2011年5月31日火曜日

Open up a can of worms. 下手に事をややこしくする

先日の電話会議で、大ボスのクリスとPMのエリックの会話を聞いていたのですが、エリックが
「彼女にそれを説明して意見を聞いてみるというのも一案だと思うんだけど。」
と提案した時、クリスがこう答えました。

“I will give her minimum information. I don’t want to open up a can of worms.”

直訳すると、
「彼女に与える情報は最小限度に抑えるよ。芋虫の缶を開けたくないからね。」
です。魚や爬虫類の餌として、芋虫が缶詰に入ったものが売られていますが、この蓋を開けると中からうにょうにょとキモチ悪い生き物が出てきて、収拾がつかなくなる。そういう感じだと思います。

今日の午後、同僚リチャードにこのフレーズの意味を尋ねました。
「ぐっと押さえつけられていた物が、たったひとつの言動がきっかけで、後から後から溢れ出して来て始末に終えなくなるって感じかな。」
と、リチャード。
「パンドラの箱を開ける、っていう表現もあるけど、どう違うの?」
「基本的には一緒だと思うけど。」
「でも、何か違う気がするんだよね。」
「うん、細かく言えば違うよね。パンドラの箱には、何か非常に良くない物が詰まってるわけでしょ。」

そうか、芋虫の缶詰には、そこまで悪い物が入ってるわけじゃない。中身は確かにキモチワルイけど、恐ろしくはない。一旦飛び出しちゃえば元に戻すのは至難のワザだけど。
「パンドラの箱を開ける、というフレーズは厄災を引き起こす場合に使って、芋虫の缶詰を開ける、は変に事をややこしくするっていう意味で使えばいいんじゃないかな。」
と提案する私。
「そうだね。それがぴったりだ。」
と、リチャード。

というわけで、結論。

“I don’t want to open up a can of worms.”
「下手に事をややこしくしたくない。」

2011年5月24日火曜日

La La Land あっちの世界

昨日は一日休みをとり、ガーデナにある University of Phoenix (日本語にすると「不死鳥大学」か。すげー。)までセミナーを受けに行きました。会場は二階の教室。午前の部が終わって外へ昼飯を取りに行こうとエレベーター・ホールに出た時、ちょうど白人女性が二人、楽しげに談笑しながら乗り込んだところでした。ドアが閉まる直前で飛び乗る私。五秒ほど経った時、それまでドアを背にして嬉しそうに喋り続けていた方の女性が、
「あら、あたしボタン押してなかったじゃない。」
と吹き出して、一階を押しました。静かに動き出すエレベーター。その時、相方の女性がこちらを向いて、笑顔でこう言ったのです。

“We were in La La Land!”
「あたし達、ララランドに行ってたの!」

え?それどういう意味?と質問したかったのですが、迷ってるうちに一階へ到着。二人連れは一層大声になって笑いながら消えて行きました。ううむ。なんなんだ、ララランドって!?

そんなわけで、本日朝一番、同僚マリアを訪ねます。
「心ここに在らず、って感じの時に使うわね。たとえば会議中、明らかに他のことを考えてボーッとしてる人っているでしょ。そういう場合、彼は今ララランドにいるね、って言うの。その人たちも、話に夢中でエレベータのボタン押すのをすっかり忘れてたわけでしょ。一瞬あちらの世界に行ってたってことよ。」
「ふ~ん。でも、なんでララなの?」
「それは分かんないわ。」
「ロサンゼルスはLAっていうでしょ。ハリウッドとかビバリーヒルズとかがあって、少し浮っついた雰囲気の場所だから、そこから来てるのかな、と思ったんだけど。」
「あ、そうかもしれないわね。その説、案外正しいかも!」

あとでちょっと調べたら、本当にロスから来ている、という記述を発見。ロスみたいな浮っついた世界に行ってた、ってことですね。

さて、この表現を使用する際の注意点のひとつは、 a とか the とかの冠詞がつかない、ってこと。Heaven などと同様ですね。それから発音。La La までは日本語の「ララ」と同じだけど、Land は「レンド」に近い音にするってことです。「ラララ」でなく「ララレ」です。実は私、うっかり「ララランド」と発音してしまい、マリアに直されました。トホホ。まだまだ甘いな。

2011年5月21日土曜日

That’s just my two cents. 個人的見解ですが。

先日の電話会議で、司会のボブが、
「誰か他に意見はないかな?」
と尋ねたところ、普段滅多に発言しないマリアが「ちょっといいですか。」と話し始めました。並み居る上層部に対して意見を言うなんて大した勇気だなあ、と感心していたら、最後に一言こう付け足したのです。

“That’s just my two cents.”

