2017年11月24日金曜日

Idiot Savant イディオット・サヴァン

「最近どうしてるの?」

「今はダラスにいるの。来週はサンディエゴに戻ってるから、ランチ行かない?」

先週後半に交わした、同僚マリアとのテキスト・メッセージです。え?なんでテキサスに?

月曜の昼前、ビルの一階ロビーで待ち合わせ、近所のスイーツ系レストランExtraordinary(エクストラオーディナリー)へ。

「どこまで話したっけ?」

歩き始めるや否や、勢い込んで近況報告を始めるマリア。所属部署の解体決定で解雇を予告されたが、ボスのエドが奔走した結果、ロスのR氏に当面の居場所を約束してもらった。エドとエリカは別の落ち着き先が決まっている、というところで話が終わっていました。

「それで、その後どうなったの?」

なんと、当のR氏がどんなに連絡しても返事をくれず、いよいよ万事休すとなった折、エドとエリカが異動する予定の新組織のトップ、アルバートから “Potential Position(求人の可能性あり)というタイトルでメールが届きます。翌日からダラスで会議があるので合流せよ、とのこと。

「それだけ?」

「そうなのよ。約束めいたことは何も書かれてないの。」

レストランに到着して着席し、彼女はBLTサンドイッチ、私はポルタベッラ・パニーニを注文します。

「朝一番の飛行機でダラス支社に駆けつけたの。遅れたらどうしようって不安で、前の晩は眠れなかった。それから二日間、緊張でほとんど寝つけなかったわ。最終日は頭痛と吐き気でもう死にそうだった。」

「で、どんな仕事だって?」

「そこなのよ!」

一人で何足もの草鞋を履くアルバートは、北米のリスク・マネジメントの他、南米エリアの組織づくりも担当している。ブラジルやアルゼンチン、コロンビアなどの国々で展開するプロジェクトのコントロールが課題なのだが、今のところたった一人でこれに当たっている。遅れているIT環境の整備や人事管理のシステムづくりが喫緊の課題なのだが、本社のサポート態勢は不充分で動きが鈍く、なかなか前に進まない。

「なんかイライラした口調で、そういうことをただただ喋るのよ。あれもやらなくちゃいけない、これもやらなくちゃいけないって。だ・か・らぁ、私の仕事はあるんですかぁ?って何度も聞きそうになったわ。」

「そういう背景をしっかり知らせた上で、俺の補佐をしてくれって言おうとしてたんじゃないの?」

マリアと話している最中も、ひっきりなしに携帯のバイブレーションが作動し、幾度となく席を外すアルバート。己の多忙さをイヤというほどマリアに見せつけた後、震えるスマホの液晶画面に目をやった彼が、

「この電話は一緒に出てくれ。」

とスピーカーフォンをオンにします。そして、コロンビアの重役とスペイン語で会話をスタート。

「それまで一度たりとも、私のスペイン語能力を確認しようともしなかったのよ。かなり大事なポイントのはずでしょ?そもそもスペイン語が出来なかったら南米の仕事なんて無理なんだから。何で聞かないのかしらってずっと思ってた。」

電話の相手は猛烈な早口の巻き舌で、しかも話題がワープを繰り返すために発言の意図を理解するのが困難なタイプだったそうです。集中力を高めて電話に耳を近づけ、落ち着いて受け答えしているうちに、「あ、これはテストなんだ!」と気づいたマリア。語学の能力レベルを本人に尋ねるのではなく、いきなり実戦に送り込んで様子を見る。考えてみれば、これが一番確実な実力診断です。

そうしてつつがなく電話会議を終え、この試験にパスしたことを確信したマリア。ところが、その後どんなに待っても肝心のポジションに関する説明がありません。え?仕事くれるんじゃなかったの?と一層困惑する彼女。そしてそのまま会議は終了時刻を迎えます。

