2016年12月31日土曜日

Move the needle 針を動かす

12月最終週。クリスマス前から周りの社員は休みがちで、オフィスは閑散としていました。木曜日も出勤率は一割にも満たず、朝から電話一本鳴りません。実に穏やか。早めに切り上げて帰り支度をしようかな、と思っていたお昼前、建設部門のベテランPM、キースから電話が入ります。彼の担当するテキサスのプロジェクトについてでした。

これは、我が社が二年前に買収した会社がその四年前にスタートしていた仕事。買収前にクライアントから一時休止の指示が出ていたため、凍結状態のまま新組織の在庫の一部に組み込まれ、暫く埃を被っていたのです。それが今年の夏、「2017年の1月に再始動して欲しい」との要請を受けたのですが、当時のメンバーが既に総員辞職していたので、上層部がキースにPMを任せた、というわけ。そのキースに財務分析を頼まれた私の答えが、

「こりゃとんでもない大出血プロジェクトだよ。」

一見順調そうでも、丹念に契約書を読み込んで注意深くコスト予測をすると、全く違う未来予想図が見えて来ることが多々あります。これもその好例でした。これにはキースも衝撃を受けたようで、自分がPMとして仕事を始める前に教えてくれて良かった、どうも有難う、と何度もお礼を言われました。

ところが、最悪の財務分析結果を知らされた上層部は、「こんな大赤字プロジェクトは到底受け入れられない。即刻契約を解除すべきだ。」とか「これはそもそもテキサス管轄のはずじゃないのか、今からでもあっちに所管を移すべきだ。」などと見苦しいまでの大騒ぎ。どうするんだ、再スタートの日が迫ってるぞ、誰が面倒見るんだ?俺んとこじゃないぞ、と責任のなすり合いが続きます。先週後半、いよいよあと3週間でキックオフ・ミーティング、というタイミングで、ちょうどキースがクリスマス休暇に入ってつかまらなかったため、私が上層部からの度々の質問に答えることになりました。

「僕が留守の間、君を矢面に立たせてしまって済まなかったね。」

と電話の向こうのキース。

「いえいえ、こういうの慣れてますから。」

「全く呆れるよ。結局、年の暮れになるまで誰も何もしないんだからな。今日の12時に、この件の最高責任者を交えた電話会議があるんだ。今日こそ決断が下されることを祈ってるよ。」

もしもこのままプロジェクトを続行するのであれば、キースは一家でテキサスへ引っ越すつもりなのです。14歳の娘さんは転校しなきゃいけなくなるし、これは会社にとってだけでなく、彼の家族にとっても非常に大きな転換点になるのです。

電話会議に出席するメンバーのこと、変更要求に対するクライアントの反応、赤字額を巡る各方面からのプレッシャーなどを語るキースが、セリフの合間にこんなフレーズを挿入したことを聞き逃さなかった私。

“We are moving the needle.”

直訳すればこうです。

「我々はニードル(針)を動かそうとしている。」

ん?何のこと?

彼がそのまま話を続けたので質問のチャンスを逃し、急いでノートに書き取ります。でも、このフレーズが気になってしまい、会話に身が入りません。針を動かすというのだから、きっと「慎重に」とか「注意して」という意味だろう、と予測したのですが、それだと微妙に文脈からずれてる気もします。頭の中には、「急速に衰弱して行く王様を救うため、外せば命に関わる極めて微妙なツボにハリを打ち込もうと構える宮廷鍼灸師」の姿が浮かんでいました。

午後になって、Tシャツ、ブルージーンズにビーチサンダル姿(完全に休日モード)で出勤していた同僚ディックに質問をぶつけてみました。

「いや、そういう針のことじゃないよ。」

彼によると、これは体重計などの計測器についている、数値を示すために振れる針を意味しているのだそうです。

「ビジネスでは、組織の財務に大きな影響を及ぼすような行動を起こす時に使う言い回しなんだ。要するに、経営状況を計測する機械の針が大きく振れるような何かをするってことだね。ポジティブにもネガティブにも。俺が担当してるような小粒プロジェクトだと、俺が何をしようと針はピクリとも動かないから、使うチャンス無さそうなフレーズだけど。」

と自嘲気味に笑うディック。なるほど、これで分かりました。キースが言いたかったのはこういうことですね。

“We are moving the needle.”
「この件はインパクトでかいんだ。」

考えてみると私は、担当業務の性格上、こんな風に「針が大きく振れる」情報を提供する立場に立つことが多いのです。他の誰も気付かないような病の種を見つけ出して分析し、真の病状を分かり易く表現する。聞かされる方は大抵、衝撃のあまり拒絶反応を起こしたり悲嘆に暮れたりするけれど、早く知るに越したことは無いのです。実際、早めに手を打つことで被害の拡大を食い止めたケースも多々あります。だからこそこの仕事はやりがいがあるのだけど、時々は誤診の可能性を考えて恐ろしくなります。もしも私の計算ミスで経営幹部を右往左往させたりしたらと想像すると、背筋が凍りつくのです。それこそ鍼灸師のように、細心の注意を払ってプロジェクトに向き合わないといけないな、と自分に言い聞かせた歳の瀬でした。