直訳すると、「それが私の2セントですが。」となりますが、これ、実に頻繁に聞くフレーズなんです。意見を述べた後、謙遜してそう言うのが常で、要するに、大して価値のある内容じゃなく、ちょっとした個人的見解なんですよ、と遠慮がちに締めくくる際に使われます。two cents の語源ですが、アメリカでは「ポーカーをする際に積まなければいけない掛け金の最低額だったから」という説が信じられているようですが、アメリカより前に、既にイギリスでも two pennies という表現があったようで、「郵便を送る際の最低額の切手が2ペニーだったから」という説が濃厚みたいです。

先日、久しぶりにオレンジ支社へ出張した際、私の陣取っているキュービクルの二つ隣に座っているスティーブンに、このイディオムの使い方について質問してみました。
「two centsは複数なのに、どうして That is my two cents. って単数扱いの be 動詞が使われるの?」
「2セント(日本円で約2円)分の価値しか無い意見、A two cents’ worth opinion というのを縮めてるんだよ。この場合の Opinion (意見)は単数だからね。」
「偉い人に対して使うの?」
「いや、上司だけじゃなく、同等の立場が相手でも使うね。」
「そうか、まあ同僚相手にだって謙遜することはあるもんね。じゃさ、謙遜しないで済む場面ではどんな言い方があるかな。」

その時、私とスティーブンに挟まれたキュービクルで、ずっとコンピュータに向かって無言で仕事をしていたダグが、満を持したように会話に割り込んで来ました。

“Let me give you my million-dollar suggestion.”
「俺の百万ドルの提案を聞かせてやろう。」

一同爆笑。私はたまにしかこの支社に行かないし、ダグも現場に出かけて不在がちなので、二人は滅多に顔を合わせません。この一年近く、隣にいながら何となく挨拶しそびれて会話ゼロが続いていたのですが、これで一気に関係がほぐれました。

2011年5月19日木曜日

Reprieve 執行猶予

昨日の朝、オレンジ支社で仕事していたら、同僚シェリルが通りかかって私の顔を見るやいなや、こう聞きました。
「リプリーブのこと、聞いてる?」
何?リプリーブ?初めて聞く単語だ。でも、彼女の表情から何を話そうとしているのか大体察しがつきました。
「ティムのこと?」
「あれ?ジャックに聞いたの?」

先日解雇宣告を受けた上下水道部門のティムですが、傷心を抱え荷物をまとめ始めた矢先に、
「やっぱり解雇取り消しね」
と突然の白紙撤回があったというニュースを、事情通の同僚ジャックから聞いたばかりだったのです。なんでも、サウジアラビアでメガトン級の設計プロジェクトがスタートしたそうで、全米各地のオフィスに、
「大至急エンジニアをかき集めてくれ!」
と号令がかかったらしいのです。

「ギリギリのところで失職を免れたとは言え、素直に喜べないわよね。お前なんか単なる将棋の駒 (Commodity) に過ぎないんだよ、という残酷なメッセージを受け取ったわけだから。」
う~ん、確かに複雑な心境だろうな。
「今回の緊急召集にしたって、何ヶ月分の業務量があるのか分からないらしいから、油断できないじゃない。昨日のミーティングで、ジャックがティムに会ったんですって。遠くに座ってたから話は出来なかったそうなんだけど、やってられねえよ、って感じのジェスチャーをしたそうよ。」

そうして去りかけたシェリルに、
「ちょっと待った。リプリーブって何?」
と聞いてみました。
「刑の執行を延期することよ。」
おお、執行猶予のことね。こういう時に使うんだ。知らなかった。シェリルが言ったのは、こういうことです。

“Did you hear about the reprieve?”
「執行猶予の件、聞いた?」

今日、サンディエゴの同僚リチャードにこの件を話したところ、
「奥さんから離婚しましょうと切り出された直後に、でも住むところが決まるまで一緒に暮らしましょうって言われたようなもんだよね。」
と、見事なたとえ話でティムの心境を描写してくれました。

2011年5月18日水曜日

Preaching to the choir 坊主に説法?