「そうだ。パスポートは更新してるか?」

別れ際、思い出したように尋ねるアルバート。最近更新したばかりだ、と答えるマリア。

「ブラジルのビザ(査証)はあるか?」

そんなもの、あるわけないじゃん。

「ロスのブラジル領事館へ行ってビザ取っとけ。」

「おおっ!それはもう当確でしょ!」と私。

「でしょ。私もそう思いたいところだったけど、ポジションの名前も具体的な職務内容も、結局一切説明無しだったのよ。」

なるほど。それは確かに不安だな…。

「アルバートとの打ち合わせが終わった後、人事と電話会議があったの。」

職を解かれる際の、エグジット・インタビュー(離職時面接)です。社員が辞職する際に執り行われる面接ですが、「部署解体による一斉解雇」という今回みたいな特殊ケースでもやるんだな、というのがオドロキでした。

「これまでの長年の貢献に感謝します、なんていうお決まりの儀式の後、何か質問はありますか?って人事の担当者が言うから、来週からタイムシートにどのコードを記録すればいいんですか?って思い切って聞いてみたのよ。この時点では、まだ本当に先が見えてなかったの。」

確かに、アルバートから正式オファーを受けたわけじゃないので、何言ってるの?タイムシートの心配なんか無用でしょ、あなたは解雇されたのよって苦笑されてもおかしくない場面です。

「南米地域部門のチャージ・コードを、メールで送りますね。」

という回答を聞いた時、思わず拳を握り締めて「イエス!」って心の中で叫んだわよ、というマリア。

「やったね!これで間違いなく正式決定じゃん!」

「有難う。ようやく普通に呼吸出来るようになったわ。」

食事が終わって精算の段になり、

「ここは僕のおごりだよ。」

と請求書が載せられたトレイを掴むと、え?なんで?と純粋に不審な表情を浮かべるマリア。

「だってお祝いでしょ。」

「あ、そうか!」

「君のこと、結構心配してたんだぜ。ほんとに良かったよ!」

いつもあっけらかんとして、どんな苦境も「蛙の面に水」とやり過ごすタイプの彼女が、緊張で「死にそうに」なっていたなんて想像がつきません。なんだか愛おしくなりました。

それにしても、彼女の上司になるアルバートの曲者ぶりはなかなかのものです。彼のスケジュールは数週間先まで隙間なく埋められていて、常に複数の仕事を同時にこなしている。恐らく相当な切れ者なのだろうが、コミュニケーション能力に関してはとても褒められたもんじゃない。なすべきことは瞬時に判断出来るものの、それを実行に移す段取りになるとてんで役に立たない。

“He’s an idiot savant.”
「彼はイディオット・サヴァンよ。」

え?なんて言ったの?と聞き返す私。イディオットが「馬鹿、まぬけ」なのは分かります。問題はサヴァン。初耳の単語です。

「特殊分野には滅茶苦茶秀でてるんだけど、一般人が当たり前に出来るようなことがまるで駄目、ってタイプなのよ。」

彼女がスマホを取り出して検索したところ、これは映画「レインマン」に出て来た自閉症患者に顕著な傾向で、電話帳をまるまる一冊暗記出来るなど特殊な才能を持つ知的障害者のこと、と書いてありました。

「う~ん。この説明の通りだとしたら、アルバートにはぴったり当てはまらないかも。でもとにかく、彼は普通じゃないのよ。」

彼女が言いたかったのは、こういうことですね。

“He’s an idiot savant.”
「あれは紙一重の天才なのよ。」

会議の後半でようやくつかめて来たのは、彼が必要としているのは指示待ち人間でなく、問題を察知して勝手に動き、自分でさっさと解決してくれるアシスタントなのだ、と。

「今まではエドやエリカに何でも相談して来たけど、これからは私ひとりで解決策を考えなきゃならないわ。大変だけど、そうと分かればかえって気が楽よ。」

アルバートから救いの手が差し伸べられるのを待っていたけど、実は彼の方が助けを必要としていた。もともと彼女は極めて独立心旺盛な人なので、こうして暴れ回る自由を与えられたことで、その実力を存分に発揮できるかもしれません。

オフィスのビルに戻り、レストランに近い通用口から電子キーを使って入りました。右へ行くと私の階、左にはマリアの階用のエレベーターホールがあります。じゃあね、と言ってマリアが歩き始め、またすぐに立ち止まって振り返りました。

