2017年3月25日土曜日

Clairvoyant クレアヴォイヤント

木曜の夜遅く、15歳の息子が、彼の通う高校主催のカレッジ・ロードトリップから帰って来ました。足掛け四日で北カリフォルニアの大学を八校見学、という強行軍。約百名の同級生たちが大型バス二台に分乗しての、修学旅行めいた長距離ドライブ。仲良しグループごとに席取りをしたため、道中楽しく過ごせた模様。彼の土産話によると、ある日後部座席に固まっていたメキシコ系の級友グループが、大音量で音楽をかけていたのだそうです。たまりかねた息子の親友二コラが立ち上がって注意したことから、小競り合いのようなトラブルに発展。この時、前席の白人生徒たちが誰からともなく、こんな野次を飛ばし始めました。

“Build the wall!”
「壁を建設しろ!」

“Go back to your country!”
「国へ帰れ!」

高校生の他愛もないジョークじゃないか、と一笑に付すには深刻さの度合いが過ぎる。明らかに、新大統領のスローガンに乗っかっているのですね。最近は息子の発言にも、過激な排他思想を窺わせる表現が垣間見えて来たので、先日はあらたまって忠告しました。

「社会で起きている問題というのは大抵、無数の要素が複雑に絡み合った末に表面化しているものなんだよ。それを善悪とか優劣とか原因と結果、みたいにシンプルな事象に二分して論じるのは、あまりにも軽率だし危険なんじゃないかな。経済や治安が悪化しているのは移民のせいだ、だから移民を締め出せ。テロリストの多くはイスラム教徒、だからイスラム教徒を追い出せ。この手の極度に単純化された主張を、もう一度冷静に見つめて直してごらんよ。」

「分かった、もう分かったよ。僕がimmature(未熟)だってことを 公表してるようなもんだって言いたいんでしょ。」

「いや、未熟かどうかより、むしろ知的忍耐力の問題だと思うんだ。計算に入れなければならない要素があまりにも膨大だと、人は考え続けることに耐えられなくなって投げ出しちゃうんだよ。そして自分の怠慢さを誤魔化すために、シンプルな結論を乱暴に捻り出して話を終わらせる。その方がはるかに楽だからね。でも、それでいいのかな。もしもそうしたい誘惑にかられた時は、一旦立ち止まって自分に言い聞かせるべきだと思うんだ。もうちょっとだけ我慢してみよう、考えを一歩進めてみようってね。」

「うん、わかった。本当にそうだね。」

まだまだ素直な息子です。

そんな彼がまだサンタバーバラ界隈にいた水曜日の夕方、ふと思い立って本社副社長のパットにテキストを送りました。

「時間がある時に話せない?明日の朝なんかどう?」

彼女とはこれまで、月一回のペースで連絡を取り合って来ていて、そのサイクルがやって来ると自然に脳のリマインダーが作動するのです。間もなく、今からでどう?と返信が届きました。

「今週はオースティンに来てるの。今、ホテルの部屋。」

ナッツ系のスナックをポリポリかじりながら話し始めるパット。お互いの近況報告を手短に済ませた後、前日ようやく私が完成させた新PMツール対応のエクセル・ワークブックの説明をしました。

「実は今日の午後、ジョーゼフと話してたところなの。今後全米展開しようとしてるトレーニング・プログラム作りに、シンスケの協力を要請しようって。彼ならきっと何か新しいアイディアを持ち込んでくれるからってね。」

そして、彼女がこう続けたのです。

“You must be clairvoyant!”
「あなた、クレアヴォイヤントでしょ!」

ん?クレアヴォイヤント?何だっけそれ?

