2014年2月25日火曜日

The Optimist Creed 楽観主義クラブのモットー

先日、我が社の北南米地域を統括する人物が辞職したというアナウンスがありました。例に漏れず、

He decided to pursue new opportunities.
彼は新たな道を探すことにしました。

という説明付きでしたが、そんなのウソに決まってる、絶対クビになったんだよね、というヒソヒソ話が会社の至る所で交わされました。トップがこういう目に合うのだから、下っ端にいつ何が起こっても不思議ではない、という不安がじわりと広がります。最近じゃ社員が二人以上集まると、どうしても不満や愚痴が多くなって、会話がどんどんネガティブになっていく傾向があるのですが、これは良くないなあ、と感じいました。

日曜日、ある日本人の知人と話す機会がありました。この人は「どんな苦境もプラスに転じてしまう」しなやかさを備えていて、私より年上なのにずっと顔色が良く、ポジティブなオーラに包まれていました。誰かにひどい仕打ちを受けた時でも、

「きっと俺は、前世でこの人にむごいことをしてしまったに違いない。俺が殿様で、彼の前世が植木職人。枝の剪定が気に食わないからと打ち首にしてやったため、今、その仕返しを彼がしてるんだ。本当に申し訳なかった。でも、これでチャラね。」

なんて思うのだそうです。

沢山元気をもらった私。月曜の朝、同僚ジムと会った際、

「ジム、僕は今日からbitch and moan (文句たらたら言うの)やめたよ。リラックスして、ここで皆と働けていることにひたすら感謝して生きることに決めた。」

と告げると、彼が激しく同意を表明し、

「あ、そうだ、The Optimist Internationalっていう組織、知ってる?オプティミスト(楽観主義者)が集まって、次の世代を幸せにしようって団体なんだけど、彼らのCreed をコピーしてあげるね。」

と、小さな紙を持ってきてくれました。Creed(クリード)というのは日本語だと「信条」になると思いますが、この場合、「モットー」の方が近い気がします。

The Optimist Creed (楽観主義クラブのモットー)

十カ条からなるこのモットーは、Promise Yourself (自分に約束しましょう)から始まっていて、

To be so strong that nothing can disturb your peace of mind.
何事にも心の平和を乱されることのないくらい強くなることを。

なんて感じの文章が並んでいます。締め括りの十カ条目が、これ。

To be too large for worry, too noble for anger, too strong for fear, and too happy to permit the presence of trouble.
不安と無縁なほど人間が大きく、怒る必要もないほど高潔で、恐怖も感じないほど強く、ごたごたが起きることなど許さないほど幸せでいることを。

「いいねえ。大賛成!これ、いただくよ。」

ジムにお礼を言い、机の隅にこの紙を置きました。

入れ替わりに若い同僚ジェイソンがやって来て、私の隣の部屋を指さし、ヒソヒソ声でこう言いました。

「なんでドアもブラインドも閉めてんだ?」

隣のオフィスには、最近LA支社から転勤して来た副社長のストゥーがいます。彼の部屋には廊下に面して大きな窓がついているのですが、彼はブラインドを下ろして中が見えないようにしているのです。おまけにドアまで閉め切っているので、まるで極秘のプロジェクトに携わっているかのよう。

LAの連中は皆こうだった。誰も彼もSecretive (秘密主義)でさあ。」

と、憎々しげに語るジェイソン。そういえば、彼も去年ロサンゼルスから転勤して来た一人です。確かにストゥーは常に難しい顔をして、いかにも「お偉方」というオーラを周囲に発していてるし、部屋を閉め切るという行動は、「下々の奴らと拘わってるヒマなどない」というメッセージと取れなくもない。でも、こんな些細なこともネガティヴなコメントに繋がってしまう今の状況は良くないな、と思った私は、

「中で服でも着替えてるんじゃないの?」

とかる~い受け応えをしました。するとジェイソンが笑って、

“He might be butt-naked there.”
「ケツ出してたりしてな。」

と吐き捨ててから立ち去りました。


それから暫く、コワモテの副社長が部屋で尻をむき出しのまま仕事しているイメージが頭について離れず、ずっと笑顔で過ごすことが出来ました。

2014年2月20日木曜日

That’s the beauty of the motorcycle. そこがバイクのイイところじゃないか。

今日は、同僚三人(元ボスのエド、品質管理部門長のクリス、そしてリスク管理の重鎮スー)と一緒にランチへ出かけました。スーのBMWに皆で乗り込み、アイランズ・バーガーへGO!中年男三人に向かって、スーが運転席から問いかけます。