「ランチありがとね!」

「どういたしまして。本当におめでとう!」

と手を振る私。すると彼女は、右手の指を全部ぴんと伸ばして唇につけた後、「ん~んまっ!」と言いながら投げキッスをくれました。

デスクへ戻って仕事を再開し、暫くして同僚クリスティーのところへ行きました。

「イディオット・サヴァンって、どんな人のこと?同僚や上司のことをそう表現するのは不適切?」

すると彼女は、映画「レインマン」の例を持ち出し、ネットに出ていたのと同じ説明をしてくれました。Savant(サヴァン)は頭の良い人のことを指すけど、Idiot(イディオット)で引っ掛かる人はいると思うから、不用意に使うと怒られるかもしれない。

「でもね、ここで働く人のほとんどが、実際かなりの程度イディオット・サヴァンだと思うわよ。私なんて、数字になるとからっきし駄目だもん。」

彼女は重要なプロジェクトを十数件担当しており、その分野では広く知られた凄腕です。しかし財務の話になると、途端にポカンとしてしまうのです。だからこそ、我々のような専門家の助けが必要になるのですね。

イディオット・サヴァンとアシスタント。博士と助手。ボケとツッコミ。そうだ、いいコンビが組めて初めて、世界はうまく回り出す。頑張れマリア、未来は明るいぞ!


2017年11月18日土曜日

Validation Junkies バリデーション・ジャンキーズ

先週金曜の朝、上階で働く同僚リタが下りて来て、私の近くに座るベスと、声を押し殺してひとしきり話し込んでいました。リタが去って暫くすると、ベスが私の席まで来て封筒を手渡します。

「ジャックのフェアウェル・カードよ。一言書いてくれたら次の人に回すから。」

「え?どのジャック?」

まさかと思いましたが、日系アメリカ人の同僚ジャックがこの日で会社を去ると言うのです。二日前に彼とランチルームで世間話を交わした時は、そんなこと匂わせもしなかったのに。これはきっと我が社のお家芸、サプライズ・レイオフに違いないと思いつつ、既にギッシリと同僚達のメッセージで埋め尽くされたカードの裏に、ジャックに対するこれまでの感謝を綴りました。

一昨日、同僚リチャードに上階で会った際、経緯を聞いてみました。

「最近、マネジメント層が転職組にごっそり交代したでしょ。彼等が組織図を見直して、深く考えずに彼の解雇を決めたんだと思うよ。」

木曜の朝いきなり「明日中に会社を去れ」と通告され、さすがのジャックも落胆を隠せなかったそうです。長きに渡って非常勤扱いだったとは言え、その豊富な人脈を活かしサンディエゴ地域のプロジェクト獲得に多大な貢献をして来た人物。それをこうもあっさり切り捨てるなんてね、と二人で首を振り振り溜息をつきました。

「でもさ、なんだかんだ言っても88歳という超高齢で現役を続けていたこと自体が、奇跡と考えて然るべきなんだよね。」

と私が本音を漏らすと、リチャードも笑って同意し、

「近いうちにまたいつものメンバーで食事会を開いて、彼を招待しようぜ。」

と提案しました。

席に戻って暫くすると、リチャードが口にした “He was disappointed.” (彼はがっかりしてた)というフレーズが気になり始めました。通常の引退年齢を遥かに超えて活躍していたジャック。自分から辞職を言い出さない限り、こういう日を迎えることが不可避であるのは重々分かっていたはずです。そんな彼でもやっぱり、突如解雇通告を受ければショックなんだなあ。せめて、これまでの功績を称えるささやかなセレモニーでもやってあげたら良かったのに…。

さて昨日は、先頃マイルストーン達成を祝った環境系巨大プロジェクトのレビュー会議がありました。去年までPMを務めていたセシリアが出世に伴ってプロジェクト・ディレクターへ昇格し、サブに回っていた私がPMの座に戻ることになったこのプロジェクト。四半期ごとに、30分のレビューを受けるのがお決まりです。いつも通り資料を準備していたところ、水曜の午後になって財務部のジョンから、「今回のレビューにはたっぷり一時間かけたい」というリクエストが入り、さらには追加資料の要望まで。これにはセシリアが苛立ちを露わにし、