2016年12月23日金曜日

Pleasantly Surprised 嬉しいサプライズ

オーストラリア出張から戻った翌日の月曜。オフィス内は壁やカウンターや窓にイルミネーションが張り巡らされ、赤や緑の飾り付けでクリスマスを迎えるワクワク感が演出されていました。

例年通り、机の上には大ボスのテリーからのギフトが置いてあります。ホワイトチョコでコーティングされた棒状のプレッツェルが、セロハン紙の袋に包まれ赤いリボンで閉じられています。部下が百数十人はいるっていうのに、一人一人にこういう気遣いをしてたらさぞかし大変だろうな、とあらためて感心していました。一月に私が新居を購入したことを話した翌朝などは、出勤してみたらHome Depot(ホームセンター)のギフトカードが机の上にありました。カードにはテリーの手書きで、「少額だけど、ガーデニングやリモデルに用立ててね。」としたためてあります。ハートを鷲掴みにされたことは、言うまでもありません。

さて、出張明けの月曜日。実はこの日、時差ボケ調整のために休むつもりでした。しかし、どうしても出勤しなければいけない理由があったのです。朝一番で、新人の面接が決まっていたのですね。私がまだシドニーにいた前週金曜日(オーストラリア時間の土曜早朝)、シャノンとカンチーに面接を任せたところ、二人ともが太鼓判を押したのです。「まるで自分の男性バージョンと話してるみたいだったわよ。」とシャノン。サンディエゴの会議室とシドニーのホテルとを結ぶ電話で二人からの大絶賛を聞きながら、そこまで言うならもう採用決めちゃおうか、と笑っていたら、

「あら、テリーが入って来たわ。」

とシャノン。一応上司になる私が会ってから決断すべきだろうというテリーの意見で、第二次面接をセットすることにしたのです。

「私もその子に会ってみたいから、面接に参加させてね。」

とテリー。

さっそくリクルーターのメレディスを通し、日程を調整します。火曜日はどうか、と打診したところ、先方がクリスマスから新年にかけての休暇をコロラドで過ごす予定で、月曜午後の航空券を購入済みだとのこと。それなら月曜朝一番しかない、という話になったのです。

そして迎えた月曜午前8時。テリー、私の直属の上司レイ、それにシャノンと四人で新規採用候補者のアンドリューを迎えます。スーツにネクタイ、短めの髪を綺麗に撫で付け、清潔な印象の白人の若者。笑った時に、上下の歯の矯正が露出します。

「来てくれて有難う。これは第二次面接なんだ。今日は僕とそのボスたちと話をしてもらうよ。」

コロラドで苦学して会計の学位を取ったこと、一旦は会計士の道を目指したが、キャリアについてはまだ模索していること、今はサンディエゴの北の街でスタートアップの会社を助けているが、先行きが不透明なこと、年取った祖母を助けて暮らしていること、など彼のバックグラウンドを話してもらった後、会社やサンディエゴの職場に関する質問を受ける流れになりました。そんなやりとりの中で、彼が信頼に足る人物であることがじわじわと分かって来ました。

プロジェクト・コントロールの職務に一番大切なのは、人を助けることを心から楽しめる性格です。そのためには、エゴを捨て去り、全神経を集中して相手の話を聞き、短時間に可能な限りの情報収集をし、猛然と問題解決に取り組む集中力を育てなければならない。大抵の候補者は面接中、自分の知識や経験を印象付けようと誇張したり、こちらが話している間にもう次の発言内容を考え始めていたり、という「綻び」が見えるものです。でもこの若者からは、その兆しすら感じませんでした。

「ちょっとここで待っててもらえるかな。」

一時間経過したところで彼を会議室に残し、一同退室します。

「どう?いいでしょ?」

と微笑むシャノン。私が気に入ることは最初から分かってたわ、と言わんばかりのしたり顔です。

「うん、本当に大当たりだね。テリーは?」

「矯正がキュートよね。」

と冗談めかしつつ同意するテリー。レイも大きく頷いています。

「お待たせ。」

会議室に戻って席に着き、アンドリューに書類を手渡しました。

「これは我々からのオファーレター。内容をよく読んでね。同意した場合、オンラインでサインして欲しい。一応来月16日が初出勤となってるけど、それは変更可能だから。」

一瞬、何が起こっているのか分からない、という表情になったアンドリュー。それもそのはず、通常は面接の後、数週間待たされてからメールで採用・不採用の通知を受け取るものなのです。書類を郵便でやり取りしていた頃ならともかく、今の時代にこうして採用決定と共にハードコピーを手渡しするというのは、異例中の異例。

