左右に揺らしながらゆったり歩く姿とは対照的に、漲るエネルギーがその目に溢れています。

「これからどんどん君の力を借りることになると思う。心の準備を頼むぞ。」

和やかな雰囲気でスタートした初会合。この分だとすんなり事が済みそうだな、と気を緩める私。まずは、彼の現職就任に至る経緯を尋ねてみました。するとR氏は、これまでに携わったプロジェクトの数々について語り、去年はカナダ全土でピンチに陥っていた多数のプロジェクトを回ってその再建に貢献したこと、その手腕を買われて南カリフォルニアに引っ張られ、既にいくつかの巨大プロジェクトを窮地から救っていることを語りました。そして彼の口から飛び出したのが、このセリフ。

“I’m a turnaround guy.”
「僕はターナラウンド・ガイなんだよ。」

Turnaround とは、事業経営などを再生、再建する、という意味の単語。Turnaround guy とは、再建のプロ、ということですね。私の和訳は、これ。

“I’m a turnaround guy.”
「僕は再建請負人なんだよ。」

この後彼は、プロジェクト・マネジメントに関する論文をいくつも書いていること、間もなく本の出版もすること、この分野の全米組織で役員のトップを務めていることも語りました。

どこからどう見ても大物です。すごいですねえ!と素直に感心しながらも、この後の展開がややこしくなって来たことを感じる私でした。

「疑いも無く優秀な方にこういうことを言うのもなんですが、あなたがPM達に一斉メールした指示は間違いですよ。」

なんて、とてもじゃないけど口に出来ません。R氏はこの後、彼の立案した革新的なプロジェクト・コントロールの方法論を紹介してくれました。そして別れ際、彼の論文をいくつかメールしてもらうようお願いしてミーティングが終了。結局本題を切り出すきっかけは訪れなかったのでした。

その晩、今は別部門で働いているかつての部下、ヴィヴィアンから携帯にメッセージが入ります。「私の携帯に電話ちょうだい。」とあります。なんだろう?珍しいな

R氏が木曜日のトレーニングに出席するって聞いてる?」

「ああ、聞いてるよ。」

「良かった。シンスケに知らせておけってボスから言われたの。彼がどういう人物か知ってるの?」

「今日、直接会って話したよ。すごく優秀みたいだね。ピンチに陥ったプロジェクトを沢山再建して来たんだって。」

「そこなのよ。沢山再建する一方で、人も大勢切って来たらしいの。凄腕なのは間違い無いけど、油断は禁物よ。気を付けてね。」

なんか、ITエキスパートのクロエがジャックにこっそり忠告する場面みたいだな…。

「そういえば彼、自分のことをTurnaround Guyって呼んでたよ。僕らプロジェクト・コントロールの仕事は裏方としてPMを支えるスタイルだから、正直、この発言には違和感を覚えたんだ。周りからそう呼ばれるのならまだしも、自分から名乗るのは、おこがましい感じがするもんね。」

翌日、トレーニング会場である会議室に現れたR氏は、「一番近くで見たいから」と微笑み、隣の席にどかっと腰を下しました。私のスライドは、彼がPM達に一斉メールで指示したのと同じ内容から始まります。そして二ページ目から、「何故それをやったら大失敗が待っているのか」を説明する段取り。さあどうする?

二十人を超える受講者が着席し、セーフティーモーメントの後、R氏に自己紹介をお願いします。彼はここでも再び、自分がいかに大物であるかを柔らかな口調で誇示しました。

「今日はシンスケのトレーニングを監視するために来たんだよ。」

と、冗談とも本気とも取れるコメントで挨拶を締め括り、いよいよ本番がスタートしました。私は慎重に言葉を選び、ゆっくりとパワーポイントのスライドを捲ります。

「多くの人は、このように進めていますね。この手順自体は正しいのですが、大きな落とし穴の存在を知っておく必要があります。まずはベースとなる情報が正確であることを確認してから進めないと、毎月提出するレポートは常に間違いということになるのです。このPMツールは詳細データを内蔵しているので、これをまずダウンロードして精査して下さい。」

R氏の指示を真っ向から否定するのではなく、「落とし穴の存在」を知らしめることに重きを置く、という変化球を投げたのですが、多くの受講者の顔が困惑で歪みます。私の隣でR氏は、さらさらとメモを取っています。ちらりと顔を見ましたが、その表情からは動揺が読み取れません。トレーニング中盤になり、女性社員がさっと手を挙げました。

「結局のところ、私たちが受けて来たこれまでの指示が間違ってたってことじゃないの?」

うわあ、そんなストレートな反応するか?すかさずR氏がこれを受け、「あの指示を送ったのは自分で、基本路線は正しい。大事なことは…。」と、論点を変えてはぐらかすような受け答えをします。完全な納得が得られたとは思えませんが、皆それ以上騒がなかったので、私は何事も無かったかのように先へ進み、無事トレーニングを終了しました。

R氏が立ち際に、Good Job!と微笑みます。う~ん、この言葉と顔色からじゃ内心が読めないぞ…。そしてそのまま、会場を後にしたのでした。

ところで私は、トレーニングの後半から自分の身体に何か異変が起こっているのに気づいていました。みぞおちの当たりが猛烈に痛むのです。触ってみると、カッチカチ。これって胃痛だよな?そしてそれはストレスを意味するのか?うまく立ち回ってたつもりだけど、実はものすごく緊張していたのかもしれない…。吐き気まで催して来たので、慌ててトイレに駆け込みます。便座の上で、両膝の間に顎を埋めるように上体を倒した格好になった私は、ちょっと笑えて来ました。

これしきの逆境、ジャック・バウアーだったら軽々と乗り越えることでしょう。ハライタになんか絶対ならないよな…。

帰宅して一部始終を妻に告げたところ、

「まだまだだねえ。」

と冷やかされました。

「でも、念のためにレジュメ(履歴書)のアップデートはしといた方がいいかもね。」

おいおい、また胃がキュッとなったじゃないか。