2011年12月31日土曜日

英語で「良いお年を!」

一昨日(12月29日)、リチャードのオフィスで立ち話していたところへ、日系アメリカ人の同僚ジャックがひょこり現れました。彼は健康優良後期高齢者。顔のつやが良く、声にも張りがあり、82歳ながら現役でバリバリ仕事していて、「かくしゃくたる」という表現さえ失礼に当たるほど若々しい人物です。私を発見するなりニコニコ笑いながら部屋へ入ってきて、握手を求めました。そしてこう言ったのです。

“Happy New Year!”

へ?

一瞬戸惑いました。遂にジャックもボケちゃったか?まだ年が明けてないのに新年の挨拶をされたぞ!?…いやいやそんなはずは無い。これはきっと、「良いお年を」っていう意味なんだろう…。

翌日ダウンタウンのオフィスで働いた後、帰り際に同僚ステヴに対してこれを恐る恐る使ってみたところ、すんなり受け入れられました。駐車場へ向かう際、他の同僚ジョンとすれ違った時にも使ってみたら、やっぱり「ハッピー・ニュー・イヤー!」と返して来ました。そうか、やっぱりこれは「良いお年を」にも「明けましておめでとう」にも使えるフレーズだったのね。

昨夜、友人一家のお宅に招かれたのですが、ディナーの最中にこの話題を出しました。ご主人のマイクさんが、こう解説してくれました。
「それはHave a happy new year! の頭を省いたんだね。年が明けたらもう Have をつけない。それだけだよ。」

な~るほど!それなら納得。ジャックはまだまだ大丈夫だ。

さて、これから大掃除です。Have a Happy New Year!

2011年12月29日木曜日

Make a move (異性に)モーションをかける

クリスマス、そして年末年始と続くこの時期は、同僚に会うと大抵、決まり文句のようにこんな挨拶を交わします。

“Are you planning any fun party?”
「何か楽しいパーティでも企画してる?」

実際、オフィスは半分以上からっぽ。静かなもんです。私は長いこと後回しにしていた不急の仕事を片付けようと意気込んでいたのですが、意外にも「大至急の」業務がポンポン飛び込んできて、なかなかの忙しさ。

独身の同僚リチャードと年末年始の過ごし方について立ち話していた時、アメリカ映画によく出てくる大晦日&ニューイヤー・パーティーの話題になりました。
「カウントダウンが始まると、そのへんにいる人をつかまえて、ぶちゅーっとキスする場面があるでしょ。実際、そんなことって本当にあるの?」
すると、事も無げに彼が答えます。
「うん、普通にあるよ。」
「今さっき初めて会ったような人とキス?信じられないよ。」
「ああ、若い時は何度も行ったよ、そういうパーティー。」
「ええ~?でもさ、その時隣に立ってた人が好みのタイプとは限らないでしょ。」
「もちろんそれまでに目星はつけとくんだよ。で、11時半を過ぎた頃、オモムロに行動を開始する。」

この時リチャードが使ったのが、次のフレーズ。

“You have to make a move.”

ムーブ(動き)をメイク(作る)わけだから、「行動に出る」ということですね。将棋やチェスで言えば、「駒を動かす」。今回の話題では、異性との関係を進展させるための「モーションをかける」という意味になりますね。

「で、そういうパーティに今年も行くわけ?」
と羨望の眼差しを向ける私に対して、リチャードが静かに答えます。

“I’ll just stay home and spend a mellow night.”
「家でただゆったりくつろぐよ。」

ま、そうか。40オーバーのおっさんが目をギラつかせてキスの相手を物色してる図は、ちょっと気色悪いもんな。

2011年12月28日水曜日

I had an epiphany! ひらめいたぞ!

