数週間前から、ドラマ「24」のシーズン5を見直しています。今回のジャック・バウアーは、一年半に及ぶ潜伏に終止符を打ち、正式にCTUに復帰したわけでもないのに、細菌兵器を入手したテロ組織に立ち向かって大活躍、という役回り。一刻の猶予も許されない緊迫状態の中、組織内部の裏切りや仲間の死、情愛のもつれ、大統領の企みなどが複雑に絡まって物語を盛り上げるのですが、今回久々に見返してみて感心したのは、トップ人事が組織の行動にどういう影響を及ぼすかが巧みに描かれている点。シーズン5が異彩を放っているのは、地域本部から送り込まれたリンという若きエリートの存在によるところが大きいと思います。
周囲から厚い信頼を受けていたビル・ブキャナンの指揮権をいきなり奪い取り、自分のやり方に従わない者は権威を振りかざしてねじ伏せ、時には冷酷に排除する。部下たちの忠告には耳を貸さず、彼らが命令に背いたのではと疑えば厳しく監視する。統制を図ろうと居丈高になればなるほど、部下たちは彼から離れて行く。頭に血が上ったリンは遂に、細菌兵器のありかを掴むために現場で決死の侵攻作戦に取り組んでいたジャックですら、「自分の命令を聞かないから」という理由でCTUへ連行させようとします。憤然としながらもこれに従うしかない職員たち。さあどうするジャック?
十年前に鑑賞した時は気づかなかったけど、これって大きな組織で働く人にとっては「あるある」な状況なのですね。現場を知らない上層部と最前線との間に生まれる不信感。組織が大きくなればなるほど縦方向の距離が増し、情報や意思の交換が難しくなるのは当然です。
さて、我らがジャック・バウアー。テロ行為の阻止を最優先課題に置く彼は、リンの権威に臆することなく、彼の指示をあっさりと無視。色々無茶を重ねながら信念に基づいて行動し、起死回生の成果を上げて戻って来ます。彼以上に現場を知っている人間はいないのだから、初めから邪魔せず任せておけばいいのに、と視聴者がイライラを募らせる仕組みになっているのですが、組織で動いている以上、こういう摩擦は避けられません。今回私は、登場人物間に働く力関係の入念な作り込みに惚れ惚れしながら、ドラマを再鑑賞したのでした。
実は私(決して自惚れているわけではなく)、常にジャック・バウアーに似た立場で仕事に取り組んで来たという自負があります。PMたちがサポートを求めているのに、会社にはその体制が無い。組織図のどこにも、「プロジェクト・コントロール部門」が存在しないのです。だったら勝手に動くしかない。トレーニングを企画し、自前のプレゼンスライドを携えてゲリラ的に支社巡りをして来ました。そこで相談を受けたPM達からサポート要請を取り付け、じわじわと仕事の基盤を広げて行き、これに平行してチームを拡大。各支社にネットワークを広げ、南カリフォルニア地区に非公式のプロジェクト・コントロール・チーム(総勢14名)を構築したのです。5月後半には大ボス・テリーの後押しで、南カリフォルニアの支社を巡ってPMトレーニングを展開。部下のシャノンにサンタバーバラ支社とサンタマリア支社を任せ、私はベーカーズフィールド支社、カマリヨ支社、それからサンディエゴの二支社でトレーニングを開催しました。
ところがこのさ中、状況が大きく揺らぎます。
数カ月前、南カリフォルニア地域のトップに就任したP氏が、彼の右腕としてR氏をデンバーから呼び寄せました。彼はプロジェクト・コントロール担当副社長と名乗り、就任直後から猛然と改革をスタートします。ウェブ会議を度々開催し、これまで会社に欠けていたPMサポート体制を構築して行く、と発表。ガイドラインやテンプレートの提供、各種トレーニングの開催など、様々な角度からプロジェクト・マネジャー達を支援して行きます、と。
私が草の根運動としてコツコツ積み上げて来たことを、トップダウンで開始したのです。やれやれようやく会社が重い腰を上げてくれたか、と安堵したのも束の間、R氏がPM達に一斉送信した最近のEメールを読んで愕然としました。私が「これだけはやっちゃ駄目だよ」とトレーニングで強調している悪しき慣習を、手放しで奨励する内容が盛り込まれていたのです。彼はこの会社に来て日が浅いから、問題の大きさに気付いていないのかもしれない。さてどうする?彼に連絡して率直にミスを指摘するべきか…。
そんな時、大ボスのテリーからEメールが届きます。
「R氏がうちの支社を訪問することになったの。シンスケのトレーニングの日程を教えたら、サンディエゴでの最終回に出席したいっていうのよ。」
R氏の面前で、大勢の受講者に「先日の彼の指示は間違いだ」と指摘して顔を潰すことだけは避けたい。しかしだからと言って、重要なメッセージを伝えずに済ますことも出来ない。そもそも既にトレーニング・ツアーは始まってるし、過去の受講者の口からいずれ彼の耳に入るかもしれない。ここはまずトレーニングの前日に会って、彼と直接話をするしかない、と決心。早速一時間のミーティングを申し入れました。きちんと説明を聞いてもらった上で、自ら対処してもらうのが最良の解決法です。しかしそれにはまず、彼が現場の忠告を受け入れるタイプの人物なのかどうかを見極める必要がある。
「君の評判は沢山の人から聞いているよ。」
人懐っこい笑顔で握手するR氏は、拍子抜けするほど気さくな人物でした。おそらく五十代後半でしょう。でっぷりとした腹部を左右に揺らしながらゆったり歩く姿とは対照的に、漲るエネルギーがその目に溢れています。
「これからどんどん君の力を借りることになると思う。心の準備を頼むぞ。」
和やかな雰囲気でスタートした初会合。この分だとすんなり事が済みそうだな、と気を緩める私。まずは、彼の現職就任に至る経緯を尋ねてみました。するとR氏は、これまでに携わったプロジェクトの数々について語り、去年はカナダ全土でピンチに陥っていた多数のプロジェクトを回ってその再建に貢献したこと、その手腕を買われて南カリフォルニアに引っ張られ、既にいくつかの巨大プロジェクトを窮地から救っていることを語りました。そして彼の口から飛び出したのが、このセリフ。
“I’m a turnaround guy.”
