2010年6月29日火曜日

The tip of the iceberg 氷山の一角

何かを思い出せそうで思い出せない場合、

It’s on the tip of my tongue.

と言うことがあります。これ、知ってるけどなかなか使えない表現のひとつです。言葉が「舌の先まで」来てるんですよ。「そんなとこまで出て来てるならもう言えるだろ!」と突っ込みたくなるわけです。日本語の「喉元まで出かかってる」の方は、声帯まで届いていない段階なのでまだ説得力がある。

ところでこのTip を使った別の表現に、

It’s just the tip of the iceberg. (それは氷山の一角に過ぎない。)

というのもありますが、これを聞くたびに学生時代のある出来事を思い出します。私は某工業大学の合気道部に所属していたのですが、他大学との最初の合同合宿の際、かなり偉い師範(先生)に「気」についてのご講話を頂きました。師範がこう話します。
「普段使っている力というのは、実は本当の力のほんの一部でしかない。君達は氷山の一角という言葉を知っていると思うが、あれと一緒で、表面に見えている部分の何十倍もの大きさの力が眠っているのだ。」
その時、機械工学専攻だった近藤くんという仲間が、うつむいて笑いをこらえながら囁いたのです。
「氷山の水面上と水面下との体積比は常に1対10なのに、何十倍というのはおかしいよな。」
そう、水が凍ると体積が一割くらい増え、一方氷山は体積分の水と同じ重量の浮力を受けて浮かぶため、11分の10が水中にある計算になるのです。

せっかく神秘的に始まった「気」の話に、とんだケチがついたな、とトホホな気分になった記憶があります。理科系の学生にはうっかり出来ないたとえ話だということを学んだのでした。

At large 容疑者は逃走中!


腕利きPMのエリックが、電話でのレヴューでマネジメント層の質問に応え、

“By and large, the project is going well.”

とか何とか言ったことがありました。このBy and large というのが「おおむね」とか「全般的に」という意味であることは知っていたのですが、なぜ前置詞であるBy と形容詞であるLarge が並列で扱えるのか、ずっと引っかかっていました。昨日ちょいと調べてみたところ、これは船乗り言葉から来ていることが判明。

船が追い風を受けている時は
The ship is sailing large.
と言い、航行可能な角度の向かい風を受けている状況を
The ship is sailing by the wind.
と表現するそうなのです。

よってBy and large は「航行できる条件下にある」ということで、それが「おおむね」となったようなのです。ちなみに、新聞やテレビのニュースでよく見聞きする「容疑者は逃走中です」は
The suspect is at large.
ですが、このAt large も同じ語源だそうです。容疑者は追い風を受けている、というイメージですね。

すっきりしました。

2010年6月28日月曜日

Dark Circles 目の下のクマ

先週の火曜日から7日間ぶっ続けで腹を壊すという、生まれてこの方経験したことのない異常事態に見舞われています。体重が数キロ落ちました。今日は午前中休みをとって朝飯も抜き、昼もほんのわずかのご飯をよく噛んで食べた後出勤。同僚のエリカに状況を話すと、
「痩せたわねって言おうと思ってたのよ。」
と心配そうな様子。
「平気だよ。仕事には全く差しつかえないんだ。」
目の下のクマ、すごいでしょ、と言おうとして口ごもります。クマって何て言うんだ?「熊」じゃなくて「隈」だな。そんな単語知らないな。で、素直に聞いてみました。

Dark Circles

だそうです。直訳すると「色の濃い輪っか」ですね。言われてみればその通り。

Did you notice the dark circles under my eyes?

と言えば良かったのでした。ま、この英語表現はクールでも何でもないけど。

2010年6月26日土曜日

アメリカで武者修行 第12話 お前が聞いてみろ。

ORGのマイクからの要求を満足させられる品質のシミュレーション作りが出来るかという質問に対し、KU社のマイクからの返答メールが、私とボスのマイク宛に届きました。
「できないことはありません。でも、そのためにはそちらで充分な設計データを揃えて頂き、内容を確認した上でないとお約束は出来ません。仮にできたとして、費用はこれくらいかかると思います。」
ボスのオフィスを訪ねたところ、案の定苛立ちをあらわにしていました。
「あの野郎、ふっかけやがって。たかだか住民説明用のシミュレーションに、こんな大金が払えるか。」
「どうします?値切りましょうか?」
「グレッグに当たってみろ。あいつならCGシミュレーションが出来るかもしれん。」
思わず振り向いて、ナンバー2のグレッグと顔を見合わせました。
「そのグレッグじゃない。製図チームのグレッグだ。」

製図チームのグレッグは、度の強い眼鏡をかけた長髪・長身の三十代。口髭が唇の両端から垂れ下がっていて、色褪せたGジャンを羽織った姿はまるで80年代のハッカー。
「ああ、そんなのはお安いご用だ。何なら空を飛びながら下を眺めてるような動画を作ってやってもいいぜ。」
軽いノリで答えます。
「有難う。でも今回のは静止画でいいんだ。解像度、高く出来るかな。」
「ああ、道路の座標は全部このコンピュータにおさまってるからな。朝飯前よ。」
その時、彼のキュービクルの壁越しに、張りのある声が聞こえました。
「ちょっと待った。俺の許可なくうちの人間に仕事を依頼されちゃ困るな。」
壁の上から顔を出したのは、製図チームのマネジャー、デイヴでした。彼はボリュームのある口髭と顎鬚の持ち主で、ギリシャ神話の絵本に出てくるゼウスのような風貌。
「ちょっと出ようか。グレッグも一緒に来い。」

三人連なって、非常口から裏庭に出ました。デイヴはパイプを取り出して火をつけ、ハッカーのグレッグはタバコをくゆらせます。説教が始まるかと首をすくめて待っていたら、二人で暢気な世間話を始めました。暫くして、デイヴが思い出したようにこちらを向きました。
「で、何の仕事だって?」
後で分かったのですが、この二人は大の愛煙家で、何かと理由をつけては外に出てニコチンを補給していたのです。あらためてデイヴに、仕事の内容を説明しました。
「で、グレッグに頼めますか?」
「ああ、もちろんだ。チャージナンバーを教えてやってくれ。」
「チャージナンバー?何ですか、それ?」
二人同時に私の顔を覗き込みました。
「チャージナンバーを知らんのか?冗談だろう?」
「いえ、知りません。」
「君は毎週タイム・シートに勤務時間を記録する時、どんな番号を書いてるんだ?」
「さあ、渡されたサンプルを使い回しているだけなので、憶えてません。」
「呆れたな。シェインに聞いてみろよ。」

シェインというのは、総務・経理担当。小柄な割に、大声で元気良くしゃべる中国人の中年女性です。
「シンスケは下請け契約業務を専門にやってるからひとつの番号しか使ってないけど、他の人は仕事によって番号を使いわけてるのよ。今日はこの区間の道路設計を2時間やって、残りの6時間は別の区間の道路を設計したっていう風に、毎日チャージするの。」
「その番号、どうやったら分かるの?」
「WBSをメールしてあげる。」
「ダブリュビーエス?何それ?」
「何の略だか忘れたけど、そこにチャージナンバーが全部載ってるのよ。」

キュービクルに戻ってコンピュータを見ると、WBSのファイルがシェインから届いていました。開くと、こう書いてあります。

Work Breakdown Structure (WBS)

「ワーク・ブレイクダウン・ストラクチャー」か。かっこいい名前だな…。タイトルに続き、業務名とチャージナンバーが十数ページに渡ってリストされている。階層構造になっていて、道路設計という大きな括りの下には基本設計、詳細設計、などの小項目が並び、さらにそれぞれの下には区間名称が記載されている。なるほど、仕事の内容を整理して細かく分類したというわけか。

5分ほどかけて徹底的にリストを洗いましたが、住民説明用のシミュレーション作成業務に使えそうなチャージナンバーは見当たりません。シェインのキュービクルに戻って尋ねてみました。
「あたしに分かるわけないでしょ。アーロンに聞いてみた?」
アーロンというのは台湾出身で、年齢は三十前後。髪は七三、銀縁眼鏡。「秀才君」とあだ名をつけたくなるような外見です。遠くオークランドから週三日のペースで飛行機通勤していると聞きました。
「本当だ。見つからないね。」
と冷静なアーロン。彼は自分のコンピュータ・モニターをこちらに向け、WBSの各項目に金額が追加された予算一覧を見せてくれました。
「でしょ。こういう場合、チャージナンバーはどれを使ったらいいのかな?」
「いい質問だね。でも僕には答えられないよ。チャージナンバー毎に割り振られた予算の管理をするのが僕の仕事で、予定外のタスクをどう扱うかまでは分からない。」
「WBSにこの業務を加えることは出来る?」
「可能だけど、それなりの手続きが必要になるよ。それに、どのタスクから予算を振り分けるかが問題だ。マイクに聞いてみなよ。オーケー?」
「うん。そうするしかなさそうだね。」
マイクの返事なら、聞く前から分かっていました。

