2022年7月27日水曜日

Midnight Express 深夜特急 その2


これまで足を踏み入れたこともないグアテマラへの強制送還、という人生最大のピンチに立たされた二十歳の息子。グアテマラ・シティの日本国大使館で対応に当たって下さったのは、領事の池沢さんでした。在メキシコ日本国大使館と連携してメキシコ政府に援助を依頼して下さるとおっしゃったのですが、先方が返事をくれるのに一日はかかるだろうとのこと。もしも息子のメキシコ再入国が果たせなかったら、当面日本大使館近くのホテルに滞在させ、彼の米国パスポートを大使館宛に送るか、あるいは我々が直接飛行機で救出に向かう、というシナリオを話し合います。問題は、国境付近からグアテマラ・シティまでは公共交通機関が無く、タクシーが拾えたとしても5時間以上はかかること、雨季のため各地で土砂崩れが起きていて、道路が分断されている可能性が高いこと。そうなれば道半ばで立ち往生し、居場所が分からなくなる危険がある。電波の届かないジャングルで連絡が途絶えたら、万事休すです。

密入国者の手助けをするプロ集団「コヨーテ」という存在を知ったのが、このすぐ後でした。電話の向こうで息子が言います。

「こうなったら、コヨーテに金を払って何とか潜り込むしか無いかも…。」

タリスマン検問所周辺にはこの「コヨーテ」集団がたむろしていて、こちらから頼んでもいないのに「現金○○ドル払えばメキシコに入国させてやるぞ」と十人以上で詰め寄って来るのだと。スペイン語の分からない息子は「うるせえ、あっち行け!」と英語でまくし立てて追い払ったそうなのですが、よく考えると妙な話です。身なりからして外国人観光客であるのは一目瞭然でしょうが、なぜすぐに国外追放された人間だと分かるのか。どう考えても、検問所とコヨーテ達が結託しているとしか思えません。理不尽に追い出されてパニクる旅行客に救いの手を差し伸べる違法業者達。彼らが外国人から巻き上げた現金の一部を係官に貢ぐことで回っている、邪悪な生態系の存在を勘ぐらざるを得ないのです。

密入国斡旋業者と関わることで更に深刻なトラブルに巻き込まれることを恐れた私は、急いで池沢さんに意見を伺います。すると彼も、それはお薦め出来ないとのこと。何か別の手を探した方が良いと息子に伝えると、タリスマンでは係官に顔を知られているから、少し離れた南方の検問所(ヒダルゴ)に行って再入国を試みると彼が答えます。ところがその後、アプリで彼の居場所を追っていたところ、どんどん東の内陸側に進んで行くのが見えます。おいおい、行き先は南のはずだぞ。大丈夫か?タクシーに乗ったのか?どこに向かってるか分かってんのか?と妻と私でテキストを送るのですが、まずは銀行で金を下ろして来ると答えたきり、返信が途絶えます。そしてガソリンスタンドと見られる場所に到着し、それきりぴたりと動きが止まったのでした。

「どこにいるの?そこ銀行じゃないでしょ?」

不安をどんどん蓄積していた妻がテキストを送るものの、一向に返事が来ません。

「あの子、携帯捨てられてそのまま誘拐されちゃったのかも!」

涙目で震える妻。水泳部の猛練習でムキムキな身体になってんだから、そう簡単にやられはしないよ、と私。きっと電波の状態が良くないんだよ…。

午後になってようやく、アプリ上の彼のアイコンが元来たルートを戻り始めました。ああよかった、きっと生きてるわね、と大きく深呼吸する妻。あ、そうだ、今日中にはメキシコに戻れないだろうから、とにかくグアテマラ側で泊まる場所を確保しなきゃね、とホテルの検索を開始します。ところが、オンラインで予約出来る宿泊先が一向に見つかりません。彼がさっきまでいたエリアにはホテルが点在しているものの、ネットでおさえられるのはわずか数件です。

「セキュリティ面を考えたら、多少高くてもちゃんとしたホテルに泊まらないと駄目よ。そのまま国境まで戻っちゃったら、こっちから予約出来ないからね。」

そう彼女がテキストを送るのですが、反応が無いまま息子のアイコンはどんどん西へ移動し、遂に検問所付近まで戻ってしまいました。

「めちゃ安いホテルにチェックインした。」

息子から電話があったのは、その数分後でした。スピーカーフォンで妻と私が言います。

「とにかく携帯の電池が切れたらアウトだから、充電だけはこまめにね。あと、水分補給もしっかりね。」

「うん、どっちもちゃんとやってる。」

「大使館の人とやり取りは出来たの?」

「うん、グアテマラの日本大使館からは、メキシコ政府の対応は明日にならないと分からないって聞いてる。」

「メキシコのアメリカ大使館にも当たってみた?」

「それがさあ、留守番電話になってて誰も出てくれないんだよ。」

後になって気づいたのですが、この日はちょうど、よりによって今年スタートした新しい祝日Juneteenth(ジューンティーンス)だったのです。アメリカ大使館がもぬけの殻だったのは、そういうわけですね。

