2020年9月13日日曜日

嘘とストレス

 先週月曜日のことでした。


「来月の組織改編について、何か新しい情報入ってる?今度の水曜日に定例電話会議でチームの皆と話すから、我々がどの部門におさまることになりそうか、事前に知っておきたいんだ。」

とジェームスにメールを送ったところ、五時過ぎに彼から電話がかかって来ました。

「ちょうど連絡取ろうと思ってたところだったんだよ。」

ジェームスというのは、環境部門北米西部エリアのオペレーションを統括しているエリート社員です。三年ほど前に転職して来て、短期間に重要ポストを歴任。去年までは南カリフォルニアが担当範囲だったのに、今年から西海岸全域に(アラスカまで)守備範囲を広げました。それまで彼と横並びで北半分を所管していたカレンは押し出される格好になり、二月に立ち上がったプロジェクトコントロール部門とその他共通部門を束ねるポジションにおさまりました。カレンにしてみればあからさまな格下げで、きっと面白くはなかったでしょう。でもプロジェクトコントロールの人員をひとつに束ねようという動きは、それまで明確な組織的認知を受けて来なかった我々にとって、歴史的な決定でした。この新生チーム立ち上げから八ヶ月、その成果は誰の目にも明らかでした。しかしまたしても巨大な組織改編の荒波に襲われ、バラバラに解体されて元の木阿弥になるのではないか、とチームメンバー達から不安の声が漏れていたのです。

「大丈夫。シンスケのチームはほぼ現状通り維持されることになった。」

とジェームス。ひとまず安心です。

北米環境部門では、これまで五つの地理的エリアに分けて運営していたのを、十月から三つの部門(IRE)に再編成することになったのですが、私のチームはI部門に落ち着くことになった、とジェームス。彼自身はE部門で今の仕事を続けるとのこと。

「カレンはどうなるの?」

と私。ボスともども同じ部署に異動が決まればラッキーだな、と思っていたのです。ほんの一瞬、電話の向こうで微かな怯みを見せたジェームスですが、

「彼女はVSP申請が承認されたよ。」

と答えました。VSPとはVoluntary Separation Programの略で、自ら手を上げれば通常よりやや手厚い退職手当が支払われますよ、という「自主退社プログラム」です。

「苦労をともにしてきた仲間だから、本当に残念なんだけど…。」

そうか、カレンは遂に引退する決意を固めたのか。前回電話で喋った時はそんな意思を匂わせもしなかったけど、何か思うところがあったんだろうな…。

そんなわけでチームの存続は確認されたものの、誰の下につくことになるのかまでは未定とのこと。一、二週間の内には詳細が決まるだろう、と説明するジェームスでした。

電話を切った後、さっそくカレンに翌日早朝の電話会議予約のメールを送りました。

「昨日の晩ジェームスと話したんだけど、一応本人の口からも聞いておきたいと思って。」

と開口一番切り出すと、ため息まじりの笑い声で、

「私も昨日初めて知ったのよ。」

と返すカレン。

「え?どういうこと?」

と当惑する私に、

「どんな風に知らされたか聞きたい?」

と畳み掛けます。

「オフィスの月極パーキングの契約期限切れを知らせるメールが届いたの。更新手続きの方法を調べようと人事総務部に問い合わせたら、すごく言いづらそうに、契約延長はしないほうがいいって言うの。で、しつこく理由を尋ねてみたら、あなたは間もなく退職する予定だからって。はあっ?でしょ。」

乾いた笑い。

「で、退職予定日ってのがまた気が利いてるのよ。」

この日付については前日にジェームスから知らされていたのですが、敢えて黙っていました。

9.11(ナイン・イレブン)ですって。どうよこれ?」

確かにそれは随分dark sense of humor(陰気なユーモア・センス)だね、と何とか反応する私。彼女が自主的に退職を決めたわけではないばかりか、こうなることを予測もしていなかった、という事実に衝撃を受けていたのです。彼女の上司のリックも、それからロングビーチ支社のリーダーであるウィルも、皆同じ処遇のようだとカレン。五つの組織を三つに減らすのだから、単純計算すれば副社長クラスの四割が職にあぶれて当然です。それを「自主退社希望者募集」という名目で穏便に処理しようと試みたものの期待通りに進まなかったため、なりふり構っていられなくなった会社側が勝手に自主退社者を選出する、という強硬策に出たのでしょう。

「あなたのチームは安泰よ。それは本当にいいニュースで、ほっとしてるの。」

とポジティブなコメントをつけ加えた後、でもやっぱりね、とカレン。

32年もこの会社でやって来たのよ。32年よ。」

長年に渡る貢献のお返しがこの仕打ちか、という無念さが伝わります。今回の組織改編はコロナが原因ではなく、数年前に策定された長期戦略に則った決定なのだ、という説明は部門のトップから度々説明されていました。でも本当にそうなのか?

