先週火曜日の朝一番。携帯電話に”Hey people in SD,” で始まるテキストメッセージが届きました。
「サンディエゴ(SD)のお二人さん、現地調査の仕事でメキシコ国境近くまで来てるんだけど、良かったらサクッとランチ行かない?」
差出人は、二年前までオレンジ支社のビルディング部門でアミューズメント・パークのデザイン・プロジェクトを指揮していたジョニーでした。そして私の他にお誘いを受けたのは、彼のかつての相棒、ベティ。パンデミックの発生による経営鈍化で会社に不穏な空気が漂い始めた2020年の夏、ジョニーは突然解雇宣告を受け、彼のプロジェクト・チームも解体され散り散りに。ベディはオレンジ支社でプロジェクト・コントロールを担当していたのですが、結局ジョニーを解雇したC(女性)の直属の部下に落ち着いたのでした。その後離婚と再婚を経てサンディエゴへ引っ越して来たらしいのですが、リモートワークが続いているため、オフィスで顔を合わすこともなくずっとご無沙汰が続いていました。
末っ子のお迎えがあるので1時半までにはサンディエゴを後にしなきゃいけないとジョニーが言うので、フリーウェイの入り口に近く駐車スペースも見つけやすいPho
Fusionというベトナム料理店で会うことになりました。再会を喜ぶ長いハグの後、ブース席の向かいに並んで座った二人に近況を聞きます。
ジョニーは個人でコンサルティングをするようになって以来どんどん仕事が舞い込んで来て、かつて無いほどの忙しさを経験している。ベティは一ヶ月前、上司のCに辞表を叩きつけ、私のいる環境部門へPDL(プロジェクト・デリバリー・リード)として再雇用された、と。
「シンスケはどうしてるの?」
と二人が尋ねるので、十年以上前にたった一人で始めたチームが今や20人の大所帯になったこと、若者たちに技術の伝授をするのを楽しんでいること、などを話しました。
「あ、そういえばトップガン・マーヴェリック観た?」
と言うと、もちろん!と笑顔で頷く二人。
「あれ観て、色々思うところがあったんだ。」
と私。8月初旬、夏休み最終日だった息子も連れ、家族三人で近所の映画館へ。気を失いかけるほど激しく泣いた妻は、「これはもう一回高音質で観ないと!」と私を説得。一週間後にはるばるサンクレメンテまで一時間かけてドライブし、IMAXシアターで二度目の鑑賞。更にはところどころセリフが理解出来なかったというフラストレーションから、8月末から二週間ほど一時帰国した際、「これはもう一回、字幕付きで観ないと!」とミッドタウン日比谷のIMAXシアターで三回目の鑑賞。短期間に違う劇場で同じ映画を三回観るなんて(しかも二カ国で)、生まれて初めての体験でした。
「トム・クルーズの演じた役ってさ、今の僕とほぼ同じ年齢なんだよ。あの世界的スーパースターと自分を重ねるのがおこがましいことは百も承知だけど、あの映画で物凄く元気をもらえたんだよね。」
経営者側の立場で働くことを選んだ二年前、自分の信条に反する理不尽な発言を日々強いられ、塗炭の苦しみを味わった私。一年前にそんな出世コースから外れる決断をしてからというもの、心から愛する仕事だけに打ち込める幸せを日々噛み締めています。映画の中でマーヴェリックも、将官の地位を避けて現役を続けることで、大好きなパイロットの仕事に専念出来ている。
「同世代の将官たちは重責を抱え、いかにも苦しそうな表情を終始浮かべてたでしょ。その横で、言いたいことを言いながらトムが爽やかに笑ってる。あれ見て、自分の選択は正しかったんだって思えたんだよね。」
先月日本で旧友たちに会った際、何度も「あと一年で引退」というセリフを聞きました。この時まで、「日本では大抵の組織に定年がある」という事実をすっかり忘れていた私は、不意を打たれた格好でした。もしもあのまま日本にいたら、間もなくキャリアに終止符が打たれていたのか、と。個人の努力でどうこう出来るわけではない「年齢」という数字を根拠に、組織側が個人の運命を決める。まだまだ発展途上を自覚する私は、ひどく理不尽な仕打ちと捉えて暫く憤慨していたのですが、落ち着いて考えた結果、これはそうひどい話でもないな、と思えて来ました。ルールの違う二つのゲームがあり、どちらでプレーするのがより自分の幸福感に繋がるかという問題なのだ、と気づいたのです。
ゲームA:突然解雇されるリスクが高い組織でスペシャリストとして腕を磨き勝負し続け、退場のタイミングは自分で決める。