「じゃあとにかく朝まで身体を休めるしかないね。ちゃんと食べなさいよ。」

「うん、分かってる。僕の顔を知ってる検問所の係官達は明日の午後一時に交替するってコヨーテが言ってた。だから一時過ぎたら再入国をトライしてみる。」

翌朝6時半、息子からテキストが入ります。

「後で電話して。アイデアがある。」

妻を起こして電話をかけ、スピーカーフォンで会話します。

高校時代からの息子の親友で現在ニューヨークでインターンシップ中のニコラが、彼のために昨日動いてくれたというのです。ダメ元で、日本人としてメキシコに入国するための観光ビザを取得してみようという話になり、スマホしか持っていない息子に成り代わってオンラインで申請してくれた。申請書のPDFファイルをニコラに送ってもらったので、メキシコ当局の援助が見込めない場合、これをプリントアウトして国境の検問所で見せてみるよ、と。日本大使館の池沢さんにもこれは相談済みで、在メキシコ日本大使館とも連携して申請書に関するアドバイスを頂いているとのこと。

「分かった。うまくいかなかったら次の策を考えればいいから、あまり焦らないように。」

その後、ホリデイ・インの部屋に置きっぱなしの荷物が気になり始めます。チェックアウト時間は午後一時。午後一番に何とか再入国出来たとしても、タイミングとしてはアウトです。チェックアウトを少し延ばしてもらえないか頼んでみなさい、と妻。息子が早速、四時まで延期してもらうことに成功。

その一時間後、池沢さんからテキストが入りました。メキシコ当局は責任を認めないが、何らかの要因で入国の記録が出来ていなかったこと、在メキシコ日本大使館からメキシコ当局に直接依頼しても、出入国履歴の修正は不可能とのこと、再入国を試みて失敗したらグアテマラ・シティに移動するしかなく、その際には大使館として交通手段の情報提供や援助をする準備があること、等々。そして、たとえメキシコへの再入国が出来たとしても空港で再び拘束され、グアテマラへ再度強制送還される可能性がある。そうなったら直ちに在メキシコ日本大使館へ電話するように、と。

そして現地時間の午後二時半過ぎ、息子のアイコンがスマホの地図上を検問所に向かってゆっくりと動き始める様子を、夫婦固唾を呑んで見守ります。

「あ!メキシコ国境越えたわよ!」

「ほんとだ。うまく行ったのかな。」

スマホ画面には、検問所の建物よりメキシコ側にいるように映っています。

「あれ?ちょっと待って…。」

逆サイドからゆっくりと近づいて来た別の磁石に押し戻されるマグネットボールのように、先程来た方向へじりじりと後ずさりを始める息子のアイコン。あれよあれよと言う間に、昨夜宿泊していたホテル付近まで戻ってしまったのでした。

「またグアテマラに戻されちゃった?」

とテキストを送る妻。

「はい。」

と短い返信。

「今グアテマラ出国スタンプお願いしてる。」

出国スタンプ?何のことかよく分からんが、これはもう長期戦のオプションを覚悟しておいた方がいいな、と考え始める私でした。彼を救出するためグアテマラ・シティへ飛ぶとして、向こう一週間スケジュールされたビジネスミーティングの延期が出来るかどうか調べなきゃ、とカレンダーをチェックします。同時にフライトの検索も始めたところ、サンディエゴからは片道だけでも丸一日かかる長旅になりそうで、バケーションシーズンともあって、航空運賃もなかなかの高額です。とりあえず有給休暇を申請しておくか…。

「あ、ちょっと見て!」

そう妻が叫んだのでスマホに目をやったところ、息子のアイコンが再びゆっくりと検問所に向かっています。

「またさっきのところまで来たわよ。」

仕事そっちのけでスマホ画面に食い入る、妻と私。彼の居場所を示すアイコンは建物内で暫く停止していたのですが、やがてゆっくりとメキシコ側の敷地へ抜けて行ったのでした。おお、遂に再入国成功か?いや、GPSの誤差を考慮すれば、本当に突破出来たかどうかはまだ分からんぞ…。