確実に言えるのは、「誰かが嘘をついている」ということでしょう。

不都合な目に合う社員に対する気遣い、対外的イメージの維持。理由は何であれ、真実が語られていないのは確かです。滅茶苦茶だった西海岸北部地域の経営を立て直したエピソードを語ろうと試みたカレンが声を詰まらせて数秒間会話が止まった時、あまりの居心地悪さに電話を置きたくなりました。

さて、水曜の昼前。どんよりした気分を振り払い、マイクロソフト・ティームズを使ってメンバーたちとビデオ会議です。

「あのさ、前回のセッションで、これからはみな顔を見せながら話そうって言ったよね。」

と私。カラフルな風船の画像を背景にライブで姿を見せているのが私だけだったので、カメラをオンにするようやんわりと促します。

「ええ?そうだっけ?無理無理。今は絶対無理。」

と女性陣が一斉に抵抗します。

「まあいいけど、次回からはそうしようよ。」

と私。メンバー全員が自由闊達に話せるのが理想のチームじゃないか、顔を見せてなきゃちゃんと身を入れて参加してるのかどうかさえ分からないよ、と主張します。そして組織改編のニュースを含めて事務連絡を淡々と済ませてから、

「じゃあさ、どんなに他愛もないテーマでもいいから自分についてちょっと話すっていう企画やろうよ。こないだそういう話題になったでしょ。」

と焚き付けます。しばしの沈黙。

「じゃ、私から行くわね。」

とオレンジ支社のヴァージニアが口を開きました。お、いいね、と私。

「こないだふと思い出したんだけど、小学校四年生の頃だったか、生徒会長に立候補したの。何でそういう決断に至ったのかは全く思い出せないんだけど、とにかく頑張って選挙活動したのよ。結局五年生の男の子に負けちゃったんだけどね。」

それからまた静寂。ええ?それでおしまい?なんだその唐突な話題?何でもいいとは言ったけどさ…。するとシャノンが、

「公約は何だったの?」

と普通に質問します。おっと、この話題を拡げようっていうのか?すごいな。

「いろいろあったと思うけど、第一に給食の品質改善だった気がする。」

へえ~、そんなこと考えてたんだ、ちっちゃいのに…。と皆で感心します。

「で、改善はされたの?」

とサンタマリア支社のデボラ。え?まだ引っ張んの?と呆れ始める私。

「それがね、選挙には負けたんだけど、それから給食が格段に美味しくなったの!私の公約が影響したかどうかは分からないけどね。」

まあ良かったじゃない!とメンバーたち。この後、更にこの「どうしようもなく他愛もない話」が引き延ばされ続けたのですが、気が付けばチームの会話は楽しいトーンで弾んでいたのでした。さっきまで暗い話題で沈んでたもんな、こういうのいいな。そうじんわり感動していた私は、

「あ、僕もちょっと思い出した。」

と、この日の朝の出来事を話し始めました。客間で仕事していた私のところに妻が来て、「あの子、起きてる?」と尋ねたのが朝九時四十分。自宅からオンラインで大学の授業を受けている18歳の息子が今学期履修しているのは「化学Ⅰ」ですが、授業はカリフォルニア時間で九時からのはず。そういえば彼の部屋から物音が聞こえて来ないな、と訝ってドアを開けてみたら、ベッドで大口を開けて熟睡しています。肩を軽く叩いて「今日は授業無いの?」と尋ねたところ、薄目を開けて一瞬考え込んだ後、がばっと手を伸ばしてスマホをつかみ、時間を確認して飛び起きます。

「ありがと!」

そしてバタバタとトイレへ行ってから再び部屋に戻り、音を立ててドアを閉めました。一クラス十数人の少数編成なので、出席してなかったら絶対バレる状況です。しかもオンラインで顔を見せるフォーマットだから、しれっと途中参加出来るわけがない…。三十分後、キッチンに現れた彼に首尾を話させました。

「もう授業はほとんど終わってたから、イーライに謝ったよ。」

イーライというのは、教授の名前です。どんな言い訳をしたのかを尋ねたところ、

「寝坊しちゃったって言ったんだよ。そしたら、そういうこともあるよって許してくれたの。もう二度と寝坊なんかしませんって言って謝ったよ。」

「え?素直に理由を話したんだ。」

ハッと驚いていた私でした。遠隔でのコミュニケーションなんだから、いくらでも誤魔化せそうなのに…。

「だってイーライは好きな先生なんだよ。好きな人に嘘つきたくないでしょ。」

と真顔で答える息子。そっか、そうだね、確かに…。

高い授業料を払ってる親の目の前で寝坊しておいて、よくもそうぬけぬけと正論が吐けたもんだな、と怒ってやってもいいところかもしれませんが、何か胸にぐっと来るものがあり、黙ってやり過ごした私でした。「好きな人に嘘つきたくないでしょ」というセリフには、社会で揉まれてすっかり擦れてしまった大人たちを、はっと立ち止まらせるパワーがあるな、としみじみ思うのでした。

この話を終えた時、電話の向こうで暫く無言が続きました。あれ?みんなどうしたの?と反応を待っていたら、ヴァージニアがようやくこう言いました。

“Can he mentor my five-year-old?”
「(お宅の息子さん、)うちの五歳児のメンターになってくれるかしら?」

そこで皆笑い、今のエピソードをポジティブに受け止めてくれた様子が窺えました。

会社がどうであれ、このチーム内ではお互い何でも言える間柄にしたい。そのためには、たとえどんなくだらない話でもきちんと時間を割いて会話をしよう。好きな相手には正直になれる。正直でいられればストレスも少ない。ストレスが無ければ仕事は楽しいはずだ。そういうチームを作らなければ、とあらためて思うのでした。

さて金曜の朝、855分。息子の部屋を覗いてみたら、まだベッドの中です。

「おい、今日は授業無いのか?」

スマホで時間をチェックし、跳ね起きた18歳。

「ありがとう!」

とトイレに駆け込もうとする息子を、信じられない気持ちで追いかけます。

「もう二度と寝坊しませんって先生に謝ったばかりだよな!」

正直でストレス知らずなのはいいけど、いくら何でも緊張感が無さすぎるだろ!