「そんなこと知るか!お前が調べろ!」
「もう一度言いますが、この業務はWBSに含まれていないんです。つまり予算がゼロなんですよ。」
「なんで入ってないんだ?」
「さあ、それは分かりませんが、契約書のScope of Work のパートから漏れていたことを考えると、WBSを作った人たちが見逃した可能性が高いと思います。予算を他から回す必要があります。どのタスクの予算を使ったら良いですか?」
「・・・。」
ナンバー2のグレッグが席を立ったのをちらりと見やり、マイクが私にこう言いました。
「道路設計の予算を回せないか?設計業務の一部と考えられなくもないしな。」
「そうでしょうか?グレッグが同意するとは思えませんが。」
「お前が聞いてみろ。」
「ええ?私がですか?」

マイクは橋梁と上下水道設計を、グレッグは道路設計全体を統括する立場にいます。オフィスに戻って来たグレッグをドアの前でつかまえて尋ねると、お前正気か?という顔で笑いました。
「それは道路設計のスコープに書いてある仕事じゃないだろう。」
「ええ。」
「じゃあ僕のチームの予算を使わせるわけにはいかないじゃないか。」
「はあ。」
「マイクと相談してみなよ。」
「はい。」
この会話は部屋の中のマイクの耳に届いていたようで、彼のそばへ行くと観念したようにこう吐き捨てました。
「プロジェクトマネジメント用のチャージナンバーを使え。」
つまり、自分用の予算を切り崩すしかないことを認めたわけです。結局、下請けを諦めて内部の人間を使ったところで、予算ゼロの仕事をするにはそれしか方法がなかったのでした。

その晩ケヴィンと夕食に出かけた際、彼にこの一件を話しました。
「このプロジェクト、大丈夫なのかな。契約書がひどい代物だというだけでも問題なのに、どうやらうちのチーム自体もガタガタしてる。春になったらミシガンから家族を呼び寄せるつもりなんだけど、このまま計画通り進めていいものかどうか悩むよ。」
「ああ、それはこっちも同じだよ。俺だって今度の夏に結婚式と新婚旅行を予定してるんだ。それまでは職を失うわけにいかないからな。」

この時は二人とも、自分達の行く手に途方も無く凶暴な荒波が待ち受けていることを、知る由もなかったのでした。

オー、メーン!

出勤途上、アパートの駐車場を出た直後でした。別の駐車場出口から走り出してすれ違った車から、カシャーンと何か黒い物が落ちるのが見えました。携帯電話っぽかったな、あのまま放っておくと他の車に轢かれちゃうな、と気になり、Uターンして拾ってみたらiPhone。アパートのオフィスに届けようと考えたけど、7時半じゃまだ開いてない。歩道に置いておこうかな、と思ったけど誰か心無い人に持っていかれちゃうかもしれない。オフィスが開くまで待ってたら遅刻しちゃう。どうしよう…。そのまま佇んでいたら、ちょっと前に猛スピードで駐車場に入って来た車から飛び出して来たアラブ系の若者が、キョロキョロしながらこちらへ歩いて来ました。
「これ?」
とiPhoneを差し出すと、ぱっと顔が明るくなり、
“Thank you man!”
と言いました。そして一旦車へ向かってから振り返り、
“You’re a life saver, man!”
と続けました。

朝からちょっと良いことしたな、と嬉しく思いながら、どうも最後の「メーン」が引っかかります。
「あんた命の恩人だぜ、メーン!」
それって、きちんとお礼言ったことになるのかな?この「メーン」は喜怒哀楽すべてに使われる感嘆詞らしいんだけど、実際には「くそっ」って言いたくなる場面でよく聞くので、あまりポジティブな印象がないんです。これが果たして今朝の状況に適した英語表現なのかどうか、今度アメリカ人に聞いてみようと思います。

2010年6月24日木曜日

有難うと言われたら


凄腕PMのジムから、こんなコメントを聞いたことがありました。
「サンキューって言われて、サンキューって返す人っているでしょう。状況がどうあれ、その返答はおかしいと思うんだよね。それに、ノー・プロブレムっていうのも濫用されてる気がする。有難うって言われたら、やっぱりYou are welcome と応えるべきだと思うんだよね。」
それから私は、明瞭な発音でYou are welcome と言うよう心がけています。

ところで昨夜、クールなオヤジの代表選手ジョージ・クルーニー主演映画、「マイケル・クレイトン」を観ました。ベテランの役者揃い。見ごたえのあるサスペンス・ドラマです。その中で、借金漬けになった主人公が、法律事務所のボスから8万ドルの小切手入り封筒を渡されるシーンがあります。これを受け取る代わりに、関わっている案件から綺麗に手を引くという条件で。封筒を握って立ちすくむ主人公。そこでボスが一言。

“You’re welcome.”

お礼の言葉はどうした、と言わんばかりの決めゼリフ。これ、そこまで緊迫感のない場面で使ったことがあるのですが、結構ウケました。

2010年6月23日水曜日

月の輝く夜


私はプロジェクトのセットアップをよく頼まれるのですが、今日はロング・ビーチ支社のマークを電話でサポートしました。
「予算を立てる段階で、非現実的な収益率を見込むのはまずい。プロジェクトには予想外の出来事が付き物だからね。」
と私。
「そうか、それじゃどうしたらいい?」
「高すぎず、低すぎずのところでセットアップすることを薦めるよ。人件費のマルティプライアーは2.60 でセットしてみたんだが、どうだい?」
「よし、それで行こう。そうやって控えめな収益率でスタートを切り、実際は高みを目指すってことだな。」
その時彼が使った表現がこれ。

We’re shooting for the moon, right?

この、月を目指す(shoot for)、という言い回しがとてもクールだと思いました。

ところで、月ってどうして写真に撮ると小さく写るのでしょうか?こないだオレンジ郡のホテル前で巨大な月が見えたので、急いで撮影したのですが、やっぱり小さく写ってました。不思議だあ。

2010年6月22日火曜日

アメリカで武者修行 第11話 ちゃんと契約書に書いてあるだろう。

12月中旬のある朝、ボスのマイクがやってきて言いました。
「KU社のマイクに、住民説明に使う高架区間のシミュレーション画像づくりを頼んであるんだ。お前のところにファイルを送るよう言ってあるから、届き次第ORGのマイクに提出してくれ。」
このプロジェクトチームには「マイク」という名の人物が七名います。マイクがマイクに仕事を頼まれ、そのマイクが別のマイクに頼む。よく皆こんがらがらないな、と感心することしきり。

午後おそく、KU社のマイクから画像ファイルが届きました。「データ量が足りないのであまり画質は良くないのですが。」という断り書き付きで。そのままORGのマイクに転送したところ、激しい怒りのメールが返って来ました。
「こんな質の悪いシミュレーションが住民説明会で使えるか!」
悪いことに、ボスのマイクの名前もccに入っています。案の定、夕方になって外の会議から戻って来たボスが、顔を上気させて私のキュービクルに飛び込んで来ました。
「お前、中身も見ないで送ったのか?」
「はあ、すみません…。」
「あんなクソみたいな画像を送ってどうしようっていうんだ!お前が見てこれは駄目だと思ったら、質が悪いので今日は提出できませんと言うべきだろうが!」
「すみませんでした。」

そもそもどんなレベルの画像が要求されていたのか聞かされていないので、仮にファイルを開けたところで、提出物の良し悪しが私に判断出来るわけありません。しかしそんな言い訳が通用するはずもなく、黙って暫く頭を冷やしてから、あらためてボスのオフィスを訪ねました。マイクと部屋を分け合っているナンバー2のグレッグは、こちらを見向きもせずコンピュータに向かっています。
「すみません。どの程度の解像度が要求されているのか、教えていただけますか?」
とあらためて質問すると、
「そんなこと知るか。マイクを満足させられるレベルだ。」
と吐き捨てるボスのマイク。そんな曖昧な仕事の依頼があるのだろうか?と不審に思いましたが、その足でORGのマイクのオフィスを訪ねます。
「どういうクオリティのシミュレーションを要求されているのでしょうか?」
すると彼は椅子の背にもたれながら、
「それは、俺がOKと言えるレベルだ。」
と不敵な笑みを浮かべています。
「もう少し具体的に教えていただけませんか?下請けに指示しなきゃいけないので。」
と食い下がると、
「いいか、渓谷を渡る道路部分が完成後にどう見えるかを百人以上の出席者に見せなきゃならないんだ。おそらく横7フィート以上のパネルに貼り付けて展示することになる。それなのに、あんなぼやけた画像じゃ使い物にならんだろう。」
自分のキュービクルに戻ってから、KU社のマイクに宛ててメールを書き、要求に応えられるかどうかを打診しました。