どことなく超能力を連想させる単語だけど、意味が分からない。後で調べようと、急いでカタカナでノートにメモする私。この後、先週コロラドから「プロジェクト・コントロール・ディレクター」という肩書のステファンがやって来てうちのチームメンバーと個別面談をした話題を出しました。彼の今回の出張は、南カリフォルニアに散在するプロジェクト・コントロールの専門家のスキル・セットを調べ、必要ならトレーニングを実施する、というのが目的。

「ほとんど前置き無く個別に連絡を取って来たもんだから、うちのメンバーたちはナーバスになっちゃってね。」

ある日知らない社員から、あなたの担当業務や技能レベルについて話がしたいといきなりメールが届いたら、誰だって人員整理の動きを疑ってビビります。シャノンに至っては、トレーニングの講師として三週間缶詰状態で奮闘していたさ中、「昼休みを利用して面接をしたい」と講習会場の隣のキッチンで待ち伏せされた、と憤慨していました。

「組織の中で埋もれてしまっている人材をきちんと認識して有効活用し、更にはキャリア発展の後押しをしよう、という最初の趣旨が、いつの間にか消えちゃったみたいだね。」

と私。

「スタート時点で各地域のエグゼクティブたちには、念入りに説明してあるのよ。コンタクトの取り方、面談申し込みのメールの文例まで添えてね。不注意なアプローチで無駄に相手を身構えさせることのないようにって。そういうデリケートな情報がいつの間にか、締め切り日までに何人と面談を済ませるか、という馬鹿みたいにシンプルなゴールにすり替わっちゃったのね。」

図体の大きな組織ではややもすると、情報伝達の過程で微妙なニュアンスがどんどん削ぎ落され、まるで伝言ゲームの果てのように、分かり易く耳触りの良い行動指針だけが残るものです。

「そんな面倒くさいことに時間をかけるより、いっそのことみんなクビにして、実力が分かっている人を外から雇えばいいじゃないかって言い出す輩も結構いるのよ。」

ため息連発のパット。

「社内で既に機能している人材を育成強化することをこの活動の柱にしているのは、何故だと思う?なにも、私が良い人だからってわけじゃないのよ。」

“Because it’s effective!”
「それが有効な手段だからなのよ!」

長い目で見れば、それが最適解なのは疑いようが無い。しかし四半期毎、あるいは月ごとのゴール設定に慣れた意思決定者たちにとって、この主張はあまり魅力的じゃないのですね。月末までに十人と面談する目標を立てた、達成した、褒められた、ボーナス出た、はいお次は?そういうリズムで動いていると、原理原則、大義や理想などというものはふっ飛んじゃうのでしょう。後でこの話を同僚ディックとした時、彼がこう言いました。

「それはうちの会社だけじゃなく、アメリカ全体で起きてることだと思うぜ。」

木曜の昼休み、ランチルームで隣合わせたエリックに、

「ねえ、クレアヴォイヤントってどういう意味?」

と尋ねてみました。暫く考え込んでいた彼ですが、ようやく答えを絞り出します。

「遠くを見通すことが出来るっていう意味だと思うよ。」

「予知能力があるってこと?」

「う~ん、どうかな。時間の概念は関係ないと思うけど。」

すると、その隣に座ってランチを頬張っていた古参社員のビルが会話に飛び入りします。

「ヴォイヤントってのはフランス語由来っぽいな。視界っていう意味だ。クレアがクリアと同じ、つまり、くっきりとした視界ってことだな。」

「なるほど。」

あとでネットを検索したところ、「千里眼」とか「透視能力者」という訳が一般的でした。パットのセリフを意訳すると、こういうことですね。

“You must be clairvoyant!”
「遠くから見えてたんでしょ!」

弁当箱を片付けながら立ち上がったビルが、やや皮肉めいた表情でこう言いました。

「シンスケ、そんなビッグ・ワード(難解な単語)を使ってちゃ駄目だぞ。これからこの国では、スモール・ワード(簡単な単語)だけ使うことに決まったんだから。Make America Great Again!(アメリカをもう一度グレートにしよう!)とかってな。」

そして廊下の向こうへ消えながら、こう小さく叫びました。

“Small word, small brain!”
「簡単な単語、単純な脳みそ!」

この国の近未来が、くっきり透けて見えた気がしました。


2017年3月18日土曜日

This is not a country club. カントリークラブじゃないんだぞ。

木曜日の夕方、オフィス近くにあるホテルのテラスバーで、ちょっとしたパーティーがありました。聖パトリック・デイの前夜祭という名目ですが、要は久しぶりに職場の皆で集まろうよ、というイベント。私のチームはここ数週間、目も回るような忙しさで、正直こういうイベントに参加する余裕はゼロ。でも、今回はちょっと事情が違ったのです。南カリフォルニア地区の環境部門長であるロブがたまたまサンディエゴを訪問していたため、彼も参加するというのです。思案した挙句、新人のアンドリューに参加を促しました。