「僕はターナラウンド・ガイなんだよ。」
Turnaround とは、事業経営などを再生、再建する、という意味の単語。Turnaround
guy とは、再建のプロ、ということですね。私の和訳は、これ。
“I’m a turnaround guy.”
「僕は再建請負人なんだよ。」
この後彼は、プロジェクト・マネジメントに関する論文をいくつも書いていること、間もなく本の出版もすること、この分野の全米組織で役員のトップを務めていることも語りました。
どこからどう見ても大物です。すごいですねえ!と素直に感心しながらも、この後の展開がややこしくなって来たことを感じる私でした。
「疑いも無く優秀な方にこういうことを言うのもなんですが、あなたがPM達に一斉メールした指示は間違いですよ。」
なんて、とてもじゃないけど口に出来ません。R氏はこの後、彼の立案した革新的なプロジェクト・コントロールの方法論を紹介してくれました。そして別れ際、彼の論文をいくつかメールしてもらうようお願いしてミーティングが終了。結局本題を切り出すきっかけは訪れなかったのでした。
その晩、今は別部門で働いているかつての部下、ヴィヴィアンから携帯にメッセージが入ります。「私の携帯に電話ちょうだい。」とあります。なんだろう?珍しいな…。
「R氏が木曜日のトレーニングに出席するって聞いてる?」
「ああ、聞いてるよ。」
「良かった。シンスケに知らせておけってボスから言われたの。彼がどういう人物か知ってるの?」
「今日、直接会って話したよ。すごく優秀みたいだね。ピンチに陥ったプロジェクトを沢山再建して来たんだって。」
「そこなのよ。沢山再建する一方で、人も大勢切って来たらしいの。凄腕なのは間違い無いけど、油断は禁物よ。気を付けてね。」
なんか、ITエキスパートのクロエがジャックにこっそり忠告する場面みたいだな…。
「そういえば彼、自分のことをTurnaround Guyって呼んでたよ。僕らプロジェクト・コントロールの仕事は裏方としてPMを支えるスタイルだから、正直、この発言には違和感を覚えたんだ。周りからそう呼ばれるのならまだしも、自分から名乗るのは、おこがましい感じがするもんね。」
翌日、トレーニング会場である会議室に現れたR氏は、「一番近くで見たいから」と微笑み、隣の席にどかっと腰を下しました。私のスライドは、彼がPM達に一斉メールで指示したのと同じ内容から始まります。そして二ページ目から、「何故それをやったら大失敗が待っているのか」を説明する段取り。さあどうする?
二十人を超える受講者が着席し、セーフティーモーメントの後、R氏に自己紹介をお願いします。彼はここでも再び、自分がいかに大物であるかを柔らかな口調で誇示しました。
「今日はシンスケのトレーニングを監視するために来たんだよ。」
と、冗談とも本気とも取れるコメントで挨拶を締め括り、いよいよ本番がスタートしました。私は慎重に言葉を選び、ゆっくりとパワーポイントのスライドを捲ります。
「多くの人は、このように進めていますね。この手順自体は正しいのですが、大きな落とし穴の存在を知っておく必要があります。まずはベースとなる情報が正確であることを確認してから進めないと、毎月提出するレポートは常に間違いということになるのです。このPMツールは詳細データを内蔵しているので、これをまずダウンロードして精査して下さい…。」
R氏の指示を真っ向から否定するのではなく、「落とし穴の存在」を知らしめることに重きを置く、という変化球を投げたのですが、多くの受講者の顔が困惑で歪みます。私の隣でR氏は、さらさらとメモを取っています。ちらりと顔を見ましたが、その表情からは動揺が読み取れません。トレーニング中盤になり、女性社員がさっと手を挙げました。
「結局のところ、私たちが受けて来たこれまでの指示が間違ってたってことじゃないの?」
うわあ、そんなストレートな反応するか?すかさずR氏がこれを受け、「あの指示を送ったのは自分で、基本路線は正しい。大事なことは…。」と、論点を変えてはぐらかすような受け答えをします。完全な納得が得られたとは思えませんが、皆それ以上騒がなかったので、私は何事も無かったかのように先へ進み、無事トレーニングを終了しました。
R氏が立ち際に、Good
Job!と微笑みます。う~ん、この言葉と顔色からじゃ内心が読めないぞ…。そしてそのまま、会場を後にしたのでした。
ところで私は、トレーニングの後半から自分の身体に何か異変が起こっているのに気づいていました。みぞおちの当たりが猛烈に痛むのです。触ってみると、カッチカチ。これって胃痛だよな?そしてそれはストレスを意味するのか?うまく立ち回ってたつもりだけど、実はものすごく緊張していたのかもしれない…。吐き気まで催して来たので、慌ててトイレに駆け込みます。便座の上で、両膝の間に顎を埋めるように上体を倒した格好になった私は、ちょっと笑えて来ました。
これしきの逆境、ジャック・バウアーだったら軽々と乗り越えることでしょう。ハライタになんか絶対ならないよな…。
帰宅して一部始終を妻に告げたところ、
「まだまだだねえ。」
と冷やかされました。
「でも、念のためにレジュメ(履歴書)のアップデートはしといた方がいいかもね。」
おいおい、また胃がキュッとなったじゃないか。
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