数週間前、私が担当する建築設計プロジェクトの窮地を救うため、副社長のジョンが腕利き(というお墨付きの)男性社員のジムをオレンジ支社に雇い入れました。ディレクターのビバリーも私も掛け持ちでこのプロジェクトを管理していてアップアップなため、この男を中心に据えて態勢を強化しようじゃないか、という方針。このジムが、経営指標などのデータをどこからどう取り込んでチェックするかを教えて欲しいというので、久しぶりにオレンジ支社へ出かけました。
ミーティングに向かう前、同僚レベッカのオフィス前を通りかかったので声をかけました。つい最近巨大なプロジェクトを任され、目が回るような忙しさよ、とため息交じりに話すレベッカ。
専門外のプロジェクトであるにもかかわらず、過去の業績を高く評価していたクライアントの担当者が、彼女をPMにと特別指名して来たのだと。
「嬉しい反面、プレッシャーも大きいわ。」
「すごいじゃん。指名されてのPMとなれば、絶対しくじれないね。」
わざとプレッシャーを上乗せしてからかう私。彼女は笑いながら、このプロジェクトの特異性を説明してくれました。
「技術がどうこう言うより前に、政治的に微妙な立ち回りを要求されるの。利害関係が複雑で、うっかりした言動は許されないのよ。弁護士も複数絡んでてね。神経すり減らしてるわ。」
「ギャングに脅されたりなんかして?」
「シンスケ、これ、冗談じゃないのよ。」
レベッカが、ここでこんな発言をします。
“It’s pretty juicy.”
「かなりジューシーなの。」
え?ジューシー?なにが?
よく聞くフレーズながら、イマイチ意味がつかめて来ませんでした。レベッカとの会話を終え、別の同僚クリスの席に立ち寄って尋ねました。
「うん、それは良く使われるフレーズだね。Gossipy(ゴシップ的な)と同じかな。Juicy Storyっていうのは、登場人物の中に、その話を公にして欲しくない人がいるような話題だね。その際どさゆえ、余計誰かに話したくなるような性質があると思うよ。」
「過去の犯罪とか?」
「いや、そこまで深刻な話題には使わないね。大抵の場合、調べようと思えば誰にでも調べられるレベルの情報だけど、あえて大っぴらにしていない。そんな感じかな。」
「なるほど。で、それがジュースとどう関係あるの?この果物ジューシーだね、という時の意味と、何か繋がりある?」
「いや、それは分かんないなあ。俗語だからね。」
またか。語源を巡ってはこういう展開、多いんだよなあ。視覚イメージと整合が取れないフレーズって、記憶に残りにくいんだよね。
気を取り直して、私の訳はこれ。
Juicy Story
ちょいとヤバ目な話
「じゃ、クリスの知ってるジューシーな話って、たとえば何?」
彼が関わるプロジェクトに多いのが、米軍基地跡に埋まっている爆発物の処理。基地移設等に伴う土地の売却に先立ち、射撃訓練の残骸を綺麗にしておかないといけません。軍人上がりの専門家たちを雇って飛散した銃弾の捜索及び処理をするのですが、クリスはプロジェクトの安全管理担当なのです。
「ある基地に隣接して、住宅地が出来てるんだ。境界一帯の緑地はもともと射撃場跡地だったところを開発事業者に売却しててね、一応規定通りの調査は終えてるんだけど、ごく僅かな確率で拾い残した不発弾が残っている可能性はあるんだよ。実際、1970年代に別の住宅地で、子供が爆死する事故があった。後で調べたら、その時の事業者は何も調査せずに住宅を建てていて、その後倒産してるんだ。そんなこんなで法律が厳しくなって、今ではまずそんなバカげたことは起きないけど、ここの住宅地はわりと古いんで、もしかしたら、という懸念はある。住民に向けた書類には、境界から数十フィートの緑地帯には危険なので立ち入らないようにと書いてあるし、全員が納得の上で住んでるんだ。だから秘密ってわけじゃないんだけど、この話、誰もメディアに出したがらないでしょ。」
「へ~え。これってジューシーな話なの?」
「僕はジューシーだと思うよ。」
う~ん。ジューシーかなあ。やっぱりイメージが繋がらないなあ。
昼前になり、その日の一番の目的だったジムへのパーソナルトレーニングを始めました。
「よろしく。君のサポートには期待しているよ。」
にこやかに右手を差し出すジム。
「こちらこそ。皆あなたの参加を心待ちにしていましたよ。」
さっそくプロジェクトマネジメント・システムの説明をスタートします。彼は私の講義を度々制止し、的確な質問で補足説明を促します。切れ者の噂は本当だったな、と感心していたところ、彼の携帯が鳴ります。
「すまない、この電話、ずっと待ってたんだ。ちょっと中断していいかな。」
「どうぞどうぞ。」
会議室の中をうろうろ歩きながら、電話の相手と和やかに話すジム。聞くともなく聞いていたら、彼がこんな応答をしているのに気付きました。
「DC(ワシントンのこと)は僕の庭と言っても過言じゃない。政府関係者や同業の知り合いも数多くいるしね。それは僕にぴったりのポジションだよ。いや、僕以外に適任者はいないでしょ。プロジェクトのスコープも僕の知識と経験がそのまま活かせる内容じゃないか。決まったらすぐに知らせてくれよ。いずれはDCに戻りたいと家族で話してたから、絶対賛成してくれる。うん、そこは問題ない。」
え?うちのプロジェクトのために雇われといて、一か月も経たぬうちにもう転職しようとしてんの?わざわざあんたのために出張して来てる僕に聞こえるところでそんな話を?
それから間もなくして電話を切ったジムが、
「変なこと聞かせちゃったね。すまない。さ、どこまで進んでたっけ?」
と大して悪びれもせずに席につきました。
このジューシーな話、ビバリーやジョンに知らせるべきかどうか、悩んでます。