木曜の夜遅く、15歳の息子が、彼の通う高校主催のカレッジ・ロードトリップから帰って来ました。足掛け四日で北カリフォルニアの大学を八校見学、という強行軍。約百名の同級生たちが大型バス二台に分乗しての、修学旅行めいた長距離ドライブ。仲良しグループごとに席取りをしたため、道中楽しく過ごせた模様。彼の土産話によると、ある日後部座席に固まっていたメキシコ系の級友グループが、大音量で音楽をかけていたのだそうです。たまりかねた息子の親友二コラが立ち上がって注意したことから、小競り合いのようなトラブルに発展。この時、前席の白人生徒たちが誰からともなく、こんな野次を飛ばし始めました。
“Build the wall!”
「壁を建設しろ!」
“Go back to your
country!”
「国へ帰れ!」
高校生の他愛もないジョークじゃないか、と一笑に付すには深刻さの度合いが過ぎる。明らかに、新大統領のスローガンに乗っかっているのですね。最近は息子の発言にも、過激な排他思想を窺わせる表現が垣間見えて来たので、先日はあらたまって忠告しました。
「社会で起きている問題というのは大抵、無数の要素が複雑に絡み合った末に表面化しているものなんだよ。それを善悪とか優劣とか原因と結果、みたいにシンプルな事象に二分して論じるのは、あまりにも軽率だし危険なんじゃないかな。経済や治安が悪化しているのは移民のせいだ、だから移民を締め出せ。テロリストの多くはイスラム教徒、だからイスラム教徒を追い出せ。この手の極度に単純化された主張を、もう一度冷静に見つめて直してごらんよ。」
「分かった、もう分かったよ。僕がimmature(未熟)だってことを 公表してるようなもんだって言いたいんでしょ。」
「いや、未熟かどうかより、むしろ知的忍耐力の問題だと思うんだ。計算に入れなければならない要素があまりにも膨大だと、人は考え続けることに耐えられなくなって投げ出しちゃうんだよ。そして自分の怠慢さを誤魔化すために、シンプルな結論を乱暴に捻り出して話を終わらせる。その方がはるかに楽だからね。でも、それでいいのかな。もしもそうしたい誘惑にかられた時は、一旦立ち止まって自分に言い聞かせるべきだと思うんだ。もうちょっとだけ我慢してみよう、考えを一歩進めてみようってね。」
「うん、わかった。本当にそうだね。」
まだまだ素直な息子です。
そんな彼がまだサンタバーバラ界隈にいた水曜日の夕方、ふと思い立って本社副社長のパットにテキストを送りました。
「時間がある時に話せない?明日の朝なんかどう?」
彼女とはこれまで、月一回のペースで連絡を取り合って来ていて、そのサイクルがやって来ると自然に脳のリマインダーが作動するのです。間もなく、今からでどう?と返信が届きました。
「今週はオースティンに来てるの。今、ホテルの部屋。」
ナッツ系のスナックをポリポリかじりながら話し始めるパット。お互いの近況報告を手短に済ませた後、前日ようやく私が完成させた新PMツール対応のエクセル・ワークブックの説明をしました。
「実は今日の午後、ジョーゼフと話してたところなの。今後全米展開しようとしてるトレーニング・プログラム作りに、シンスケの協力を要請しようって。彼ならきっと何か新しいアイディアを持ち込んでくれるからってね。」
そして、彼女がこう続けたのです。
“You must be
clairvoyant!”
「あなた、クレアヴォイヤントでしょ!」
ん?クレアヴォイヤント?何だっけそれ?
