うちの支社では二週に一度の木曜夕方に、社員のプレゼンを聞く会が催されます。業務に直接関連しないテーマでもOK。社内コミュニケーションの促進が目当てで、プレゼンをきっかけに社員同士が話をし始めることが目的とも言えます。これまで数々のプレゼンに出席しましたが、今年一番心を打たれたのは、長期にわたって休職していたエンジニアのジェラルドによるものでした。
あまりにも長い不在に、気ままな一人旅でもしているのかなと思っていたら、海外でのボランティアに励んでいたというジェラルド。この夏フィリピンで低所得者用住宅の建設プロジェクトを終え、帰国しようとマニラ空港の待合室に座っていたら、携帯電話が鳴ったとのこと。
「シエラレオネへ飛んでくれないか?」
唐突な、しかもとんでもなくハイリスクの依頼をためらいも無く引き受け、即座に帰国を取りやめて現地へ飛んだジェラルド。シエラレオネと言えば、当時エボラ・ウィルスが大流行し、政府が非常事態宣言を出していた西アフリカの小国です。彼は、流行の拡大を抑えるための医療施設を設計・施工するボランディア・グループの一員となったのでした。
エボラというのは、汗などの体液を介して感染する、致死率83%といわれる殺人ウィルス。今のところ対症療法しか存在せず、とにかく感染者を隔離することが最優先です。死者が出た場合は素早く埋葬しなければならないそうで、防護服に身を包んだ係官が二人、誰にも告げずに少し離れた共同墓地まで営々と遺体を運び、その後についた別の係官が無言で消毒液を撒いて歩く。感染が確認されたが最後、患者は二度と家族と触れる合うことのないまま命を落とし、ひっそりと埋葬されるケースが大多数だというのです。
「そのことが一番辛かったねえ。」
と何度も繰り返すジェラルド。
彼が最初に取り組んだのが、施設内での患者の動線分析です。診察を受けようとやってきた非感染の患者の多くが、同室の感染者やその体液に接触したために死んでいる。この状況をまず変えなければいけません。
院内に足を踏み入れる人は、まず個室へ通します。壁の反対側から窓を隔て、医者が問診します。次に尿を採取させ、紙コップを小窓から提出させます。ここで陰性と診断された場合、一応潜伏期間が終わるまで別室で待機。この間、他の患者と触れ合わせないように注意します。陽性の患者は別ルートへ。対症療法で何とか持ちこたえさせ、生き延びれば退院させ、亡くなった人は裏口から運び出す。これら複数ケースの患者が互いに一度も接触することなく院内を行き来するためには、緻密な動線計画が必要です。
計画が出来上がったら施設の設計をし、直ちに施工、維持管理へと移ります。これら全てを、世界中から集まったボランディアの人たちがこなすのです。NPOの資金繰りは大変なため、コスト削減は徹底していて、ナースコールの装置などはジェラルドがアメリカの安売りショップから部品を取り寄せ、全て手作りしたそうです。
「命の危険を感じたことはなかったの?」
という質問に対し、彼があっさりと答えます。
「いや、それは無かったな。僕らは全員、入念にトレーニングを受けてから働いたからね。防護服の装着や消毒などの手順を端折らなければ大丈夫だよ。むしろ街を歩く時の方が緊張したね。汗をかいた人でごった返す中を通過する時は、その汗が自分の身体についたらどうしよう、とヒヤヒヤしたよ。」
そしてスライドのページをめくり、
「ボランティアとして外国からやって来た僕らのような人間は、装備やトレーニングが充実しているせいで、不安無く働けたんだ。本当に大変だったのはむしろ、現地で採用された職員だよ。」
と言いました。ひとりの男性職員の写真を指さし、感無量という面持ちで話すジェラルド。
「彼は地元でJanitor(用務員)をやっていたせいで、このプロジェクトに呼びこまれたんだ。ほとんど基礎教育を受けてない彼のような人は、不注意から命を落とす危険性が高い。でも彼は迷わず手を挙げたんだ。彼こそが、Unsung
Heroだよ。」
このUnsung Hero とは、Singされる(謳われる、褒め称えられる)ことのないヒーロー。つまり人知れずスゴイことをしている人。直訳すれば、「謳われることのない英雄」ですね。辞書には「縁の下の力持ち」という訳が多く出ていますが、これだと「ヒーロー」のニュアンスが欠けている気がします。私の訳はこれ。
“Unsung Hero”
「名も無きヒーロー」
ジェラルドの帰国から数週間経った頃、シエラレオネのエボラ終息宣言がニュースを賑わせました。
彼が褒め称えた用務員の男性には、自国の人々を救おうという自然な使命感があったことでしょう。縁もゆかりも無い場所に命を賭して飛び込み、多くの人々の命を救ったジェラルドのような人こそが、本当のUnsung
Hero ではないでしょうか。
しびれました。