その夜、電話帳ほどもあるぶ厚い契約書を丹念に読み返しました。ところが、シミュレーション作成業務に関する条項など、どこにも見当たりません。もしかしたらボスは、契約書に書かれていない業務を不当に要求されているのではないか、そしてそのことに気付いていないのではないか、という疑念が芽生え、それが段々と確信に変わっていきました。すぐにボスを止めなくちゃ!翌朝一番でマイクのオフィスを訪ねました。

「シミュレーション作成業務なんて、契約書のどこにも書いてありません。何故契約外の仕事をしなければならないのですか?」
マイクは苦虫を噛み潰したような表情で私の顔を数秒間見つめた後、
「ちゃんと契約書に書いてあるだろう。」
とぶっきらぼうに答えました。私は自信を持って続けました。
「何度も読み返しましたが、そんな条項はどこにもありません。これは明らかに、契約外業務です。」
すると彼は契約書をパラパラとめくり、無言のまま一箇所を指差してこちらへ差し出しました。

「設計JVは、ORGの実施する住民説明会をサポートするものとする。説明会用の図面などを用意するよう依頼された場合、これを提供するものとする。」

顔から血の気が引いていくのを感じました。信じられない思いで前後のページをめくり、
「なんでこんな場所に書いてあるんだろう?」
と呻きました。契約書は一般に二つの部分から成り、前半(Terms and Conditions)は契約そのものの取り扱いに関する内容、例えば支払い方法や損害賠償、そして設計変更の要求をした場合にどんなプロセスを経て許可されるか、などが書かれています。そして後半(Scope of Work)が、業務内容の詳細説明になっているのです。当然私は後半を探していたのですが、なんとこの条項は前半に、まるで土壇場で誰かが慌てて書き添えたような形で紛れ込んでいたのです。
「俺には分からんよ。書いてあるんだから仕方ないだろう。」

ボスに警告するつもりが、とんだ勇み足になってしまいました。それにしても納得が行かないのは、書かれていたページもさることながら、その表現がお粗末過ぎるということ。どんな品質の提出物が要求されるているのか、まるで読み取れない。「図面などを用意する」という言葉が、コンピュータ・グラフィックによるシミュレーション作成まで含むというのは拡大解釈が過ぎるのではないかと思ったけれど、あんな曖昧な文言を契約書に載せた時点で我々の負けです。してみると、ORGのマイクの「俺がOKと言えるレベル」というセリフは、まんざら嘘でもなかったのか…。

リンダのところへ行って一部始終を報告したところ、微かに笑みを浮かべてこう言いました。
「もう分かり始めてると思うけど、この契約書は弁護士が目を通してない、とんでもないガラクタよ。あちこちに意図的な変更が見られるの。3年以上前に書かれたものだし、今では当時の関係者が誰も残っていないから、質問をしたくても出来ないのよね。でもね、いかに質の悪い契約書であっても、一旦両者がサインしたらもう文句がつけられないの。私達に出来るのは、隅から隅までこの契約書を理解して、相手につけ入る隙を与えないってこと。あなたと私がその防波堤にならなくちゃいけないのよ。」

午前10時になり、ORGとの間で今月から毎月開催されることになった変更要求(Change Order)会議の第一回に出席しました。設計JVからはマイク、リンダ、ケヴィンと私が、そしてORGからはマイクの他計4名が会議机を挟んで席に着きます。あらかじめ提出してあった追加予算要求書に沿って、ボスのマイクが説明していきます。明るい笑顔と握手でスタートしたミーティングでしたが、進行とともに彼の横顔がじわじわと引きつって行くのがうかがえました。
「我々はあなた方の依頼に応えてこの設計を仕上げたんですよ。」
とボスのマイク。
「俺たちの誰が、何月何日、何時何分に依頼したって?」
とORGのマイク。
「要求書にも書きましたが、うちの製図スタッフのヴィクターが、おたくのジェフに先月頼まれたんですよ。」
「そうか。ジェフとは昨日話したんだが、憶えてないと言ってたぞ。ヴィクターは腕がいいと褒めてはいたけどな。」
「先週おさめた設計図は、明らかに契約外の業務です。頼まれなかったとしたら、どうしてヴィクターがわざわざそんな仕事をするんですか。」
「さあ、それは知らんなあ。あんたら設計チームのボランティア精神には頭が下がるよ。」

いつも強気なボスが、激しい苛立ちとそれを隠そうとする無理な笑いで顔を紅潮させ、何とか譲歩を引き出そうと耐えていました。しかし結局終始そんな調子で、十件以上あった追加予算要求は、とうとう1セントも引き出せぬままことごとく却下されたのでした。追加業務の依頼があったことを証明出来る文書は?契約外だと主張する根拠条項は?要求額の積算根拠は?と畳み掛ける質問に、最後は極度のフラストレーションで真っ赤になっていたボスのマイク。悄然と会議室を後にする我々に、ORGのマイクが勝ち誇ったような顔でこう言いました。
「あんたらの弱点は、契約書に精通している人間が一人もいないってことだ。俺達はみな何十回も読んで全条項を暗記してると言っても過言じゃない。毎月会議をやるのもいいが、時間の無駄にならないよう、しっかり勉強して来いよ。」

はらわたの煮えくり返る思いでキュービクルに戻りました。そもそもORGの都合の良いように仕組まれた契約書だという可能性もあり、既に「勝負あり」なのかもしれませんが、こうなったら可能な限り条文解釈を突き詰め、必ずや一矢報いてやろうとこの時心に誓いました。

2010年6月20日日曜日

十戒

今日は父の日だということを言い訳に使い、お父さん友達二人(両方クリスチャン)とTGI Friday(ファミレスみたいなの)へ晩飯に行きました。モーゼの「十戒」のことが話題にのぼったのですが、英語でこれを

Ten Commandments

と言います。「汝殺すなかれ。汝姦淫するなかれ。」という、あれです。クリスチャンの世界以外でも、戒律、おきて、という意味でCommandment は広く使われる言葉のようです。

先日、同僚のマリアと彼女の飼っている犬の話をしていた際、「犬を飼う人のための十戒」というものを見せてもらいました。全て犬の視点で書かれているのがミソで、読んでるうちに泣けて来ました。特に四番目のこれ。

Don't be angry at me for long and don't lock me up as punishment. You have your work, your entertainment and your friends. I have only you.
私を長時間叱ったり、罰として閉じ込めたりしないで下さい。あなたには仕事や楽しみがありますし、友達だっているでしょう。でも、私にはあなたしかいないのです。

軽い気持ちで犬を飼おうと思ってる人は、きっとギクッとするでしょう。

2010年6月19日土曜日

Don't let it snowball. 雪だるま式


コートニーという名の、コネティカット在住の若い(たぶん)女性から、月一回の割合で電話がかかってきます。彼女は私のヘルス・コーチで、会社から雇われている模様。「最近どんな食事をしてますか?先月教えたエクササイズとストレッチは続けてますか?」
などと細かく質問して来るので、自然と毎日の生活に気をつけるようになります。私の持ち出しはゼロ。社員が健康でいることは会社のためにもなるので、損得を考えたらこういうプログラムの費用なんて安いもんだということでしょう。

彼女との電話では最初のうち、腰痛の話ばかりしていました。デスクワークだし週一回は長距離ドライブしているので、何もしないと腰が痛くなってたまらんと訴えると、ストレッチのインストラクションを送ってくれました。その時彼女が言ったのが、

You don’t want to let it snowball. (どんどん悪化させちゃ駄目よ。)

このSnowball は、雪の降らないサンディエゴでも度々耳にする単語で、私はずっと「雪だるま式に何かを悪化させる」という直訳風の理解をしていました。でも私の経験によれば、「雪だるま」を大きくするのはなかなか大変で、しかもその過程は結構楽しい。「どんどん悪化させる」という負のイメージはないのですね。

で、ようやく思い至ったのが、これは「雪だるま」ではなく、「斜面をころげながら大きくなる雪玉」のことだということ。それなら腑に落ちます。

そのうち会社の会議などで使おうと思います。


追記:この表現、ポジティブにもネガティブにも使うことが後で分かりました。

2010年6月18日金曜日

折り紙動物園


今朝、息子のクラスで折り紙教室を開きました。三年生の最終学期も残すところあと一日。これから2ヵ月半の夏休みに入るのです。彼のクラスメート約20人は、国籍も母国語も様々。アメリカの小学校というよりは、インターナショナル・スクールみたいな雰囲気です。日本人以外の子供に折り紙を披露するのは今回が初めてで、一体どんな受け止められ方をするのか、想像がつきませんでした。