「ルート66のプログラムにサインアップした?」

野郎三人、声を揃えて「ノー」と答えます。エドが、

「俺はレイジー(怠け者)だからね。」

と笑います。スーは申し込んだの?と私が尋ねると、

「申し込んだわ。家の掃除でも申告OKだから、結構順調に進んでるの。」

これは、社員の健康増進を目的に会社が始めた取り組みです。職場でチームを組み、全米の他チームを相手にエクササイズ量を競うゲーム。個人が運動に費やした時間を日々ウェブサイトに打ち込むと、チームの合計がハイウェイ上の走行距離に換算されるため、まるで自分のチームを乗せた車がゴールに向かって驀進しているような感覚を味わえるのだと。Route 66 (ルート・シクスティシックス)というのは、シカゴからサンタモニカを繋ぐ全長3,755kmに及ぶ大陸横断道。全米のどのチームがいち早くサンタモニカに到着できるか。これを競うのですね。

食事が終わって職場に戻った時、駐車場にエドのハーレー (Haley-Davidson) が停めてあることに皆が気づきました。このバイク、巨大なだけでなく、その佇まいがゴージャス。まぶしく太陽を反射するクロームボディー。充実の音響設備。漆黒の革張りシート。

「ここに奥さん乗せるの?」

と後部座席を指さすスー。エドがニッコリ笑います。

「ああ、そうだよ。二人でシカゴまで走ったこともある。4日くらいかかったな。」

「いいねえ。二人っきりでリアルなルート66をドライブしたってわけだ。」

とクリス。

「それじゃ、会社のヴァーチャル・ドライヴ・プログラムに参加する気になんかならないわねえ。」

とスー。私はふと気になって、こう質問しました。

「これ、走行中に後ろの人と話出来ます?かなりうるさいですよね。」

エドの返答が、これ。

“That’s the beauty of the motorcycle.”

直訳すと、「それがバイクのビューティだ。」ですが、この場合の ビューティ は「美」ではなく、「長所」とか「魅力」という意味になりますね。

「嫁さんを車の助手席に乗せて四日もドライブしたら、その間延々と話を聞かなきゃいけなくなるだろ。バイクだとそういう可能性を排除できるから、夫婦が平和に過ごせるってわけさ。」

“That’s the beauty of the motorcycle.”
「そこがバイクのイイところじゃないか。」


う~ん、仲が良いような、悪いような…。

2014年2月16日日曜日

やぶからぼうに大漁節

先週はアルバカーキへ出張。クライアントとのミーティングをつつがなく終え、木曜の晩、デンバー支社から来ていたトッドと空港のバーで帰りの便を待ちながら話し込むうち、彼のチームがプロジェクト・コントロールのサポートを必要としている、という話題になりました。

「一度デンバーに来て、君のグループがどういう形でPM達を助けてやれるかプレゼンしてくれないかな?おそらく40件くらいのプロジェクトはサポートが必要だと思うんだ。」

これは願ってもない話です。うちのチームには、これまで関わっていた大型プロジェクトが終焉を迎え、目の前に日照りが迫っているメンバーが数人いるのです。部下たちにプロジェクトをあてがうのは上司の仕事。しかし私自身が大忙しなので、なかなか社内営業に時間が割けずにいました。そんなところへ、大量の仕事が転がり込んで来そうなのです。ま、アルバカーキのプロジェクトに参加しなかったらこういう話も無かったのだから、今回の仕事を請けたこと自体が営業になったのかもしれません。

さて、アルバカーキを去る日の午後、サンディエゴ・オフィスのストゥー(スチュアートの愛称)からメールが届きました。彼は最近、ロスでの大型プロジェクトを終え、私の隣の部屋に移ってきた初老の男です。海軍出身で、かなりハイランクまで上った実力者らしく、わが社では副社長。短く刈り込んだ銀髪。眼光鋭く、重役用の黒い椅子に深々ともたれて話す格好が、やや威圧的。その彼が、こう書いて来たのです。