「有難うございます。すごく嬉しいです!」

頬を僅かに紅潮させ、その目に興奮を滲ませる若者を見ながら、テリーのスゴさにあらためて感心していた私でした。

そう、実はこれ、テリーのアイディアだったのです。

「シャノンとカンチーがそこまで気に入ってるんだから、採用はほぼ確実でしょ。シンスケが最終確認したら即決定じゃない。だったら、それを本物の書類として手渡ししてあげるのがベストでしょ。採用書類を手にクリスマス休暇へ旅立つなんて、すごくハッピーな話じゃない!その子にとって、きっと忘れられないクリスマスになるわよ。」

そんな彼女の提案を受け、シドニーからメールでメレディスと調整を重ね、何とか書類を間に合わせてもらったのです。確かに職の見通しが不確かなままクリスマスを過ごした末にメールで通知を受け取るのと較べれば、天と地ほどの差がありますね。

いまだ興奮から醒めない様子の若者をエレベーターホールまで見送った後、テリーのデスクへと向かいました。

“Was he pleasantly surprised?”

こちらを振り返ってニッコリ笑うテリー。Pleasantというのは「嬉しい」という意味ですが、Present(プレゼント)と音がそっくり。特に日本人である私には、エルとアールの発音差が微妙なため、今でもしばしば聞き間違えます。でも、どっちも幸せな単語なので、混同したところで大した問題は生じません。テリーの質問は、こういうことですね。

“Was he pleasantly surprised?”
「嬉しいサプライズになったかしら?」

もちろん、期待通りの大感動ぶりでしたよ、と私。アンドリューにとっては、この上ないクリスマス・プレゼントになったことでしょう。正直、彼よりも私の方がハートをがっしりつかまれちゃったかもしれないけど…。

翌朝、メレディスからメールが届きました。

「おめでどう!アンドリューがオファーにサインしましたよ!」


2016年12月17日土曜日

Christmas Beetles クリスマス・ビートルズ

四年前、オレンジ支社に週三日のペースで通っていた頃のこと。ある日、同僚のアンが辞職するというニュースを聞きました。才気煥発のハードワーカー。皆から信頼される存在でした。環境系のサイエンティストとして入社した彼女にスケジューリングやコスト分析の基礎を教え込んだところ、目覚ましい吸収力で成長し、あっという間に私の右腕になったのです。

しかし当時はプロジェクトコントロールの役割が組織内で定義も擁護もされておらず、どぶ板方式で顧客ベースの拡大を図るしか無かったため、仕事量の見通しがなかなかつきませんでした。そんな先の見えないプロジェクトコントロール・チームに本腰を入れることに迷っていたアン。それでもコンビとして広く認知されるまで辛坊して実績を積もうと目論んでいた私に、このニュースはショックでした。

そんな彼女、そもそもオーストラリア出身で、いつかは両親の住むシドニーに戻ろうと考えていたとのこと。ご主人のマイクも南半球への移住に乗り気だったこともあり、娘シエナの出産を契機に引っ越しを決意したというのです。出張前にメールで連絡を取ったところ、シドニーから電車で四時間離れた郊外に新居を建てたばかりだと言います。私が二週間シドニーに滞在すると言うと、週末に泊まりに来てよ、と誘われました。

視界の限り広がる樹海、エメラルド色の湖岸からそそり立つ褐色の岩山。そんな車窓の景色を眺めつつ、時にうたたねしながら、土曜の午後二時過ぎに「ビクトリア・ストリート」という改札口も無いひなびた田舎駅に降り立ちました。目も眩むような強烈な日差しに、慌ててサングラスを取り出す私。線路を跨ぐミニ歩道橋の先に目をやると、フェンス際の路面に白線を引いただけの簡易駐車スペースがあり、そこに今風の大きなサングラスをかけ、軽く背伸びしながら手を振るタンクトップ姿のアンを発見しました。歩道橋を渡り、四年ぶりのハグで再会を喜びます。茶色い三菱パジェロの助手席ドアを開けると、足元にカラフルなおもちゃが散らばっています。後部座席には、後ろ向きと前向きのカーシートが並んで取り付けられている。え?子供二人?