「滅多に無い機会だから、大ボスに挨拶しておいた方がいいと思う。」

数百人の社員を束ねるロブは、中小企業なら社長に当たる立場です。ひとりひとりの社員と直接会話するチャンスなんかそうそうありません。私ですら、プロジェクトのレビューを電話会議で行う際、彼の質問に答えたことが数回あるだけ。

「パーティーとかそういうの苦手なんすよね。」

と尻ごみするアンドリューに、

「君が根っからのパーティー野郎じゃないことは百も承知だけど、ここは思い切って飛び込んでみなよ。」

「でも、明日から旅行なんです。早く帰らないと…。」

「顔見せるだけでもいいから、参加しといた方がいい。」

「う~ん、でもなあ。」

「大丈夫、僕も一緒に行くから。」

何とか仕事を締め括り、シャノンと三人、少し遅れて会場に乗り込みます。

オープンテラスには椅子席が無く、胸の高さの小さな丸テーブルを囲んでグラスを手に談笑するグループが四つほど散らばっていました。そのひとつに混じって飲み始めた我々ですが、間もなくロブを遠くに発見。よし行くぞ、とアンドリューに目配せします。

「一月からうちのチームに入った新人のアンドリューを紹介します。」

と割り込む私に、若者の顔をじっと見て、

「ラストネームは何?」

と尋ねるロブ。アンドリューの返答に、

「やっと顔と名前が一致したよ。ようこそ。」

と笑顔になるロブ。初めて近くでじっくり眺めたのですが、なかなかのベビーフェイスです。上機嫌の時の柳家小さん(五代目)にやや近いイメージ。

「はい、先週から毎日のように承認申請をじゃんじゃん送りつけていたのは私です。」

と、微妙に赤面しつつおどけてみせる若者。

ひとしきりアンドリューの職務内容について話した後、うちの部門の経営状況はどうですか?尋ねてみました。右肩上がりの堅調ぶりを維持しているよ、とロブ。成功の秘訣は?とすかさず突っ込む私に、満面の笑みで答えます。

「聞けばなあんだ、というくらい、シンプルな話だよ。目標を定めてチームリーダー達としっかり共有し、戦略を練る。そして決められた任務を着実に遂行していく。本当にそれだけなんだ。」

「随分簡単な話に聞こえますけど、その過程で人減らしや配置転換が発生しますよね。これはどうするんです?」

「戦略を固めたら、それを遂行するための役割が定まるね。ここに適材を当てはめる。もしかしたら、その人がこれまでやったことのない任務になるかもしれない。こっちは能力を見込んであてがったとしても、当人は嫌かもしれないし、格下げされたと恨んで去っていくこともある。でもそれは仕方ないことだ。過去30年ある分野に秀でていたからといって、次の10年も同じ道で成功出来るとは限らないだろ。組織の発展のためには全く違う職務に就いてもらわないといけないことだってある。誰だって絶え間ない変化に対応するのは辛い。社員からの抵抗は避けられないよ。でもそんな時、俺は言うんだ。」

一旦言葉を切ってから、静かにこんなセリフを放つロブ。

“This is not a country club.”
「ここはカントリークラブじゃないんだぞ。」

カントリークラブというのは、ゴルフコースやテニスコート、プールなどを備えた会員制クラブのことを指し、メンバーになると、スポーツや会食を通じて友達を作ったり家族付き合いを拡げたり、結婚式などのイベント会場として施設を利用出来ます。思い切った意訳をすれば、

