木曜日はオレンジ支社まで車を走らせ、会議に出席しました。私が去年の夏からPMを務めて来た、建築部門の巨大プロジェクトがテーマ。
副PMのデイヴ、ディレクターのビバリー、経理のステイシー、そしてバージニアから飛んで来た新PMポールの顔合わせからスタートしました。
そもそも私は新しいPMが見つかるまでの場繋ぎを頼まれたまでで、新任探しがここまで長期化するとは思ってもいませんでした。
「これでようやく肩の荷が下せるよ。」
と安堵する私にビバリーが、
「逃げちゃ駄目よ。あなたには引き続き副PMとして財務面のマネジメントをやってもらうんだから。」
と釘を刺します。
ポールというのは、五十絡みの白人。このプロジェクトのために、バージニアから毎週出張ベースでやって来ることになるのだそうです。会社のPMプログラムには精通しているという触れ込みだったのですが、
「実は、プログラム自体の操作についてはあまり経験が無いんだよ。もちろん数字の読み方ぐらいは解るけどね。」
と、サポート役としての私の続投を要請します。
そんなところへ、この部門のアメリカ全体を束ねる上席副社長のロジャーが、遅れて登場しました。チャコールグレーのスーツの胸ポケットから、藤色のチーフをまるで蘭の花のように立体的に覗かせ、ピンクのストライプ・シャツに光沢のあるメタリック・バイオレットのネクタイ、という出で立ち。ライオンのたてがみのようにボリュームのある白髪。バカンス帰りを思わせる、薄く日焼けした血色の良い顔。ゴールド縁の真っ黒いサングラスを外し、どかっと椅子に腰を下ろしました。険しい眉間のシワと対照的に、子供みたいに純粋な好奇心を漂わせた、大きな瞳が光ります。マフィアの親分かハリウッドの重役を思わせる、強烈なオーラ。
しかしロジャーの存在感をその外見で認めていた人は、彼が喋り始めた途端、自分がいかに彼を過小評価していたかを悟ることになります。その弁舌は、水が低きに流るるが如し。豊富な語彙、巧みな比喩、声の高低や抑揚の使い方など、非の打ち所がない。その完成美は、陶酔感を覚えるほど。彼が「あのですねぇ」とか「それはそのぅ」とか言い淀むのを聞いたことは、一度もありません。
ポールが私に質問します。
「PQR(ピーキューアール)はどうなってる?」
「一応トムを指名して、品質管理ツールには彼の名前があるんだけど。でもね…。」
そこへステイシーが割って入ります。
「トムは先月、解雇されちゃったのよ。色んな人が上層部と掛け合って、パートタイム扱いに留めてもらったんだけど、この先どうなるか分かんないわ。」
「ちょっと待って。PQRって何?」
とビバリー。私がここで、解説を加えます。
「Project Quality Representative の略だよ。成果物をクライアントに提出する前に、正式なレビューが行われたかどうかを確認する役割。」
「そうなの。有難う。知らなかったわ。」
とビバリー。するとポールが、真剣な面持ちでこう言いました。
“We need to find a new PQR.”
「新しいPQRを見つけなくちゃな。」
そこへ、それまで黙っていたロジャーが急に割り込んで来ます。
“We need PDQ.”
「PDQ(ピーディーキュー)が必要だ。」
皆が一斉に笑い、私もつられて笑いました。するとビバリーがこちらを向いて尋ねます。
「シンスケ、PDQの意味、知ってるの?」
「え?意味なんてあるの?ただ単に、アルファベットを滅茶苦茶に並べたから面白いのかと思ったけど。」
「ううん。意味はあるのよ。ね、ロジャー。」
と彼の方を向くと、ロジャーがいたずらっ子のような表情で、
“Pretty Damn Quick”
と呟きました。
「どえらく早急に」
というところでしょうか。おお、新しい表現!急いでノートにメモすると、ビバリーがこれを面白がり、
「シンスケはアメリカ英語の新しいフレーズを聞くと喜んでメモするのよ。」
とロジャーに伝えます。話はこれですっかり脇道に逸れ、ロジャーの「言葉の宝箱」から、いくつかキワドイ略語を提供して頂きました。
5分ほどそんな会話が続いた後、ビバリーが我に返ったように、最近のクライアントとの話し合いの経過を話してくれるようロジャーに促します。
「昨日の会議で、あっちのディレクターがこう言ったんだな。大至急仕事を再開してくれ、予算は大丈夫だから、と。」
大幅な設計変更を要求された我々は、追加予算の承認を書面で頂くまでは前に進めない、と先月作業を中断しました。二か月間打合せを繰り返して来たのですが、「俺が大丈夫と言ってるんだから大丈夫なんだよ。」という姿勢を貫くディレクター氏。ロジャーはこう切り返したと言います。
“It doesn’t pass the bus test.”
「それじゃバステストには通らない。」
ん?バステスト?なんじゃそりゃ...。この後ロジャーは三度もこのフレーズを繰り返したのですが、誰も意味を聞こうとせず、そのまま話が終わりました。私は「立て板に水」の彼のスピーチを止めるのが忍びなく、黙って聞いていました。
会議終了後、同僚クリスに質問してみました。
「バステスト?う~ん、なんだろ。」
「え?知らないの?そうか、僕だけじゃなかったんだね。」
席に戻って仕事を始めたところ、クリスがやって来ました。
「調べてみたよ。これはね、あんたが明日バスに轢かれて死んだとしても、この約束は守られるのか?その保証が出来ないなら約束は有効じゃないね、という意味で使われるんだって。だからさっきの文脈だと、ディレクター氏の口頭の約束じゃバステストに通らないってわけだ。」
「へえ、なるほど、そうだったのか。どうも有難うね。」
「このフレーズ、今まで一度も聞いたことなかったよ。その会議に出てた人だって、誰も意味が分かってなかった可能性は高いよ。」
ビバリーをはじめとして、全員知ったかぶりして流してたのかもしれません。
みんな、ずるいなあ。
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