オレンジ支社の同僚アンが、長い産休を終えて職場に戻って来ました。昨日から今日にかけて質問メールが立て続けに何通も届き、張り切ってる様子がビンビン伝わってきます。

2月にスタートしたプロジェクトに関するメールでは、
「ついさっき気付いたんだけど、あの時さんざん話し合って決めたことが、データに反映されてないみたいなの。」
と言った後、こう続きます。

“or if we had an epiphany and decided to go with another way of setting this up?”
「もしかしたら私たち、突然ひらめいて違う方法でセッティングすることに決めたんだっけ?」

この Epiphany (エピファニー)ですが、そのうち使ってみたい単語のひとつ。一般には「突然のひらめき」とか「啓示」などと訳されるようですが、「キリスト教の祭日」でもある、と辞書に出ています。

ここでちょっと悩ましくなります。

もしも宗教的な意味合いの強い言葉であれば、気軽に使えないのです。クリスチャンに対して「たった今、神のお告げがあったよ」などと言うと、「なんだこいつ、信仰も無いくせに神の話を持ち出しやがって」と、気分を害する可能性もあるので。

さっそく、敬虔なクリスチャンで元ボスのエドに尋ねます。
「う~ん、宗教的な意味は特に無いと思うよ。ただ単に、A light bulb goes off. (電球がパッと点く)って感じで使ってるなあ。」
と、頭の上で掌を開いてみせました。

次に、同僚リチャードのオフィスへ。
「宗教的な文脈で使われるのを聞いたことは無いな。普通に使っていいんじゃない?I had a goddamn epiphany! っなんてこと言わない限り大丈夫だよ(笑)。」

良かった。このフレーズ、もう安心して「普段使い」が出来ます。

“I had an epiphany!”
「ひらめいたぞ!」

2011年12月26日月曜日

サンタとトナカイ

昨日はクリスマスパーティのはしごでした。午後一番で同僚ベスのアパートへ。そして4時からは息子の友達のお宅へ。

ベスの次女カイラ(14歳)が折り紙好きだと聞いていたので、前夜2時間(!)かけてサンタとトナカイを折りました。ベスの両親もベスも喜んでくれたんだけど、遅れてやってきた同僚パトリシアが、長女アンドレア(20歳)にもカイラにも、リボンをかけて綺麗に包装されたプレゼントを持参。中身は知らないけど、一瞬で折り紙の存在が霞んでしまったのは明らかでした。

次のパーティへ向かうため、キッチンでベスとさよならのハグを交わした時、冷蔵庫の上に寂しく佇むサンタとトナカイを発見。そりゃそうか。電子機器が横溢する今の時代に、折り紙なんてなあ…。

{追記}
本日職場でベスに会ったら、カイラよりもむしろアンドレアが折り紙に興奮してたとのこと。よく考えてみたら、ちょっと大人向けだったかも。

2011年12月20日火曜日

Save the day 窮地を救う

私の仕事は財務部門とオペレーション部門との繋ぎ役みたいなところがあり、それぞれがなかなか単独で出来ない任務を課せられることがほとんどです。なかでも、
「締め切りは2時間後。このレポートを作って両部門の幹部三人から決裁を貰わないと今季の実績に大きな穴を開けてしまうことになる!」
などというピンチに起用されることが多く、先日もそんな大役を無事切り抜けました。早速アーバイン支社のリサからメールが届き、感謝の言葉が連ねられています。最初の一言が、これ。

“Thanks Shinsuke for saving the day again!”
「シンスケ、またしても Save the day してくれて有難う!」

ん?なんだそれ?

似たフレーズに、 “Make my day” というのがあります。映画「ダーティ・ハリー」で主人公のキャラハン刑事が、凶悪犯に対してこう凄むのです。

“Go ahead, make my day.”

「良い一日にする」とか「喜ばせる」、というのが元の意味ですが、この作品では、
「動いてみな、(貴様を撃ち殺すのに格好の言い訳が出来て)気分の良い一日になるから。」
って感じで使われて一躍有名になりました。

もうひとつ、これに似たフレーズに “Save the date” というのがあります。例えば半年先に大きなパーティを予定してる場合、

“Details will follow. Save the date!”
「詳しいことは追って連絡するけど、取り合えずその日は空けといてね。」

などと書きます。これは納得です。しかし、 “Save the day” となると話は別。

The day (その日)を Save (救う)?