“This is not a country club.”
「ここは仲良しクラブじゃないんだぞ。」

てなところでしょうか。

「俺たちはここで給料もらって働いてるんだ。ゆったり座ってサービスを受ける立場じゃないんだぞってね。」

「なるほどぉ。いいですね。そのフレーズ気に入りました。よそで使わせてもらっていいっすか?」

と言うと、

「無料で進呈するよ。」

とご満悦のロブ。

それから約30分、我々は彼を独占し、じっくり会話を楽しんだのでした。

パーティーが終わって会場を出た時、アンドリューがあらたまって私にお礼を言いました。あんな風に強くプッシュされなかったら、折角の機会を逸していた、と。

「実は僕自身も、ロブと長い話をするのは初めてだったんだ。一緒に行けて良かったよ。彼の経営哲学が聞けたのも収穫だったし。」

と照れる私。すると、彼が急に真顔になりました。

“I don’t totally agree with him.”
「全面的には賛成できませんがね。」

社員がまるで機械の一部のように任務の遂行に全うする組織というのは良くない、と言うのです。前に勤めていた会社がそんなところで、毎朝出勤するのが辛かったのだと。会社というのは社員が仲間意識を持ち、ある程度自由に、そしてクリエイティブに動かなければならないと思う、と。

おお、この若者、意外に気骨があるぞ、と感心する私。振り返ってみると私は、大ボスの話を無批判に傾聴し続けてました。しかも下手するとおべっか使いと取られるくらい、調子よく合いの手を入れてたし。まるでカントリークラブで上司をゴルフ接待する奴みたいに。

う~む、なんかちょっとカッコ悪い…。


2017年3月12日日曜日

この世で一番悲しいフレーズ

15歳の息子は現地校で高校二年ですが(四年制なので)、日本では中学三年生。昨日は、彼の日本語補習校の卒業式でした。伝統的な堅苦しい儀式の後、記念撮影、卒業アルバムのサイン交換、謝恩会、そして二次会のカラオケパーティー、と盛り沢山の一日。大半のクラスメートは幼稚園や小学校低学年からずっと一緒なので、みな背丈が今の半分だった頃からの仲。サイズはでかくなっても、はしゃぎ方は昔とちっとも変わりません。こういう「損得関係の無い」絆で結ばれた仲間というのは、一生の宝だと思います。そんな彼等も、あと数年でそれぞれ社会へ巣立ち、いくつもの夢や挫折を経験して行くのだなあと思うと、何だかドえらく年食った気分になる私でした。

さて、ここのところ成長著しい息子は、水球にのめり込んでいるせいで肩幅もぐんと広がり、自信もついた様子。英語、日本語とも語彙が増え、難しい話題でも会話が続くようになりました。しかし自分の経験上、そろそろ親の助言を素直に受け入れられなくなる年齢なので、あまりくどくどと人生訓を語ったりしないよう心がけています。毎朝我が家から車で15分の距離にある高校へ彼を送る間も、会話は途切れ途切れ。

ある朝私は、いつものように眠たげな彼を助手席に乗せて高速を走っていた時、ふと最近読んだ本の話をしました。

「その中にね、この世で一番悲しいフレーズっていうのがあったんだ。」

と話し始めてから、一瞬ためらいました。彼の年頃にはまだちょっと早かったかな?と。

「え?何?教えてよ。」

意外な食いつきを見せる息子に、答えを発表します。

「過ぎ去ってしまった可能性。」

私は出張中のホテルでこのフレーズを読んだ時、心臓の辺りをグーで思い切り殴られたような衝撃を受けました。人一倍楽しい人生を送って来たという自負は有りこそすれ、やれたはずのことを全てやり遂げて来たわけではない。小さな後悔の数々を閉じ込めて押入れの隅に押しやっていた小箱の蓋を、うっかり開けてしまったような気分にさせられたのです。

「うわぁ、それはほんとに悲しいねえ。」

ちらりと横を見ると、息子が心の底から悲しそうな顔をしています。え?15歳でこれ、理解出来るの?予想外の彼の反応に何故か慌てた私は、我々人間がいかに怠惰で安きに流れやすいか、二度と巡って来ないチャンスを逃し続けて老いることがいかに虚しいか、を滔々と語ってしまいました。しまった、またやっちまった、と悔やんで隣を見ると、息子はしっかり頷きながら同意を示しています。ほっと胸をなでおろす私。