「なんかおかしくない?急にスピードが速くなってるんだけど…。」

妻の言う通り、息子のアイコンが突然急角度で方向を変え、速度を上げて動き始めたのです。しかも建物と建物に挟まれた、長い緑地帯を真っ直ぐ進んでいます。

「ここ、道路じゃないぞ。」

「そうよね。タクシーほどのスピードも無いし。あの子、走ってるのかしら。」

「誰かから逃げてんじゃないかな?」

と私。

「やめてよ!」

表情を固くする妻。しかし程なくして一般道路に到達した息子のアイコンが、今度は本格的なスピードで南へ向かって快調に滑り出したのです。短いテキストが入ります。

「成功」

一体何をどう工夫して再入国が果たせたのか、この時はまだ真相を知らされていなかった我々夫婦。しかしひとまず最初の関所を越えたことで、安堵を分かち合うのでした。

「今ホリデーイン行き」

とタクシーからテキストを打つ息子。四時のチェックアウトにギリギリ間に合いそうです。急いで荷物をまとめてタパチュラ空港へ向かい、強制送還の憂き目を逃れて予定便に無事乗り込めたら、メキシコシティ経由で深夜にティファナ到着。我々は彼のアメリカ旅券を携えて陸路で国境を越え、ティファナ空港の出口で彼を拾う。そして三人で検問を突破し無事アメリカへ帰還が出来れば、ミッション完了です。

 

まだまだ油断は出来ません。

2022年7月17日日曜日

Midnight Express 深夜特急 その1

 


「グアテマラに追放された!」

「え?何言ってるの?ちゃんと説明して。」

「グアテマラに追放されたんだよ!」

6月13日月曜日の朝一番に電話で交わした、二十歳の息子との会話です。

 

最後の夏休みをどう過ごすかは、アメリカの大学生にとって大事なテーマ。履歴書に記載できる実務経験(インターンシップ)を積めれば、数カ月後にスタートする就職戦線での強力な武器になるからです。コロラドで生態学を学ぶ息子は担当教授達に掛け合い、彼らの人脈で良い仕事先を見つけてもらえないかを探りました。その結果、遠くミシガン大学の教授たちに繋いで頂き、彼らのチームの調査プロジェクトに助手として加えてもらうことになったのです。メキシコ最南端のタパチュラという土地で四週間調査した後、プエルトリコに飛んで更に四週間の追加研究をする、というエキゾチックなプログラム。友人達が学生課や親の口利きでインターン先をあてがわれる中、自力で、しかも他の大学のポジションを獲得したことの達成感に酔いしれる息子でしたが、この数週間後にあんな恐ろしい事態に陥ることなど、この時は知る由もありませんでした。

そもそもの失敗は、彼が幼い頃に作った米国パスポートが失効していたことでした。インターンシップの話が出始めた頃に私が気付き、直ちに新しい旅券を申請するよう言い聞かせていたにもかかわらず、何かと言い訳を見つけ後回しを続けた楽天家の息子。メキシコ行きが本決まりした後にようやく焦り始めたのですが、時既に遅し。別料金を払って超特急で作成してもらうオプションを選んだにもかかわらず、出発前には到底間に合わないことが分かりました。仕方ないので、日本のパスポートで日本人として旅立つことになったのです。

6月5日の夜明け前、サンディエゴの自宅から三十分ほど車を走らせ、メキシコとの国境にあるCBXCross Border Express)という施設の手前で彼をドロップ。入国手続きを済ませて徒歩で橋を渡ると、そこはもうティファナ国際空港。メキシコシティ経由でタパチュラまで約7時間。まずは市内のホテルで一泊(約20ドル)し、月曜の朝に迎えの車が来るのを待つ、という段取りでした。高地ジャングルの奥深くにミシガン大研究チームのコテージがあり、そこで寝泊まりしながら日々フィールド調査に出かける、というのです。我々夫婦はiPhoneFind Myというアプリで息子の居場所を時折確認していたのですが、月曜の午前中、予告通り彼のアイコンが姿を消しました。こんな時代になっても、世界には電波の届かない場所がまだあるんだねえ、と驚く我々夫婦。十年前は当たり前だったけど、外国に滞在する子供と暫く連絡が取れなくなったことで、若干落ち着かない気分になるのでした。

ところがそのわずか一週間後、クレジットカードの記録をチェックしていた妻が異変に気づきます。

「あの子、ホテルに360ドル払ったみたいよ。」

アプリで確認すると、息子の位置がはっきりと確認出来ます。電話をかけさせて事情を聞いたところ、金曜の夕方、山中を二時間歩き続けて一番近くのホテルに辿り着き、週末の三日間を過ごすことにした、とのこと。宿泊料の高額さを知り驚いたものの、あまりの疲労で引き返す気にはなれなかった。どうやらこのホテルはハネムーン客ターゲットのリゾートホテルらしく、シングル・ルームは無く、周りは若いカップルだらけ。