朝の挨拶をした後、すかさず「つかみ」の質問に入る。
「みんな、動物は好き?」
「大好き!」
「たとえばどんな動物が好きかな?」
ほぼ全員の子供が競って手を挙げ、口々に動物の名前を叫びました。ひとりひとりの答えを注意深く聞いた後、こう続けました。
「実はね、この箱の中に、小さな動物がいるんだよ。一匹ずつ見せるから、名前を当ててみて。」
ここからはもう熱狂の渦。子供たちが目を輝かせ、
「シカでしょ!あ、違う、トナカイだ!」
「スカンクだ!そうでしょ!スカンクだよ!」
と立ち上がって叫ぶ。

今回用意したのは、シカ、ねずみ、ペンギン、スカンク、馬、パンダ、鷲、亀、ガチョウ、きつね、子持ちカンガルーなどなど。全ての動物を紹介した後、紙風船の折り図と色紙を配り、個別指導に入りました。あっちでもこっちでも手が挙がり、
「ヘルプして!」
と真剣な顔で助けをせがんで来ます。早くも完成した作品を見せに来る子、何が何やら分からずにひっきりなしに挙手する子、色々です。

ひとりの女の子が、
「わたし、折り紙初めてなの。三年生の最後にこんなの作れてすごく嬉しい!」
と満面の笑顔を見せてくれました。子供たちの目が無防備なまでに純粋で、心が洗われるようでした。可愛いThank you の声を浴びつつクラスを後にし、会社に向かったのですが、暫くの間なんだか気分がふわふわして、仕事に集中できませんでした。

Idiosyncrasy 性癖

先日、職場の同僚ジャック(81歳)、リチャード、そしてマリアと連れ立って、お気に入りの和食料理店「おかん」で晩御飯を食べました。煮物、魚、うなぎ入りの卵焼きなど、三人とも大喜びで食べてました。

何の脈絡か、ジャックが突然、
「shit! (くそ!)の語源を知ってる?」
と切り出しました。昔、船で堆肥を運ぶ際、船室に入れておくとメタンガスが溜まって爆発事故を起こすことが頻繁にあったので、船上に置くようになった。そんなことから、「Ship High In Transit(船荷を高く積め)」という言葉の頭文字を取ってshit と言うようになった、というエピソードを紹介してくれました(後で調べたらどうやらガセネタのようですが)。

長々と話を聞いたあと、リチャードが
「面白いね。面白いけど晩飯時に聞きたい話じゃないよね。」
とコメント。あっけらかんと高笑いした後、ジャックが
「すまんすまん。年取ると、そういうの全然気にならなくなっちゃうんだよね。いや、歳じゃないな。ボクの困った性癖というべきか。」
と言いました。この時使った単語が、

Idiosyncrasy (イディオシンクラシー)

です。前々から使ってみたいと思ってた単語で、「性癖」とか「特異性」などを指します。つまり、その人特有の癖ですね。考える時に唇を噛む癖などもそうです。

That’s her idiosyncrasy.

響きといい綴りといい、惚れ惚れするくらいカッコイイ単語だ。そう思うのは私だけでしょうか?

2010年6月17日木曜日

まだいける


日曜日に、家族でFiesta Island という海辺の公園へ行って凧揚げをしました。風の強い日だったので、拍子抜けするほど楽々と揚がりました。充分高く揚がってから息子にバトンタッチし、カメラをいじっていたところ、
「たすけて~!」
という息子の声。顔を上げると、彼が芝生の上をばたばたと走っています。なんと、糸巻きを手放してしまった様子。風に乗ってどんどん陸の方へ流されていく凧の紐を摑まえようと、必死で追いかけているのです。彼が向かう先には、交通量の多い道路が。もう8歳なんだから、まさかあんなところへ飛び出したりはしないだろうな、とは思ったものの、ふと昔観た映画、スティーヴン・キング原作の「ペット・セマタリー」の悪夢のようなシーンが蘇ってきました。

歩き始めたばかりの息子が、風に流されていく風船(凧だったかもしれない)を追いかけて、道路によたよたと出て行ってしまう。これを追いかけていた父親が、途中で足を何かにとられて動けなくなる。必死に名を呼び続ける父親。しかし彼の目の前で、息子は無残にも大型トラックに轢かれてしまう…。

気がつくと私は、自分でも信じられないような猛スピードで駆け出していました。息子を追い越しつつ、
「止まってそこで待っていなさい!」
と言い残し、かなり長い距離をトップスピードで走ってから、道路に出る直前で糸巻きをゲット。

去年の今頃、息子の日本語学校の運動会でパン食い競争に出た時以来だな、全力疾走したの。100mはあったぞ。まだ結構いけるじゃん、と顔がほころびました。

2010年6月16日水曜日

冷蔵庫界のロールスロイス


最初にオレンジ郡のオフィスに行った時、同僚のアン(オーストラリア出身)に、
「水が飲みたいんだけど、浄水器はどこ?」
と尋ねました。大抵のオフィスでは、ランチルーム(給湯室のでかいやつ)に大きな飲料水のタンクか浄水器があるのに、このオフィスでは見当たらなかったのです。すると、
「冷蔵庫に浄水器が付いていて、冷たい水が出てくるわ。」
と案内してくれました。
「でもね、ちょっと問題があるの。水を汲むところが内側にあるのよ。」
そう言って彼女が巨大な冷蔵庫のドアを開けると、確かに給水口が内部にある。
「え?じゃ、水を汲みたい時はいちいちドアを開けるわけ?」
「そうなのよ。信じられないデザインでしょ。」
彼女は環境関係のコンサルタントとしてはかなり尖ったポジションにいて、エネルギーの無駄遣いにはただでさえうるさいのです。でもこれは、そうでない人間から見ても馬鹿げている。製造主はWhirlpool というアメリカの大手家電メーカー。
「アメリカという国の環境問題への取り組み姿勢を一身に表現してるよね。」
アンがドアを閉め、
「私が一番笑ったのがこれよ。」
と指差したのが、冷蔵庫の片隅についているエンブレム。Whirlpool という会社名の下に、「Gold」という金色の文字が輝いている。冷蔵庫の金メダリストとでも言いたいようです。

2010年6月13日日曜日

アメリカで武者修行 第10話 黙祷願います。

感謝祭明けの一週間は、下請け業者との契約締結ラッシュとなりました。測量業者、造園業者、環境調査業者、と相次いでサイン。そして土質調査業者も激しい舌戦の末、ようやく契約書にサインしたのです。

そして12月。気がつくと、街のいたるところに赤や緑の飾りつけが施され、車のラジオからはクリスマスソングがひっきりなしに流れるようになりました。それでも日中は30度近くまで気温が上がり、オフィスには毎日冷房が入っています。朝夕は冷えこみますが、「今日は寒いね」と挨拶する人が半袖ポロシャツ一枚だったりするので、冬の実感が湧きません。

この月最初の土曜日、オレンジ郡にあるヒルトンホテルで、会社主催のホリデーパーティーがありました。午後6時スタートということ、南カリフォルニアにある全支社の社員及びその配偶者(または恋人)が招待されていること、そしてドレスコードが「ハワイアン」であること以外はほとんど情報がなかったので、ケヴィンから借りたアロハシャツに紺のブレザーを羽織り、コットンパンツを履いて出かけました。会場入りする前に想定していた状況は、アロハを着た人が数十人、手に飲み物と食べ物を持って適当に相手を替えながら談笑する、というもの。現場事務所勤めの私は、知り合いを広げるまたとないチャンス、と意気込んで乗り込みました。

ところが会場に着いてみてびっくり。10人掛けの円形テーブルが20個以上ひしめく大宴会場に、生バンド用のステージ付き。着席式のオーソドックスなパーティーだったのです。会場の入り口付近に設けられた簡易バーでまず飲み物をもらい、そばにいる参加者をつかまえて談笑し、7時半になったら宴会場に入る。好きな席に座ってバンドの演奏をバックにフルコースのディナーを楽しむ。そういう段取りなのでした。出席者の大半はパートナーを連れての参加で、私のような単身出席者はごく少数派。何故かアロハシャツよりもダークスーツやイブニングドレスといったフォーマルないでたちが多く、到着時は何とも居心地が悪かったのですが、遅れてやってきた同じ事務所の連中が全員アロハ姿だったので救われました。

私は、ケヴィンとその婚約者のエリザベス、それからティルゾとイーヴァと一緒に丸テーブルに着席しました。バンドのクオリティは高く、本物顔負けの歌唱力でヴォーカリスト3人が時には一人で、時にはハモりつつ「素顔のままで」や「愛と青春の旅立ち」といったスタンダードなソフトロックを次々に歌い上げました。分厚いステーキにナイフを入れながら、「金かかってるなあ」と唸りました。見渡すと9割くらいが白人。年齢層は高く、白髪の人がたくさんいます。アジア人はほとんど見当たらず、日本人は明らかに私一人でした。自分はアメリカの会社で働いているんだなあ、とあらためて実感しました。

