金曜の昼。抜けるような青空の下、4S Ranchという比較的新しいニュータウンのショッピング・モールにあるイタリアンレストラン「Piacere Mio Del Sur」まで車を走らせました。私の見立てでは、サンディエゴ最高ランクの極上ピザを味わえるお店。この場所を選んだのは、懐かしい友人との再会を祝うためでした。
カリフォルニア州知事の発表により6月15日をもって飲食店の入店制限が解除され、これまで息を潜めていた市民達が、まるでマラソン大会スタートの号砲を聞いたかのように一斉に街へ溢れ出したようで、まだ正午前だというのに既にモールの飲食店エリアではそこここで行列が出来初めています。私の順番がようやく巡って来たので中を覗き込むと、家族連れを始めとした団体が十数組ものテーブル席を埋め、満面の笑顔で歓談しながらランチパーティーに興じています。イタリア語なまりの英語を喋るマスク姿の若い男性店員が、
「申し訳ないんだけど、あとはカウンター席四人分しか空いてないんです。」
と困り顔。ネットで調べた際に予約を取らないと断り書きがあったので直接来てみたんだけど、もうちょい早く集合時間をセットするんだったな、と軽く後悔。
「ここまで混むとは全然予測してなかったよ。」
と、店員が嬉しい悲鳴を上げます。まだ友達が到着してないんだと言うと、着席して飲み物でもどうぞ、と一番奥へ誘われ、足が床に届かないほどのハイスツールに腰を下ろします。忙しげにカクテルを作り続ける黒マスクの男性バーテンダーから笑顔の歓待を受け、ペリエを注文して喉を潤したところ、背後から白人の大男が現れました。
「ヘイ、マイフレンド!久しぶり!」
そう、この日は数ヶ月前に転職して行った元同僚ディックとのランチだったのです。野球帽からはみ出して襟元にかかる栗毛色の長髪、そして無精髭。かつてはすっきりと締まっていた腹部も、半袖シャツ越しに見事な隆起を見せています。長期の在宅勤務で運動不足だったことは一目瞭然ですが、眼光にはエネルギーが漲っていて、再会の喜びは即座に確認出来ました。カラヴァッジオ・ピザとラム肉のパッパルデッレを注文し、限られた昼食時間を有効に使おうと矢継ぎ早に質問する私。
家族は皆元気なこと、リモートワークが続いていて転職以来一度も自分のオフィスに足を踏み入れていないこと、しかしストレスは激減したこと、同僚たちの真摯な気遣いを度々感じること、チームワークが良く個々のモチベーションも高いためか、プロポーザル競争での戦績が驚くほど良いこと。
「クライアントもさ、うちのチームの結束力を感じ取るみたいなんだ。ただ単にエキスパートを沢山揃えてますよ、と売り込むのと違って、このチームに任せれば大丈夫だという安心感を与えられてる。これは転職してすごく感じてることなんだ。」
とディック。それは素晴らしいね、と私。うちの会社は顧客より明らかに株主の満足を優先しているし、社員の多くはいつ辞めさせられるかとストレスを溜めており、その前にとっとと転職しちまおうかと悩む者も少なくない。そんな環境で結束の固いチームを作るなど至難の業です。対してディックの転職先では社員の自主性が尊ばれていて、皆がのびのびと働いているとのこと。
「色々振り返ってみて思うんだけどさ、」
とディックが最適な表現を探そうと宙を見つめて暫し沈黙します。
“It’s like a swing of pendulum.”
「ペンジュラムのスイングみたいなものだ。」
Pendulum というのは振り子のことですが、彼が何を言いたいのか飲み込めず、続きを待ちます。
「トップが変わる度に、会社の方針や組織体制がガラリと180度変わって来ただろう。冷静に考えると、それは必要に迫られてではなく、ただ単に前任者のやり方を否定して新しさを打ち出したいだけの話じゃないかと思うんだよ。大きいことは良いことだ、と言わんばかりに果敢な吸収合併を押し進めたと思ったら、次の代では贅肉を削りまくれと極端なリストラに走ってさ。とにかく前体制を全否定することから新政権がスタートするから、うまく機能していたやり方でさえ、お構いなく嵐のように吹き飛ばして行く。我々末端社員に出来ることは、次の大幅改革とやらが到来するまで頭を低くしてやり過ごすくらいさ。」
つまりディックが言いたかったのは、こういうことですね。
“It’s like a swing of pendulum.”