後日ネットで調べてみたところ、原典はJohn Greenleaf Whittierという詩人の言葉でした。英語では、

For all sad words of tongue and pen, the saddest are these, 'It might have been'.
これまでに語られて来た悲しい言葉の中で最も悲しいのは、It might have beenである。

It might have beenの翻訳はなかなかに難しく(「もしかしたらこうなってたかも」って感じ?)、そのままだとイマイチピンと来ません。「過ぎ去ってしまった可能性」という堅い訳にしてもらったお蔭で、ずしんと心に響いたのですね…。

そんなわけで急に興味をそそられた私は、何か他に悲しい言葉は無いかな、とネットを検索してみました。そして見つけた最高に悲しいフレーズが、一時期ドラッグ中毒に苦しみ昨年末に亡くなった女優キャリー・フィッシャーが、晩年に放ったこの一言。

What party?”
「何のパーティー?」

自分が招かれなかったパーティーの話を偶然聞かされた時のリアクションですね。これはキツい…。

合掌。


2017年3月4日土曜日

War Room 作戦司令本部

今週は、ロスのオフィスに朝から晩まで缶詰状態でした。先月中旬全米で使用開始した新PMツールのユーザーサポート用に設けられた「War Room(ウォールーム)」に配属されたのです。直訳すると「いくさ部屋」、意訳すれば「作戦司令本部」というところでしょうか。北米全域(カナダやハワイも含む)で想定される諸問題に対処するため、フロリダ州オーランドに一ヵ所、そしてロサンゼルスに一ヵ所設置されました。

過去7年間馴染んで来たMS-DOS風の旧システムを、いきなり「最新版マックに総とっかえ」くらいの劇的な移行です。数万人の初心者が一斉に使い始めるので、さすがにトラブル無しというわけには行かないでしょう。しかしながら、皆が道具に慣れるまで一旦ビジネスを止めましょう、なんて甘い事も言っていられないので、こうして鉄壁のサポート態勢を敷いたというわけ。

各支社のスーパー・ユーザー達が手に負えない問題をまず地域代表のスーパーユーザー達に上げ、彼等でも無理な場合はこのウォールームに持ち込む。ロス本部に配置されたのは私の他、本社のIT担当アーネスト、ヒューストンから来た大ベテランのベッキー、それにオーストラリアはメルボルン支社から駆け付けたジャクリンの四人。オーストラリア勢は去年からこのツールを使っているので、彼女は一番の経験者。そんな我々四人が知恵を寄せ合っても歯が立たない場合はフロリダのグループと話し合う。それでも駄目なら別室で控える総元締めのジョディに上げる。彼女がソフトの不具合と認めればプログラマー集団に修正コーディングを依頼する、という段取り。

去年Ninjaとしての特殊訓練を受けオーストラリア出張までさせてもらった手前、大っぴらには言えないのですが、実はあまり期待に応える自信が無い私。なんだかんだ言っても、実際のソフトに触る経験は一般ユーザーとほとんど変わらないわけです。こんな偉そうな椅子に座る資格は無いんだよなあ…と、弱気の虫が頭を持ち上げます。

そんなわけで月曜の朝、着席と同時にじゃんじゃん鳴り始める電話に、恐る恐る対応する私でした。

「トロントからかけてます。プロジェクトの予算変更を提出したらこんなエラー・メッセージが出て、○○をクリックしたら今度は○○がおかしくなって…。」

「ニューヨークの○○だけど、どうしてもこれが分からないんだ…。」

こんな調子で、既にみっちりトレーニングを受けて来たスーパーユーザー達ですら「お手上げ」の難問がどかどか飛び込んで来ます。電話の主にはニンジャ仲間のティムやエリックもいる。そんな彼らが頭を抱えるような問題が、ボクニワカルワケナイジャンカ。ベッキーやジャクリンに聞こうにも、彼女達だってひっきりなしに電話に出てるし。