「プリマベーラでスケジューリングが出来る人を大至急必要としている。やってもらえないか?」

一分ほど考えてから、

「ある程度の時間は都合出来ると思います。でも現在出張中なので、明日サンディエゴに戻ったら詳しい話を聞かせて下さい。」

と返信します。すると、

「有難う。You are a lifesaver. (助かった。)」

というメールが届きました。いや、まだ引き受けるとは言ってないんだけどなあ、と思いながらも、そのままにしておきました。

翌日の朝ストゥーの部屋を訪ね、詳細情報を聞かされて仰天する私。なんと、400件以上の建設プロジェクトを同時進行で管理してくれ、というのです。それも、スケジュールだけでなく、コストも。

「三月の初めからスタートする巨大プログラムなんだ。プロジェクト・サイトは全米各地に分布している。君が飛び回る必要はないから安心したまえ。今のところ三年契約だが、恐らく延長される。君はこの先何年も、食い扶持を心配せず済むぞ。」

これはとんでもなく嬉しい話です。しかし規模が規模ですから、手放しでは喜べません。そもそも一人で管理出来る業務量なのかどうかも怪しいし、現在関わっているプロジェクトを全て誰かに引き継いだとしても、満足の行く成果が出せるかどうか分かりません。

「もう少し業務内容が詳しく分かるような資料を送っていただけませんか?」

私としては極めて真っ当な質問をしたつもりだったのですが、この返答に何故かカチンと来たようで、ストゥーは顔をこわばらせました。

「内容はたった今話しただろう。私が君から聞きたい返事は、この仕事を引き受けるのか、それとも断るのか、のどちらかだ。」

こういう高圧的な態度、好きじゃないんだよな。ネイビーの将校出身者だからって、誰に対しても尊大な物言いが許されると思ってるのかな。もしもこの調子で向こう何年間もこき使われたら、たまったもんじゃない。

「プロポーザルに使われたと思われるパワーポイントのスライドが、モニター画面に映ってましたよね。あのファイルを送って頂くわけにはいきませんか?内容をもっとよく理解したいので。」

すると、苦々しげな表情で私の顔を睨みつけていたストゥーが、こう答えたのです。

“Only if you can buy me lunch.”
「昼飯おごってくれるならな。」

予想外の発言に私が面喰っていると、ようやくストゥーがニヤリと笑いました。

「ま、よく考えて返事してくれ。」

え?どーゆーこと?今のは本気だったの?それともジョーク?判然としないまま彼の部屋を後にしたのでした。


何だかよく分からないけど、やぶからぼうに膨大な量の仕事が飛び込んで来たみたいです。世の中、一瞬先に何が起こるか分からないものですね。これからどうなるのか、楽しみです。

今年のバレンタイン

金曜日はバレンタインデー。アメリカでは、男性が女性にプレゼントする日です。そんな日に、なぜか息子の通う学校は休校。妻は午後一番で日本語教師の仕事が入っていたので、私が息子をランチに連れて行き、夕方までオフィスで宿題をさせることになりました。

「炉端や おとん」で昼食を取った後、職場に戻る道中でプレゼントを買おうと考えていた私は、助手席の息子に尋ねました。

「ママ、何が欲しいかな。花束もいいけど、今日はどこでもバカみたいに値段釣り上げてるからなあ。それより、美味しいケーキでも買っていこうか?」

すると12歳の息子は、

「それよりワインがいいよ。おいしいワイン買ってあげてよ。」

と提案します。う~ん、ワインかぁ。確かに妻はワインが大好き。でもスーパー下戸の私には、良いワインを選ぶ能力が欠如しています。

「ワインなんてどこで売ってる?この近くにお店あるかなあ。」

「それは知らないよ。」

ま、息子が知ってるわけがないか。

「じゃ、ターゲット(大型ショッピングセンター)に行ってみよう。あそこならワインもあるんじゃないかな?」

ところが到着してみると、4段くらいの棚に30本ほどのワインが寂しげに佇んでるだけ。当然ながら、クオリティを判断する手がかりは値段のみ。う~ん、どれを選んで良いか、全然分からん!そこでふと思いついて、ワイン商の友人マイケルに電話してみました。