なんとなく分かるような気がするのですが、どうもすっきりしない。今日の午後、英語の達人テリースのオフィスを訪ねました。

「そうね、確かに不思議な言い回しね。本当のところは私にも分からないけど、すんでのところでひどい一日になりそうだったところを、あなたが良い一日に変えてくれた、そういう意味だと思うわよ。」

なるほどね。それなら分かる。

“Thanks Shinsuke for saving the day again!”
「シンスケ、またしても窮地を救ってくれて有難う!」

キャラハン刑事はクールに “Make my day”と笑った後、“Save the day” したわけですね。

2011年12月15日木曜日

Death by a thousand cuts じわじわと破滅に向かう

今朝はどかっと仕事を片付けようと勇んで6時に出勤したのですが、経済通の同僚アーニーにつかまってしまいました。
「今日のニュースを見たか?Census Data (国勢調査のデータ)が発表されて、アメリカ人の二人に一人が低所得層か貧困層だっていうんだ。信じられるか?二人に一人だぞ。」

朝一番でショックを与えてすまん、と謝りながら、さらに続けます。
「この先、どんな事態が待ってると思う?端的に言って、ヨーロッパの二の舞だろうな。ここまで貧困化が進んだら、政府が救済に乗り出さないわけにはいかない。生活保護漬けの人間が増える。そして一旦それが普通になると、もうそのサービスを切れなくなる。どんどん公的保護に依存する人間が増えて、景気は停滞を続けるんだ。」
「う~ん、こうなったら新たなニューディール政策を打ち出すしか無いね。」
と私。
「うん、本気で思い切ったことをやらないと、この国には先が無いよ。」
彼の案は、職にあぶれてる人をカンザス州あたりに集めて、巨大な太陽電池プラントか何かを作ってガンガン働いてもらう。そしてOPECに中指立てられるくらいのエネルギーを生み出して外国に売り込む、というもの。
「でも、そんなことはまず出来ないだろうな。今のアメリカじゃ、ニューディールは不可能だよ。」
と、あくまでも悲観的なアーニー。政策に関する情報がネットやメディアを通じて一瞬にして広まる今の時代、政府が思い切った手を打てなくなった、と彼は言います。
「それに、何か対策を講じた結果、ちょっとだけ状況が改善するけど暫くすると元通り、ってのを繰り返すだろ。これが良くないんだよ。失業率が25%くらいになるまで放っておいて、強力なリーダーシップを持つ大統領に登場してもらい、究極の選択を国民に迫った上で断行する、ってな具合に運ばないとどうにもならない。今はさ、失業率が6%から9%に上がると中途半端な景気対策を打つ、で7%くらいまで下がる、で、三ヶ月もするとまた9%まで上がるって具合だろ。何もしないよりずっとたちが悪いよ。」

そこで彼が苦々しげに吐き捨てたのが、このフレーズ。

“That’s death by a thousand cuts.”

文字通り訳せば、「千の切り傷による死」ですね。つまり、ひとつひとつの傷は致命的じゃないけど、千箇所も切られればそのうち死ぬ、ということ。私の訳はこれ。

“That’s death by a thousand cuts.”
「じわじわと破滅に向かってるんだよ。」

もともとは清の時代まで中国で採用されていた処刑法「凌遅刑(りょうちけい)」から来ている言い回しだそうです。グーグルしたら、恐ろしい写真がざくざく出て来ました。朝からちょっと気分が悪くなりました。

2011年12月14日水曜日

SNAFU おなじみのドタバタ

二週間ほど前、旅費の精算の承認をボスのリックにお願いしたのですが、待てども待てどもなしのつぶて。そのうち時間切れになったようで、決裁は彼のボスのクリスへ自動的に転送されていたことが分かりました。

クリスからリックへのメールがこれ。

“Aren’t you signing Shinsuke’s expense reports?”
「シンスケの旅費精算書には君がサインするんじゃなかったのか?」

それに対するリックの返信に、手が止まりました。

“Yes, it was a SNAFU.”
「そうなんだ。SNAFUだよ。」

SNAFU?なんじゃそりゃ。彼が更に続けます。

“They came to me last week and I opened them on my Blackberry and then failed to follow up when I got to my computer.”
「先週受け取ってブラックベリーで一旦開いたんだけど、コンピュータで処理しようと思ってるうちに忘れちゃったんだよ。」