南カリフォルニアでこれだけの社員がいるんだったら、全体では一体何人いるんだろう、とふと思いました。ティルゾが、
「さあ、大体五千人くらいじゃないかな。」
と言うとケヴィンが、
「このところ買収が続いてるから、今は六千人近いかもな。」
この時まで、自分はごくごく小さな会社に入ったのだとばかり思っていたので、心底驚きました。

パーティが始まって間もなく、当初思っていたほど知り合いを増やすチャンスはないのだということをさとりました。着席形式のパーティーでは、会話する範囲に限度があるのです。特に大音響のバンド演奏中に、何か食べながら1メートル以上離れた人と話をするのは困難を極めます。そんな時誰かが、
「隣のテーブルでこちらに背を向けて座ってるスパンコールのブラックドレスは、われらがCEOのダイアンだぜ。」
と囁きました。ケヴィンにこれを伝えると、
「いい機会だ。挨拶しに行こうぜ。」
と席を立ちました。一瞬冗談かと思いましたが、真顔で私に同行を促す彼の目を見て、そうではないことが分かりました。

ダイアンは見たところ60歳前後の白人。ショートカットの銀髪を一糸の乱れもなくセットし、墨のように黒いドレスにスパンコールを光らせ、首に白いレイをかけています。
「シンスケと言います。先月入社し、サンディエゴの高速道路プロジェクトチームに参加しました。」
と自己紹介すると、ベット・ミドラーに似た険しい顔立ちを一瞬で満面の笑みに変え、右手で固い握手、左手で私の右腕をポンポン叩きながら、
「ようこそ。期待してるわ。」
と歓迎の意を表してくれました。ケヴィンが、彼女のためのプレゼン資料を三年前に作ったことがあると言うと、
「ええ、あなたのことは覚えているわ。」
と微笑みました。
「ほんとに覚えてたかどうかはちょっと疑わしいな。」
と席に戻りながら彼は笑っていましたが。

食事がほぼ終わりデザートに移る頃、バンドは休憩に入り、どこから駆り出されたのか、小学生みたいなのから大学生くらいまでの女の子がぞろぞろ現れ、フラダンスを披露しました。ここへ来てようやく、ハワイアンという今回のパーティのテーマが確認された格好になりました。ケヴィンによれば、こうした会社のパーティはいつも同じパターンなのだそうです。食事が終わると何かアトラクションがあり、続いて出席者がダンスを楽しみ、その後主催者のスピーチでお開き。残りたい人だけ残って夜中まで飲む、というもの。

フラダンスの一団がパフォーマンスを終えると、バンドマスターがステージに戻ってきて、
「それでは皆さんお待ちかね、ダンスの時間です。思い切り楽しんで下さいね。」
と歌うような弾む調子で告げた後、ドラマチックにトーンを落としてこう続けたのです。
「その前にひとつだけよろしいでしょうか。今日は12月7日、真珠湾攻撃の日です。亡くなられた方々の霊に祈りを捧げたいと思います。皆様、黙祷願います。」
ざわついていた会場が魔法をかけられたように静まり返り、立っていた人も座っていた人も、みなその場で俯いて十秒ほど祈りました。そしてまた、何事もなかったかのように華やかなバンドの演奏が始まり、人々がステージの前に流れ込んで楽しげに踊り始めたのです。

私はそのわずか十秒の間、人知れず激しく動揺していました。冷静に考えてみれば、それがどんな戦争だったにせよ、戦没者を悼むことには何の抵抗もありません。しかしその時は周りのアメリカ人と一緒になって祈るということを、まるで母国に対する裏切りであるかのように感じていました。そして同時に、出席者全員がいきなり一致団結し、目を瞑ったまま無言の非難を日本人である私にぶつけ始めたかのような幻覚すら覚えたのです。ほんの刹那、実際には口にされていない非難への抗弁と、自分にチャンスを与えてくれたアメリカという国への感謝の気持ちとが、頭の中で激しく交錯しました。

渡米しておよそ2年半、自分が日本人であることをこれほど強く意識させられた瞬間はありませんでした。

2010年6月12日土曜日

Ball park figure 野球場の形状?


随分前のことですが、ある下請け業者の請け負い金額を同僚のケヴィンに尋ねられました。実は私、そういうデータを憶えるのが大の苦手。書類をパラパラめくって数字を探していたら、彼が

“Just give me a ballpark figure.”

と言いました。ちょうど地元リトルリーグチームのグラウンド移設の仕事をしている時で、その担当者が彼だったのです。なのにどうして彼がそんなことをやぶからぼうに聞いて来るのか理解できませんでした。
「Ballpark Figure (野球場の形状)?それはまあ普通の球場と一緒でしょ。」

しばらくあっけにとられていたケヴィンがひとしきり大笑いした後、Ballpark figure というのは「おおよその数字」という意味で、「概算でいいから教えてくれ」と言ったのだと解説してくれました。語源は不明ですが、Figure をチケットの売上額と考えると、「今日のゲームの売り上げは約何万ドル」という発表をする際に使われて来た表現だと思えば腑に落ちます。

野球観戦をするたびに、あの時のケヴィンの大笑いを思い出します。

2010年6月11日金曜日

星条旗


今夜はサンディエゴ・パドレスとシアトル・マリナーズのナイト・ゲームを家族で観戦しました。イチローは一安打止まりで残念だったけど、地元パドレスがサヨナラ勝ちをおさめて首位に返り咲いたため、大いに盛り上がりました。

開始前にポップコーンを買いに行ったのですが、パドレスのユニフォームを着て紺色のサンバイザーを被った売り子のおばさんが、
「ええと、ポップコーンふたつにプレッツェルを…。」
と注文しかけたところで
「ちょっと待って。」
私を制しました。右手でサンバイザーを取り、それを左胸にあてる彼女。
「?」
一瞬戸惑った後、注文を繰り返そうとする私に、目で「何も言わず背後を見よ」と合図するおばさん。振り返ると、さっきまでごった返していた雑踏がぴたりと止まり、皆立ち止まって音楽を聴いています。耳を澄ますと、若い女性がアメリカ国歌をアカペラで歌っている。売店の頭上で天井からぶらさがったテレビに、力強く歌う白人女性と風にはためく星条旗が映っています。多くの人が、帽子を脱いで左胸にあてている。

大きな拍手に包まれて国歌斉唱が終わった後、人々が再びエネルギッシュに動き始めます。ニッコリ笑って注文を促す売り子のおばさん。

アメリカ人にとっての国歌の重みを実感したのでした。

2010年6月10日木曜日

全然クールじゃない英語表現



まわりに見栄を張って無理することを、英語でよく

Keep up with the Joneses.

と言います。字義通りに訳せば「ジョーンズ家のやつらに負けるな」ということですね。アメリカ人が頻繁に使う表現なのですが、この「ジョーンズ家」というのは一体どんな人たちなのか、ずっと気になっていました。で、ちょっと調べたところ、アメリカの新聞で1919年から28年間続いた連載漫画が元だということが分かりました。裕福なエリアに引っ越した作者自身が経験した、近所とのアホらしい見栄の張り合いを描いた作品だそうです。

その一こまを見てビックリ。手塚治虫の「ヒゲオヤジ」がいる!手塚は幼い頃ディズニー作品に感動してミッキーマウスの漫画を模写していたという話があるけど、ヒゲオヤジのモデルがこんなところにいたなんて!

ま、それだけの話なんですが…。

2010年6月9日水曜日

Showdown ガチンコ勝負


先日、同僚のエリックが電話で、
「例のプロジェクトの変更要求の件だけど、先週ミーティングがあってね。クライアントとかなり緊迫した対決になったよ。」
と話してくれました。この時彼が使った言い回しが、

We had a showdown.

です。Showdown とは対決を意味するのですが、そもそもポーカーから来ている表現みたいです。お互い一歩も譲らない覚悟で臨むので、妥協案を見つけようという話し合いとはだいぶ緊張感が違います。必ず敗者が出る、真剣勝負を指すのです。

かなりクールな英単語だと思うのですが、そもそも何で「ダウン」なのか。今日の昼休みにエドとマリアに尋ねましたが、案の定知りませんでした。
「ただそう言うのよ。」
とマリア。
「ガンマンの対決に使うんだよな。」
とエド。それは知ってる。語源が知りたいんですよ!…で、結局分からずじまい。想像なんだけど、ポーカーでは皆に手札が見えないよう立てて持っているけど、いざ勝負という時に表を向けてテーブルに置く。その仕草がshowdown だと思うのです。そういうことにしておこう。

エドに、
「クライアントがハードボールを投げて来た(They threw a hard ball.)そうですよ。」
と話したところ、
「それって“Play hard ball” のことだね。」
と正されました。強硬に押すことを「ハードボールを投げる」と言うのだとずっと思ってたけど、完全に間違いでした。ハードボールが「きつい球」のことを指すと解釈していたのが誤解の原因で、正しくは「硬球を使った野球(ソフトボールと比較して)」のことだそうです。だから冠詞(a とか the)が付かないのか!