「ちょっとヘルプ頼める?今ターゲットでワイン選ぼうとしてるんだけど、ここにあるソノマなんとかって奴、美味しいかどうか教えてくれない?」

「ダメダメ!ターゲットでワインなんか買っちゃ駄目だよ。それより僕に、いい考えがある。」

彼が言うには、私の妻が以前から惚れ込んでる高級ワインにPaul Hobbsというのがあって、いつか入手出来る時があったら一本お願い、と頼まれていたというのです。

「ちょうど昨日、到着したんだよ。我が家用にやや余分に買ってあるから、こっちまで取りに来てくれるんだったら一本格安で譲るよ。」

おお、なんというタイミング!それは是非!と電話を切り、息子に「このことはママに内緒だよ。」と口止めします。夕方、妻が私の職場に現れて息子を連れて帰るのを見送ると、すかさず車を飛ばしてマイケルと公園で落ち合いました。むきだしのワイン一本と現金とを交換しながら、

「なんだか麻薬の密売現場みたいだね。」

と二人で笑います。

ワインを買い物袋に入れて帰宅し、夕食の支度をしている妻のところへ持っていきます。そして、

「はい、飲み物買って来たよ。」

とさり気無く渡しました。有難う!と喜びつつ、

「実は話、聞いちゃったんだ。」

と妻。

「え?ママに喋っちゃったの?」

と息子の方を振り向くと、彼の顔がみるみる歪んで行き、そのうち大粒の涙をこぼしてしゃくり上げ始めました。

「ごめんなさい。話しちゃったの。だって、さっきママに、バレンタインのプレゼントに何が欲しいか聞いたら、ケーキがいいって言ったの。折角パパがケーキにしようって思ってたのに、僕のせいでワインになっちゃったから、それで悪いと思って、つい話しちゃったの。」

ケーキよりも高級ワインの方がはるかに嬉しいのだ、と夫婦で説明し、なんとか泣き止ませます。もったいなくて飲めない、誕生日まで取っておくと言い、妻はワインを食器棚の上に飾りました。


夕食後、三人でアパートのプールへ行きました。プールサイドの隅にある大きな暖炉に点火し、炎を背にして座って、しばらく夜空を鑑賞しました。素晴らしい満月でした。

2014年2月15日土曜日

戦慄の自己紹介

月曜は朝11時から電話会議に参加しました。北米西部地域で最近管理職に就いた社員を集めてのトレーニング・プログラムが始まったのです。三か月かけてじっくりとマネジャーを養成しようという趣旨で、ディスカッションとオンライン・トレーニングで構成されています。

今回はそのキックオフミーティング。西はホノルル、東はデンバーまでの広範囲をカバーしているので、参加者のほとんどがお互いに面識無し。人事のシャーリーンが司会を務め、まずは自己紹介を促します。

「名前と所属、職務内容、それから管理職になって直面している課題について話して下さい。最後に、周りの人が知らない自分の意外な一面、これを紹介してください。」

ほとんどが初対面なんだから、「意外な一面」というコンセプトはそもそも変だよなあ、と思っていたら、さっそく自己紹介がスタート。この時点ではまだ、シャーリーンの仕掛けた「不意打ち」が及ぼすダメージの深刻さに気付いていませんでした。

「僕はトライアスロンをやっています。」
「週末はミュージシャンです。特にドラムが得意です。」
「趣味と実益を兼ねて、写真をやってます。結婚式の撮影を頼まれたりもします。」

ええっ?嘘でしょ?皆そんなに充実したプライベート・ライフを送ってんの?じわっと焦りが出てきました。自分について何を語るか、全く思いつかない私。

「自宅のガレージでビールの醸造をしています。」

と得意げに語る男性に対し、シャーリーンが

「美味しいビールが飲みたくなったら、彼に連絡しましょう!」

などという、ひねりの無いセリフで調子を合わせます。

「私には取り立てて何も。」などと謙遜する人は皆無。笑いを取ったりどよめきを誘ったりしつつ、皆あっと驚く得意技を紹介して行きます。どうしよう。名簿の順番が近づいて来たぞ。う~ん困った、なあんにも浮かば~ん!

