オレンジ郡での巨大プロジェクトを獲得し、マネジメントチームに入ることになりました。上下水道部門の重鎮、キースがPMを務めます。彼とは6年近く前、顧客へのプレゼンのためにサクラメントへ行った時に会ったきりで、それ以来同じチームで働く機会は一度もありませんでした。
去年の秋、プロポーザルチームがオレンジ支社に集結した際、キースと久しぶりの再会を果たしました。ここで、ずっと温めていた質問をぶつけます。
「噂で聞いたんだけど、3年くらい前、大変な事件に巻き込まれたんですって?」
スキンヘッドにベビーフェイスのキースは、人懐っこい笑顔でこれに答えてくれました。
フレズノの自宅を拠点に全米を飛び回って活躍する彼(おそらく50代後半)は、ある晩ロスに降り立ってホテルへ向かう途中、夕食を取ろうと全米チェーンのファミレス、「T.G.I.
Fridays」に立ち寄ります。これはThank God It’s Fridayの略を使った店名。「TGIF(ティージーアイエフ)」と四文字に縮めるのも一般的です。和訳すると、「やった~、今日は金曜日だ」ですね。サラリーマンがメールの挨拶などに使える、軽いノリのフレーズです。日本語だと「花金」くらいがちょうど同じトーンかもしれません。
さて晩飯を済ませ、駐車場へと向かうキース。車のドアを開けて運転席に腰を下した途端、後部ドアが開いて若い黒人が乗り込んで来ました。振り向くと、男はドアを閉めて銃を突きつけ、「財布を出せ」と凄みます。普通ならここで大人しく財布を渡して立ち去ってもらうべきなのですが、キースは反射的にこう言ったというのです。
“Get out of my car!”
「車から降りろ!」
しかもこのセリフを、三回繰り返したのだと。
「後から考えると、なんでそういう反応になったのか自分でもよく分からないんだ。」
この間、若者はキースに銃口を向けたまま沈黙を守っていましたが、三回目のセリフを聞いた後、静かに拳銃の引き金を引きました。カチリ、と撃鉄が落ちましたが、何故か弾丸は発射されません。おや?と思うキース。もう一度カチリ。不発。しかし三度目、轟音とともに激痛が走ります。弾丸が、鎖骨の当たりに命中したのです。
自分がたてた銃声に動揺したのか、何も盗らずに猛然と走り去る若者。どうにかこうにか運転席からもがき出たキースは、ばったりと路上に倒れます。
「気が付いたら病院だよ。その辺にいた人が救急車を呼んでくれたんだな。」
幸い命に別条は無く、数か月後に無事職場復帰を果たしたキース。犯人は捕まって、今は刑務所にいるそうです。
「この事件の前後で、何か大きな心境変化はありましたか?」
と私。
「いや、それは特に無いね。少しだけ用心深くなったかもしれないけど。」
もしもそんな大事件が自分の身に降りかかったらガラリと人生観が変わるだろうと確信する私には、彼のこのあっさりした受け答えが何か呑み込めず、微妙な違和感を残して仕事に取り掛かったのでした。そしてそれから金曜日を迎えるたびに(TGIFとの連想から)、この事件のエピソードが蘇るようになってしまったのです。
さて今週、二週間後に迫ったクライアントとのキックオフミーティング用に提出を要求されている実施計画書を仕上げなければならなくなったキースが、やおら動き始めました。水曜の朝、プロジェクトのスケジュールを仕上げてくれないか?という依頼メールが来たので、プロポーザルの際に作ってあったバージョンに一日かけて修正を施し、夕方送信して帰宅したところ、夜の10時近くになって大量の修正指示が届きました。明日クライアントとの打ち合わせがあるから、それまでに全部盛り込んで欲しい、とのこと。え?本気で言ってんの?
半信半疑のまま、
「じゃあ早朝に出勤して取り組むことにしますね。」
とiPhoneで返信すると、すぐに返事が届きます。
「ミーティングは朝7時だから、俺は6時に出発しなきゃならない。何が何でもそれまでに修正版を送ってくれ。」
そしてこんな一節。
“I appreciate you burning
the midnight oil to get this done.”
「深夜のオイルを燃やして仕上げてくれ。」
なんじゃそれ?意味分からんが、彼が大真面目に「夜通し働け」と迫っていることだけは伝わりました。
あんたちょっと計画性に欠けるんじゃないの?何でこっちが尻拭いしなきゃならないんだよ!と言ってやりたいところですが、ここは挑戦を受けることにした私。日本にいた頃はこんなことしょっちゅうだったし、久しぶりに無茶してみるのも面白いか、と思ったのです。
午前2時、新居のダイニングテーブルにラップトップを開いて作業開始。4時ごろ仕上がったスケジュールをキースに送ったところ、彼もどこかで働いているようで、すぐに修正依頼コメントを送り付けて来ます。しかも、別の資料作成指示もどんどん追加して。こうしたやり取りを何度も繰り返し、5時半近くになった時、
「俺はあと30分で出発しなきゃいけない。最終版を大至急送ってくれ。」
と追い込んで来ます。そして朝5時50分、空が白みかけて来た頃、最終版を送信。睡眠不足と達成感とで若干ハイになっていた私は、キースからの確認メールを半ば楽しみに待っていました。
「お蔭でミーティングに間に合うよ。よくやってくれた。有難う。ぐっすり寝てくれよ。」
なんて感じのほんわかトーンを期待していた私は、届いたメールの文面に目を疑いました。
“That works. Please continue working on the other tasks
and I’ll circle back after my meeting with the client.”
「まあこんなもんだろう。引き続き他の作業に取り組んでくれ。クライアントの会議が終わったらまた連絡するから。」
反射的に、大声で笑いだしてしまった私。徹夜させといて、更にまだやれってか?信じられない思いでしたが、ここで負けるのは嫌だったので、そのまま普通に出勤しました。睡魔と戦いつつ作業を続けながら、他人に夜通し働かせて何とも思わないキースの「ハートの強さ」に対するオドロキが、じわじわと増して来ました。そして、T.G.I. Fridays で彼を撃ってしまった若者の心境に、少しだけ共感を覚えたのでした。
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