「まるで振り子の振動みたいなものだ。」
昨年秋の組織改編で私の身の周りに起こった変化も、まさに180度の方向転換でした。西海岸をひとつのブロックとして経営すること、プロジェクト・コントロール部門を一枚岩にし、PM達とパートナーシップを組んで経営改善に望むこと。そういう方針で仕事を進めていたのに、突如東海岸チームがカナダを含めた北米全体の経営指揮権を得て、プロジェクト・コントロール部門はあわや解体の危機に。何とか存続はしたものの、弱体化は誰の目にも明らか。PM達はマイクロ・マネージされ、これまで四半期ごとだった経営状況のチェックも毎月に頻度が上がりました。
PM達が何よりフラストレーションを訴えるのは、自分のプロジェクトの背景をよく知らない遠く離れた連中が、データだけ見て「問題の可能性」を指摘し、「今すぐ解決案を策定しようじゃないか。我々に出来ることは無いか。」と干渉して来ること。そもそもエクセル表に現れたデータはプロジェクトの状況を正しく反映していないことが多く、数字に表せない特殊事情を色々学んで初めて理解出来るケースがしばしばなのです。大勢で寄ってたかって解決すべき問題などそもそも存在しないのだと上層部に納得させるのは時間と労力の無駄であり、有難迷惑でしか無い。地域ごとにマネジメントが任されていた頃は良かった、と。
プロジェクトの問題を発見し解決するのはPM(とそのパートナーであるプロジェクト・コントロール)であり、彼らの自主性を重んじた上で必要に応じ上層部が手を差し伸べる、というのが私が理想とする組織運営です。これに対し新体制は、上層部が監視の目を光らせ、PM達が気づく前に問題の可能性を察知しズカズカと介入する、という流儀。
経営改善のプレッシャーは必要ですが、双方向の信頼関係も極めて重要です。ある程度の自由裁量を与えられている代わりに責任も負っているという自覚があるからこそ、PM達は自信を持って働けるのだと思います。新体制のやり方に適応しつつも、その思想に染まることは避けよう、いずれ振り子は逆に振れるのだから…。そう自分に言い聞かせる私でした。
「結局さ、信頼の欠如に気づいたPM達はやる気を失って行くんだよな。」
とディックが力なく笑います。転職前の彼は、まさにそういう心境だったのでしょう。
彼のこの表情を目にした時、つい最近体験したある出来事を思い出しました。
毎朝一万歩のウォーキングを日課としている私は、薄曇りの早朝、ガランとした住宅街の大通りを軽快に進んでいました。何か前方の景色に違和感を覚えて目を凝らすと、交差点の手前で道の真ん中にSUVが停まっており、運転手らしき若い男性が降りて大声で誰かに呼びかけています。近づいて行くうちに、もう一台、逆向きのSUVが歩道の植え込みに乗り上げ、電信柱の手前でストップしているのが目に入りました。そしてようやく、その左前輪のタイヤがバーストして跡形もなくなっていること、運転席のドアは開いており、車内は無人であることに気付きます。
車道に立って声を上げている男性の視線の先を見ると、痩せた人物が、こちらに背を向けて遠くをよろよろと歩いています。どうしたのかと尋ねると、
「車がこんなことになってるのに、運転手がどんどん向こうに歩いて行っちゃうんだ。心配になって声をかけたんだけど、立ち止まってもくれないんだよ。」
もう一度遠くに目をやると、その人物が突然振り返り、こちらに向かって何か言い始めました。どうやらかなり高齢な人物で、その歩き方から、頭を打って朦朧としているか、どこか怪我をしているかが疑われます。
「どうしよう。俺、もう行かなくちゃいけないんだ。」
と腕時計に目をやる男性に、
「あとは僕に任せて。もう行っていいから。」
と言い、急いで老人の後を追いかけました。
「大丈夫ですか。お怪我はありませんか。」
近寄ってみると、枯れ木のように痩せた白人男性。八十代後半でしょうか。声帯の手術を経験した人のようで、ほとんど声が出ていません。耳を近づけてみると、
「大丈夫。怪我はしてない。」
と答えていることが分かりました。
「どこへ行こうっていうんです?あれはあなたの車ですよね。」
「パンクしたんだ。今から家へ帰らないと。」
「ご自宅は近いんですか?」
「いや、遠い。」
「どなたかご自宅にいらっしゃるのですか?連絡出来ますか?」
「一人暮らしだ。電話は家に置いてある。帰宅すれば連絡する相手はいる。とにかく家に帰らなきゃいかん。」
やれやれ、電話も持たずに外出したのかよ。
「あまり動かない方がいいと思いますよ。頭を打ってるかもしれないし。」
「打ってない。大丈夫。とにかく誰かに家まで送ってもらえさえすれば何とかなるんだ。」
「私は今ウォーキングの最中なので、お送り出来ないんです。一旦車のところまで戻りませんか。」
連れ立ってゆっくりと今来た道を戻り、二人で故障車をしげしげと眺めます。左前輪が大破してはいるものの、よく見ると電信柱の数センチ手前で止まっており、衝突の形跡は無い。歩道に乗り上げてはいるものの、大きな交通の邪魔にもなっていない。確かにこの老人が言う通り、一旦家に戻って電話でレッカー車を手配すれば解決出来るケースのようです。後は彼がどうやって自宅まで辿り着くか、ですね。この人のためにウーバーを呼んであげるべきか。でも、どうやって料金を精算すればいいのか?いや、一旦我が家へ帰って車でここまで戻るか。そうすると彼を15分ほど待たせることになる。そりゃ良くないな…。そうして頭が問題解決モードに突入したその時、サイレンの音が聞こえて来ました。角を曲がってサンディエゴ市警のパトカーが目の前に現れるのと同時に、老人が弱々しい声でつぶやいたのでした。
“Oh boy.”
「マジかよ。」
恐らく一部始終を目撃していた近所の人が、警察に電話したのでしょう。事故車の後方で停車したパトカーから、筋肉隆々の若い警官が二人降り立ちます。何とかおおごとにせぬようもがいた老人が、寄ってたかって問題解決を図ろうと張り切る人々の前に屈する、という皮肉な結末。
「あ、私は単なる通りすがりの者でして…。」
とプロ達に後を任せ、そそくさと立ち去る私でした。