同僚サラと久しぶりに打合せした際、調子どう?と切り出したところ、
“Healthy as a horse!”
「馬みたいに健康!」
と笑顔で返して来ました。おおいいね、そういうパワフルな言い回し!とたちまち気に入った私。数年前に実際の馬を間近で見た時、こんなにデカかったのか!と驚嘆した記憶が蘇ります。胸と言い太ももと言い、鍛え上げられた筋肉は圧倒的迫力で、下手に怒らせたらヤバいぞ、と委縮したものです。それにしても、人間の体調を馬で喩えるというのは盲点だったなあ、確か日本語には無いよな、この表現。別の文脈で「馬並み」という喩えならあるけど…。
さて先週は、中学時代から数えて40年以上もの付き合いになる友人Pが東京からやって来て我が家に三日間滞在していました。彼の旅の目的は、伝説のロックバンド「キッス」のファイナル・コンサートに行くこと。去年の秋頃、キッスがサンディエゴに来るぞという情報をつかみ、日本にいる彼に冗談半分で「来る?」とメールで打診した私。まさかねと思ってたら、「行く!」と乗って来たのです。1973年の結成以来不動のメンバー、ポール・スタンレーとジーン・シモンズは、とうの昔に還暦を迎え、間も無く古希。数年前から「もうこれが最後」と毎年のようにファイナル・ツアーを繰り返し信用を落としつつもファンを喜ばせて来た彼等ですが、その年齢を考えれば本当にいつフィナーレが訪れるか分からない。これは行ける時に行っとかないときっと後悔するぞ、という決断でした。キッスファンでも何でもない私は、友人Pの送迎だけ務めることも出来たのですが、「チケット代出すから」というオファーにぐらつき、二人で乗り込むことに決めたのです。
木曜の晩、サンディエゴ州立大学(SDSU)のキャンパス内にあるバスケットボール競技場「ヴィエハス・アリーナ」で7時半開演ということだったので、6時半頃会場入り。入場ゲート目掛けて十列ほどの長い待ち行列が出来ています。周囲には家族連れや若いカップルもいましたが、予想通り大多数は高齢の男性。キッスのロゴ入りTシャツを着た人はもちろん、キッス・メンバーと同じ隈取をした、もはや本人確認不能のイカれた老人ファンも大勢いました。こんな歳になってもまだロックンロールに熱を上げられるのかよ!と呆れつつも感心しきりの私達。
友人Pは数年前からランニングにはまり、ハーフ・マラソンに挑戦するなどして中学・高校時代の体型を維持している健康優良中年です。駐車場から一キロ近く元気に歩いたのですが、アリーナ入口で急に足を止め悩み始めます。どうしたのかと尋ねると、「どのタイミングでトイレに行っておくか」で迷っているとのこと。
どれだけ筋トレや走り込みを重ねても、膀胱まわりの筋肉は鍛えられないようで、頻尿はこの年代の「語られざる常識」なのですね。一旦ライブが始まったらアンコール最終曲終了までは席を外したくない。かと言って喉がカラカラになるほど水分摂取を控えて臨むわけにもいかない(倒れるリスクがあるので)。我々の座席は二階席の前から十列目くらいで、ステージをほぼ正面に拝める絶好のスポットでしたが、会場がすり鉢状になっているため、外のトイレへ行くには心臓破りの坂を登らなければなりません。一旦は腰を下ろしたものの、そわそわが止まらない友人P。「さっき紅茶一杯飲んだだけなのに」と自分のずば抜けた代謝能力に恨み言を垂れつつ、前座の前に早くも二回トイレを往復していました。
さて、夜9時を回っても一向にショーの始まる気配が無く、あれあれ、もしかしてメンバーの体調不良とかで中止になるんじゃないよね、と心配しかけた頃、突然ふわっと照明が落ち、会場のファンが一斉に湧きます。低い声のイントロダクション・アナウンスがこだまし、大音響が炸裂。そして眩い照明。ステージ脇で垂直に吹き上がる火炎柱に合わせて巨大な幕がストンと落ち、黒と銀のまがまがしい衣装を纏った「悪魔の使者たち」が、天井から吊られた三枚の板の上、ギターやベースを弾きつつゆっくりと降下して来ます。お約束の名曲「デトロイト・ロック・シティ」で、ライブがド派手にスタート。観客は瞬時に熱狂の渦に。ステージ奥に三枚の特大スクリーン、天井には18枚の可動式八面体スクリーン。そして四方八方から何十色ものカラー・ビームが放射され、ステージを盛り上げます。
リード・ボーカルのポール・スタンレーは御年67歳ですが、毛むくじゃらの逞しい胸、形よく盛り上がった三角筋と上腕二頭筋、そしてぺったんこのお腹を衣装から覗かせています。カールした黒い長髪を振り乱し、高さ15センチはあろうかと思われる上げ底ブーツで小刻みにステップを踏みながら絶叫するその様は、今まさに荒馬が駆け出さんとするかのような雄々しさ。
その横では間もなく70歳のジーン・シモンズが、ベースで重低音を奏でつつ、トレードマークの長いベロを大蛇のように出したり引っ込めたり。ライブ中盤では血のりをドバっと吐き出したり、松明の火に霧状のガスを吹きかけて人間火炎放射器になったりと、大いに観客を沸かせます。
思ってたのと全然違うじゃん!というのが私の感想でした。途中で息も絶え絶えになり醜態をさらすんじゃないかと高を括っていたら、どっこいこの前期高齢者たち、出だしから全くペースを落とさず、エンジン全開で一時間半演奏しきったのです。アンコール曲の最後は、お馴染み「Rock and Roll All Nite」。
“I wanna rock and roll all night and party every day!”
「ロックンロールしたいぜ一晩中。毎日パーティだ!」
会場のファンも、怒号のような大合唱。う~ん、恐るべし、キッスのメンバーとそのファンたち!どいつもこいつもじじいのくせに、馬並みに元気じゃないか!
興奮冷めやらぬまま建物を出た時、「一応もう一回行っておこう」と二人で男子便所へ向かいます。駐車場に戻るまで距離があるので念のため、と。するとあろうことか、あっと驚く長蛇の列がトイレ前に出来ていたのです。こんなの、行楽シーズンの海老名サービスエリアでも見たことないぞ…。きっと皆ライブ中、どうにか耐えていたのでしょう。膀胱の弾力も限界に達したジジイたちが、もじもじしながら列の進むのを待っています。我々二人の順番がようやく回って来て、手を洗って外へ出ようとした時、背後で悲鳴に似た絶叫が聞こえました。
「俺、74歳なんだよ。頼むから先にやらせてくれ!」
馬並みに元気でも、頻尿だけはいかんともしがたい、というお話でした。