2021年8月29日日曜日

Have no fear 恐れるな


先月末、太陽照りつける金曜の正午過ぎ。上司のセシリアと近所のショッピングモールで待ち合わせしました。数年前に私が同じ界隈に転居して以来、そのうち食事でもしようと何度か話していたのですが、ずっと企画倒れになっていたのです。そうこうしているうちにコロナでリモートワークに突入し、気がつけばぶわっとタイムワープ。七月になってワクチン接種が広まり感染者数も降下したため、ようやく実現の運びとなったランチミーティングでした。

「実は今日こうして直接会おうって誘ったのには、理由があるの。」

インドカレー店のパティオ席。パラソルの下で三種類のカレーを楽しみつつ近況報告を交わした後、セシリアが言いにくそうに切り出します。

「まだ誰にも言わないで欲しいんだけど、十月にまた大きな組織改編がありそうなのよ。」

反射的に鼻で笑い、ゆっくりと首を左右に振ってしまう私でした。はいはい、またですか。一体どれだけ組織変更にエネルギー注ぎ込めば気が済むんだよ、この会社は…。

そもそもさかのぼること2018年九月、私の属する環境部門が他のビジネスラインと袂を分かち、まるで独立国家のような体制で運営されることが決まりました。それまで同じオフィスで働いて来た別部門(交通、建築、上下水道、など)の同僚たちと異なる指揮系統で動くというのです。北米西部地区の大集会にも一応招かれはするものの、オブザーバー的な立場で出席する形になり、なんとも落ち着かない気分。ややこしいことに、わが部門も同様の地域制を採用しているため、「環境部の」北米西部地区が別に存在するという、異母兄弟同居状態。

そんな居心地の悪い状況が続いていた昨年一月、「環境部北米西部」の新体制が発表されました。サンディエゴ支社のセシリアの下でこじんまりやっていた私のプロジェクトコントロールチームは、南カリフォルニア全体を所掌することになり、チームメンバーは二倍に膨れ上がりました。更に西海岸北部をカバーしていたアリーナのチームと合体し、オレゴンのカレンが二人の上司に就任。総勢二十名超の「環境部北米西部プロジェクトコントロール・チーム」が誕生したのです。

ところがそのわずか半年後、さらなる組織改編が発表されます。今度は北米全域を跨ぎ、業種ごとに横串を刺すスタイルの組織に変更するというのです。地域ごとに人を束ねる必要性が薄れるのですから、理論上はポジションを減らすことが可能。果たして数百人がレイオフされ、上司のカレンも会社を去りました。新生プロジェクトコントロール・チームはあっけなく解体され、私のチームはセシリアの下に逆戻り。アリーナのチームは別部門に吸収されました。

そして十二月。私はPDL(プロジェクト・デリバリー・リード)という職務を引き受けます。200件を超えるプロジェクトの財務管理が主な業務ですが、プロジェクトコントロールの仕事も継続することにしたため、就任以降は「起きている時間ほぼずっと仕事」という日常が続いています。最高執行責任者であるコネティカットのジョンが事実上の上司になり、毎週厳しい要求が飛び込むようになりました。

「歳入額が全然目標に達していないぞ。何としてでも月末までに達成してくれ。」

「こんな少額のコンティンジェンシーは必要無いだろう。削除して歳入額を増やせ。」

「シンスケはPM達に甘すぎる。もっとアグレッシブになれ。ギリギリ絞り上げるんだ。」

四半期毎の財務報告は経営者の成績表みたいなものですから、ジョンにとっては理にかなったアプローチです。しかし私にしてみれば、プロジェクトやPM達を危険に陥れるような真似だけはしたくない。近視眼的で金勘定優先の指示を、唯々諾々と受け入れるわけにはいかないのです。プロジェクトにはそれぞれ細かな事情があり、PM達と深く会話して初めて得られる情報は多々あります。チームメンバー達と会ったこともなく現場の状況も知らないジョンに、二千キロの彼方からやいやい言われるたび、

「これには深いわけがありまして、カクカクシカジカ…。」

といちいち弁明する私。エクセル表に並ぶ何百件ものプロジェクトの経営評価を超高速でこなしていくジョンの目には、私がPMの立場を擁護し過ぎているように見えても不思議はありません。

「次の組織改編では、地域枠を完全に撤廃しようって動きがあるの。今の私達は南カリフォルニアを管轄してるけど。それさえ失くそうって話なの。つまり部門長という私のポジションも、あなたのPDLとしてのポジションも、どうなるか分からないのよ。だから、今からそういうケースを想定しておいて欲しいの。」

セシリアの顔に、ようやく本題に斬り込めたという安堵の表情が浮かびます。

「どうしてもPDLの仕事を続けたいというのであれば今からジョンに掛け合わないといけないけど、そういう気持ちは無いんじゃないかって推察してたの。どう?」

「ご明察。PDLのポジションは喜んで返上するし、プロジェクトコントロールの仕事に百パーセント戻れるならむしろハッピーだよ。」

「良かった。思った通りだった。」

「大体さ、ジョンの方だって僕にPDLを続けて欲しくなんてないと思うよ。彼の求めているのは、もっと従順に動いてくれるタイプの人間でしょ。」

セシリアの目に、微かに躊躇の色が差します。それから慎重に言葉を選びながら、こう言ったのでした。

「連絡や報告という面では、あまりあなたのことを高く評価していないみたいね。」

察するに、彼女はこの件で既にジョンと会話を交わしていて、私に対する不満を彼から聞かされていたのでしょう。信頼関係を築けていない相手とのコミュニケーションが円滑なわけも無く、驚くに値しないフィードバックですが、このボディブローは帰宅してからジワジワと効いて来ました。一時は会社を辞めようかと思い悩むほど追い詰められた私ですが、それでも過去半年間、「可能な限りの成果を挙げた」自負はありました。だから高く評価されて然るべきというのは、よく考えれば単なる思い上がりでしょう。ジョンの目に「いつまでも打ち解けようとしない面倒くさい男」と映っていても、文句は言えません。

本職に軸足を残したまま新たな職務を引き受けた理由は、己の剣を錆びつかせたくないという思いの他に、次の組織変更で大波を食らったとしても戻れる港を確保しておこうという、一種の保険でした。しかしそんな保険、一体どれほど有効だというのか?「新体制にシンスケのような人材は必要無い」とジョンがコメントするだけで、一発退場も充分有り得ます。本当にそうなったらどうする?息子は秋から大学三年になるんだそ。あと二年分の学費、払えるのか?