どことなく超能力を連想させる単語だけど、意味が分からない。後で調べようと、急いでカタカナでノートにメモする私。この後、先週コロラドから「プロジェクト・コントロール・ディレクター」という肩書のステファンがやって来てうちのチームメンバーと個別面談をした話題を出しました。彼の今回の出張は、南カリフォルニアに散在するプロジェクト・コントロールの専門家のスキル・セットを調べ、必要ならトレーニングを実施する、というのが目的。
「ほとんど前置き無く個別に連絡を取って来たもんだから、うちのメンバーたちはナーバスになっちゃってね。」
ある日知らない社員から、あなたの担当業務や技能レベルについて話がしたいといきなりメールが届いたら、誰だって人員整理の動きを疑ってビビります。シャノンに至っては、トレーニングの講師として三週間缶詰状態で奮闘していたさ中、「昼休みを利用して面接をしたい」と講習会場の隣のキッチンで待ち伏せされた、と憤慨していました。
「組織の中で埋もれてしまっている人材をきちんと認識して有効活用し、更にはキャリア発展の後押しをしよう、という最初の趣旨が、いつの間にか消えちゃったみたいだね。」
と私。
「スタート時点で各地域のエグゼクティブたちには、念入りに説明してあるのよ。コンタクトの取り方、面談申し込みのメールの文例まで添えてね。不注意なアプローチで無駄に相手を身構えさせることのないようにって。そういうデリケートな情報がいつの間にか、締め切り日までに何人と面談を済ませるか、という馬鹿みたいにシンプルなゴールにすり替わっちゃったのね。」
図体の大きな組織ではややもすると、情報伝達の過程で微妙なニュアンスがどんどん削ぎ落され、まるで伝言ゲームの果てのように、分かり易く耳触りの良い行動指針だけが残るものです。
「そんな面倒くさいことに時間をかけるより、いっそのことみんなクビにして、実力が分かっている人を外から雇えばいいじゃないかって言い出す輩も結構いるのよ。」
ため息連発のパット。
「社内で既に機能している人材を育成強化することをこの活動の柱にしているのは、何故だと思う?なにも、私が良い人だからってわけじゃないのよ。」
“Because it’s effective!”
「それが有効な手段だからなのよ!」
長い目で見れば、それが最適解なのは疑いようが無い。しかし四半期毎、あるいは月ごとのゴール設定に慣れた意思決定者たちにとって、この主張はあまり魅力的じゃないのですね。月末までに十人と面談する目標を立てた、達成した、褒められた、ボーナス出た、はいお次は?そういうリズムで動いていると、原理原則、大義や理想などというものはふっ飛んじゃうのでしょう。後でこの話を同僚ディックとした時、彼がこう言いました。
「それはうちの会社だけじゃなく、アメリカ全体で起きてることだと思うぜ。」
木曜の昼休み、ランチルームで隣合わせたエリックに、
「ねえ、クレアヴォイヤントってどういう意味?」
と尋ねてみました。暫く考え込んでいた彼ですが、ようやく答えを絞り出します。
「遠くを見通すことが出来るっていう意味だと思うよ。」
「予知能力があるってこと?」
「う~ん、どうかな。時間の概念は関係ないと思うけど。」
すると、その隣に座ってランチを頬張っていた古参社員のビルが会話に飛び入りします。
「ヴォイヤントってのはフランス語由来っぽいな。視界っていう意味だ。クレアがクリアと同じ、つまり、くっきりとした視界ってことだな。」
「なるほど。」
あとでネットを検索したところ、「千里眼」とか「透視能力者」という訳が一般的でした。パットのセリフを意訳すると、こういうことですね。
“You must be
clairvoyant!”
「遠くから見えてたんでしょ!」
弁当箱を片付けながら立ち上がったビルが、やや皮肉めいた表情でこう言いました。
「シンスケ、そんなビッグ・ワード(難解な単語)を使ってちゃ駄目だぞ。これからこの国では、スモール・ワード(簡単な単語)だけ使うことに決まったんだから。Make America Great Again!(アメリカをもう一度グレートにしよう!)とかってな。」
そして廊下の向こうへ消えながら、こう小さく叫びました。
“Small word, small
brain!”
「簡単な単語、単純な脳みそ!」
この国の近未来が、くっきり透けて見えた気がしました。