う~ん、この手がかりだけじゃ、SNAFU が何だかちっとも分からん。さっそく同僚マリアに質問。まず、なんて発音するの?
「スナフー(ふーの部分を強調)よ。しっちゃかめっちゃかな状態で何かをしくじった時に使うの。」
「あのさ、さっきネットで調べたら、これは “Situation Normal All Fucked Up” の略だって出てたんだ。最後の三つは分かるけど、シチュエーション・ノーマルが何のことか分からないんだ。教えてくれる?」
「え?そうだったの?分かんない。全然意味通じないわよねえ。」

そんなわけで、物知りのディックに聞いてみました。
「All fucked up は分かるよね。何もかも滅茶苦茶になってるって意味。シチュエーション・ノーマルは、いつもと変わらないってことだね。つまり、別に意外でも何でもなく、いつもの通り、しっちゃかめっちゃかになってる状況を指してるわけ。もともと軍隊で使われてたフレーズだよ。」

なるほどね。私の和訳です。

“Yes, it was a SNAFU.”
「そうなんだ。おなじみのドタバタだよ。」

どうでしょう?

2011年12月11日日曜日

We’re all revolving around it. 俺たちみんな、それ中心に生きてるよな。

5年ほど前、カナダのエドモントン支社からサンディエゴに移って来た同僚ジェフは、ウィニペグという町で育ったそうです。金曜の午後、職場で立ち話してたら、
「若い頃は店で肉を買ったことがなかった。」
という、耳を疑うような発言が飛び出しました(別に菜食主義者というわけではない)。それは一体どういうこと?と聞き直したところ、彼は毎年、野生動物の繁殖期(9月から11月頃)になると山へ出かけ、鹿やムース、バッファローなどを狩っていたそうです。ライフルか何か?と聞くと、弓矢(アーチェリー)を使ったと言います。
「昔はアルミだったんだけど、最近はカーボン製の矢でね。スピードがすごいんだよ。銃と違って音がしないこともそうだけど、アーチェリーの本当の長所は、獲物の身体にほとんど傷が残らないことなんだ。」

息絶えた動物のところへ行ってみると、急所にほんの小さな穴(puncture point)が開いていて、その周りに矢尻のブレードが残した放射状の薄い傷が認められるのみ。で、矢そのものは数メートル先の地面に突き刺さっているのだそうです。ムースやバッファローみたいに厚みのある身体を貫通してしまうなんて、すごい威力。

それからの手順はこう。現場で腹を割き、素早く内臓を搔き出してしまう。このタイミングを逃すと、肉がまずくなってしまうのだそうです。で、獲物を引きずって町に戻り、肉屋へ持っていくと廉価で綺麗に捌いてくれる。ステーキ肉をごっそり持ち帰り、自宅の冷凍庫に入るだけ貯蔵したら、残りはホームレスの施設に寄付する。

40代半ばのジェフは、今でも週末はアイスホッケーのチームに入ってプレイしているほど屈強な男で、狩猟の話は意外でも何でもないのですが、ふと気になって聞いてみました。
「あのさ、こういう質問もどうかと思うんだけどさ、動物を殺した時、良心の呵責を感じたことって無いの?可愛そうなことをしたなあ、とかさ。」
すると彼が急に表情を変え、

“It’s between you and me.”
「ここだけの話だけど、」

と声を落とし、過去に一度、倒れた鹿のそばへ行った時、突然嵐のような自責の念に襲われたことがある、と告白してくれました。そしてその場で泣き崩れた、というのです。

“What have I done? What am I, playing god?”
「俺は何てことをしてしまったんだ?何様だっていうんだ?」

そして翌年は狩りに出なかったそうです(翌年は、というところがミソですが)。

さて、なぜ繁殖期が狩猟に最適かと言うと、メスの奪い合いでオスの気が高ぶり、ガードが下がるのだそうです。バッファローのオスは硬い前頭部を、ムースは大樹のような角を激しくぶつけ合い、ライバルを退けようと連日闘う。ここに隙が出来るのですね。ジェフお得意の鹿狩り法は、まず獲物が良く通るルートを丹念に調べておき、そこを見下ろせる木の上に登って、葉陰に身を隠し辛抱強く待つ。目当てのオスが近くに来たら、予め用意しておいた二本の棒を打ち合わせて音を出す。それを聞いたオスはいきり立ち、
「喧嘩だ喧嘩だ!いい女を奪い合ってやがるな。どこだどこだ?俺も参戦するぞ!」
と駆けつけるのだそうです。そこでジェフの鋭い矢が一閃!哀れなオスは、急所を射抜かれてステーキ肉の元とあい果てるのです。