「二日後の会議のための資料を、どうして今になって増やして来るのよ!」

他にも多数プロジェクトを抱え、家では二児の母である彼女。常に分刻みで過密スケジュールをこなしています。この気まぐれな要求変更に対する憎悪の激しさは、そばにいるこっちが委縮してしまうほどでした。一方私は日本の超ブラックな労働環境に身を置いた経験からか、こういう事態にはすっかり免疫が出来ていて、「ハイハイ大丈夫ですよ、喜んで!」と笑顔アンド揉み手で取り掛かります。ひとしきり悪態をついた後、腹を決めたセシリアは深夜と早朝に自宅で作業。私の成果品と合わせ、全資料が会議の二時間前に整います。そして参加予定者全員に、一斉送信。

レビュー本番、会議室にセシリア、そして大ボスのテリーと三人座ってスピーカーホンのスイッチオン。資料を壁の液晶画面に映し出します。環境部門ナンバー2のジェームス、会計部門のジョスリンが続けて電話会議空間に現れ、少し遅れて財務部のジョンが登場。セシリアとの苛烈な舌戦を予期し、ごくりと唾を呑み込む私。

「会議を始める前にまず言っておきたいんだが。」

と、ジョンが口火を切ります。

「今回のマイルストーン達成を成し遂げたプロジェクトチームに対して、その労を労いたい。おめでとう。」

するとジェームスも、

「本当にこれは快挙だよ。有難う。特にセシリアとシンスケは、本当によくやってくれた。」

と同調します。おいおい何なんだこれ?サプライズ・パーティーか?大ボスのテリーも、

「うちのチームはエース級揃いだもの!セシリアのリーダーシップは抜群だし、シンスケの完璧なプロジェクト・コントロールがあったからこその成果よ。」

とべた褒め。セシリアも思わず相好を崩し、

「有難う。素晴らしいチームで働けてラッキーだと思ってるわ。財務部やマネジメントからのサポートも重要なファクターだった。」

と謙遜します。そんな感じでスタートしたせいか、その後はずっと建設的な討論が続きます。

「オポチュニティ・レジスターにこの項目も加えたらどうだろう?」

「それは良いアイディアだわ!さっそく追加して更新ファイルを送るわね。」

「三か月後のレビュー会議でこのリスク・アイテムを見直して、状況が改善していればその際にこのコンティンジェンシーのリリースを検討しよう。」

「それじゃあこの項目をマークしておきましょう。」

お互いにリスペクトを表明しながら話をすると、会議ってこんなにもポジティブになるんだなあ。電話を切った後も、なんだかフワフワしていた私。大ボスのテリーが、

「随分と予想外の展開になったわね。」

と総括。会議参加者が揃ってちょっぴりハイになっていたことを、三人で確認し合います。そもそも、人の神経を逆撫ですることで有名なあのジョンが、冒頭で真っ先に褒め言葉を述べたからこうなったんだよね。と私。でもこういうの、案外悪くないわね、とセシリアが微笑んだ後、テリーが笑ってこう締め括りました。

“We all are validation junkies.”
「誰でもみんな、バリデーション・ジャンキーなのよ。」

ん?なんだそのフレーズ?何となくの意味は分かったけど、後で席に戻ってあらためて調べてみました。

Validation(バリデーション)というのは、「有効性や妥当性の確認」、Junkie(ジャンキー)は「(麻薬の)常習者」なので、テリーの発言を意訳するとこんな感じでしょうか。