今日の午後、オレンジ支社で仕事していたところ、ボスのリックがやって来ました。ちょっと見せたい物があるから自分のオフィスに来てくれないか、と言います。
「今度のプロポーザル用にコストを積算してみたんだけど、これって標準のテンプレートがあったら便利だよね。普通はみんな利益率まで出さないけど、こうして数式を埋め込んどけばそれも予め計算出来るだろう。見積もり用のテンプレートを会社で作ればいいと思わないか?」

現在社内で使用が義務付けられているプロジェクトマネジメントのソフトウェアには、見積もり用のツールが組み込まれていません。元ボスのエドが作ったプロトタイプをユーザーグループにテストしてもらっているはずなんだけど、正式採用日がなかなか発表されないのです。私は誰よりもこのツールの公開を心待ちにしているのですが、かれこれ一年半も待たされているのです。

こうしたソフト開発の近況をリックに説明し始めたところ、彼はハッとしてこう言いました。
「ごめん!この会話、一年くらい前にも君としたよね。なんてこった。アイム・プリーチング・トゥ・ザ・クワイア!」

Preaching to the クワイア?

これ、過去に何十回も聞いてるイディオムなんだけど、意味を調べたことがありませんでした。さっそくリックに尋ねると、
「何かをよく分かっている人に、くどくどと説明したり売り込んだりすることだよ。」
と解説してくれました。おお、それって日本語で「釈迦に説法」のことじゃないか。でも「クワイア」って何だ?ネットで調べようとして、スペルを知らないことに気付き、立ち往生。それでもどうにかこうにか、目当てのイディオムに辿りつきました。

Preaching to the choir.

だそうです。そっか、Choir は「チョア」じゃなかったのね…。

「改宗せよとクワイア(聖歌隊)に説教する」ことが語源だそうで、既に敬虔なクリスチャンである聖歌隊の人々に対して、「キリスト教は素晴らしいですよ。改宗しなさい。」と説教するのは意味の無いことだ、というわけです。そうなると、「釈迦に説法」とは微妙にニュアンスが違うような気がします。聖歌隊と釈迦とは格が違い過ぎるので。

「坊主に説法」くらいがちょうど良いかな、と思うのですが、どうでしょう?坊主が怒るかな。

2011年5月16日月曜日

Tease out (精査して情報を)導き出す

先週末、いよいよ巨大プロジェクトが社内で正式に承認され、私の名前がPM欄に載りました。業務内容は、今まで一度も経験したことのない分野。私は全くの門外漢です。クライアントに対しては技術屋のトップであるジムがPMということになっており、プロジェクトマネジメントのエキスパートとして徴用された私は前面に出ることなく、静かに予算やスケジュールを管理して行きます。当面の課題は、WBS(ワーク・ブレークダウン・ストラクチャー)の構築と予算の作成。

先週はダウンタウンのオフィスに何度も出かけ、ジムの補佐役として技術屋のナンバー2を務めているセシリアと一緒に、WBS作成と予算の配分に取り組みました。入札に当たって積算を担当した彼女がいなければ、このタスクは遂行出来ません。バリバリと仕事を進めていた彼女ですが、水曜の夕方ごろ、段々と表情が曇ってきました。
「おかしいわ。こんなに利益率が低いはずないんだけど…。」

予算を積み立ててみると、コストが予想外に高くなってしまったのです。
「そういうことはあると思うよ。だって、入札時の積算方法と全然違うアプローチで組み立ててるんだから。」
「ううん。そうだとしても、何かがおかしい気がするの。こんなはずないって思うのよ。今晩、よく考えてみるわ。」

翌朝、セシリアからメールが届きました。ついに問題の原因を突き止めたというのです。
「分かったわ。入札の時は下請け会社の労務時間を、うちの労務時間と混ぜてたのよ。今回は下請け分を総額で積んでるから、重複してる訳よね。もう一度オリジナルの見積もりまで戻って、仕分けし直さないといけないわ。」

