2015年3月15日日曜日

Being a Pollyanna ポリアンナな自分

私がPMを務める大型建築設計プロジェクトの第二フェーズを、先月受注しました。対外的には副社長のビバリーがPMですが、引き続き社内では私がPMを任されることに。そして新メンバーのドンが技術チームの統率を、建築部門の重鎮デイヴが契約関係を担当することになりました。

新しくLAエリアの建築部門を統括することになった大親分のジョンから、「Healthy Start Review Meetingを開催するまでは第二フェーズを本格始動することまかりならん」とくぎを刺されていたので、先月末以降はそのための準備で大わらわでした。これは、プロジェクトの実施計画が緻密に作られていることを上層部が確認するための会議。計画が曖昧なまま仕事を進めてしまうことで起こりがちな大失敗を防ぐのがその主目的です。

私とチームを組む三人は、建築部門での技術経験こそ豊富ですが、この手の計画作業に熟練しているようには見受けられません。WBS、リソース・スケジュール、予算計算書、リスク・レジスター、変更ログなどの書類を私が用意し、彼らからのインプットを基に中身を練り上げていく作業が続きました。ただでさえクライアントとの会議で日中のスケジュールがぎっしり詰まっているビバリーは、深夜と土日の時間を割くしかない。寝不足と疲労でボロボロになりながら、火曜日の会議本番に臨んだ彼女でした。

夕方5時、上層部からの厳しい質問の数々を乗り越え、無事会議が終了。ジョンから「いいレビューになったな」と褒められ、ようやく安堵の表情を浮かべたビバリーがこう言いました。

「正直言うとこういう作業、私にとっては初めてだったの。面倒くさくて嫌だったし時間も無いし、この会議を何とか延期してもらえないかなって最後の最後まで思ってた。でも、ひとつひとつの書類と真剣に向き合っているうちに、見落としていた問題がどんどん明らかになって来て、ああ、これは本当に重要なステップなんだな、って実感出来たの。単なる手続きなんかじゃない。すごく意味のあることなんだって。」

そしてくすっと笑ってこう続けます。

“I’m saying this, being a Pollyanna.”
「ポリアンナな自分が言ってるんだけどね。」

え?何だって?ポリアンナ?誰かの名前?

このPollyanna(英語の発音はポゥリア~ナ)、時々耳にする単語なのですが、意味を調べたことがありませんでした。出席者がみな会議室を去ってビバリーと二人きりになったタイミングを見計らい、先ほどの発言の意味を尋ねてみました。え?そういう質問?と拍子抜けしたような笑顔になった彼女が、

「物事の良いところばかりを探す、飛び抜けて前向きな人を指して使う言葉よ。」

と答え、さらにネットで語源を調べて解説してくれました。

これは1913年に出版されたエレノア・ポーターの小説「Pollyanna」が語源。みなしごの少女ポリアンナがバーモント州で叔母と暮らす中、かつて父親から教わったThe Glad Gameを実行する。これはどんな境遇に置かれても物事の良い面を探すゲーム。物語が進むうち、ポリアンナに影響されて街の人々の生き方までがどんどんポジティブになって行く。

A Pollyanna is someone who is blindly optimistic about every situation, sometimes to the point of foolishness.
ポリアンナとは、いかなる状況においても盲目的に、時に愚かとも言えるほどに楽観的な人間を指す。

「この、最後の部分がミソね。」

とビバリー。

「つまり、自分自身の振る舞いを自嘲気味に描写したってわけだね。てことは、他人の様子を表現する時には使わない方がいいのかな。」

と私。

「その通り。シンスケがもしも私のいないところで、Beverly was being a Pollyanna(ビバリーはポリアンナだったよ)って誰かに話してたことを後で聞いたら、悪意を感じざるを得ないわね。」

なるほどね。

金曜日、同僚ディックと久しぶりにランチへ行った際、彼が自分のグループの社員たちにどのようなメッセージを送っているかという話になりました。度重なる人員整理や組織改編にうんざりしている者が多い中、どうしたら皆を奮い立たせてクオリティの高い成果を出させるか。これは非常に難しい問題です。リーダーが不満たらたらだと部下のやる気を削ぐだろうし、かといって常にポジティブだと「非現実的な能天気野郎」とバカにされる危険性だってある。

冷静に自分を見つめると、私はどうも後者のような気がします。逆境に立たされるほど燃えるタイプだからなあ。これ、傍から見ると鬱陶しいかも。シンスケってポリアンナだよね、なんて陰口を叩かれてたりして…。そう思うとちょっと凹んでしまう私でした。

気を取り直して覚えたてのこの表現をディックに伝えたところ、深く頷いてから、その対極にはCassandra(カサンドラ)があるよ、と教えてくれました。

「語源はよく知らないけど、常に最悪の事態を考えてしまう悲観論者のことだよ。」

「なるほど。ポリアンナとカサンドラか。ディックはどっちなの?」

私が冗談めかして質問をぶつけたところ、彼は淡々とした表情で、

“I’m just a realist.”
「俺は単なる現実主義者だよ。」

と答えました。事実を修飾せず部下たちに伝えるだけだ、と。

ちきしょーディック、あんたクールだぜ!