なだらかにうねる広大な牧草地の真ん中を十分ほど進むと、丘の上ののどかなニュータウンへと誘われました。宅地造成はほぼ完了、約7割が戸建て住宅で埋まった状態。アンの新居は、完成ほやほやの一軒家。ドライブウェイの舗装が済んだばかりだというので、足跡を付けないようこわごわ歩みを進めてお宅に入ると、ご主人のマイクが握手で出迎えてくれました。意外にも、頭髪にちらほら白いものが混じっています。そういえば彼と会うのは6年ぶりくらいか…。居間へ進むと、テレビで幼児用教育番組が流れています。向かいのソファに、政治家の討論を傍聴しているみたいな険しい表情で、金髪の少女がクッションに埋もれるようにして座っています。挨拶する私に一瞥をくれた後、表情を崩さずそのまま視線をテレビに戻しました。

「シエナ、シンスケに挨拶しなさい。」

とたしなめるアン。口の端を結んだまま前方を凝視し続ける少女。

「大きくなったねえ。君がまだ赤ちゃんの時に会ったことがあるんだよ。」

と私。それでもやっぱり無視。

彼女の気を引くのを早々に諦めた大人三人。ダイニングに立ったまま、四年のギャップを一気に埋めようと、焦り気味に質疑応答を開始します。

アンは現在、地元の役所で開発許可の仕事に就いていて、週三日勤務。産休も有給もたっぷりで、給料も悪くない。マイクはこの国での職歴がゼロのため、仕事探しにはえらく苦労した。携帯電話を買おうと入った店のマネジャーから誘われ、ひとまずその店でセールスの仕事をしている。やってみたら意外に向いてるみたい…。

外国での職探しが大変なのは当然だけど、ロスで映画関係のビジネスに関わっていたマイクがいきなり携帯電話のセールスをする、というその柔軟さには頭が下がる思いでした。

「コンサルタントの仕事に戻りたいと思ったことは無い?」

と尋ねると、アンがきっぱりと答えます。

「もう二度と、Utilization(稼働率)のプレッシャーに苦しむのはイヤ。」

自分の勤務時間をチャージ出来るプロジェクトの数が減れば稼働率も下がる。その状態が暫く続くとあっけなく首が飛ぶ。それがコンサルタント業の掟です。一定以上の稼働率を保つには、無理してでも多数のプロジェクトにコミットし、常にオーバーワーク状態に身を置かないといけない。

「役所に勤めることで、やっとそのプレッシャーから解放されたんだもの。もうあんな生活には戻れないわよ。」

一方で、役所勤めの欠点は、知的レベルも士気も高い同僚や上司が少ないことだと言います。コンサルタント時代はキツかったけど、毎日が刺激的だった、と。

「あれだけのスキルを身に着けておいて、プロジェクトコントロールの仕事をしないのはもったいないよ。インディペンデント・コンサルタントになってもらって、仕事がある時だけ頼むという契約が出来たらいいんだけどね。」

と私が提案すると、

「その手があるんだったら、是非やりたいわ。」

と、急に目を輝かせるアン。

「アメリカから仕事回してくれるとか?」

その時、何か可愛らしい声が廊下の向こうから聞こえ、マイクが立ち上がります。間もなく彼が、手足のむちむちした金髪の男の子の手を引いて戻って来ました。

「トーマスよ。二歳になったばかりなの。」

おお、やっぱりもう一人いたのか!チャーリーブラウンの宿敵ルーシーの弟、ライナスに似ているこの坊や、お昼寝から目覚めたばかりらしく、父親の手をつかんだまま宙を見つめて押し黙っています。もちろんこちらの挨拶にはノーリアクション。しかし彼が突然空腹を訴え始めたため、アンがキッチンに移動しておやつ兼夕食の用意を開始しました。

この後、食べ物に惹きつけられたシエナがテレビを消して弟に合流し、ダイニング・テーブルに全員集合となりました。腹ごしらえを終えると、夕暮れ前に散歩へ行こうという話になり、シエナは補助輪付き自転車に、トーマスはアンの押すストローラーに乗って家を出ます。周辺には緑が溢れかえっていて、大型でカラフルな鳥たちが楽し気に舞っています。ちょっと見て来る、と芝生の丘を駆け上って行ったマイクが息を弾ませて戻って来て、

「あっち側にいたよ。この道を行こう。」

と指さします。皆で勾配の急な坂を登り切ったところ、突然視界が開けました。その一帯だけ住宅建設を待つ空き画地が連続していて、大きめの原っぱになっているのです。マイクの指さす方を見ると、いました、野生のカンガルー集団!五頭が直立不動でこちらを見つめています。じわりじわりと近づいて写真を撮る私。都市部からだいぶ離れているとは言え、こんなにあっさりとカンガルーに出会えるとは思ってもいませんでした。