その時、出席者の中に私のことを知っている人が数人いることに気が付きました。サンディエゴ支社のトレイシー、それにロス支社のアンジー、カマリヨ支社のロバートも、一応知り合いだよな。彼らの突っ込みに期待して、いっちょ放り込んでみるか!と腹を決めます。

「シンスケです。プロジェクト・コントロール・マネジャーをやっています。一年半前まで一匹狼だったのが、今では部下8人を抱えています。今の課題は、それぞれの部下とどうやって充実したコミュニケーションを取るか、ということです。最後に、まわりの人が知らない私の意外な一面ですが、」

ここでちょっと息を吸い込み、いかにも「ボケてるんですよ~」という声色を使ってこう言いました。

「実は日本語がペラペラだ、ということです。」

一同沈黙。完璧なノーリアクション。司会のシャーリーンさえも、合いの手をくれません。

しまった!間違いなくスベった。それも、頭を抱えてしゃがみ込みたくなるほどの激すべり。

ああ、なんてこった!どうしてあんなこと言っちゃったんだろう!

ようやくシャーリーンが、

「はい、有難うございました。では次の人。」

と、まるで何も無かったように自己紹介セッションを再開します。私はあまりのことに茫然とし、会議終了まで全く身が入りませんでした。

さすがにガッツリへこんだ私。夕食時、この恥ずかしいエピソードを妻子に打ち明けます。

「折り紙が得意ですって言えば良かったんじゃない?」
「そうだよ!折り紙があるじゃん!」

とフォローしてくれる、心優しい家族。ううむ、折り紙か。有りかもしれないけど、インパクトはどうなんだろ?トライアスロンやってますなんていうアスリートの後で、「折り紙好き」は線が細いよなあ

それにしても、恐るべしアメリカ人。突然与えられたお題に全く動じることなく、「笑点」レベルの大喜利を披露してそつなく周囲を沸かせる。これは英語力がどうこういう問題じゃないな。きっと子供の頃から鍛えられてるに違いない。私も心して自己鍛錬に精を出さねば。こんなことじゃ、「日本人ってダサいよな」なんて思われてしまう!

夕食後の洗い物をしながらしきりに反省する私でしたが、その時、はっとして叫びました。

「あ!合気道の黒帯持ってますって言えば良かった!」

ダイニング・ルームで話をしていた妻子がこれに反応し、

「そっか、それがあったねえ!」

と残念がってくれました。ああ、気付くのが9時間ほど遅かった!

「でも、そもそもどうしてそんな無謀な勝負に出たの?私だったら絶対やらないな。」

と冷静にコメントする妻。確かに、電話越しに、しかも知らない人たち相手に笑いを取りに行こうとするなんて、無鉄砲極まりない話でした。返す返すも、トホホです。

2014年2月8日土曜日

Camel’s nose in the tent. 足掛かりをつかむ

昨日は朝7時から、プロジェクト・チームとの電話会議がありました。アルバカーキ支社のロバート、デンバー支社のトッドとマリア、それからまだ会ったことのないウィスコンシン支社のラルフとフィラデルフィア支社のネイサンが参加。

私の担当するスケジューリング業務に話が及んだ時、ラルフが、

「ちょっと待って。その話は初耳だぞ。どういう内容か説明してくれないか?」

と割り込みます。よし来た、と意気込んで喋ろうとした私ですが、一瞬早くトッドが解説を始めました。

「クライアントの今後10年間のプロジェクト・スケジュールを作る作業なんだ。予算はちっぽけだけど、良い成果を出して、それを糸口にもっと大きな仕事が獲れればと思ってるんだよ。」

なるほどね、と相槌を打った後、ラルフがやや声を張ってこう言いました。

“You mean it’s a camel’s nose in the tent.”
「テントに突っ込んだラクダの鼻ってことね。」

おお、久しぶりに新しいイディオムが飛び出したぞ!と興奮してメモする私。ところが、気が付くと電話会議の場に静寂が広がっています。誰も全く反応しないの。え?どうしたの?不適切な発言だったのかな?と訝っていたら、PMのロバートがようやく口を開きます。

「それ、どういう意味?」

これを皮切りに、そうだそうだ、どういう意味だ?と質問が飛び交いました。

「え?みんなこの表現知らないの?」

と驚くラルフ。参加者が口ぐちに、「そんなの聞いたことないよなあ」、と自分達が多数派であることを確認します。

「テントを張って野営してたら、外に繋いでたラクダがあまりの寒さに耐えかねて、鼻の先をテントの中に突っ込んで来る。可哀想に思ってそれを放っておいたら、頭、首、肩、と段々中に入って来て、最終的には全身をテントの中に入れちゃった、という話さ。」