仕方なく毎回、「調べて折り返し連絡します」と答えるしかない私。その場ですっきり解決してもらえるだろうと息を弾ませていた相手が電話の向こうでがっかりする様子を想像し、気持ちがちょっぴり沈みます。何とか調べて一件解決する間に新たなお題が三件くらい、電話とメールとテキストを介して飛んで来る。未解決の懸案がみるみる山積みされて行く。朝8時から夕方6時過ぎまでほぼ休みなしでこの状態が続き、じわじわと精神的消耗が増してくる。そして水曜の午後5時過ぎ、まるで突然のガス欠に見舞われたかのように脳が停止してしまいました。ヤバい、何とか持ち直さなくては…。

そんな時、廊下の向こうから懐かしい顔が現れます。9月にダラスでトレーナー養成のための集中講座で「同じ釜の飯を食った」、ミリセントというオーストラリア出身の女性社員。当時はニューヨーク支社に勤務していたのですが、最近ロス支社に引き抜かれ、一週間前重職に着任したばかりだと言います。先週半ばに同僚から紹介されたジャクリンが偶然にも同郷だと分かり、意気投合して週末二人で遊びまくった、とのこと。

「これからジャクリンとご機嫌なバーに行くんだけど、シンスケも一緒にどう?」

もともとスーパー下戸な上に心底疲れ切っていた私は、やんわり断ろうとしました。ところが、

「そこのメキシカン料理が抜群に美味しいのよ!」

という言葉にぐらり。腹減ってるし、じゃ、ちょっとだけ行くか、と乗っかります。

水曜の7時前だというのに、BAR AMAは既にほぼ満席。かろうじてテーブル席を確保します。次々と運ばれるスパイスの利いたエキゾチックな料理に舌鼓を打ちつつ、ジャクリンとミリセントの話に耳を傾けます。

ジャクリンは、二十代半ばまでオーケストラでフルートを吹いていたという変わり種。ベルリンフィルみたいな一流どころに所属していれば話は別ですが、この楽器で飯を食っていくのは至難の業なのだそうで、将来を案じた彼女は一大決心し、音楽の道を断念。それから職を転々とします。チェコで英語教師、イギリスでフライトアテンダント、オーストラリアに戻ってウェイトレス、と色々やっているうちにリクルーターの友人に勧められ、今の会社に入ったのだと。一方ミリセントは、ニューヨークで出世のチャンスが巡って来なかったので、自らロスの人脈を当たり、今回異例の昇進をゲットして引っ越して来たのだそうです。オーストラリアの同じエリアで育った二人がここロサンゼルスで巡り合った偶然にあらためて驚嘆していた時、ふと私があることを思い出します。

「あのさ、オーストラリア出張前のトレーニング中、ご当地ネタで盛り上がってたんだけど、どうしても分からないことがあったんだ。男子用競泳パンツを、オーストラリアではなんとかスマグラーって呼ぶって聞いたんだけど、あれどういう意味?」

くすりと笑って顔を見合わせるジャクリンとミリセント。

「バジー・スマグラーのこと?」

「あ、それそれ。アメリカじゃスピードゥって呼ぶでしょ。何なのそのバジー・スマグラーって?」

するとジャクリンがiPhoneを取り出し、さくっと写真検索してこちらに差し出します。水色や黄緑色の、可愛いセキセイインコが並んでいます。

「これがBudgie(バジー)よ。」

「あ、これは知ってる。子供の頃飼ってた!」

「こういうバジーをスマッグル(密輸)するってこと。分かるでしょ?」

インコの密輸業者?パンツが?しばらく考えてからようやく合点が行き、こらえ切れず笑い出す私。

「私達とこんなこと話したって、よそで言っちゃ駄目よ。」

とミリセント。

ここへちょっと遅れて、ジョディが到着します。

「私達、今ちょうどシンスケにBudgie Smuggler(バジー・スマグラー)の意味を教えてたところなの。」

と笑う二人に、ジャケットを脱ぎながら顔色ひとつ変えずジョディが返します。

「私の男友達なんて、俺のはファルコン・スマグラーだって粋がってたわよ。」

彼女もオーストラリアからの出張組。実はこの人が今回の新PMツールの生みの親なのです。二年前、「業務体制の抜本的改善をしよう」という小さなプロジェクトがスタートした際、オリジナルメンバーの一人だった彼女。それが段々と膨らんでいき、世界規模でのPMツール開発となったのです。