「あまり近づくと、尻尾の一振りであっけなく命を落とすからね。」

とマイクに忠告されましたが、そんな心配は無用でした。カメラを構えて20メートルほどまで近づいたところ、一斉に背を向けてぴょんぴょん跳ねて去って行きました。

家に戻って暫くすると、外が夕闇に包まれて来ました。裏庭へ出るガラス戸の内側に立って庭を見ていたところ、足元のサッシの隙間から、体長二センチくらいのコガネムシ風の甲虫が一匹、また一匹と忍び込んで来るのに気付きました。やがてそれが、ブンブン羽音を立ててダイニングを飛び回り始めます。マイクが落ち着いて一匹ずつ素手で捕まえ、素早くガラス戸を引いて外へ逃がしてやる、という反復動作がそれから数分続きました。

“They are Christmas Beetles.”
「それはクリスマス・ビートルズよ。」

とアン。え?クリスマスのビートルズ?ビートルスのクリスマス・ソング集みたいな名前だな…。

「正式な学名は知らないけど、毎年この時期になると大量発生する虫なんだ。」

とマイク。家の灯りに誘われて、パティオを埋め尽くすほど飛来することもあるけど、朝になると鳥たちが来て綺麗に掃除して行くそうです。真夏にクリスマスを迎える南半球ならではの話だなあ…。パティオの屋根から吊るされた電球に体当たりを繰り返す夥しい数のクリスマス・ビートルズ達を眺めながら、「この世界には、自分の想像を絶するようなことが無限にあるのだ」というメッセージを、頭の中で呪文のように唱える私でした。

そこへシエナがやって来て、蚊の鳴くような声でこう言いました。

「私のお部屋、もう見た?」

一緒に散歩したことで、ちょっと心を許し始めたのでしょう。

「いや、そう言えばまだだな。もしかして見せてくれるの?」

するとこっくり頷いて、私の前を歩き始めました。彼女の部屋は、ピンクの装飾で埋め尽くされています。クローゼットまで開けて、服のコレクションを披露してくれるシエナ。ここもピンクだらけ。壁にはモミの木のイラストが付いた「アドベント・カレンダー」がかかっていて、クリスマスまで毎朝ひとつずつ小窓を開けてメッセージを楽しむようになっています。

“I have eleven more sleeps till Christmas.”
「あと11回眠ったらクリスマスなの。」

と、思いつめたような表情で説明するシエナ。サンタは良い子のところだけに来ること、プレゼントは何個頼んでも良いこと、ミルクとクッキーの用意を忘れてもサンタは気分を害さないこと、などを丁寧に解説してくれます。

「この家、暖炉も煙突も無いよね。彼は一体どこから入って来るのかな?」

と意地悪な質問をする私に、サンタは頭が良いし、前もって全部の家の侵入方法を調べてあるから心配要らないの、と落ち着いて切り返すシエナ。ふ~ん。まるで空き巣のエキスパートみたいなプロフィールじゃないか。

子供たちが就寝した後、アンに尋ねてみました。

「あのさ、オーストラリアにやって来るサンタの服装って、一体どうなってんの?」

「アメリカと一緒よ。赤いやつ。」

「でもさ、ここは真夏でしょ。いくらなんでも厚着が過ぎるんじゃない?かなり不自然で無理があるよね。子供たちは納得してるの?」

「それは大丈夫よ。」

とアン。

「こっちのサンタは、常に汗だくだから。」

おお~!そうか、それなら納得。

翌朝、早めに出勤するというマイクと握手を交わして見送った後、子供たちとひとしきり遊びました。サンタの絵を描いてくれる?というシエナの要請に応え、トナカイ一頭に引かれて空を旅するサンタクロースを描いてやりました。すると、彼女が一心不乱に色塗りを開始。その後、彼女がウサギのファミリー人形とその家のおもちゃを運んできて、一緒に遊ぶよう要求します。私は喜んでこれに応じたのですが、途中で二歳のトーマスがやって来て、片っ端から屋敷や家具を破壊し始めました。