ここまで噛み砕いてくれたのに、皆のリアクションは薄いまま。ほとんど声が聞こえません。痺れを切らしたラルフが、

「分かった分かった。じゃ、オーソドックスなので行くよ。」

と諦め気味にこう言い換えました。

“That’s a foot in the door.”
「足を一歩踏み入れたってわけでしょ。」

A foot in the door (フット・イン・ザ・ドア)とは、ビジネスの戦術として使われるテクニックです。ごく小さな商談を勝ち取り、それを足掛かりにもっと大きな商談へと繋げて行く。まるで押し売りが、ちょっとだけ開けてもらったドアに自分の足をぐいっと挟んで閉まらないようにし、何とか商品を買わせようと熱弁をふるうイメージですね。

「あ、それなら分かるよ。」
「うん、それは知ってる。」

と、会議出席者の声が一斉に明るくなりました。黙り込むラルフ。


アメリカの会議で誰かが珍しいイディオムを放り込んだら皆に冷たくあしらわれ、挙句の果てに放り出される現場に立ち会ったのは、これが初めてでした。

2014年2月5日水曜日

That’s the way the cookie crumbles. 大して驚くような話じゃない。

職場の観葉植物のお世話をしてくれているメアリーが、先日アリゾナ州ツーソンの「鉱物市」に出展して来た話をしてくれました(彼女の趣味)。これは60年以上の歴史がある巨大なイベントで、アメリカのみならず世界各国から鉱物好き(シャレ?)が大集合するのだそうです。

「フランスから来たっていう二人組がいてね。一人がしつこく値切っている隙に、もう一方の男が出展者の目を盗んで売り物をポケットに入れるっていう手口の盗みを働いてたの。うちも危うく被害を出すところだったわ。」

同好の士が和やかに交友の輪を拡げている脇で、そんなけしからん奴らも出没するのか、と私が素直に驚いていると、

「見た目が小さくでも一個何万ドルで売れるような鉱石も沢山あるのよ。イベント全体ではミリオンのお金が動いてるわ。」

とメアリー。そしてこう締めくくって立ち去ったのです。

“That’s the way the cookie crumbles.”
「そうやってクッキーはクランブルするのよ。」

え?クッキー?クランブルって何?

数分後に同僚ジムに尋ねたところ、

「うちの会社がIT部門の社員を全員解雇するって発表したの、聞いてる?アウトソースに切り替えるんだって。これで大幅なコスト削減が図れるんだとさ。」

とショッキングなニュースを伝えてから、

“That’s the way the cookie crumbles.”

と付け足します。

「クッキーは粉々に砕ける(クランブルする)もんだ、大して驚くような話じゃないって意味だよ。会社が利益の最大化を追求すれば、行き着くところは血も涙もない人切りだからね。世の中なんてそんなもんだろ、ってね。」

な~るほどね。メアリーは、大金が動く催し物に悪党が紛れ込むなんて、大して驚くような話じゃないって言いたかったのですね。

今朝、いつも丁寧にイディオム解説をしてくれる同僚ステヴに会ったので、セカンド・オピニオンを求めました。

「大量解雇なんていう深刻なシチュエーションで、そのイディオムは使わないな、俺だったら。」

「え、そうなの?」

「話の重さに対して、表現が軽すぎるよ。」

「じゃ、こんなのどう?」

先日アルバカーキ支社へ出張した際、すぐに印刷したい資料があったのですが、私のコンピュータにはこの支社のプリンターが登録されていません。で、会社のITヘルプデスクにリクエストを送ったのですが、出張期間中、なしのつぶて。仕方なく総務の人にいちいちファイルをメールして印刷してもらいました。サンディエゴに戻って間もなく、

「あなたの(サンディエゴの)オフィスに三度電話したのに出なかったので、サポート出来ませんでした。このリクエストは本日をもって失効します。」

というメッセージが届きました。アルバカーキで印刷しようとしてるのに、どうしてサンディエゴに電話してくるんだよ?アホか!少しは頭を使えよ!と一人で毒づきながらも笑ってしまった私。

「うん、そういう場面にぴったりだね。ちょっとシニカルに笑いながら使うイディオムだと思うよ。」

とステヴ。

「じゃあさ、こういうのはどう?」

大事な来客があるので部屋を綺麗に掃除したばかりの若い母親が、幼いわが子に「なるべく散らかさないでね」と繰り返す。ところが幼児の方はそんなのお構いなしに、手にしたクッキーをぎゅ~っと握りつぶしてそこらじゅうに屑をまき散らす。危うくキレかけたわよ、と話す彼女に対し、

“That’s the way the cookie crumbles.”