2015年3月7日土曜日

訴訟社会アメリカ

朝5時に起床。納豆と海苔をおかずに玄米ご飯を食べながら、録りためたTV番組(NHKスペシャル等)を見るのが日課になっています。

先日は、東日本大震災の際に全国各地から集められた人命救助のエキスパート達のお話。一秒でも早く被害者のところへ辿り着くのが救命隊にとっての最大の課題。しかしあれほどの大災害では、地図もあてにならず給油も思うようにいかずと、想定外の障害が次々に立ち塞がり、救命隊員たちの力が充分発揮出来なかった、という反省が語られていました。

「もう少し工夫していれば、一人でも多く助けられたんじゃないか。」

悔しさを滲ませながら当時を振り返る隊員たちの映像に、胸が詰まりました。自分達だって次の津波に襲われるかもしれない状況で、あんなに身体を張って働いてたじゃないか。それなのに自戒を止めないなんて

夕食の席で妻に話しながら、ついこんな感想を漏らしてしまいました。

「ホントに感動したよ。でもアメリカじゃあり得ないよね。少しでも責任を認めるようなコメントをテレビで流されたら、訴訟を起こされた時不利になるからね。」

「そっか、そうだよね。反省を口にするの、嫌がる国だもんね。」

と妻。

「そんなのおかしいよ!反省した方がいいに決まってるじゃん!」

と、13歳の息子がいきり立ちます。アメリカ生まれのくせに

虚心坦懐に過去と向き合い、辛くて認めたくなくなるほどの教訓を分かち合って初めて、組織に真の向上がもたらされるのだと思います。

10年ほど前、担当プロジェクトの終了時にLessons Learned (教訓集)を編集しようとしたら、マネジメント層からストップがかかったことがありました。
「失敗を文書化してそれが外に漏れた場合、訴訟になった時に困る。」
というのがその理由。これにはあっけにとられましたが、いかにもアメリカ人の考え方だという気がしました。

さて先日、朝6時半くらいにオフィスのビルへ到着。一階からエレベーターに乗り込んだところ、照明が完全に落ちていました。一緒に乗り合わせた女性が、「こわいわね」と暗闇の中で話しかけて来ます。急いでiPhoneの懐中電灯アプリを使ってヘルプボタンを探しましたが、見つかりません。ここで停止したらどうなるんだろう?どうやって救助隊を呼べばいいんだ?

そうこうするうち、無事目的階へ到着。たった今起きたことなどすっかり忘れて仕事に取り掛かります。10分ほど後に出勤して来た同僚べスが、興奮した面持ちで叫びます。

「エレベーター停電してたでしょ!乗り込む時にはホールの灯りが射しこんでたけど、ドアが閉まったら真っ暗になっちゃって、ひとりぼっちで本当に怖かったわよ!」

彼女はつい最近、YouTubeでエレベーターを使ったドッキリカメラの映像を見たそうで、もしかして?と一瞬疑ってしまったのだと。

これはブラジルで放送された映像。何も知らない客を乗せた偽エレベーターの照明が突然消え、赤ちゃん人形を抱いた青白い少女が隠し扉からこっそり入ってくる。そして静かに俯いて立ったところで点灯。目が慣れて少女の存在に気づいた乗客は、悲鳴を上げて脱出しようとするが、扉は開かない。

興味をそそられたので、ネット検索してそのドッキリ映像を見てみました。これはすごい!というか悪質。こんなイタズラ仕掛けられたら、誰だってパニくるでしょ!

その日は9時から、テリー、シャノン、ヘザーとの会議がありました。本題に入る前、シャノンが満員のエレベーターで大男に押し潰されそうになった話をしたので、私も今朝の事件を報告しました。YouTubeのドッキリ映像に話が及んだ時、ヘザーが

「あ、それ、私も見た!」

と同調。私が放送内容をテリーやシャノンに話して聞かせたところ、ヘザーがこうコメントしました。

「この国じゃあり得ないわよね。あんなことしたら絶対訴えられるでしょ!」

確かにあのイタズラはちょっと度が過ぎてるけど、訴訟が怖くてオフザケを思い留まるようなカルチャーというのも、ちょっと味気ない気がしました。

シャノンが自分の体験談に話を戻します。

「私、閉所恐怖症なの。見知らぬ大男に身体をコーナーに押しつけられた状態でエレベータが停まっちゃって、そのまま助けが来なかったらどうしよう、なんて想像したら余計パニックになっちゃった。」

ヘザーがふざけた口調でこうコメント。

「狭くて苦しい上に何日も助けが来なかったりして。どんどんお腹も空いて来て、もう何食べたらいいのよ!なんてね。」

そこへテリーがすかさず、

「そりゃ皆でその大男を食べるしかないでしょ。」

と突っ込んだので、大笑いしてしまいました。なかなかどうしてブラックじゃないの、と感心しながら。