それから毎日のように夫婦で話し込み、二人でビジネスを始めてみるとか、転職の可能性を求めて知り合いに連絡取ってみるとか、アイディアを出し合うのでした。

さて今月半ば、夏休みで帰省していた息子と一緒に、オレンジ郡にあるお気に入りのベーカリーカフェBrio Brioまで出かけました。オーナー夫妻とは以前から仲良くなっており、ちょうど前日からディナーメニューをスタートしたというので駆けつけたのです。この店の食パンとバターロールは、私の生涯ダントツの美味さ。わざわざサンディエゴから長距離ドライブする価値は十二分にあります。

日本での仕事も住まいも全て清算し、背水の陣でこの店を開いた彼等は、ベーカリーを出発点にどんどんビジネスを広げて行こうと意気込んでいました。しかし出会い頭にパンデミックがやって来て開店準備は困難を極め、さらにはアルコール飲料提供のためのライセンスが何ヶ月も下りなかったり、と苦難の連続。旦那さんは過労で何キロも体重が落ちたそうなのですが、「本当に上質なものやサービスを提供すれば客は必ずやって来る」という信念を胸に懸命な努力を続けた結果、今では大評判のベーカリーになっているのです。脱サラしてアメリカで店を開くという一点だけ取っても既に想像を絶するチャレンジなのに、コロナという全く予想外の大波に立ち向かわなければならなかった彼等。それでも二人の目にはエネルギーがみなぎっていて、必ず店を成功させ、将来はこのショッピングモール全体を買い取ってみせる、と野望を語ります。

残念ながら、ディナーを提供し始めて僅か二日目ということもあり、結局この夜の来客は閉店まで我々一組のみでした。

「この状況が二週間も続いたらさすがにキツイですけど、大丈夫。必ず何とかします。」

どんなに大きな障害が立ち塞がろうともとにかく前進あるのみ、という圧倒的な「生きる力」を感じます。ふと気になって、何が彼等をここまで駆り立てているのかを質問したところ、

「南カリフォルニアに住みたかったんですよ。それだけ。」

と笑うご主人。軽く頭を殴られたような衝撃を受けました。こんなシンプルなモチベーションを発射台にして、二人は新天地でゼロからの再スタートを切った。そうか、人間は強い意志さえあれば何でも出来るんだ。自分だって21年前にこの地を訪れた頃、何の武器も持たなかった。仕事のあてもなく二年間で貯金も尽きて、絶望的な状況だった。それでも何とか乗り切ったじゃないか。そうだ、大丈夫だ。「人はいつからでも、何者にでもなれる(中田敦彦)」。

夜のハイウェイをサンディエゴに向かって車を走らせながら、元気をくれたあの夫婦への感謝を噛みしめるのでした。

さて今週月曜の朝のこと、ボスのセシリアからメールが飛び込みます。組織改編のニュースを伝えたいので、緊急電話会議を招集するというのです。いよいよ本決まりか…。深呼吸をしてログインします。

「私が聞いていたのと、全く違う組織形態が発表されたの。環境部門は九月末に解体されて、各地域部門に吸収されることが決まったのよ。」

あろうことか、我々は三年前に逆戻りして、北米西部地区という元の鞘に収まるというのです。はぁ?なんだそれ。じゃあこの三年間は何だったんだ?安堵の前に、言いようのない憤りに襲われる私。度重なる組織変更に伴って費された、あの膨大な時間とエネルギー。理不尽に会社を追われた、優秀な社員たち。三年間に及ぶ壮大な社会実験は大失敗。「やっぱり前の組織に戻しますね、ちゃんちゃん。」って、それで済むのかよ!

翌日の火曜、ジョンがPDLを集めて緊急会議を開きます。

「みんな聞いていると思うが、九月を持ってこの組織体制は終了することになった。これまでの皆の努力には本当に感謝している。残りの期間、しっかり任務を遂行して欲しい。」

PDLが今後どうなるかについては分からない、とジョン。皆優秀だし上層部からの信頼も厚いので、次のポジションはすぐに見つかるだろう。かくいう自分は北米東部地区上下水道部長への異動が決まった、と。電話空間に静寂が訪れます。

「今更こんなこと言ったってしょうがないけど、私はこの仕事を引き受けるために、約束されてた技術畑のポジションを断ったのよ。」

と、カナダ地区を所掌するウェンディがため息まじりに呟きます。そう、PDLの多くは前回の組織改編時、技術系のキャリアと決別して経営サイドに両足を突っ込んだのです。まさかこんなにあっさりと梯子を外されるとは…。ジョン本人も、最高執行責任者というポジションがこれほど短命に終わるとは意外だったはず。そんな想像を巡らせていた矢先、彼がしっかりとした口調でウェンディにこう答えたのです。

“Have no fear. We are all valuable.”

「恐れるな。我々は皆、貴重な人材なんだ。」

うーむ、なんというハートの強さ。色々と確執はあったけれど、この人の持つ「生きる力」に、ちょっぴり感動を覚える私でした。