と笑う女友達。

「いやあ、それはどうかなあ。」

と唸るステヴ。

「あまりにもベタなシャレ(super literal pun)でしょ。」

「笑えない?」

「そりゃ笑えないでしょ。いや待てよ、ぐるっと一周回って大ウケするかもしれないな。十中八九スベるとは思うけど。」


そんなわけで、このジョークで笑いを狙うのは、いちかばちかの賭けのようです。

2014年2月1日土曜日

アメリカ人と箸

木曜の晩は、七人の同僚(エド、マリア、リチャード、アルフレッド、サラ、スー、ジェイソン)と「和ダイニングおかん」へ集合。Japanese Dinner Night (日本食の夕べ)という企画を催しました。これは不定期に開いているイベントなのですが、

「次はいつやるの?」

という質問が来るくらい、皆が楽しみにしてくれています。その熱気は、主催している私も「なんでそこまで?」、と首を傾げるほど。日本式の家庭料理に私が喜ぶのは当然だけど、バリバリのアメリカ人たちまでが興奮するのは、ちょっと意外なのです。激甘照り焼きチキン(胸肉)とか肉厚衣の天ぷらだとかを日本食の代表だと思っている彼らにとって、「いかの姿焼き」とか「鰻巻き」など、これまで見たこともないような料理を味わうのは刺激的な体験みたい。

「シンスケがいなかったら何を注文していいかも分からないからね。連れて来てもらって、本当に嬉しいんだ。」

と皆が口ぐちに感謝の気持ちを表します。

去年転職してきたスーは、今回初参加。次々と運ばれて来る料理をまじまじと見つめながら、質問の連続です。

「シンスケ、これは何なの?」

「タコがワサビでマリネートされてるんだよ。ピリッとして、日本酒との相性がイイんだ。」

「この細いピンクのパスタは?」

「こんにゃくという名のおいもが原料で、サーモンの卵をまぶしてあるんだよ。」

私は料理の専門家でもないし、魚や野菜の英語名を全て習得しているわけでもないので、段々と答えるのが面倒くさくなって来ます。焼うどんの上に散りばめられた鰹節がゆらゆらと踊る光景を目にしてうろたえるスーに、

「そうは見えないかもしれないけど、実はこれは生き物でね、高熱に悶え苦しんでるんだよ。」

などとホラを吹いたりします(このホラ、大抵のアメリカ人が冗談とは受け取らず、恐怖に凍り付いた表情でさらにじ~っと見つめるので笑えます)。

「この箸、中華料理屋のと違うけど、日本式なのか?」

と元ボスのエドが尋ねます。我々がよく行くチャイニーズ・レストランの箸は先端まで太いのです。

「日本の箸は、先を細く仕上げてあるんです。そのせいで、小さな物も上手につかめるんですよ。」

と答える私。皆が一斉に、

「いやいや、かえって難しいんだけど…。」

と反論します。よく見ると、アメリカ人の彼らは「つかむ」のではなく、「のせる」ために箸を使っているため、「先が細いと食べ物が載っからないんだよ!」とのこと。なるほどねえ。

「そうだシンスケ、どうやって箸を上手に使えるようになったか、スーに話してあげてよ。」

と、遠くの席からマリアが叫びました。え?何の話?と一瞬戸惑いましたが、これはずっと以前に披露したエピソードなのだと思い出しました。

「僕がまだ5歳くらいだったかな。ラーメン丼一杯に盛られた小豆をね、もう一方の丼にひとつひとつ箸で移動させる、という訓練をさせられたんだ。背後では自分の好きなテレビ番組が始まろうとしていて、小豆をひとつ残らず一往復させたら観ていいよ、と言われてね。それはもう必死だよ。毎晩これをやっているうちに、いつの間にかスキルが身についてたんだ。両親には感謝してるよ。」

感心して何度も頷くスーの顔を真剣に見ながら、

「今じゃ、飛んでいるハエも箸で捕まえられるからね。」

とアクション付きでキメる私。うわあ、それはすごいわねえ、と素直に驚く彼女に、冗談だよと言うのも面倒くさいので、そのまま信じこませておくことに決めました。

アメリカ人の皆さんに、日本文化の奥深さを存分に堪能して頂いた夜でした。