They played hard ball. (彼らが強硬に押して来た。)

使える表現だと思います。

2010年6月8日火曜日

Pull yourself together. しっかりしろよ!

映画やドラマで、精神的に大きなショックを受けた人を慰める場面によく使われるセリフがあります。

“Everything is gonna be all right.”

聞くたびに「説得力ないよな。何でこんなこと言うんだろう。」と不審に思ってしまいます。すべてうまく行くよ、なんて非現実的でしょ。この慰め方はいくら何でも無責任過ぎる。まあ深刻さの度合いにもよるけど、時々は近しい人がビシッと言ってやった方がいいと思うのです。こないだホテルのテレビでドラマをぼんやり見ていた時、おあつらえ向きのフレーズと出くわしました。

Pull yourself together!

しっかりしなさい!という意味ですね。バラバラになった自分自身の身体を引っ張って来て元通りにくっつける、というアクションがイメージ出来て憶えやすいです。

今日の昼前、同僚のマイケルとエリカと一緒にウォーキングに行ってきたのですが、ルート上に、鉄のゲートで閉ざされた敷地がありました。よく見ると「ナショナル・ガード」と書いてあります。災害時などに出動する軍の施設があったのです。エリカがこう言いました。
「そういえば15年くらい前のことだけど、戦車を盗んだ男が駐車中の車を次々と踏み潰しながら逃走して、最後はハイウェイで警察とのカーチェイスになったことがあったでしょ。あの戦車、ここから盗まれたのよ。」
「そんなことがあったの?知らなかったよ。」
「結局犯人は射殺されたのよね。あの時この辺にいたらさぞかし怖かったでしょうね。」

オフィスに戻ってから調べてみると、エリカの話は本当でした。犯人は35歳の鉛管工。妻と別れ、両親を相次いで癌で亡くし、商売道具を盗まれた末に職を失い、家は差し押さえられ、同居していた彼女がクスリのやり過ぎで死ぬ、という不幸のオンパレード。絶望の末の犯行と見られています。しかし、だからといって戦車盗んで公道で派手に暴れて良いわけじゃない。こういう時こそ誰かがビシッと言ってやるべきだったのでしょう。

Pull yourself together!

ってね。

2010年6月7日月曜日

アメリカで武者修行 第9話 電話を代わりなさい!

プロジェクト・チームの一員となって半月。ようやく安モーテル生活を脱し、メキシコ人の中年女性の家の二階を間借りし始めました。

金曜の午後、ボスのマイクが凄んだ口調で、
「おいシンスケ、一体どうなってるんだ?今すぐ土質調査をスタートさせろ!」
と怒鳴り込んで来ました。
「土質調査会社が契約書へのサインを渋っているんです。」
「だったらここへ呼びつけろ!」
さっそく先方の担当者バリーに電話し、契約について最終の詰めをするための会議をセットしました。彼らが削って欲しがっている条項を巡り、電話での押し問答が何日も続いていたため、この会議の提案は前向きに受け止められたようです。翌週で都合の良い日は一日しかないことが分かったので、マイクに、
「来週水曜の二十七日ですが、午後は空いてますか?」
と尋ねたところ、ちょっと怒ったような困ったような顔をした後、
「オーケー。」
と吐き捨てるように言いました。

会議当日の朝一番。契約書のコピーを出席者の人数分用意していたところへ、リンダがやって来ました。
「マイクがね、下請けさんに契約書へのサインを大至急させろって言ってるの。今日付けで双方サインをして午前中にファックスで契約書を取り交わし、本物のサインは来週すればいい。サインするつもりがないなら今日は来るなと彼等に言えって。」
これには慌てました。
「ちょっと待ってください。そりゃいくら何でもちょっと乱暴じゃないですか?彼等が簡単にサインするとは思いませんよ。午後の会議で細部を話し合い、納得した上でサインしてもらう段取りになってたんですから。」
「つべこべ言わずに今すぐ彼らに電話しなさい!」

電話をかけている私自身が納得していないのですから、受けた側が黙って了承するわけがありません。
「今日の午前中にサインしろですって?そっちじゃ一体何が起きてるんです?契約条項について話し合うための会議をセットしたばかりだっていうのに。これまでだって、契約対象外の仕事を見切り発車で随分やらされてるんですよ。我々としては、午後の会議で何とかその仕事を契約内容に盛り込んでもらおうと思って準備していたんです。予定通り、まず会って話をしましょうよ。」
普段物腰柔らかなバリーも、さすがに憤懣やるかたなしといった勢いです。受話器を握って振り返る私の目を見ながら、リンダが両手の親指を突き出し、
「プッシュ、ハード!」
と囁きかけてきます。何とか押し切ろうと頑張ったのですが一向に埒が明かず、痺れを切らしたリンダが、
「電話を代わりなさい!」
と私の手から受話器をもぎ取りました。
「リンダよ。私のデスクからスピーカーフォンを使って電話するわ。一旦切るわね。」
私は黙って彼女のオフィスへついていき、電話の近くに椅子を引き寄せて座りました。

「何度も言うようですが、保証と賠償に関する条項は削ってもらわなければサインなんかできませんよ。こんな不当な条項が許されると思いますか?」
とバリー。
「いい?私たちだって元請けとの間で同じ内容の契約を交わしているの。不利だということは分かっているけど、それでも仕事が欲しいからあえてリスクを取っているのよ。我々の契約書を読んでもらえば分かることだけど、あなた方との契約書に書かれているのとそっくり同じ表現が使われているわ。あなた方だけそのリスクから逃れる訳にはいかないの。それでも嫌だというなら、他の業者さんを探すしかないわね。」

これはリンダから毎日繰り返し教えられてきた理屈です。請負契約には発注者から元請け、元請けから下請け、そのまた下請けへと続く力関係の流れがあり、最上位にある契約書の書かれ方が全体の力関係を支配するというのです。下位の契約でその流れを変えるとリスクの分配に影響するため、よほどのことがない限り流れに沿うのが妥当なのだと。

そして一時間半に及ぶ激論の末、土質調査会社の面々が過去に我々JVから受けてきたひどい仕打ちの数々を延々と聞かされた後、たとえ今日会議をしても契約締結は到底無理だということで双方納得しました。その後、リンダがマイクにどう説明したかは分かりませんが、気がつくといつの間にか二人ともオフィスから消えていました。

昼食からひとり戻って仕事していると、ナンバー2のグレッグがかばんを肩に提げて私のキュービクルに顔を出しました。
「シンスケ、何やってんだ?早く帰れよ。もう君が最後だぞ。」
慌てて時計を見ると、まだ三時半です。立ち上がって周りを見渡すと、確かにオフィス全体が静まりかえっています。
「どういうことですか?まだ五時になってませんよ。」
彼は少しあっけに取られたような顔をして、それから笑い出しました。
「明日はサンクスギビング(感謝祭)だぜ。知らなかったのか?今日5時まで働く奴なんていないよ。」
「え?それじゃあ明日はお休みなんですか?」
「そうだよ。明日も明後日も休みだ。もしかして出勤するつもりだったのか?オフィスの鍵は締まってるぜ。」

アメリカ人にとって感謝祭の連休は、日本人にとっての年末年始と同じようなもの。家族が一年に一度集まる大事なイベントなのだということを、この時思い出しました。連休の前日は道路が帰省ラッシュの大渋滞になるそうで、マイクとリンダは遠くサクラメントに実家があるため、車が混まないうちに会社を去りたかったのだろう、というのがグレッグの説明でした。
「そうか、だから帰省の前に強引にでも土質調査開始日を決めてしまいたかったのか。」
「そういうことだろうな。」
と微笑むグレッグ。ようやくマイクやリンダの焦りが理解できました。ややこしい話を年越しさせたくない、という感覚は日本人である私にも分かります。

下宿先に帰ると、ちょうど大家のおばさんが大きな荷物を抱えて出かけるところでした。
「私、日曜の晩まで息子の家に泊まってるからね。ハッピー・サンクスギヴィング!」
そして私は、がらんとした屋敷にひとり取り残されたのでした。

翌朝、何か食べようと外出してみて異変に気付きました。店という店が、その大小にかかわらず全て閉まっているのです。さすがにマクドナルドくらいは開いているだろうと高をくくっていたところ、ファーストフード店も軒並み閉店。感謝祭の日の朝というのは、日本で言えば元旦みたいなものなのでしょう。昨日のうちに何か買い込んでおけばよかった、と悔やみましたが後の祭り。ぐぅぐぅ唸る腹をおさえ、観光地のラホヤまで行けば何かにありつけるだろう、と車を走らせました。この予想は大当たり。パンケーキのお店が営業中で、11時半頃ようやく朝食にありつけました。半分ほど平らげた時、携帯電話が鳴りました。ティルゾからでした。
「何も予定がなかったら、今晩5時頃うちに来ないか?」

私が家族と離れて暮らしていることを憶えていてくれたようで、彼と彼の奥さんのイーヴァ、それに腰の曲がった80歳くらいのイーヴァのお母さんとのディナーに迎えてくれたのでした。
「本来なら七面鳥を焼くところなんだが、うちじゃ皆あの鳥が苦手でね。ハムで代用してるんだ。君はハム好き?」
「大好き。」
ハニーベイクド・ハムという、蜂蜜でコーティングされた大きな肉の固まりを、少しずつスライスして皿に取り分けます。その美味しいことと言ったら!