“Stop it Thomas!”
「やめてよトーマス!」

と悲痛な叫びをあげる姉の気持ちなどお構いなく、ケタケタ笑いながら狼藉を繰り返す幼い弟を見ているうちに、私も段々可笑しくなって来ました。

「トーマスは壊したいだけなのよ。もう一回作ればいいじゃない。」

というアンの仲裁に、そりゃいくらなんでも五歳の子には受け入れられないでしょ、とシエナが不憫になり、災害復旧のサポートに精を出す私でした。

アンの作ったサーモンのサンドイッチを堪能して時計を見ると、シドニーへ戻る電車の時間が近づいています。

「一緒にシンスケを駅まで送るわよ。」

と、子供たちにお出かけの用意を促すアン。

「今度はいつ来るの?」

と私の顔を見つめるシエナ。

「そうだな。いつか分からないけど、またきっと来るよ。」

と私。

駅に着く頃には、シエナもトーマスも後部座席のカーシートですやすや寝入っていました。

「二人にお別れが言えなかったな。」

車から降りて後部座席の窓から寝顔を覗き込む私に、

「アメリカからシンスケが仕事を回してくれるって話、現実的に可能なのかしら。」

とアンが昨日の話題を蒸し返します。

「為替だとか契約形態とかいろいろ障害はあるけど、きっと数年以内に可能になるよ。」

と答える私。そしてこの二日間、頭の中でゆっくりと輪郭が整って来ていた想念が、簡潔なセリフとなって私の口から飛び出しました。

“Anything can happen.”
「何だってありでしょ。」

ニッコリ笑うアン。

「考えてもみてよ。四年前に君が会社を去った時、僕がいずれオーストラリア出張を利用して会いに来るかも、なんて予想出来た?タイムマシーンであの時に戻って可能性を聞いたって、二人ともほぼゼロパーセントって答えたと思うよ。たった四年の未来が自分の想像を遥かに超えてたんだから、二年くらい先に僕ら、また一緒に働いてたって全然おかしくないでしょ。」

何度も頷いて同意した後、アンが手を広げてお別れのハグをくれました。

「その日を楽しみにしてるわ。来てくれて本当に有難う。」

シドニーへの帰途、車窓に拡がる牧歌的な風景を眺めながら、強い確信を噛みしめていました。オーストラリア出張。アンとの再会。汗だくのサンタ。ニュータウンのカンガルー。そしてクリスマス・ビートルズ…。そうだ、本当に何だってありなんだ。未来はまだまだ面白い!


2016年12月12日月曜日

Teething Problems 初期の不具合

1116日、オーストラリアの全支社が新PMツールの使用を開始しました。エンドユーザーたちを支援するため、Ninjaの称号を授かってシドニー支社に二週間張り付くことになった私。

気が付けば、最初の一週間が過ぎていました。着任から3日間はほとんど仕事の依頼が無く、アメリカから持ち込んだ通常業務を日々しこしこ処理していた私。大抵の質問は現地のスーパーユーザー達がきっちり堰き止めて解決してしまうため、なかなかおこぼれが回って来ないのです。それはそれで良いことなんだけど、高い出張費を払ってもらってただ座っているだけというのは、さすがに居心地が悪い。だからと言って忍びの者である私が、「仕事ありませんか」と御用聞きをするわけにもいかない。焦りを感じ始めていた四日目、遂にレスキュー依頼が舞い込み始めました。興奮して飛びつく私でしたが、既に地元のスーパーユーザー達がお手上げの課題が、そう簡単に解決出来るわけがない。いくらアメリカで修行を積んで来たからといって、そもそも実物に触れるのはこれが初めてなのです。分かったふりも出来ないし、あっさりと降参するわけにもいかない。なかなか厳しい試練が待っていたのでした。

実は技術的な問題に加え、オーストラリアのしきたりに不慣れであるからこその苦戦も多々ありました。例えば日付の表記。アメリカでは月、日、年の順に書くのですが、オーストラリアでは日、月、年の順になるのです。09/12/16という数字を見て、「あれ?これ、9月に提出されたことになってますね。エラーですね。」と発言してしまい、PMにきょとんとされたり。また、予算変更をアメリカでは一般にModification(モディフィケーション)と言うのですが、シドニー支社のPMがこれをVariation(バリエーション)と呼ぶのを理解出来ず、暫くすれ違いの会話が続いたり。クリスマス前から1月一杯は多くの社員が長期休暇を取ると言われ、なんでそんなに長く?と尋ね、「だって夏休みじゃない」と返されて「あ、そうか!」と驚いたり。

金曜の午後、デイヴという若い社員の席に行き、彼のプロジェクトの予算変更を助けました。何とか一連の作業を終え、彼が提出ボタンを押したところで任務終了。お礼を言われて気分よく席に戻ったのですが、わずか数分後に、

「さきほどの予算変更手続きには不備があります。撤回して再提出して下さい。」

という指示が下りて来ました。あちゃ~!慌ててデイヴとその上司に詫びを入れる、ニンジャ失格の私。旧システムから移行して来たプロジェクトの予算増額見込みに変更を加えたい場合、そのデータには触らず、まずは同じ額にマイナスをつけた数字を記入して前のデータを相殺し、更に一行加えて新たな数字を打ち込むのが正しいやり方。この手続きをすっかり忘れていた私は、移行データ自体を変更して提出させてしまったのです。