“We all are validation junkies.”
「誰でもみんな、褒められたい病なのよ。」

昨今目にするマネジメントやリーダーシップ系の文献には、「褒めて伸ばす」タイプの論調がはびこっています。ジョンもジェームスも、最近その手の研修を受けて来たばかりなのかもしれない、と勘繰る私。グループで口ぐちに相手を褒め合う時間を経験してみて分かったことですが、これが意外と居心地悪いのです。日本にいた頃、親や上司から褒められた記憶がほとんど無い私は、「褒め言葉シャワー」の圧にうまく対応出来ないみたい。これって最近のアメリカ全体の流行りなのかもしれないな、と思うのは、うちの息子も時々、「全然褒めてくれないよね」と不平を漏らすから。ふざけんな、褒められるほどのことが出来てるとでも思ってんのか!とどやすのはダメで、良いところを見つけて伸ばしてやるのがグッド。きっとそういう教育が当たり前になっているのですね。う~む。でもどうなんだろ?僕にはやっぱり、何だかちょっとキモチワルイ…。なかなか認めてもらえない境遇に奮起して成長を遂げる、という方がしっくり来るんだよなあ。

その晩の夕食後、今や日課になっているギターの練習に取り掛かります。ふと思い立ち、妻が昔から大ファンであるブライアン・アダムズの曲を弾いてみることにしました。Heaven とかEverything I doとかに挑んでたちまち挫折した後、名曲Summer of 69の印象的なイントロを練習。左手の指の動きがスムーズにいかず、30分ほど四苦八苦した後、何とか聞ける程度にまで仕上げます。携帯画面で検索した歌詞をあらためて読んでみて、最初の数小節がなかなかグッと来ることに気付きました。こいつはしっかり練習して、歌もギターも絶対モノにするぞ、とピックをつまむ指先に力が入ります。

I got my first real six string
初めてのリアルな六弦(ギター)

Bought it at the Five and Dime
ファイブアンドダイムで買ったんだ

Played it till my fingers bled
指から血が出るまで弾いたのさ

う~ん、いいねえこれ。今の自分にもちょっとだけ重なるし…。しどろもどろながら歌詞をなぞって唸り始めた私を制し、妻がこう言いました。

「あ、歌はいいから。ギターだけ練習してくれる?」

大好きなブライアンのボーカルが頭の中に流れてるので、余計な声を出さないでくれ、とのこと。

うん、そうだよね。そう来るよね。…そう来なくっちゃ!


2017年11月11日土曜日

Take the fortune by the forelock 幸運の前髪をつかめ

先週土曜の五時半、日もすっかり暮れた後、夫婦でラホヤへ向かいました。立体駐車場の一階に車を停めて長い階段を上り切ると、ハイアットリージェンシーの高層ホテルが見下ろすレストラン群が目の前にさっと開けます。ライトアップされた椰子の木々に囲まれた半円形の車寄せには、滑らかな車体がキラキラと光を反射するベンツやテスラが引っ切り無しに停まり、バレーパーキングのボーイ達がしなやかに動き回って搬送係をこなしています。大きく胸元の開いた黒いイブニングドレスに身を包んだ細身の白人女性や、身体にピッタリした仕立ての良いジャケットを着た銀髪の紳士などが次々に降りて来る。

我々が向かったのは、Truluck’s(トゥルーラック)というシーフード&ステーキ・レストラン。オープンテラスの立食エリアでカクテルグラスを手に談笑するグループの中には、見慣れた顔がちらほら。そう、これはプロジェクトの重要なマイルストーン達成を祝うパーティーだったのです。チームメンバーに加え、クライアントや協力会社の面々が、奥さんや旦那さんを連れて参加。食前酒とアペタイザーが行き渡った頃、テーブルの用意が出来たので中へどうぞ、とウェイトレスに誘われます。

案内された個室には、六人掛けの丸テーブルが5つ。我々夫婦は、大ボスのテリー夫妻、女優並の完璧メークを施した部下のシャノン及びそのご主人フランクと、輪になって着席。壁には大型液晶モニターが二枚設置されていて、スライド・ショーが始まっています。広大な丘陵地の遥かかなたまで延々と続く高圧鉄塔群、その足元に拡がる茶色い荒地、そしてそこにじわじわと緑の植物が茂って行く様子がYear 1, Year 2とタイトル付きで次々に映し出されます。このプロジェクトは、何十キロにも及ぶ大規模送電線工事で破壊された生物環境を六年半で復元する、という壮大な試み。様々な困難を乗り越え、時には想定外の雨にも恵まれ、本年9月に見事目標達成!このパーティーは、その成功を祝うものだったのです。