なるほど、そういうことなら理解出来ます。しかしその日の夕方に彼女から届いたメールは、こんな表現から始まっていました。

“I wasn’t able to tease out hours for subs.”
「下請け会社の労務時間を tease out 出来なかったわ。」

ティーズアウト?なんだそれ?Tease は「からかう」という訳で記憶していたので(たとえば「ティーザー広告」というのは肝心なところは見せず、視聴者の好奇心をそそるタイプの広告)、さっぱり意味が通じません。さっそく調べたところ、tease にはそもそも「ウールから繊維をより分ける」という意味があるそうで、トゲのついた植物でこの動作を行うことが転じて「からかう」となったとのこと。な~るほど。「繊維がびっしりと絡み合っている状態を解きほぐして目的の繊維を選り分ける」ということですね。今回のケースでは、下請けの労務時間が我々元請けの労務時間の中に組み込まれていたのを、よく調べて下請け分だけ抽出する、つまり精査して情報を導き出す、という意味で使われたのです。なかなかカッコいいフレーズではありませんか。今後どんどん使って行きたいと思います。

ところで、今回tease をグーグル・ジャパンで検索したら、真っ先に

「手汗」

が出てきました。何でそんなことが起きたのかに気付くのに、3秒くらいかかりました。

2011年5月15日日曜日

Scumbag カス野郎

先日オレンジ支社の休憩室で、庶務のロシェルが同僚フィルに苛立った調子でこんなことを話していました。
「妹夫婦が離婚することが決まったの。子供二人いるんだけど、旦那がずっと浮気してたことが、つい最近発覚したのよね。で、そっちの女との間に赤ちゃんが出来たっていうのよ。これは絶対許せないでしょ。私は離婚に大賛成だって言ったの。」
するとフィルが、
「義理の、とは言え、弟さんのことをこんな風に呼ぶのはどうかと思うけど、とんだカス野郎だねえ。」
と答えます。この時彼が使った表現が、

“What a scumbag!”

です。この scumbag(スカムバッグ)というのは日常的によく耳にする言葉で、卑劣な人間のことを意味しています。こないだオバマ大統領も、演説の中で使ってました。しかし、scum(かす)と bag(袋)との組み合わせがどうもピンと来ません。なんでフクロなわけ?

ネットで調べると、「scumbag はコンドームのこと」とも書いてあるんだけど、それが直ちに「見下げ果てた奴」とか「極悪人」とは繋がらないわけです。そこで先日、サンディエゴの同僚達とランチに行った際、皆に尋ねてみました。意外にも、誰もこの言葉とコンドームとを結びつけては話しませんでした。マリアはいつもどおり、
「わかんない。ただそういう言い方をするのよ。」
と取り付く島が無い。ラリーも首を傾げるばかり。すると元上司のエドが、こんな回答をくれました。
「バッグってのは、人間の皮膚のことだと思うよ。人間の姿をしているのに、中身は scum(カス)だってことじゃないかな。」
おお、そいつは分かりやすい!。本当かどうかはこの際置いといて、ビジュアル・イメージ的にはこれがベスト・アンサーだと思いました。

2011年5月11日水曜日

School of hard knocks 実社会

朝一番で、ラスベガスに住む同僚エリカから電話がありました。
「ソラナビーチ支社にいるグレッグって人が、プロジェクト・レポートの作成に四苦八苦してるの。シンスケに助けてもらうといいわって薦めたいんだけど、構わない?」
もちろんOKだよ、と答えると、彼女はPMたちから聞かされる苦労話を始めました。
「一応教室でトレーニングを受けてはいるものの、いざ実際にプログラムを使い始めると、エラーの連続で嫌になっちゃうんですって。今になって厳しい現実に立ち向かってるわけよ。」

この時彼女が、
「そういうのをハード・ノックスで学ぶっていうのよ。」
と、教えてくれました。その一時間後、観葉植物の水遣りに来たメアリーが、
「来週は息子のプロムがあるの。高校生活最後のイベントよ。月末からはカレッジの学費を稼ぐため、働き始めるの。今度はハード・ノックスの学校に行くってわけ。」
おお、また出た。

そしてその直後の電話会議で、ボスのリックがインターンの学生の話をした際に、「ハード・ノックスで学ぶ」という表現を使いました。こんな短時間で3回も同じイディオムを聞くなんて!これはきっと、よく使われるフレーズに違いない。慌てて同僚ラリーの部屋を訪ね、解説をお願いしました。