「苦労して産み育てた我が子が、高校卒業して家出るのを見送る気分ね。」

その時のチームで、今でも会社に残っているのは彼女だけ。もう一人の育ての親クリスティーナは、数か月前、突然辞職してしまいました。

「ふたりの子供がいるのに一年の大半は出張だったでしょ。このままじゃ家庭崩壊、というところまで追い詰められてたの。すごく悲しかったけど、クリスティーナの将来のためには正しい選択だったと思うわ。今週末は、オーストラリアに戻る前にボストンへ飛んで、彼女と飲むのよ!」

ジョディはこの後、新PMツールの今後の展開について詳しく教えてくれました。イギリス、アイルランド、アフリカ、シンガポール、上海、香港。そしてヨーロッパおよび中国全土へ。

「アフリカでトレーナーが必要なら、絶対私をリストに入れてね!」

とミリセント。

「今だから言うけど、Ninjaに選ばれなかった時は結構落ち込んだのよ。オーストラリア出身の私がどうしてオーストラリアのサポートに呼ばれないの?って。次のチャンスは絶対逃したくないわ。」

気鋭のキャリアウーマン3人との食事は非常に刺激的で、まるでかつての人気ドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」のワンシーンに紛れ込んだかのようでした。タイプで分けると、

ジャクリン=キャリー
ミリセント=シャーロット
ジョディ=ミランダ

てな感じでしょうか。

二杯のカクテルを飲み干した頃には、ミリセントとジャクリンとの会話は幾分かキワドくなっていました。オーストラリア特有の英語表現について尋ねると、卑猥な言い回しを次々と繰り出す二人。使う機会が無さそうなのでひとつもメモしませんでしたが。

「そうだ、思い出したわ!」

と突然目を見開いて声を上げるミリセント。

「9月のダラスでのトレーニングの中日が終わって、暑い中みんなでホテルへ戻ったの。すし詰めのエレベーターは蒸し風呂状態だったわ。その晩のグループディナーにどんな服装で臨むべきかという話になった時、誰かが、こんなに暑いんだからカジュアルでいいんじゃない?って言うの。そこで思わず私、Thongで行こうかしら、って呟いたのね。その瞬間、ガラリと周りの雰囲気が変わるのを感じたわ。隅っこにいたフィルがニヤつきながら、ズボンも履いて行った方がいいぜって言うの。」

ジャクリンとジョディがくすくす笑っています。話のオチが呑み込めない私は、眉をひそめて先を促します。それを見てゲラゲラウケる女性陣。

Thongっていうのは、オーストラリアではビーチサンダルのことなのよ。」

とミリセント。で、アメリカではどういう意味なの?と尋ねる私。

「ひもパンというか、Tバックのことね。」

とジャクリン。再び爆笑する女性陣。

後半は下ネタ満載だった夜会を終え、皆にさよならを言ってホテルまでの夜道を一人歩きます。部屋に戻って椅子に座り、ミリセントにお礼をテキスト。

「女子会に混ぜてくれてありがとね。楽しかったよ。」

間髪入れず、返信が届きます。

“We are a family now, of course you are always welcome!”
「私たちはもうファミリーよ、もちろんいつでも大歓迎!」

ウォールームのストレスで押し潰されそうになっていただけに、嬉しい一言でした。そうだ、こうして敢えて厳しい環境に身を置いているからこそ、優秀で面白い人達に会うチャンスが増えるんだ。試練から逃げずに進んで来て本当に良かった…。

就寝前にYouTubeをブラウズしていて、ふと見つけたH-Jungle with T“Wow War Tonight”に久しぶりに聴き入りました。後半にこんな歌詞があり、じわっと来ました。

いつの間にやら仲間はきっと増えてる
明日がそっぽを向いても走りまくれよ
そうしてたまには肩を並べて飲もうよ