高校の水球部に所属する14歳の息子は、冬の間、週に二、三回は学外のチームに入って特訓を受けています。シーズン中は試合の予定が立て込んでいてほとんど練習に時間が割けないため、こうしてオフの間に力をつけておかないと試合に出れないし、出ても勝てないのだそうです。これはとても良いことなのですが、夜7時からの練習にチームが借りているプールは室内でも温水でも無いのです。ナイター照明の下で白い息を吐きながら、キンキンに冷えたプールにパンツ一丁で(当たり前だけど)飛び込み、泳ぎまくる少年たち。寒がりでカナヅチな私は、「おいおい君達、二月だぞ。ちょっと頭おかしいんじゃない?」と呆れつつも、冬でも温暖なサンディエゴだからこそこんなことが可能なんだよな、と今の生活環境に対する感謝の気持ちを新たにしています。
さて先日、大ボスのテリーが送信した一斉メールを読んでいて、手が止まりました。近いうちに複数名の社員が会社を去るという噂は聞いていましたが、リストの中に意外な人物の名を発見したのです。
ここ数年、珍しい英単語やイディオムの解説をお願いするのに最も信頼を置いて来た同僚ステヴが、シアトルの会社に転職する、と書いてあるじゃありませんか!前の週に世間話を交わした際には匂わせもしなかったので、これはショックでした。さっそく彼をランチに誘い、NA Pizzaという激ウマのピザ屋へ出かけます。
彼の専門はAnthropology(アンソロポロジー)、日本語では「人類学」です。インディアンやらアラスカ原住民の生活などに詳しく、彼が出張から持ち帰って来る伝説交じりの土産話は、どれも嘘くさいほど刺激的な奇譚ばかり。インディ・ジョーンズもどきの仕事が出来て本当にラッキーだと語ってくれたこともあるのですが、近年、会社が凄まじい勢いで膨張を続ける中、彼の職種は組織の中でみるみる存在感を失って行きました。大都市の巨大建設プロジェクトなどが広告塔としてもてはやされる中、消滅の危機にさらされている少数民族の民話の伝承がどうたらこうたら、などというテーマは日陰者なのです。様々な分野のPM達をサポートしている私にはその様子がよく見えていて、いつかはこういう日が来ることを危惧していました。でも、なぜシアトル?
「このまま会社に残れば、たとえ同じ仕事を続けることは出来たとしても、キャリア形成という点では全く先が見えないんだよね。社長がメディアに向けて話をする時、俺のプロジェクトに脚光を当てるチャンスなんてほぼゼロだろ。人類学の専門家が昇進したり要職に抜擢されたりなんてことも、まず無いと思うし。」
と、ステヴ。そんなことないよ、と元気づけたいところですが、スキンヘッドに伊藤博文風の口ひげを蓄えた彼は、もはや若者とは呼べない年齢です。彼の将来を思えば、いい加減な慰めはかえって迷惑でしょう。ピザを頬張って黙るしかない私。
「でもさ、転職はしょうがないとして、何もサンディエゴを離れなくたっていいんじゃないの?」
数秒の沈黙の後、ようやく反論する私。同じエリアに同業者がいるかどうかも知らないので、無責任な発言であることは自覚していました。でも、彼が遠くへ引っ越すのはやはり残念だったのです。
「俺だってサンディエゴが嫌なわけじゃないんだよ。でもローレンがね…。」
ローレンというのは彼の奥さんです。
「実はそもそも、彼女がずっとサンディエゴを離れたがっていたことが今回の転職のきっかけなんだよ。」
四季を楽しめる土地に住みたい。特別暑かったり寒かったりしなくていいから、サンディエゴみたいに一年中青空じゃない場所がいい、と。その第一希望がシアトルだというのです。
「こんな能天気な土地で子供を育てたくないって人は大勢いるもんね。」
と私が笑うと、実はそれが彼女の口癖だというステヴ(私に気を遣ってこのエピソードは隠していたみたい)。いずれ子供を産むのなら、文化の香りのする街で育てたい、というローレン。
「だからいつかはシアトル、っていうのがベースにあったんだ。俺が転職を考え始めるずっと前からね。」
幸い、アラスカのプロジェクトに共同で取り組んだことにある小さな会社の社長がステヴを誘ってくれて、シアトル支社にポジションを作ってくれたのだそうです。
「彼女、この転職をすごく喜んでるんだ。」
そうか、奥さんへの愛が転職を後押ししたのか。すげえなステヴ。それに対して我が妻は、これまでずっと私の留学や仕事の都合で移動を余儀なくされています。彼女が住みたい場所で仕事を探す、というアイディアは、ついぞ思いつきませんでした。
数日後、彼からの送別メールが支社の社員全員に届きました。「この10年間、おつきあい有難う。」から始まり、毛むくじゃらのアシカと肩を並べて海上に顔を出している写真が添付されています。その下にはプロジェクト番号が記されていて、キャプションにはこうあります。
“I’m the slightly less
hairy one on the right.”
「右側の、やや毛深くない方が俺です。」
アラスカの漁業関連のプロジェクトで現地へ行った時に撮ったものでしょう。
“I still can’t believe a
place actually paid me to do things like this,”
「まだ信じられないよ。こんなことするのに金を払ってくれる会社があるなんてね。」
そしてこうまとめます。
“all in the name of
anthropology”
「それもこれも、人類学の名のもとにね。」
この “in the name of” というフレーズ、冷静に考えるとちょっと腑に落ちません。ステヴのメールだけを取れば、「人類学の名を借りて」、つまり、実態はともかくその名の威光を使って、という風に解釈できます。でも、これが“in
the name of love”「愛という名のもとに」という使い方だったらどうか。「愛してるんだからいいだろ?」みたいな口先だけの愛情表現を指すのか、それともニュートラルな意味合いで使えるフレーズなのか。
さっそく、受付のヴィッキーに質問してみました。すると彼女はいきなり立ち上がって右手を私の方へ真っ直ぐ差出し、
“Stop! In the name of
love!”
と歌い始めました。
「The Supremesっていうグループの歌でしょ!」
そうして出だしからサビまでを、振り付けつきで歌ってくれました。いや、聞きたいのはあなたの歌じゃないんだけど…。
翌日、久しぶりにオレンジ支社へ出張した際、同僚フィルに質問。
「これだろ?」
私が質問を終える前に、右手をさっと伸ばして「ストップ!」の部分のジェスチャーを見せるフィル。通路を隔てて向かいのキュービクルで働くサル(という男性社員)まで同調して手を伸ばします。いや、だから、知りたいのはそこじゃなくて…。
なんかこの歌、アメリカ人にとっては、メロディーを聴くと反射的に身体が動いてしまうタイプの曲みたいです。日本語の歌に、そんなのあるかな?思いつくのは金井克子の「他人の関係」くらいだな(かなり古いが)。
結局フレーズの意味はあやふやなまま、会話終了。もやもやしたまま立ち去る私でした。こんな時ステヴだったら、こちらの疑問を正確に理解してから「痒い頃に手が届く」的確さで解答してくれるんだけどなあ…。
妙な形で味わう喪失感でした。
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