日が暮れて少し冷えて来たので、ティルゾが暖炉に火を入れました。皆でお皿を持ってその前に腰を下ろします。オレンジ色の光が、ゆらゆらとそれぞれの顔を照らしながら陰影を作ります。イーヴァが私の家族のことや仕事について尋ねてくれたので、ひとつひとつ丁寧に答えました。そして思わず、
「実際のところ、言葉の壁が思った以上に厚く、もがいています。時々、こんな英語力でこの先やっていけるのかな、と不安になったりもしています。」
とこぼしました。その時、今まで言葉少なだったイーヴァのお母さんが口を開きました。
「イーヴァを連れてこの国に渡って来た時、私は英語の単語をひとつも知らなかったのよ。ひとつも、よ。」
彼女はドイツからの移民なのです。
「それでもこの子を大学まで出したわ。不安に思うのは当然だけど、泣き言を言っていては駄目。歯を食いしばって勉強を続けなさい。毎日ひとつでも多く単語を覚えるの。」
そして私の手に自分の手を優しく重ね、こう言いました。
「努力は必ず報われるわ。」

胸に染みる、感謝祭の夜でした。

2010年6月6日日曜日

Beat it! 失せろ!


先日、デヴィッド・リンチのマニアック映画「マルホランド・ドライブ」を観ていた時のこと。映画監督アダムが謎の男達を乗せていた黒塗りの車に近づき、運転手に話しかけた際、

“Beat it, pal.”

とぶっきら棒にあしらわれるシーンがあり、おや?と思いました。マイケル・ジャクソンの「今夜はビート・イット」のプロモーション・ビデオを初めて見てから四半世紀が経っていますが、あれ以来Beat というのは「やっつける」という意味だと固く信じて来ました。でも、それだとこの映画のシーンはまったくの意味不明です。

あらためて調べたところ、Beat it はなんと、「失せろ」という意味だったのです。25年も知らずにいたなんて!こういうことがあると、辞書は手放せないな、と思います。私の好きなBeat の用法は、

Beat the traffic.

です。「そろそろ出発するよ。渋滞になる前に抜けたいから。」という場合、

“I’m gonna leave now so that I can beat the traffic.”

と言ってみたりします。言いながら、ちょっとクールだな、と自己満足を覚えます。

ところでよく考えてみると、「今夜はビート・イット」という邦題、意味不明です。

2010年6月5日土曜日

アメリカで武者修行 第8話 いったい何を保全しろっていうんだ?


南カリフォルニアには、アリゾナとの州境にモハビ砂漠という広大な荒地が広がっていて、時速百キロで走っても抜けるのに一時間ほどかかります。私が携わることになった高速道路建設プロジェクトは、そんな砂漠の西端で、大規模なニュータウン計画とセットでスタートしました。あちらこちらで住宅建設が盛んに行われ、五年も経たないうちに数万人規模のニュータウンが出来上がるというシナリオで。私のオフィスがあるエリアは既に数年前から入居が進んでいて、朝夕は一般道が激しく渋滞します。この高速道路は間もなく完成予定の巨大ニュータウンを支える交通網の背骨であり、計画が遅れれば遅れるほど一般道に負担がかかり、プロジェクトチームに激しいプレッシャーがかかってくるという寸法。

交通網の背骨とは言うものの、この道路は最も太い区間で六車線(片側三車線)しか計画されていません。南カリフォルニアの高速道路としては極めて控え目な印象です。私が通勤に使っているハイウェイも十車線ありますし、前に住んでいたアーバイン付近を抜ける路線は上り下り合わせ、太いところで十四車線。しかもこれがラッシュ時になるとすし詰めの大渋滞になるのです。それだけに、往復六車線の高速道路計画というのはあまりにも見通しが甘いような気がしていました。

ここで働き始めてから二週間後のこと。ケヴィンが私のキュービクルにやってきました。
「シンスケ、これから何人かで現場視察に出かけるらしいぞ。俺はもう何度も行ってるけど、君はまだだろう。このチャンスに同乗させてもらったら?」
「それはいいな。デスクワークばかりじゃプロジェクトの内容がうまくイメージ出来なくて、弱ってたんだ。」
「うん、まずティルゾに紹介するよ。彼が現場視察のリーダーなんだ。」

にこやかに振り返って握手の手を差し出したこのティルゾという人は、ゆたかな胡麻塩の口髭を蓄えた眼鏡顔の中年男性。考古学者を思わせる風貌で、映画監督のフランシス・フォード・コッポラにもちょっと似ています。ソフトなバリトンボイスとレンズの奥の優しそうな眼から、その穏やかな人柄が伝わって来ます。
「水をたっぷり飲んでおいてくれよ。現場は驚くほど乾燥してるから。それから、ペットボトルの水も二本持って行くといい。」

同行したのは、環境保全コンサルタントの女性と、上下水道設計担当の若い男性メンバー。全員を乗せた後、車を走らせながらティルゾが解説します。
「今日の視察は、これから保全すべきエリアを確認するのが一番の目的なんだ。カリフォルニア州は、全米でも特に環境保全に厳しい州でね。このプロジェクトの開発事業者の母体となっている投資銀行は、開発権を買い取った時、そのことをあまり重く見ていなかったようなんだな。カナダで同じような仕事をした経験があったから、それと同じレベルの保全対策費を見積もっていたらしい。カリフォルニアと較べるとカナダの環境規制はかなり甘いってことを知らなかったんだな。それで彼ら、今になって事の重大さに気付き、大騒ぎしているらしいぞ。」

冷房の効いた車を降りて、四人で現地を歩きます。太陽がジリジリと首の後ろや腕を焦がすのを感じます。若きクリント・イーストウッドがカウボーイ姿でふっと現れそうな、どこまでも荒れた砂と岩の丘陵地。目にする植物といえば、ほとんど葉のない潅木とかサボテンくらい。かいた汗はみるみる乾いて行き、持参したペットボトルの水も最初の15分くらいで飲み干してしまいました。ティルゾの助言通り二本持ってくるべきだった、と悔やみました。こんなところで一人置いていかれたら確実に野垂れ死ぬな、と良からぬ想像が頭に浮かびます。

二時間に及ぶ徒歩視察を終えた私の正直な印象は、「この環境の、いったい何を保全しろっていうんだ?」でした。もちろん、標準から見れば細いとは言え、いきなり六車線の高架道路が建設されるのだから、どんな地域であれ環境への影響は少なからずあるはず。しかし喉の渇きに耐えつつ歩いた私の目には、特別保全の必要がありそうな生き物など何ひとつ映りませんでした。

その一週間後のこと。元請けORG主催の環境保全講習があったので、仲間数人と参加することになりました。専門家のティルゾは、講師陣の一員としてこちら向きに座っています。
「まず初めに言っておくが、工事担当者に限らず、この講習を受けるまでは誰も現場に入ることは許されない、ということを憶えておいて欲しい。」
ORGの環境保全担当者のこの前置きには、ギョッとしました。そんなこととは露知らず、既に先週現場入りしてしまったじゃないか!