ゲームB:終身雇用という安心な制度のもと、組織内の様々な部署で経験を積み、制限時間が来たら静かに退場する。
キャリアの半ばでBからAに移籍した私は、あと付けながら、自分はAでプレーする方が幸せを感じるタイプなのだと悟ったのでした。
「へえ、日本ってそうなんだあ。」
ジョニーとベティが、さも驚いたように頷きます。
「実はこないだあたしも母親から、あんた何歳まで働くの?って質問されたわ。そう聞かれるまで辞めるタイミングなんて考えたことも無かったけど、働ける限り働くわよって答えといた。」
とベティ。
「そうなんだよね。僕も若いメンバー達にまだまだ教えることが沢山あるし、自分自身のスキルレベルも毎日どんどん上がってる実感がある。ようやく油が乗ってきたってところかな。」
と私。ニヤッと笑ったジョニーが、頭を小刻みに揺らしながら素早く両手の指を動かしてタイプする真似をしてみせます。
「今のシンスケだったら、メチャクチャ難しい仕事渡されても超高速でエクセル使って、あっという間に解決しちゃうんだろうね。マッハ10を超えちゃったりなんかしてさ。」
ベティも横で、同じアクションを演じて笑います。
食後、再び代わる代わるハグを交わし、再会を誓ってそれぞれ家路に着いたのでした。
さて、金曜の朝のこと。部下のアリサとの緊急電話会議でした。
「ごめん、忙しくってちゃんとメール読めてないんだけど、何が起こってるの?」
「水曜の晩にセシリアから頼まれたプロポーザルのサポートなんだけど、来週締め切りなの。レイチェルのチームがすぐに準備を始めようとしてるんだけど、今回に限って2028年までの長期プロジェクトで、あなたが今年の初めに作ってくれた単年用見積計算書のテンプレートじゃ対応しきれないのよ。改訂版を作ってくれって言われたんだけど、私の手には負えそうもないし、あなただってそんな時間無いでしょ。この仕事が出来そうなメンバーは他に思いつかないし、もうどうしたらいいのかって…。」
うちの会社は9月が年度末のため、この数週間は誰もが猫の手も借りたいほどのてんてこ舞いなのです。最悪のタイミングで飛び込んで来たこの依頼に、頭を抱えるアリサ。このクライアントの仕様書は風変わりなルールが満載で、最初の見積計算書テンプレートを完成させるまでの私の苦労を知っている彼女としては、気が重くなるのも当然なのです。
「大丈夫。僕がやるよ。時間は作れる。」
と私。
「え?ほんと?お願い出来るの?」
にわかには信じられない様子のアリサに、
「知っての通り、この手の挑戦は僕にとっちゃPaid
Hobby(ギャラの出る趣味)みたいなものなんだ。」
驚きの声と同時に、
“You’re a sick man!”
「あなたってビョーキよね!」
と呆れたように笑うアリサ。何度も感謝の言葉を繰り返し、ようやく電話を切ります。
その直後、PMのレイチェルからテキストが入ります。
「見積計算のテンプレート出来た?すぐにでもデータ入力を始めたいんだけど…。」
「これから作業を開始するんだ。昼までに仕上げるから待って。」
まだ作り始めてもいなかったことにややショックを受けた様子のレイチェルでしたが、気にせず直ちに全集中モードをスイッチオン。ショートカットキーと関数をふんだんに使い、恐らくこれまでで最速のスピードで作業を続ける私。そして11時23分、完成品を送信。
「有難う!これできっと間に合うわ。今からデータを入れ始めるわね。」
とレイチェル。
席を立ち、ずっと我慢していたトイレに向かいます。そして一気に放出。あまりの快感に顔が引きつってしまう私でした。まるで滑走路から飛び立つF-18戦闘機を横目で見ながらバイクで疾走するトム・クルーズが、最高の笑顔を見せるように。
歳を取るというのは弱くなるだけではなく、経験を積むことでもある。自分を鍛え続けていれば、若者達が真似できないような離れ業を演じることだって出来るのだ。そんな幸せを、この映画から教えてもらったのでした。
夕食の席でそういう話をしたところ、
「そんな風には全然考えなかったな。ただただ世界に浸って感動してた。」
と妻。日比谷の映画館でも、散々泣いてた彼女。
「三回目でも、まだあんなに泣けるもんかね?」
と笑いながらもやや感心する私に、
「出だしの重低音で、もうやられちゃったわよ。泣けるとこ一杯あったじゃない。すまんグース、って呟く場面なんて、もうホントに、たまらなかった…。」
と、蘇る記憶で再び目を潤ませる彼女。
小難しい分析などせず、素直に感動に浸れる彼女のような人が一番幸せなのかもな、と思うのでした。