「結局、オスってのはオンナが絡むと我を忘れちゃうわけね。その習性を良く分かってる人間のオスに殺されちゃうなんて、ちょっと悲しいよね。」
と私。そんな風に考えたことは一度も無かったよ、と大笑いした後、ジェフが一言。

“We’re all revolving around it!”
「俺たちみんな、その周りをリボルブしてるんだよな!」

Revolve (リボルブ)は「(何かを中心に」回転する、旋回する、周回する」という意味。ジェフが言いたかったのは、こういうことでしょう。

「俺たちみんな、それ中心に生きてるんだよな!」

2011年12月8日木曜日

A-OK 万事オッケー

今朝のウォールストリートジャーナルに、イリノイ州の前知事が懲役14年の判決を受けたという記事が載っていました。「入廷前は余裕たっぷりだったのに、さすがにショックを隠しきれない面持ちで退廷した。」写真には、彼が右手でOKサインを作って記者団をかきわけて進む様子が。

記事の見出しに “A-OK” という言葉が使われていたのを見て、おやっと思いました。これ、「エイ・オーケイ」と発音するのですが、この “A” はそもそも何だっけ?

映画「マルホランド・ドライブ」でナオミ・ワッツ演ずるベティが、友達になったばかりのリタに、

“Everything is A-Okay.”

と言って励ます場面があります。どうしてわざわざAを付けるのか分からなかったので、以前同僚エリカに聞いたところ、
「Aクラス、つまり最高にオーケーだってことじゃないかしら?」
と答えてくれたのですが、真偽のほどを確認するには至りませんでした。

で、今回あらためて調査してびっくり。私はずっと、親指と人差し指でマルを作るジェスチャーが「OK」だと思っていたのですが、実はこれこそが「A-OK」だったのですね。もともとは、NASAの広報官だったジョン・パワーズが、フリーダム・セブン号の打ち上げが計画通りに進んでいた時、「万事順調」という意味で使って流行らせたのが始まりのようです。これに関して作家トム・ウルフは、小説「ライト・スタッフ」の中で、「NASAの技術者が無線交信のテスト中、Aの音の方がOよりも通りが良いことに気付いてA-OKと言うようになった。これをパワーズが頂いたのだ。」と書いているそうです(ここ全部、ウィキペディアから)。

じゃ、そもそもOKって何なんだ?調べてみたら、こっちの語源は34種類も説があることを知り、直ちに追求を断念しました。

2011年12月7日水曜日

That’s our ethos! それがうちの社風なのよ!

昨日、ダウンタウン・サンディエゴ支社の食堂でシャノンと一緒に弁当を食べていたら、環境部門のトップ、テリーがやって来ました。
「我らが誇るプロジェクト・コントロール・チームと、同席させてもらえたら光栄なんだけど?」

ランチを楽しみつつ、ひとしきり三人で仕事の話をしたのですが、そのうち最終コスト予測レポートの話題になりました。私が一言。
「これまで色々な部門のプロジェクトに関わって来ましたけど、ここの部門は本当にきっちりレポート出させてますよ。他の部門じゃ、過去一年も提出していないPMなんかざらにいますからね。」
するとテリーがきっぱりした口調で、
「うちはね、他がどうあれ、やるべきことは完璧にやるの。」
そしてこう続けました。

“That’s our ethos!”
「それが私たちのイーソスなのよ!」

イーソスだって?思わずシャノンと顔を見合わせる私。彼女も目を丸くしています。相変わらずすごいなあ…。テリーと話すたび、その圧倒的な語彙力に驚嘆させられます。

「分かってるわよ。メモ取るんでしょ。」
と顔を赤らめるテリー。
「ハイもちろん。いただきましたよ。」
と、ジェスチャーで左の掌に右手でメモする私。テリーはシャノンの方を向くと、
「もうシンスケったら、いつも私の使う言葉を面白がってメモするのよ。」
そう困り顔で訴えながらも、まんざらでもない様子。
「でもイーソスなんて単語、普通は思いもつかないよね。」
と私。
「私もそう思う。」
と、感心するシャノン。