「ここカリフォルニアじゃ、絶滅危機種や保護種を捕獲したり傷つけたりしたら即刻逮捕されるんだ。書類送検なんて甘いもんじゃない。このオフィスに警官が乗り込んで来て、皆の前で手錠をかけられるんだよ。そんなことがあったらたまらんだろう。知らずに踏んじまったなんて言い分けは通用しない。この環境保全講習を受けるのは義務であると同時に、あんたらの身を守るための大事な手続きなんだ。」

思わずティルゾの顔をうかがうと、澄ました顔で前を見ています。まあエキスパートの彼が同行したんだ、きっと申し開きは立つだろう、と自分に言い聞かせました。

講習はわずか一時間でしたが、その内容は目から鱗の連続でした。この砂漠には、連邦政府が指定する「絶滅の危機にある生物」や「保護すべき動植物」が20種ほどいると言うんです。砂漠の潅木に巣を作るカリフォルニア・ナットキャッチャーという小鳥、砂漠に自生する花に依存するキノ・チェッカースポットという蝶、サンディエゴ付近にだけ生息するトカゲやヘビ、それからミントなどのハーブ類。ある種のサボテンやそれに依存する鳥、などなど。

中でも意表をつかれたのは、Vernal Pool (春の水溜り)と呼ばれる乾燥地帯。一年の大半はカラカラに乾いて醜くひび割れた土地ですが、春になってまとまった雨が降った時にだけ少し潤います。すると、土の中で休眠状態だったサンディエゴ・フェアリー・シュリンプという海老がおもむろに活動を始めるのです。海老と言っても実体はプランクトン。何億年も進化せずにいるそうで、今では南カリフォルニアでしか確認されていません。これを保全するためにはVernal Pool を手付かずのまま残すしかなく、ただの干からびた土地と思っていたものが実はプロジェクトの行方を左右する大きな要素になっていたのです。

講習後、ティルゾのキュービクルへ行って恐る恐る尋ねました。
「僕ら、大丈夫だよね。講習受ける前に現場へ行っちゃったけど。」
彼はニッコリ笑って答えました。
「僕も時々講師をやってるんだ。誰かに聞かれたら、現場に向かう車の中で僕から講習を受けたって言えばいいよ。」
「それでちょっと安心したよ。ところで、Vernal Pool がプロジェクトの行方を左右するって話があったけど、具体的にはどういうこと?」
と尋ねると、彼は付箋が何百枚も貼られた環境影響調査報告書をパラパラとめくってからどさっと机に置き、指差しました。そこには、「この高速道路が最大六車線で計画されているのは、現地に広く分布するVernal Pool への影響を抑えるためである。」と書いてあったのでした。

自分の中の常識を疑ってかかる習慣がないと、違う国や地域で仕事をする際に思わぬ痛手を被ることがある、という貴重な教訓でした。

2010年6月4日金曜日

I didn't sign up for this. 話が違うぜ!

大好きなコメディ映画に、The Hammerという作品があります。

今までこれといって何も成し遂げたことのない40歳の大工ジェリーが、ボクシングのアメリカ代表になって北京オリンピックへ行こうとする話。さんざん笑った後泣ける、というちょっと曲者の映画です。

予選大会当日、コーチからグローブの紐をきつく締めてもらった後、
「おしっこ行きたい。」
と言い出します。
「もうグローブの紐結んじゃったぞ。やり直しなんて真っ平だ。」
ボクシングのグローブというのは拳にしっかり装着するためにとてもきつく紐で縛るらしく(試合後にハサミで切るらしい)、コーチの言うのはもっともです。その時、オジーというセコンドを務める友人と目が合います。シーンが変わって、オジーがトイレでジェリーのボクサーパンツを下ろして小便させてやっている。そこでオジーのセリフがこれ。

“I didn’t sign up for this.”

Sign up とは、参加意思の表明をするということ。こんな話は聞いてなかったぞ、そんなつもりで参加したんじゃないぞ、という場合に使う表現です。

つい最近、遅ればせながらAVATARを観ましたが、ここでも同じ表現が使われていました。人間達がパンドラの聖なる巨木を情け容赦なく攻撃する際、女兵士トゥルーディが逡巡の末、ミサイルの発射スイッチを押さずに隊を離脱します。上官の命令にそむくのですから、これは重大な犯罪行為です。その時の彼女の一言がこれ。

“I didn’t sign up for this shit.”

とってもクールで感動的なシーンなのでした。

2010年6月3日木曜日

The whole enchilada. 丸ごと全部?


日系アメリカ人の同僚ジャックは、なんと81歳。健康な食生活と週三回のゴルフ、ジム通いが功を奏してか、職場の誰よりも元気です。廊下を歩きながら皆に挨拶して回る声は常にエネルギッシュで、眠気が吹っ飛びます。

今朝も廊下を挟んで向かいの部屋にいるデイヴとひとしきり話し込んでいましたが、大声なので筒抜け。聞くとはなく聞いていたら、どうやら何かを「たくさん用意したよ」という内容でした。笑い声混じりの会話が最高に盛り上がった時聞こえてきたのが、

“I prepared A, B, and C, the whole nine yards!”

でした。このThe whole nine yards (9ヤードすべて)とは、「一切合財」とか「丸ごと全部」という意味。日常会話でしょっちゅう耳にする表現です。何故9ヤード(8メートル強)なのかを調べてみましたが、残念ながら諸説紛々で、確かな語源が分かりません。

これと同じ意味で使われる別の表現が、

The whole enchilada.

です。エンチラーダとはメキシコ料理のひとつで、僕はわりと好きなんですが、何故この料理名が使われているのか、それもまた不明です。ただ、こっちはまだ実感を持って使える表現だと思います。

エンチラーダ(出典:ウィキペディア)
トウモロコシのトルティーヤを巻いてフィリングを詰め、唐辛子のソースをかけた料理である。フィリングには肉、チーズ、豆、ジャガイモ、野菜、魚介やそれらの組み合わせ等、様々な具材が使われる。

「え~っ?エンチラーダをまるごと一本食べてもいいの?」
と喜ぶメキシコの子供の映像を思い浮かべながらこの表現を使うと良いと思います。

2010年6月2日水曜日

重箱の隅をつつく

故事成語や慣用句は、深く意味を考えずに使っている場合が結構あります。例えば「重箱の隅をつつく」という表現ですが、私にはうまく使えません。だって非難がましいニュアンスで使うことに賛同できないから。きちんと残さず食べることのどこがいけないんだ?って。

語源を調べてみたところ、真ん中のご馳走に見向きもせず隅っこにあるものばかり食べることを言うらしい。でも、それは一体どういう状況?どんな人がどういう動機でそんな真似をするんだろう。

てな具合に、語源に共感出来ない言葉を使うのってためらわれるんです。微妙に間違ったシチュエーションで使うのは恥ずかしいから。3年ほど前のこと、会議中に突然、当時のボスであったシャリアーが、
「We are splitting hairs! もっと大局的な議論をしようぜ。」
と発言したことがありました。Hairs を Split する。髪の毛をふたつに分ける…。なんじゃそりゃ?…で、会議終了後に調べたところ、

To split hairs: 些細なことにこだわる、重箱の隅をつつく。

となってました。へえ~。そういう表現があるんだ、面白いじゃん!一瞬感心したんだけれど、「髪の毛を山分けする」状況がどうしてもイメージ出来ません。誰が何のためにそんなことを?さっそく語源を調べたところ、
「シェークスピアが1600年代に、劇中で使用した表現。」
とある。ほぉ~、シェークスピア劇が語源とはねえ。…でもね、その劇中、誰が一体どういう状況でとった行為を指しているのか、そこんとこを書いてくれないと。それが分からないと、自信持って使えないんだよ。どこかに良質な語源辞典ないかなあ。

僕って今、些細なことにこだわってるのかな。

Vulerable 傷つきやすい男

出張先のホテルで、「I knew it was you」というドキュメンタリー映画を観ました。名作映画「ゴッドファーザー」でフレド役をやっていたジョン・カザールの生涯を、フランシス・フォード・コッポラ、アル・パチーノ、ロバート・デニーロ、それにカザールの婚約者だったメリル・ストリープといった錚々たるメンバーのインタビューを織り交ぜて振り返る、という内容。

マフィアのファミリーにありながら、度胸もなく要領も悪いフレドの「線の細さ」が、ファミリーの拡大とともに冷酷さを増していくマイケルの存在感を際立たせている。彼の自信のなさそうな目、おどけた振る舞い、どれを取っても一級品。

「若い俳優に聞けば、十中八九、ソニーかマイケル役をやりたいと言うだろうね。フレド役をやりたがる奴なんてまずいないよ。ものすごく難しい、しかし大事な役なんだ。彼以外にあそこまでフレドを演じきれる男はいないね。」
もうべた褒め。そう、言われてみれば確かに彼がいなかったら、ゴッドファーザーはあそこまでインパクトの強い作品になってはいなかったでしょう。42歳という若さで亡くなったのが惜しまれます。

さて、彼が好んで演じていたのは、繊細で「傷つきやすい」男。これを、インタビューを受けた人が口をそろえて

Vulnerable

と表現していました。辞書をひくと一番に、
「(要塞などが)攻撃されやすい」
という意味が書かれています。要塞の話題なんて普段なかなか出てこないので、ほとんど使うチャンスがない単語として頭に入っていましたが、ここで俄然、使える単語としてランクアップしました。

実は前々から、この単語は気に入ってました。ヴァルナラボォという発音には、一度口にするとあと2、3回余計に言ってみたくなる、不思議な魔力があるのです。ベロベロバーとかビビデバビディブーのような「おふざけ感」がたまらないのですね。

彼ってちょっとヴァルナラボォだよね。

ほらね。