「なんでホテルに泊まることにしたんだよ?」

「とにかく、聞いていたのと全然条件が違うんだよ。週末もあそこに居続けるなんて、とてもじゃないけど耐えられなかった。」

助手として採用されたことは確かだが、自分のやりたい研究もさせてもらえると聞いていた。ところが現実は、大学院生(三十歳の女性)の研究テーマに沿って、一日中単純作業で拘束される。院生といってもこの人はフィールド調査初体験で、計画の立て方が甘く段取りも悪く、あれじゃどれだけデータをかき集めようが有意義な成果なんて絶対得られない、と息子。自分は大学でフィールド調査の基礎をしっかり叩き込まれたので、それが良く分かる。なのに彼女は、とにかく自分の言う通りに作業をしろ、の一点張り。とてもじゃないが、このままの条件ではバカバカしくて続けられない、と。

「それで、どうするの?」

教授たちは今週不在で、月曜まで現場に戻って来ない。週末のうちに、彼らにメールで現状の問題点と改善案を伝えておき、会った時にあらためて今後のプランについて相談するつもりだ、と息子。

自分が彼の立場だったら、これも運命と素直に現状を受け入れ、期限終了まで黙々と残りのお勤めを果たしていたことでしょう。しかし幼い頃から向こうっ気が強く、権威に怯むことも無いこの若者は、取り組もうと考えていた研究テーマを長文メールに書き綴り、教授たちに送信したのでした。後に息子から聞いたのですが、彼はインターンシップの準備期間中、「今回何を学ぶつもりか、どんな成果を出す予定か」を論文の形で大学側に提出させられていたのだそうです。なのに興味も関心も無い分野の調査助手を二ヶ月続けるというのは、あまりにも「話が違う」というのが彼の主張。

週末を終え、リゾートホテルから再び電波の届かない密林に戻って行った彼は、再びスマホの地図上から姿を消します。そして金曜の晩になり、我々夫婦にテキストで「交渉決裂」の旨を伝えて来ました。どうやらタパチュラ市街のホテルに移動した模様。

「明日の夜の便でサンディエゴに戻りたいんだけど、飛行機取ってくれる?」

君の提案する研究テーマは非常に興味深いが、こんな短期間ではとても成果は出せないよ、と諭すミシガン大の教授たち。とにかくうちの院生のサポートに徹して欲しい、と。自分の成長に繋がると思えない単純作業を今後何週間も続けるつもりは無い、と踵を返し、山を下りた息子。よくもまあそんな生意気が言えるもんだな、とあっけに取られる妻と私でした。しかも後で聞いたら、教授たちは大ベテランだとのこと。

「大学から出してもらった4千ドルのGrant(助成金)はどうなるんだよ?全額返済?」

「それは後で考える。とにかく家に帰る。」

ところが土曜の晩になり、やや焦りを帯びた声で息子が空港から電話してきたのです。

「飛行機に乗らせてくれないんだよ。メキシコに入国した記録が向こうのコンピュータに無いって言われてさ。」

ちょうどこの日の午後、アメリカのパスポートが我が家に配達されたのですが、果たしてこれが出発に間に合っていても今回の事件が避けられたかどうかは謎です。

「で、具体的にどうしろって言われてるの?」

「タリスマンっていう国境近くの街に行って、入国スタンプを押してもらえって。これからタクシー飛ばして往復すれば、もしかしたら離陸までに間に合うかもしれない。」

いや、そんな賭けに出るべきではない、今すぐ飛行機の便変更手続きをしてチェックイン済みのスーツケースを取り戻し、ホテルに泊まってしっかり休みなさい、と指示を送る我々夫婦。妻がネットでホリデー・インの予約をし、飛行機便を火曜日まで延ばします。

「有難う。週明けに朝一番でタクシー拾ってタリスマンに行ってくる。」

そして月曜の朝、彼からの電話で事態の急展開を知ったのです。

「グアテマラに追放された!」

国境の検問所を訪ねて事情を説明したところ、一体どうしてお前はこの国にいるんだ、密入国者じゃないのか、と警備隊員に連行され、グアテマラ側に追い出されたというのです。アメリカ側からメキシコ入りした人間を反対側のグアテマラに追放する行為は、どう考えても筋が通りません。しかしこれが、現実に起きてしまったのです。数十分で手続きを済ませホテルにとんぼ返りする腹積もりで出かけていた息子は、スーツケースもラップトップも着替えも部屋に置きっぱなし。携帯しているのはバックパック、財布、日本のパスポート、それにスマホのみです。さてどうする?飛行機便は翌日の晩。しかもホテルのチェックアウトは午後一時です。これから二十数時間のうちに、一旦追放措置を受けた国に戻ってホテルで荷物を回収し飛行機便に乗るなんて、到底不可能に思えます。

「まずはグアテマラの日本大使館に問い合わせなさい。それからメキシコの日本大使館、あと一応アメリカ大使館も。スマホの充電は絶対切らさないように。なるべく電波の届く場所にいなさい。」

こうして超多忙な月曜の朝、妻も私も仕事そっちのけで息子の救出作戦を開始したのでした。

(つづく)