乾杯の音頭をとったのは、いつもより唇の紅が目立つセシリア。出席メンバーひとりひとりの名を挙げてその労をねぎらいます。六年半前、協力会社のピートが「一緒にチームを組んでプロポーザルに取り組まないか」と電話をくれた時は、第二子の産休明けホヤホヤだった。詳細を聞かぬまま飛びついたけど、あれが全ての始まりだった。プロジェクト獲得後は、理解のあるクライアントや優秀なスタッフ達とゴールに向かってまっしぐらに突き進んだ。「これはチーム全員の力で成し遂げた成功よ!」すると大ボスのテリーが立ち上がって、

「そもそも彼女の強力なリーダーシップが無かったら、この日は来なかったわ。」

とセシリアの肩を笑顔で抱きしめます。目を潤ませて喉を詰まらせるセシリア。大きな拍手の後、食事が始まります。シーバスやサーモン、リブアイステーキなどのメインディッシュが運ばれた頃、テリーが我々夫婦の方を向いて回想を始めます。

「さあプロジェクトをゲットしたぞ、という段になって、ところで誰がPMになるの?って顔を見合わせたのよ。これほどの規模のプロジェクトを経験したことのあるPMは一人もいなかったから。しかも丁度、新しいPMツールを使用せよっていうお達しが上から届いて、皆で途方に暮れてたわ。そんな時、新ツールのトレーニングに現れたのがシンスケだったのね。セシリアと二人で、”We should get that guy!” (あの人を引っ張り込もう!)って意見が一致して、私が上層部に電話をかけまくったの。」

全くの部外者だった私がこのプロジェクトのPMを務めることになったきっかけが、これだったのですね。6年半の時を経て、点と点が繋がりました。人の縁というのは、本当に不思議なもの。あの時ピートの電話を受けたセシリアが話に飛びつかなかったら、いや私のトレーニングのタイミングがちょっとずれていたら、あるいは責任の大きさに怖気づいて辞退していたら、僕は今この席に座っていなかったんだなあ、と感慨ひとしおでした。

パーティー終盤、別のテーブルにいた若い同僚エリックに妻を紹介しました。大学で昆虫学を専攻し、今ではこのプロジェクトの中心メンバーになっている彼。伸びた金髪を後ろで束ね、短いポニーテールにしています。うちの息子が最近彼のお世話になっていたので、夫婦で挨拶に立った、というわけ。

息子の通う高校の三年生は全員、一月に一ヶ月間現場実習(もちろん無給)を経験することになっています。勤務先を自分で見つけて来なければ学校側が勝手にあてがうという段取り。環境系の仕事に興味を持ち始めている息子が私に職探しの協力を求めて来たため、エリックに心当たりを尋ねたところ、Natural History Museum (自然歴史博物館)を紹介してくれたのです。彼自身が数年前までそこで働いていたため、今でも何人かの職員と繋がりがあるのだとか。

「今度の火曜日に採用面接があるんだ。博物館がどんなところで何の仕事をするのか聞きたがってるから、息子と話してくれるかな?」

「もちろん。明日の午後だったら大丈夫だよ。」

と快諾のエリック。

翌日の夕刻、再三のリマインダーをよそに、いつまで経ってもエリックに電話をかけようとしない息子に苛立った私は、とうとうキツく詰りました。

「おい、午後と言ったら普通は暗くなる前だぞ。折角与えてもらった機会をどぶに捨てるような真似だけはやめろよ。」

これにようやく重い腰を上げた渋面の息子は自分の部屋に籠り、ドアを閉めます。十分ほどしてからニコニコ顔で出て来て、

「沢山話をしてもらった。すごく面白そうな仕事だよ。紹介してくれて有難う!」

と興奮を滲ませます。何でも先延ばしにする傾向がある彼は、こうして執拗にプッシュしてやらないとなかなか行動に移らないのですね。この性格は絶対ヤバいぞ、直ちに方向修正してやらなければ、と危機感を抱いた私は月曜の朝、彼を学校へ送る車中、