私のメールを読んだデイヴの上司ロジャーが、

「手続きがややこし過ぎるよ。クライアントに増額要求する気力も失せるってもんだぜ!」

と冗談混じりに返して来ました。そしてこう続けます。

“I am hoping it is just teething problems.”
「これが単なるティージング・プロブレムであることを祈るよ。」

ティージング・プロブレム?初耳だぞ。

さっそく調べたところ、Teething というのは赤ちゃんの歯が生え始めるプロセスのことで、これにプロブレムが付くと、その時期特有の「むずかり」になるそうです。つまり、新製品や初の試みなどにつきものの、初期トラブルのことですね。私の訳はこれ。

“I am hoping it is just teething problems.”
「これが単なる初期の不具合であることを祈るよ。」


街へ出れば、未だについつい歩道の右側を歩いて対向者とぶつかりそうになっている私。シドニー滞在も、いよいよ残り一週間。むずかりの時期が終わる前に帰路に着くことだけは避けたいものです。

2016年12月6日火曜日

Live it up! シドニーで豪遊

月曜朝、シドニーに到着しました。これから二週間、ニンジャとして支社のサポートをします。オーストラリア初上陸。若い頃ならきっちり予習してから来たでしょうが、このところすっかり横着になっている私は、ほぼ予習ゼロで乗り込んじゃいました。

出発前は、同僚達から散々「ワイルドな土地で冒険してこい」的な冷やかしを受けて来ました。部下のカンチーに至っては、「カンガルーの捕まえ方」というYouTubeビデオのリンクまで送って来る始末。ところが空港からシャトルバスに乗り、ホテル前で降りてみてびっくり。どでかい街じゃん!隣には巨大ショッピングモール。ユニクロまで入ってる!通りを足早に行きかう人波を、縫うようにして進みます。

チェックインしてシャワーを浴び、近くの一風堂(大人気!)でラーメンを食べてから支社ビルへ。全面ガラス張り、チョコレート色のメタル部材、リアルウッドと間接照明、それに溢れんばかりの緑で彩られた現代的建築。アメリカ国内でもこんなお洒落なオフィス無いぞ。すげ~じゃんシドニー!さっそく写真を沢山撮って、部下のシャノンにテキストします。

各フロアの簡易キッチンには、銀色に光る本格的エスプレッソマシンが備え付けてあります。飛行機の中でもホテルのカフェでも気づいていたのだけど、コーヒーが実にウマいのです。アメリカで普段飲んでいるコーヒーは、もはや「コーヒー味の熱湯」としか思えない。

一日目を終え、翌朝ホテルのレストランで朝食をとった際、見慣れない光景に気付きます。なんと、本物のミツバチの巣がセットされていて、ここから滴るハチミツをすくって頂くようになっている。ううむ、なんと上質なライフスタイル。アメリカで数えきれないほどホテルに泊まって来たけど、こんなの見たことないぞ。侮り難しシドニー、そしてオーストラリア!

田舎者丸出しでミツバチの巣を撮影し、シャノンにテキストします。彼女がすかさず返信。

“You’re living it up, aren’t you?”
「リブ・イット・アップしてるんでしょ!」

ん? どういう意味だ?ネットで調べたところ、「贅沢をする」とか「派手に暮らす」という意味でした。

“You’re living it up, aren’t you?”
「豪遊してるんでしょ!」

いやいや仕事してるんだよ、と斬り返しつつ、こんな出張だったら何度でも来たいもんだ、と内心ほくそ笑む私。大統領選挙後のアメリカにすっかり幻滅していた妻は、一連の写メを見て、

「移住?」

と返信して来ました。

いいかも…。


2016年12月4日日曜日

Rolling with the punches パンチに合わせてローリング

先月オーストラリア全支社で使用を開始した新PMツール。そのエンドユーザー支援のため出張していたエリックがシドニーから戻って来たので、さっそく電話で様子を聞いてみました。

「二週間、不気味なほど静かだったよ。ジーニアスバーを開設して座ってたのに、ほとんど人が来ないんだ。きっと、みんなまだ現実から目を背けてるんだな。新ツールを使わないで済む間は出来るだけ無視しとこうってね。でもシンスケが着く頃にはきっと慌ただしくなってるぞ。月次レポート提出締め切りが1216日だろ。上層部がそろそろ本気でPM達のケツを叩き始めるよ。」

頻繁に繰り返されて来た組織改変やビジネス・ポリシーの変更にダメ押しするかのような、今回のPMツール刷新。こうした変化の連続に辟易している社員は多く、抵抗したくなる気持ちもわかります。実際、沢山の社員が「事務関係の変更が多すぎて、本来業務に集中出来ない」と会社を去って行きました。プロジェクトコントロール・チームの皆には、