実のところ、この時点ではイーソスが何なのか、よく分かっていませんでした。席に戻ってあらためて調べたところ、「倫理観」とか「気風」とか「精神」という意味でした。日本語では「エトス」とか「エートス」と発音されているようですが、ウィキペディアによれば「習慣・特性などを意味する古代ギリシャ語」。道徳を表すethics の語源だそうで、社会学者のマックス・ウェーバーは、「生活態度、心的態度、倫理的態度という三つの性向を併せ持つ」と説いたとのこと。

テリーを頂点のひとつとするこの組織は、今の会社に買収されるまで、環境・建築・デザイン分野の大学生たちが “dream job” と呼んで憧れる、宝石のような優良企業でした。今でこそ「巨大企業の一部門」に成り下がっているけど、社員ひとりひとりは、今でもそんなプライドを胸に秘めて仕事しています。テリーの発言は、そういう気持ちの発露と受け止めるべきでしょう。

“That’s our ethos!”
「それがうちの社風なのよ!」

2011年12月4日日曜日

Moot point 無意味な議論

火曜日の電話会議で、ジュリーがこんな発言をしました。

“Well, that’s a moot point.”
「じゃあそれはムート・ポイントね。」

ムート・ポイント…。議論の最中によく聞くフレーズです。文脈からは、「あまり重要ではない」という意味に受け取れます。全体の雰囲気が、「その話をしてもしょうがないよね」という流れになっていたのは確かですが、いまいち意味がつかめない。さっそく、ネットで英辞郎をチェックします。

「未解決の問題、問題点、論点、論争点、議論の余地がある点」

え?これは意外。まるでしっかりスポットライトが当たっているテーマみたいな扱いじゃないか。思ってたのと完全に逆だ…。午後遅く、同僚リチャードを訪ねて質問してみました。
「話す価値の無いような話題のことだね。」
と、やはり真逆の解説。木曜日にアーバイン支社で会ったリサとマックスにもそれぞれ聞いてみましたが、やはりリチャードと同じ説明をしてくれました。
「辞書には正反対の訳が載ってたんだけど…。」
と言うと、みな戸惑いの表情を見せます。
「いや、そんなポジティブな意味で使った例は聞いたことがないな。」

金曜日にオレンジ支社へ出張した際、言葉博士の(と私が勝手に呼んでいる)トムを発見したので、彼のキュービクルへ行ってダメ押しの質問をしました。トムは椅子をくるりと回転させて振り返り、あごひげをこすりながら張りのある声で解説します。
「議論の余地がある(debatable)というのは正しい訳だと思うな。でもそれは、議論の余地はあるがしてもしょうがない、というネガティブな意味なんだよ。」
そして通路を隔てて隣のキュービクルでコンピュータに向かっていた若い社員に、
「はいデイヴィッド君、例を挙げて下さい。」
と呼びかけます。大喜利じゃないんだからそんな唐突に振られても、と気の毒に思ってたら、当のデイヴィッドはさっきから我々の話を聞いていたのか、こちらを向いてさらりと答えました。
「僕は不治の病で余命半年と宣告されました。でも一方で、明日で世界が終わり、全人類が滅亡するということも知っています。この場合、僕の病気の話はムート・ポイントです。」
「Good job! (よくできました)。」
と、まるで学校の先生みたいなトム。

あとでネットを調べてみたら、これは誤解を経て意味が変容してしまった言い回しだということが分かりました。Moot はそもそもMeet (会う)と同じ語源から来ていて、「あらためて集まって議論しなければいけない話題」つまり「未解決の問題」というのがそもそもの意味だったそうです。法科の学生が訓練のために架空のケースを作って議論する際、これをmoot point と呼んだことから、「議論のための議論」つまり「結論に実務的な価値の無い議論」、「無意味な議論」という意味で使われるようになってしまったのだと。

なるほど。「情けは人のためならず」とか「やぶさかでない」などと同様、辞書に出ている訳と違う意味で使われているフレーズだったのですね。