「ハード・ノックスというのは、世の中で味わう厳しい体験のことだよ。」
そう言って両方の拳を前後に出してパンチの真似をするラリー。
「ノックって、ノックアウトとかノックダウンとかのノック?」
と聞くと、
「そうだよ。ハード・ノックはキツいパンチのことだね。これは世の中で味わう辛い体験のことを指していてね、一般にはスクールという言葉をくっつけて、スクール・オブ・ハード・ノックスで学ぶ、という風に使うんだ。これまではただ教科書で学んでいた人が、世の中に出て痛い思いをしながら何かを習得していく、という場合のイディオムだね。」

I learned that in the school of hard knocks.
実社会で(痛い思いをして)それを学びました。

ってな具合に使うらしいです。子育てをしてる人がよく、
「どんなにキツく言い聞かせたところで、結局は自分で痛い思いをしないと分からないんだよね。」
と言いますが、まさにそんなケースで使えるフレーズですね。

2011年5月6日金曜日

A feather in one’s cap 勲章

30ミリオンドルの契約書が、間もなくサインされようとしています。このプロジェクトのPMを私が務めることは、ほぼ確実となりました。一昨日、超多忙の中、契約条項のチェックを超特急でしてくれた弁護士の同僚ラリーに、今朝あらためてお礼を言いました。

「お安い御用だ。君にこんなすごいチャンスが飛び込んで来て、俺も興奮してるんだよ。君の履歴書上で、燦然と輝くプロジェクトになるだろうな。」
ラリーはニッコリ微笑んで、こう続けました。

“It’s going to be a feather in your cap!”

おお、またまた新しいイディオムを有難う!英辞郎では、「誇りとなるもの、自慢の種、手柄、立派な業績」などと訳されています。語源はどうも、ネイティブ・アメリカンが頭に立てていた羽根飾りのようです。殺した敵の数だけ羽を飾る、というあれですね。私の解釈では、これら一切をひっくるめて、「勲章」が一番ぴったり来る気がします。

“It’s going to be a feather in your cap!”
「これは君の勲章になるぞ!」

Final nail in the coffin とどめの一撃

昨日オレンジ支社で仕事していたら、同僚ジャックが神妙な面持ちでやって来ました。
「ちょっと話したいんだけど、いいかな?」
彼の部屋へ行くと、静かにドアを閉めたジャックが、
「ティムが解雇されたよ。」
と言いました。

ティムは上下水道部門のPMで、少し前に週30時間勤務に切り下げられたところでした。不景気のあおりで、業務量が激減しているため、こうなることは避けられなかったのでしょう。彼の持ち駒で、私も深く関わっていたプロジェクトがあるのですが、一ヶ月前に突然、無期限の中断をクライアントから言い渡されました。地元市とクライアントとの話し合いがこじれ、打開策が見つかるまで前に進めない、というのです。
「今思えばあの一件が、最後の (final)…。」
と言いかけた私ですが、良い表現を思いつきません。するとジャックがそこを引き取って、こう会話を締め括りました。

“That was the final nail in the coffin.”

直訳すると、「あれが棺の最後の釘だったね。」この表現、以前に何度も聞いているのですが、 “nail in the coffin” の部分がどうしてもしっくり来なくて、先週サンディエゴの同僚達に質問したところでした。「棺の中の最後の釘」と解釈すると、まるでお棺の蓋を開けて中に釘を一本放り込むようなイメージが浮かぶのです。前置詞の “in” が曲者。同僚リチャードによると、
「いや、そうじゃないよ。お棺の蓋に釘を打ち込む、という意味で in が使われてるんだよ。既に終末が見えている事態があって、そこへ最後のとどめを刺す、というフレーズだね。」

3年前のある日、私は上下水道部門への移籍を促され、迷っていました。その時私を今の環境部門へ引っ張ってくれたのが、大ボスのエリック、そして彼のボスのジョエルです。あの時彼らが動いてくれなかったら、私も今頃ティムのような目にあってたかもしれません。人生というのは、実力半分、運半分だな、と思わずにいられません。

