先日、若い同僚のジェイソンがアジア人の中年男性を連れてやって来ました。彼がPMを務めるプロジェクトに協力するためサンフランシスコ支社から出張して来たこの人、どうも日本人らしい、というのです。
今の会社で働き始めて13年以上経ちますが、社内に日本人がいるなどとは初耳です。握手の後、一言二言英語で会話し、恐る恐る、
「日本人ですか?」
と尋ね合う二人。昼休みには二人でバーガーラウンジへ行き、「どういう経緯で今の暮らしに落ち着いたか」を語り合いました。このR氏、上下水道部門の専門家で博士号まで持っています。勤め先が買収されるまでは、カナダやオーストラリアなど、世界のあちこちで活躍して来たそうです。で、二年ほど前サンフランシスコに落ち着いたのだと。勤務先が度重なる吸収・合併・買収によってマンモス企業へと成長を遂げた結果、全くランダムに日本から飛び込んで別々に働いていた二人の男が、こうしてサンディエゴで顔を合わせることになったのですね。
翌日ジェイソンがやって来て、R氏と話せたかと尋ねました。この時の彼の第一声が、これ。
“Yo, Bro!”
「よぉ、ブロ(兄弟)!」
ブロというのはブラザー(Brother)を縮めた言葉。30歳前後の若者が50過ぎの先輩社員にこうして親しみのこもった呼びかけが出来る米企業の職場環境は素晴らしいのですが、これを聞いて前日のR氏との対面について話さないわけにはいかなくなりました。
「あのさ、変に思うかもしれないけど、彼と会った時に最初に頭に浮かんだのは、どっちが年上だろうってことなんだよ。」
アメリカに長く住んでいるとは言え、ここは日本人同士。相手がだいぶ先輩であれば、やはり敬語を使うべきでしょう。向こうも私の年齢が読めなかったようで、お互い出身を聞いたり渡米した時期を尋ねたりして、しばらく探り合いのジャブをちょこちょこと挟みました。でも結局探りきれず、最終的には敬語を交えた中途半端な同輩語に落ち着いたのです。
「相手を敬い、和を保つ(maintain harmony)という文化が我々のコミュニケーションのベースにあるんだ。その際に、年齢や経験の差というのは重要な要素になるんだよ。」
理解に苦しむ様子のジェイソンを見て、先輩社員が若手を厳しく躾ける職場なんてものは、もっと腑に落ちないんだろうな、と想像して可笑しくなりました。日本で働いていた頃は、胸にズブリと突き刺さる苦言を沢山の先輩諸氏から頂きました。そのお蔭で少しは成長出来たと思うのですが、アメリカ企業に勤めてからそういう人間関係を築くチャンスは滅多にありません。
歯に衣着せぬ物言いで周りを困惑させる傾向のあるジェイソンは、相手が会社の重鎮であっても同輩であっても、構わず正論を立てて相手を論破しようとします。こないだも、苛立ちを露わにして私のところへやって来ました。上下水道部門では新しいプロジェクトを獲得する度に、ほぼ無条件で彼にお鉢が回って来るという件。既に十件近く担当しているのに、もうこれ以上は無理だ、とジェイソン。
この会話の数時間後、同僚リチャードがやって来て、ジェイソンが上の方と揉めている状況を話してくれました。会社がPM要件を厳しくしたお蔭で資格を剥奪された元PM達は居場所を失い、担当プロジェクトを残したまま大勢去って行きました。その結果、残されたPM達に負担が重くのしかかる事態があちこちで起こっていて、ジェイソンの担当プロジェクト数は倍に膨れ上がりました。彼の上司ジェフも一応PM有資格者ですが、複数のプロジェクトを監督する立場におり、今更PMにおさまる気は無い。「そんなこと知るか。俺だって大変なんだ。あんたがやればいいだろう。」と正面切って上司に盾突くジェイソンに、皆が手を焼いている、というリチャード。
「PMが決まらないからプロジェクトのセットアップが出来なくて、仕事が始められない状態が続いてるんだ。提出物の締め切りが迫っているっていうのにさ。ジェイソンとジェフの我慢比べに、これ以上付き合ってられないよ。」
ランチタイムに食堂でジェイソンと会った際、彼に話を聞いてみました。
「うちの部門にPM資格者が少ないことは重々承知してるけど、こっちのキャパにも限界があるんだよ。それに、他人に責任を押し付けようとする連中は大抵コスト管理に無関心で、だらだら働いてそのまま全部俺のプロジェクトにチャージしてくる。予算オーバーの責任だけ俺がとるなんて、そんな役回りは御免だよ。」
私は思わずこう返しました。
「筋が通ってるし、全面的に賛成だけど、聞いてるこっちはハラハラして来るよ。僕も君と同じ年頃は、そうやって周りとしょっちゅうぶつかってた。正論かまして上司を黙らせるのは確かに痛快だけど、後で冷静に状況を見つめてみると、確実に味方が減ってるんだな。結果的に、仕事がますますやりにくくなるんだよ。長い目で見れば、そこをぐっと堪える方が得かもしれないよ。苦しい立場に置かれている上司をサポートすることで、自分にもプラスが返ってくる、ということだってあると思うんだ。今みたいに人とぶつかり続ければ、折角同情的だった立場の人だって離れていくかもしれない。そうやって孤立すれば、楽しく仕事を続けるのは難しくなるだろ。君のように優秀でやる気のある人が不必要に傷つくのは、見たくないんだ。」
一瞬、叱られた子供のように赤面してからさっと顔をこわばらせたジェイソン。しまった、日本的な価値観を持ち出して立ち入った忠告をしちゃったかも、と戸惑う私でしたが、口から出てしまった言葉は取り返せない。
翌朝、私の席にふらりとやってきたジェイソンが、笑顔でこう言いました。
“I took your advice and
accepted the PM position.”
「忠告に従ってPMを引き受けたよ。」
これには意表を突かれました。「和を以て貴しとなす」の価値観が受け入れられることもあるんだなあ…。