「今こそ我々のビジネスチャンスだぞ!」

と強調して来た私。助けを求める人が増えれば、我々サポート部隊の活躍の場が拡がる。変化こそが我々の食い扶持なのです。周囲に先んじて変化に適合せよ、それが我々の売りになるのだ!と。

さて先日、会計担当のベテラン社員であるダイアナが、 持病だった腰の手術を終えて約一カ月ぶりに職場へ戻って来ました。復帰早々大ボスのテリーと何やらゴチョゴチョ話しているのでおや?と思っていたのですが、暫くしてテリーが私の席に来て、こう尋ねました。

「ダイアナが引退を決意したんだって。彼女の仕事の一部をカンチーに引き継がせたいんだけど、いいかしら?」

大きなお孫さんがいるとは聞いていたので、引退のタイミングについては驚きませんでした(47年間働いて来た、と後から聞きました)。しかし、そういえばダイアナとは深い会話をした記憶が無いなあ、とこの時気づきました。彼女は空席をひとつ挟んで私の左隣に座っているのですが、いつもお互いほぼ無言で働いているので、おはようの後は「また明日」までほとんど口をきかないのです。

ちょうど木曜日にカンチーのバースデーランチを企画していたので、ダイアナの引退祝いも合体させることにしました。シャノン、カンチー、ダイアナ、そして隣の島机で働くボブと一緒に、WATERSというお洒落なサンドイッチ屋へGo!

誕生日と引退を明るく祝うはずだった昼食時の話題は、何故かここ数年間での我が社の変貌ぶりに集中しました。最近起こったレイオフの嵐には、一同憤慨を通り越して溜息の連続。二週間前には上下水道部門のリーダーだったエドが突然解雇されたし、カマリヨ支社のマイクは勤務時間の大幅削減を通告されたと言います。

「オレンジ支社のRは、何十人ものPMをサポートしてたんだ。」

とボブ。

「それを前ぶれもなく解雇しやがったんだぜ。PMたちが怒り狂って、何でRを切ったんだ!って訴えたもんだから、会社が慌ててもう一度雇い直そうとしたっていうんだな。当然Rはにべもなく断ったよ。結局、上層部が何も考えずコストカットに走ったお蔭で、PM達がものすごい被害を蒙ってるってわけさ。まったくもって、クレイジーだよ。」

「どの社員がどんな仕事をしているかも知らない人たちがレイオフの人選をしているのは明らかよね。お粗末としか言いようが無いわ。」

とシャノン。

「思うんだけど、どれだけ沢山の人とコネクションを作っておくかが生き残りの鍵なんじゃないかしら。会社が大きくなればなるほど、自分の存在って希薄になるじゃない。」

そうだろうか?確かに人脈は大事だけど、要職に就いていようが下っ端だろうが、切られる時は容赦なく切られる現状を目の当たりにしているだけに、真に有効な対策など無いような気がします。ふとこの時、引退を前にしたダイアナの意見を聞いてみたくなりました。

「度重なる人員整理の対象にもならず、ここまで勤めあげて来られた秘訣って何なの?」

するとダイアナは肩をすくめて、さあね、というジェスチャーを見せた後、

“I’ve just been rolling with the punches.”
「ただパンチに合わせてロールして来ただけよ。」

おおっ!意外な人から面白い表現が飛び出したぞ。パンチがヒットしているのは確かなのに、ほとんど効いていない!何故だ?それは絶妙なタイミングでスウェイバックし衝撃を和らげるテクニックを、敵が身に着けているからだ!という、ボクシング漫画でよく見るあの防御法ですね。いいじゃん。これはかっこいいフレーズだぞ。

でもよくよく考えてみると、どうもピンときません。レイオフをパンチにたとえているのだとすれば、それが大抵は上層部による問答無用の決断である以上、こちらの意思でかわすのは不可能と言って良いでしょう。帰宅後ネットで調べてみたところ、どうやらこんな意味らしいです。

「困難に出会うたび、深刻なダメージを避けるべくこちらの出方を工夫すること」

パンチというのはこの場合、「困難な挑戦や経験」つまりはビジネス環境の「変化」のことだったのですね。要するにダイアナは、「畳みかける変化に抗わず、その都度しなやかに対応して来た」、と言いたかったのでしょう。大ベテランらしく、含蓄のあるセリフでした。


かくいう私も、先週のスタッフ・ミーティングの終わりに、勤続14年の表彰を受けました。我ながら、よくもここまで生き残ったもんだ、と感心しています。今後も一層フットワークを磨き、華麗にパンチをかわし続けて行こうと思ったのでした。