「チャンスには前髪しか無いっていう話、前にしたよね。すれ違いざまに掴もうとしたら、後頭部はツルツルだって。」

と説教を始めました。

「問題は、そいつの外見が大抵の場合、それほど魅力的じゃないってことなんだ。だからつい見過ごしてしまいがちなんだよ。常に目を光らせ、見た目がどうあれ、これはチャンスかも、と思ったら素早くそいつの前髪を掴む癖をつけた方がいい。」

オフィスに到着し、向かいの席のシャノンに「チャンスの前髪」の話題を振ったところ、そんなフレーズは聞いたことが無い、との返事。ちょうどシャノンとの打ち合わせに現れたポーラにも聞いてみたのですが、私も知らないわ、と首を振ります。ええ?これって一般に流通してないフレーズなのかな?さっそくネットで調べてみたところ、どうやら私の誤解だったようで、前髪を垂らしてるのはチャンスでは無く、fortune(幸運、運命の女神)とかtime (時間、タイミング)なのだそうです。

Take the fortune by the forelock
「幸運の前髪を掴め」

Take time by the forelock
「時間の前髪をつかめ(タイミングを逃すな)」

しかしこうしてきちんと調べがついた後でも、「初耳だわ」と首を傾げるシャノンとポーラ。英和辞典には出てるのにアメリカでは知名度ゼロのフレーズを見つけちゃったぞ…。そもそもForelock (前髪)いう単語ですら、日常会話に登場した試しが無いしなあ。

「でも、意味はすんなり入って来るわね。実感として分かるもの。」

とシャノン。

「でしょ!一昨日のパーティーで思ったんだけど、あのプロジェクトのPMを任されたことで、その後の人生が大きく変わったんだ。その時は結構迷ったんだけど、引き受けて本当に良かったなあってね。」

レストランの名前Truluck’s(トゥルーラック)が「True Luck(本当の幸運)」にも聞こえることに気付いて更に感慨が増したこと、腰が異常に重い息子にこのフレーズを教えてやったこと、などを話していた時、ホノルル支社上下水道部門長のレイからメールが入りました。

「クライアントから、急ぎでCPMスケジューリングをやって欲しいって頼まれてるの。時間作れるかしら?」

彼女のメールをスクロールして行くと、支社内の複数の社員たちに打診して来た様子が窺えます。誰からも色よい返事がもらえず、とうとう本土の私に話を振って来た、というところでしょう。

「もちろん、喜んで力になるよ。」

と素早く返信。するとさっそく電話会議がセットされ、チーフエンジニアのアンも含めて内容を掘り下げました。クライアントの組織改変後、所掌範囲の交通整理が甘かったと見えて、最終処理場の移設計画が頓挫している。このまま手をこまねいていれば、進行中のプロジェクトの終結も先延ばしになってしまう。大至急移設作業をスタートしたいけど、エリア内で進行する他の工事との兼ね合いを鑑みると、そう簡単には動けない。詳細なスケジュールを作成してクリティカルパスの見極めを行う必要が生じて来た。ついてはプロに頼めないか、という依頼だったのです。

「手を挙げてくれたのはあなた一人なのよ。本当に有難う!」

と何度も感謝の意を述べるレイ。

「いやとんでもない。こういうチャレンジを突きつけられると燃えるタイプなんだよ。ところで話を聞いた限りでは、クライアント側にも全ての事情が分かっている人がいない可能性が高いよね。こういうケースでは担当者を回って、一人一人から細かい情報を引き出す作業が必要になると思うんだ。」

「なるほど。言われてみれば確かにそうね。」

とレイ。

「電話で済むかもしれないけど、実際に会いに行った方が遥かに効率的な作業が出来ると思うんだ。出張した方が良ければそう言ってね。ま、予算があればの話だけど。」

「分かったわ。検討させてね。近日中にクライアントと予算折衝するから。」

おいおい、ハワイ出張のチャンスが転がり込んで来たみたいだぞ…。

電話を切りつつ、思わず独り言を呟いていた私でした。

「ほ~らね。」