2011年5月5日木曜日

A two-pronged approach 二方向からのアプローチ

別部門からの引き抜きの話を、直属の上司リックから大ボスのエリックに伝えてもらいました。彼の最初の反応は、
「シンスケにとってまたと無いチャンスなのは分かっている。でもうちの部門に籍を置いたままでも出来るだろう。」
でした。しかし、大規模プロジェクトを担当すれば今の業務の継続が難しくなるのはエリックにも分かっていて、数ヶ月先の移籍を前向きに検討するような雰囲気に変わりました。

水曜日にはアーバイン支社を訪ね、別部門のトップ二人(エリックとリサ)とミーティング。両部門の親分がどっちもエリックなのでややこしいのですが、二人は2時間かけて熱心に私を口説きました。
「今回のプロジェクトはうちの部門でも過去最大の仕事なんだけど、それ以外にも君の力を必要としている中規模のプロジェクトが四本くらいあるんだよ。どうしても来て欲しいんだ。」

夕方オレンジ支社に戻り、ボスのリック、そして大ボスエリックと三人でミーティングです。
「さあ、 Life after Shinsuke (シンスケが去った後の処し方)を話し合おうじゃないか。」
とリック。エリックは、
「とにかく急いで後任を探すことが先決だろう。」
と言います。するとリックが、
「複数の後任を育てつつPM達をトレーニングする、という二方向からのアプローチを考えているんですが。」
と返しました。この時彼が使った表現が、

“I’m thinking of a two-pronged approach.”

です。Prong(プロング)というのは、フォークや鹿の角のように枝分かれした先っぽを指し、数字の後に過去分詞のpronged をつけると、「〇本に枝分かれした」という意味になるのです。さっそく、私がこの実行計画を作成することになりました。

さて本日、ロングビーチ支社まで足を伸ばしました。エリックのボスであるジョエルのプロジェクト・レポート作成を手伝うためです。1時の待ち合わせだったのですが、前の予定が押していたらしく、私の顔を見るや否や、
「シンスケ、一緒にランチ行こう。昼飯食いそこねちゃったんだ。食べながら話そうじゃないか。」
と誘われました。近くのピザ屋まで歩く道々、プリマベーラを活用した人材管理の構想をぶちあげて、私にその中心人物になって欲しいとまくしたてました。どうやら引き抜きの話は伝わっていないのだということを、この時さとりました。さてどうするか。ここは単刀直入に話すしかない、と腹を決めます。ピザを三切れ食べた後、思い切って切り出しました。
「ジョエル、私の近況について話しておかなければなりません。別部門から、巨大プロジェクトのPMになって欲しいという話が来たのですが…。」
「ああ、そのことなら聞いてるよ。すごいチャンスじゃないか。頑張ってくれ。」
「有難うございます。でもそれはまだ話の前半部分にしか過ぎないんです。」
「残り半分は何だ。聞こうじゃないか。」
「はい、実は部門間異動の話も来ているんです。」
「なんだと?」
ジョエルの顔色が一気に曇ります。
「このPMの仕事を受けた後、彼らの部署へ異動してくれ、とも言われているんです。」
「とんでもない。そんなことはさせんぞ。うちはまだまだ君が必要なんだ!」
そしてやにわにブラックベリーを取り出すと、二つの親指で慌しくメールを打ち始めました。
「(別部門の)エリックの奴に、びしっと言ってやらないとな。」

帰宅して妻に、
「何だか知らないけど、気がついたらあちこちからラブコールがかかっていてね。モテモテなんだよ。まるでNFLの人気クォーターバックにでもなったみたいな気分。」
と浮かれて報告したところ、
「ハイそこまで。あまり調子に乗らない方がいいよ。」
とたしなめられました。

2011年5月2日月曜日

Glutton for punishment 仕事バカ

今朝ほど、先週「巨大プロジェクトのPMをやらないか」と誘ってきたリサからメールが届きました。今度の水曜、彼女のボスと三人でミーティングをしたい、とのこと。彼らは私を今の部署から引き抜こうとしていて、そうなると組織間での交渉になります。私個人にとっても、またとない昇給交渉のチャンス。同じ部門に長くいると、なかなか給料アップの機会が来ないのです。このミーティングは条件交渉になる予感がしています。

メールでの調整の末、アーバインのオフィスで12時から2時までのミーティングがセットされました。これは、ランチタイムもぶっ続けで仕事をする、という意味。当然、どこかから弁当を運び込んでもらい、食べながら話をするのです。リサはその後メールで、
「実は11時から、うちの部門の電話会議があるの。プロジェクトマネジメント・プログラムに関するディスカッションをするんだけど、これにも出られる?」
と尋ねて来ました。そして最後に付け加えたのがこの一言。

“…if you are a glutton for punishment. :)”
「あなたがもし glutton for punishment ならね。」

う~ん、さっぱり分からん。何だこのフレーズ?

というわけで、さっそく調べました。Glutton (グラトゥン)というのはもともとクズリというイタチ科の動物のことで、「大食漢」という意味に使われているそうです。Punishment は「罰」を意味する単語ですが、「虐待」としても使われます。二つを合体すると、「虐待を進んで受ける」という意味合いになりますね。英辞郎には、「いやな仕事を進んでする人」とあります。ふ~ん、何か、いい人っぽいじゃん…。ポジティブな言葉なのかな?

同僚マリアに、その辺のニュアンスを聞いてみることにしました。
「私は glutton for punishment よ。悲しいことに。」
「それって褒め言葉にもなるの?」
「普通はネガティブな意味にしか使われないと思うわ。大体、gluttony (暴食)はキリスト教の七つの大罪に数えられるくらいだから。」
「ふ~ん。僕もそういうタイプかもしれない。超忙しいタイミングで新しい仕事を頼まれても、よっしゃ!って燃えるんだよ。ちょっとマゾなのかも。」
「シンスケは絶対ノーと言わない人よね。確かにマゾ的なニュアンスはあると思うわよ、このフレーズには。」
「最近どうなってるかは分からないけど、僕から上の世代の日本のサラリーマンって、gluttons for punishmentが多かった気がするよ。」

20年ほど前、日本の中央官庁に出向して間もない頃、夜12時を過ぎ終電の時間が迫って来ました、隣の席の同僚から、
「3時から打ち合わせをセットしました。出て下さいね。」
と言われ、
「明日の午後のこと?」
と尋ねると、
「いえ、午前3時です。」
と真顔で答えられ、さすがに呆れて
「いや、出れない。終電で帰りたいから。」
と断りました。翌日上司から、「何で帰ったんだ?」とたしなめられ、ぶったまげたことがあります。

このエピソードをマリアに聞かせたところ、
「そういう人たちには、Glutton for Punishment って書かれた帽子をプレゼントしたくなるわね。」
明らかにネガティブなフレーズであることが、これで分かりました。「嫌な仕事をすすんでする人」という英辞郎訳は、少し綺麗過ぎる気がします。「仕事中毒」とか、「仕事バカ」くらいがしっくり来ると思うのですが、どうでしょう?

2011年5月1日日曜日

I'm breathing again ほっとひと安心

金曜の午後、オレンジ支社のエリックから電話がありました。間もなく終了する彼のプロジェクトの最終コスト予測を提出しなければならないのですが、最近になって4万ドルの請求書を下請け会社から受け取った、というのです。
「そんな大きな額の請求がまだ残ってたなんて知らなかった。下請け用には、あと1万ドル強しか積んでないよ。」
と私。
「その1万ドルは、もう行き先が決まってるんだよ。別に4万ドル積んでなかった?」
と動揺するエリック。
「うん、オンラインで最終予測コストの内訳を見てもらえば分かるけど、残りはあと1万だよ。」
「だとすると、4万ドルはまるまる利益から差し引かれることになるのか?」
「そういうことになるね。」
電話の向こうが静まり返りました。月末の、しかもこんなギリギリになって、ボス達に悪い知らせを届けなければならないとは。数百ドルならともかく、桁がケタだもんな…。
「絶対に、絶対に確かか?」
と緊張するエリック。
「ちょっと一旦電話を切るよ。データベースを調べてみるから。」
と私。

5分ほど調査した結果、4万ドルの請求書は既に先週処理されていて、最終予測コストに含まれていたことが分かりました。1万ドルというのは、その差っぴき後だったのです。エリックにメールしたところ、こんなメールが返って来ました。

“I’m breathing again.”

直訳すると、「呼吸を再開したよ。」となります。要するに、「ひと安心」とか「ほっとした」という意味ですね。

“I’m breathing again.”
「これでほっとひと安心だよ。」

この表現、いただきです。